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現代小説 3

 

「ハッピー・バースディ」 角川文庫
新井素子 著

   ハッピー・バースディ


フリーライターのあきらは大学時代の先輩であり、あきらの文章の理解者である公人と結婚した。夫に勧められるままに書いた小説は新人賞をとって、仕事も私生活も何もかもがうまく行っているはずだった。だが、偶然の出来事があきらの幸せな世界を足元から崩しはじめる。

 この方の本を読むのは、十何年ぶりか。古書店でみかけて懐かしくて買ってみました。エッセイとか私小説風のものを多く書かれるようになった頃から読まなくなっていました。そして今回、正直さっぱり面白くなかったので参りました。

 あまりに長く、くどいので読むのが辛かったです。半分の長さに切り詰めても十分だろうという気がします。
もしも「ああ、こんなこと有り得そう」と思えたら怖い話なんですが、「幾らなんでも、無いでしょう」と思ったとたんに読めなくなってしまった。
 エピソードがありえないのではなくて、複数の登場人物の感情・行動が似すぎているために、著者が考えた世界の中でしか成立しない話であることがわかってしまうのです。あきら一人の妄想の世界ならかえって納得できたのでしょうが。

 タイトルを忘れましたが、似たような性格の主婦を書いたホラーっぽい作品がありました。あちらの方が面白かったです。ぴかぴかの新築マンションに住んでる若奥さんが旦那さんを殺してしまう話(こわいな、こういう事件が最近、現実にありましたっけ)。
 昔のお話の方が私は好きです。
(2007.12.16)

  

「西の魔女が死んだ」 新潮文庫
梨木香歩 著

   西の魔女が死んだ (新潮文庫)


「魔女が倒れた。もうだめみたい」――祖母が亡くなったという知らせがまいのもとに届いた。二年前、学校へ行けなくなったまいは祖母のもとで暮らしたことがあった。その穏やかな日々、そして胸にわだかまっていた後悔の思いがよみがえってくる。その後のまいの物語「渡りの一日」も収録。

 書名と評判はよく耳にして、気になっていた本。やさしくて細やかな気持ちになれる(ような気がする)、描かれる光も風も雨もおだやかな、味わいのあるお話でした。

 イングリッシュガーデンが似合うおばあちゃんといっしょに苺を摘んでジャムをつくる。ああ、たしかに女の子が大好きな、あこがれの生活だなあ(ちなみにこのお話、仮に私が書くと間違いなく梅干を干す話になると思った)。
 それと同時に、大人の女性のファンが多いというのも頷けました。
 サンドイッチをつくって、洗濯して、ベッドメイキングして、という毎日の仕事の積み重ねの中に幸せを感じること。やがて、まいのおばあちゃんのようになって、死ぬことを怖がらず、いたずらっぽい約束を孫と交わすことができる――そんな夢を抱くことを教えてくれる本だからです。

 結局、まいはおばあちゃんとは再会することはできません。でも、二人が交わした約束は二年という時間を越えて、おばあちゃんの死もこえて果たされて、まいを力づけてくれる。初、中盤の頼りないほど優しい雰囲気のなかから、こんなにしっかりと生き生きしたラストシーンが生まれてくるとは思いませんでした。

 まいのその後を描いた「渡りの一日」は何となくコミカルで、こちらも好きです。どたばたとすれ違い、勘違い、予想外のなりゆきが楽しい。
(2008.7.30)

 

「TUGUMI」 中公文庫
吉本ばなな 著

   TUGUMI(つぐみ) (中公文庫)


美しくて、儚くて、ものすごく嫌な性格のつぐみ。どこまでも優しい陽子。いとこの彼らといっしょに育った日々が終わろうとしていた。三人が暮らした海辺の旅館は廃業し、主人公のまりあは東京で家族とともに新しい生活を始めることになっていた。今年限りの夏の思い出を描く物語。

 初版は1989年、私はこの年に買って読んだのですが。この文章は好みではないなと思って、以来この著者の本は読んでいませんでした。そして、今回思い立って再読。約20年の勘違い――つぐみは○○○とばかり思っていた。

 海辺の小さな町の夏景色、ざわざわした人の声、今年あるものが来年には消えてしまう、という切なさがていねいに描かれていて、さすがと感じました。ただ、以前に読んだ時にも感じた少女まんがのような甘さは、今も馴染めないです。つぐみが可愛らしすぎるような気がします。彼女はもっと凄まじくあって欲しかった。

 病弱でも、ぎらぎらした生きる意欲は失ったことがない。自分が大事だと思うものだけあればいい、あとはみんなカス、という傲慢さ。そうやって選択しなければ身がもたないという余裕のなさ。
 こういうつぐみだから、終盤のまりあの『普通、人が持つ悩みを、つぐみが初めて抱いたことに私は本当におびえていた』という言葉が効くのではないかな、と思いました。

 うーん、しかしこれは私の思い込みなのかも。この本の感想は難しい。
(2008.10.4)

 

「キッチン」 福武書店
吉本ばなな 著

   キッチン (角川文庫)


たった一人の家族を亡くしたみかげは、同じ大学に在籍しているという田辺雄一の家に居候することになった。何の約束も予定もない、漂うように始まった奇妙な共同生活はしだいにみかげの悲しみを癒していった。「キッチン」とその続編「満月」。
そして、恋人を亡くしたさつきと柊に贈られた奇跡のできごとを描いた「ムーンライト・シャドウ」をおさめた短編集。

 眠る、笑う、泣く……ちぐはぐだった主人公の感情がしだいにつながり、悲しいできごとから離れて響きあうようになっていくのが感じられてよかったです。
 眠ってばかりでも、笑ってばかりでもない。いろんな感情がちゃんと機能しはじめる――健康で幸せな生活を取り戻していくとは、こういうことなのかもしれない。

 エッセイを読むと、この著者はものすごく食にこだわる方のようです。
「キッチン」、「満月」に書かれたみかげと雄一の関係は同志のようでも、恋人、友人のようでもあって、ひとことでは言い表せない。でも、おいしいものを食べた時に「持っていってあげたい」と思うのは、とても深くて幸福な関係なのだろうと思います。

「キッチン」の最初の一行を読んで、これは何が起こってもハッピーエンドになることは間違いない、と確信しました。
(2008.12.15)

 

「うたかた/サンクチュアリ」 新潮文庫
吉本ばなな 著

   うたかた/サンクチュアリ (新潮文庫)


うたかた

 父と別居して、母と二人きりで暮らしてきた少女・人魚。父の家には母に捨てられた少年・嵐が残されていた。やがて成長した二人は偶然出会い、お互いの心の中を語り合う。家族でありながらつながりの薄い四人がぶつかり、寄り添いながら生きていく物語。

 台風の目の真ん中で青空を見上げるような、奇妙な不安とはっとするような明るさを感じる作品でした。

 海の底に眠るような生活だった人魚と母。それが嵐と出会い、人とのつながりに目覚めていく。これは「人魚姫」の話なんですね。だから、主人公の名前が「人魚」なんだろうな。
 母親が長い旅に出たことで、そして嵐と出会ったことで目覚めていく。その目覚めを促したのではないかな、と思う嵐の言葉が印象的でした。自分を捨てた母親のことを、

「ぽいと捨てられて、死ぬほど悲しかったこともちゃんと覚えてる」「でも、俺にはとても優しくていつもきれいだったよ。人は、親切にされた思い出は忘れないものだからね」

 さらりと言ってしまう、そんな心境に至るまでの哀しさや絶望が伝わってくるようで愛おしい。

 ふと気づいたこと。雨や風など天候の描写が人物の心象とかぶっているのですね。こういう表現が好きです。

サンクチュアリ
 智明は、夜の海で泣いていた女のすがたが忘れられなかった。なぜなら、自分自身は泣くことができなかったから。高校時代の級友との再会、そして彼女とのつかの間の恋愛を思い出す。

 接点のない二人の女(友子と馨)の間に立っている智明が、そのどうにもならない感情が切なくて痛かった。
 日常生活の中に納まりきらない気持ちを抱えて苦しんだ友子。彼女が亡くなって残された智明も同じ心情だったのではないか、と感じました。毎日の生活のどこにも行き場がない、誰にも言えない思いを抱え込んでしまった。その一方で、馨は他愛ない平凡な日々を取り戻そうと足掻いている。彼らの気持ちがとても自然に伝わってきました。

 登場人物それぞれがどうしようもない思いを抱いている――それが、泣く/泣かない、という行為に収束してくる表現がよかったです。
 友子、馨、大友……それぞれ自分が失ったもののために涙を流しているのだけれど、智明だけは違うのですね。
 泣きたくても泣けない。そんな事情を抱えた智明が一度だけ泣いたのは馨のためだった、ということがとても深い意味を持っているように思いました。


 二作を読むと、「うたかた」は肌にあっててとても好き、「サンクチュアリ」は忘れられない、という感じでした。
 簡単で伝わりやすい言葉を、ものすごくつきつめて選んである文章ですね。言葉を辿るだけで幸せな気持ちになりました。
 それと同時に、言葉に拠らないなにかが息づいているので、日本語でなくても充分成り立つ作品だとも思います。「だからこそ訳してみたい」と思わせるところは俳句や歌詞にも似ています。
(2008.7.15)

 

「哀しい予感」 角川文庫
吉本ばなな 著

   哀しい予感 (角川文庫)


「私はよく家出をした。あいさつや家族の気配のないところにいくと気が休まることがある」――両親と仲のよい弟との幸福な生活をおくる弥生の中にはいつも不安があった。幼い頃の途切れた記憶はどこにつながっているのか。日常から逃げるように、そして朧な記憶を確かめるために弥生はおばの家を訪れた。

 日常生活を離れて親戚のうちに身を寄せる、という話に、最初「西の魔女が死んだ」を思い出してしまった。まったく話は違うのですけど。

 弥生の超常現象体質(?)の描写にはなんとなく馴染めなくて、家出のきっかけとなった記憶を取り戻す場面は何度も読み返してしまいました。いや、何か読み飛ばしてしまったかと思いまして。
 でも、全体的にはかなり好きでした。
 猫そっくりのおばの風変わりな生活、そこに流れる独特の時間、失った家族との再会と新しい恋愛の誕生。そうとう風変わりな人間&恋愛関係が書かれるのですが、基本的にはとても健康で幸福で、力のある話だと思いました。何と言うか。心が弱った時に読むととても幸せになるけれど、卑屈な時には痛くて読めないお話、とでもいいましょうか。

 この著者の小説を二冊読んで思ったのは、まず会話が好き、ということ。
 一見、喋っている言葉がそのままに書かれているように見えますが、話し言葉ではないのですよね。ていねいで、整然とした会話文。こういう文章は好みです。
 もうひとつは、男性の描写がきれいだ、ということ。
 立ち姿の雰囲気、瞳の美しさを語ることばは本当にいとしさにあふれていて、読んでいて泣きたくなります。異性への恋愛というか、信仰心と近いような強烈な憧れが伝わってきます。

 なかなか気に入って読んでます。どうして、昔はこの著者の本が嫌いだったのだろうか? 不思議なので、続けて他の本も読んでみます。
(2008.8.20)

 

「ハチ公の最後の恋人」 中央公論社
吉本ばなな 著

   ハチ公の最後の恋人 (中公文庫)


新興宗教がかった祖母と母の家、世の中、自分自身にうんざりして家出したマオは、ハチという青年と出会った。「おまえはハチの最後の恋人になるだろう」という祖母の不思議な遺言は現実になった。しかし、ハチとの恋は最初から「最後」が見えていた。何故なら、ハチは旅立ち、帰ってこないだろうことをとうに決めていたからだ。

 かなり突拍子もない設定です。でも、どこかにありそうな感じもするのが面白い。
 超能力者の祖母とその信者が集まる奇妙な家。マオはそこから家出して、ハチと「おかあさん」(というあだ名の少女)が同棲する部屋に転がり込む。ハチとの恋は最初から別れが折り込み済みで、彼との別れに向かって生きはじめたことで、マオは新しい人生を手に入れる。
 猥雑で、そのくせ静かな幸せが底に流れているマオとハチの毎日。二人の恋は泣きたくなるほど温かくて、絶望的に苦しい。切なくなるお話でした。
 いい言葉も多いです。

 ハチはその頃そういう言い方で、くりかえし言っていたのだ。君が好きだ、君といたい、でもできない、君とずっといたい。全身で、だだをこねる子供みたいにくりかえし。

 はじめて本当に絵を描こうかな、と思った。自分に着せる上着、自分を支える杖、自分の足についたかせ。あらゆるところにつきまとうやっかいなお友達としての、絵を。

 本当に気にいった人と人同士はいつもこんなふうに追いかけっこをしている。タイミングは永遠にあわない。
 そのほうがいい。2人で泣いてなんになる。
 2人で笑うならまだしも。



 読み終えるのが寂しくてならないのを「知っているよ」というように、波が何度も打ち寄せるように、いつまでも語りかけてくる最後の数ページが好きです。本を閉じたあとも残る余韻は、夜中に聞こえる潮騒に似ている気がします。
(2008.9.20)

 

「白河夜船」 角川文庫
吉本ばなな 著

   白河夜船 (新潮文庫)


いつから、私はこんなに眠るようになったのだろう――恋人からの電話と、死んでしまった友人・しおりの思い出の間に漂うように生きている、寺子の毎日を描いた「白河夜船」。
 芝美は引き出しの奥に古い手紙の下書きを見つけた。亡き兄と会うこともなくなったその恋人、そしていとこと一緒に過ごした幸せな時を思い出す「夜と夜の旅人」。
 毎晩、酔って眠りにつこうとする時に聞こえてくる甘い歌声。それは、かつて恋人を取り合った女・春の呼び声だった。彼女の死の噂を聞き、死者と会わせてくれるという男を訪れる「ある体験」。
 身近な人の死とそこで止まってしまった時間からの恢復の描いた三部作。

 夜中に目が覚めて眠れなくなってしまったときのような不安感、思い出ばかりがくっきり蘇るような奇妙な読み心地でした。

「白河夜船」は、眠ってばかりいるという設定に、はまる人ははまりそうな感じ。実は、すごく怖い話なのかもしれない。
 寺子としおり、どちらも現実からはじき出されて戻る方法がわからなくなってしまったよう。そして、寺子よりもしおりの方が一歩先を歩いていて、その先に死しかなかった理由を探さなくてはならない――そんなあせり、あがきのようなものを感じました。

「夜と夜の旅人」は、兄とその恋人たちを見守る主人公の芝美の視点が好きでした。
 傍観者というか観察者というかんじ。サラと毬絵、二人を慰めつづけている芝美の視点で読むから、兄・芳裕の思い出が美しく見えるのでしょう。ただ、芳裕の存在感が薄いのがもったいないと思いました。

 そして、「ある体験」。こっちは『サラと毬絵の物語』ってことになるんだろうか(別の話ですけど)。
 私は小説で超常現象を読むと興味がひいてしまうので、あまり好きな話ではないのですが。でも、死者と会わせてくれる田中くん、物腰やわらかな水男は面白い登場人物でした。

 三作続けて読むと、死んでしまった人との関係が変わってくるのが印象に残りました。
 思い出の中にしかいない、しおり。亡くなり、意外なところに似姿を残した芳裕。そして、春とは言葉まで交わしてしまう――死者との距離がだんだん縮まってくる、という不思議な構成の本でした。
(2008.8.30)

 

「ハードボイルド・ハードラック」 ロッキング・オン
吉本ばなな 著

   ハードボイルド/ハードラック (幻冬舎文庫)


山道のドライブ、小さな旅館での不思議な出来事に、死んだ女友達を思い出す、「ハードボイルド」。
病院で眠る姉を看取るまでの、家族と彼女の恋人の心情を描く、「ハードラック」。小説2編を収録。

 「ハードボイルド」は気持ち悪さ、薄気味悪さがよかった(?)。
 オカルトっぽいジャンルはまったく読まないのですが、「怖い。うすら寒い」とちゃんと感じる緻密さがあるのです。こういう話は大雑把だと怖くないですよね。

 ものすごく怖い話を聞いて夜眠れなくなっても、朝になったら「何だったんだ」と思うのと似ている――あっけらかんとした終わり方は面白いです。でも、もう旅先で不味いうどん屋へ行けません。古いタイル張りのお風呂にも入れません。どうしよう……。←なんのかんのと結構怖がっている。

 先の話が強烈だったせいか。「ハードラック」は漫然と読んでしまいました。姉の周囲の人たちの、死への感情がリアルに、でもかわいた感じで書かれていました。何となく、こちらの話を先に読みたかった気がします。
(2009.5.4)

 

「アルゼンチンババア」 幻冬舎文庫
よしもとばなな 著

   アルゼンチンババア (幻冬舎文庫)


町はずれにある古いビルに住む変わり者「アルゼンチンババア」。その変わり者と自分の父親がつきあっている、という噂を耳にしたみつこは真相を確かめようとアルゼンチンビルへ出かけていく。

 うしろのあらすじだけ見ると、えぐい話か、と思いましたが、そんなことはありませんでした(笑)。「キッチン」と似ている気がするのは、これも巣篭もりの話(なのか?)だから。 巣の中から空を見上げ、嵐が行き過ぎるのを待っている鳥のような気分になりました。

 植物がうっそうと繁る庭、空中庭園のような屋上のモザイク曼荼羅などどこか懐かしい風景が好きです。
他にもごませんべいとか猫の毛がついたクッション(の匂い)など、誰でも知っていて、何となく微笑みを誘うイメージがちりばめられていて面白い。

 でも、アルゼンチンババア=ユリさんがちょっと汚いので、素直に「ユリさん、好きだ」と思えないのが悔しいです。
 きれいじゃないけど、あたたかくて純粋な素敵さ、というのは何となくわかるのです。多分、祖母の背中に抱きついて「ばあちゃん、くさーい。好き!」という感じではないかと。でも、それとも少し違う気がするのです。

 思いがけず嬉しかったのは、奈良美智さんのイラストが巻末に載せられていること。物語を読み終わったあと、もう一度なつかしく思い出すような気持ちになれました(ハードカバーも同じ構成かどうかわかりませんが)。
(2009.5.4)

 

「マリカのソファー/バリ夢日記」 幻冬舎文庫
吉本ばなな 著

   マリカのソファー/バリ夢日記 (幻冬舎文庫―世界の旅)


血のつながりのないジュンコ夫妻を、多重人格の少女マリカは慕っている。他人を理解して、信じるとはどういうことかを考えながら、ジュンコはマリカとともにバリ島を旅する。「マリカの永い夜」を改題、書き直しされた作品。著者のバリ旅行記も併録。

 書き直されているせいか、何となく話の中に入りにくかったです(もとの作品を読んでいないのでわかりませんが)。
 多重人格のひとりひとりがマリカの中に溶け込んでいき、最後まで残っていた少年オレンジとの別れが書かれているのですが(すごい端折ってます)。
 マリカがオレンジを、そしてオレンジがマリカをどれだけ大切に思っていたのか。それが、「最後の別人格」になった理由だと思うので、他の人格のことももっと読みたかったと思いました。もとのバージョンにはあったのかな?

 その中で、オレンジがジュンコに話す言葉が好きでした。

「それでも、僕はここにいたんだよ。一緒にプールで泳いだり、ケチャを見たりした。それはオレンジだったんだ。僕を葬らないで。確かにいたんだ。僕はここにいれてよかったんだ」

(2009.7.4)

 

「体は全部知っている」 文春文庫
吉本ばなな 著

   体は全部知っている (文春文庫)


祖母が死の前に残したひと株のアロエと生きていく力。「私」がそれを受取って歩き始めるまでを描いた「みどりのゆび」。
不倫相手と別れて会社をやめた「私」は父のログハウスを訪れ、忘れていた家族との生活を思い出す「おやじの味」。
 自分のからだは歩き出す力をもっている――そのことを思い出させる13の短編集。

 あとがきに書かれた著者の言葉が印象的でした。

体と本能にまかせておけば、さほど間違えることはない。ひとたびそこを見失うと、問題は迷路に入ってしまい、大ごとにならないと気づかなくなってしまうのです。

 著者の体質改善、生活改造の経験から生まれた短編のそれぞれがいい読み心地でした。一度読んで、忘れてしまいます。でも、多分何かの折に断片的に思い出すことになるでしょう。それが楽しみです(でも、「どの本だっけ」と思い出すのに苦労しそうな予感がしますが)。

 好きだった話は……。
 親しい人が亡くなって残していってくれるのは、いつも具体的な励ましや一言なのだと思ったのは「みどりのゆび」。
 会社のすみっこにいつも座っている空気のようなおじさんを描いた「田所さん」。
 たっぷり遊んで、香水を選ぶ――そうしてゆったり流れる時間が明日を迎える力になると気づかせてくれた「花と嵐と」。
(2009.9.10)

 

「ハネムーン」 中公文庫
吉本ばなな 著

   ハネムーン (中公文庫)


家族よりも近しく寄り添って育った幼馴染のまなかと裕志。それぞれに孤独と希望をいだいて、二人の新しい世界へ歩き出す。

 不思議、荒唐無稽、怖れ、静けさ、まなかの胸に残る風景の残像――そんなものが溢れかえって混沌としている物語。あらすじが何とも書きにくくて、後回しになっておりました。だから、上の文章はほどほどに信じて(何だ?)。

 小説、物語というより、言葉のスケッチ集というのが一番ぴったりくるような気がします。合間にさしはさまれたMAYA MAXXの挿絵もほんわりと切なくて好きです。一番好きだった言葉は……

 なにかが治っていく過程というのは、見ていて楽しい。季節が変わるのに似ている。季節は、決してよりよく変わったりしない。ただ成り行きみたいに、葉が落ちたり茂ったりするだけだ。

(2009.9.20)


「ハゴロモ」 新潮文庫
よしもとばなな 著

   ハゴロモ (新潮文庫)


恋人との別れの痛み、生きる力をなくして立ち止まってしまった主人公ほたるは故郷の町へ帰った。
大きな川のある風景、知人たちとの再会、そして記憶の底に沈んで忘れられていた出来事がよみがえって、ほたるを癒していく。

 文庫版のあとがきにある言葉がまさにぴったり。

「小さなことで自分が弱っている時に、こんな小説を誰かが書いてくれたらいいなと思った」

 事故や大病ももちろん辛いのだけれど、そんな大事でなくても、人が弱くなってくたっと死んでしまうことがある――ありそうな気がする。そんな小さな死に落ち込みそうになるのを、引っ張りもどしてくれるお話のように思いました。
 譬えていうなら、救急箱、かな。縫合とか手術が必要な怪我には力及ばないのだけど、でも放ってはおけないくらいの怪我には効く。
 このくらいがちょうどいい。大げさすぎず、でも傷を悪化させてはいけないとせっせと包帯を巻いてもらったような気がしました。

 好きだったのは、でたらめな喫茶店ハイジ。

 なんだかもうでたらめで、しかもそれがニーズに合わせて長年かけてつちかわれてきたものなだけに、私はどうとらえていいのかよくわからなくなってきた。

 いいところです。この店こそが、ほたるが立ち直った理由のひとつだと思ってます。もちろん、ラーメンも手袋も大切ですが。
(2009.4.30)

 

「N・P」 角川文庫
吉本ばなな 著

   N・P (角川文庫)


ある作家が97編の短編集「N・P」を残して死んだ。翻訳者たちが謎の死をとげたのち、この物語と未完の98編目の原稿が、作家の遺児たちと死んだ翻訳者の恋人である風美を結びつける。強い日差しの夏、彼らは出会い、そして別れていく。

 少しオカルトっぽくて、濃密な人間関係。風変わりな人たち、その幸福の感じ方が強烈で忘れがたいお話でした。
 ことに、萃(すい)の飾らない、ストレートな行動は読んでいて気持ちいいくらい変わっている。まあ、ペットボトルで殴られたら迷惑ですが。
 でも、登場人物は主人公の風美と萃だけのお話でもよかったのでは、と思いました。成り行き上(?)、乙彦がいるのはわかるのですが、咲は萃とかぶって見えて仕方ありませんでした。

 ちょっとした日常風景をじっくり描写しているところが好きでした。ゆっくり、ゆっくり読むうちに文字に書かれなかった温度や光を感じた(ような気がしたり)、物語の中の時間を登場人物と共有できる気がするからです。
 この著者の他の本もそうですが、描かれている世界は美しいけれど癖がつよくて、読者全員が楽しめるものではないと思います。
 でも、波長があう人には、水を飲むように体になじむのかもしれない。
(2010.2.22)

 

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