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SF小説 1

「2001年 宇宙の旅」 早川文庫
A・C・クラーク 著  伊藤典夫 訳 

   決定版 2001年宇宙の旅 (ハヤカワ文庫SF)


かつてヒトザルが絶滅への道をたどっていた時代、地球に置かれた謎の石板に導かれて彼らは進化をとげた。そして三百万年の後、それと同じ石板を人類は月面で発見した。TMA1と名づけられたそれは、地球から宇宙へ出てきた人間たちに何を伝えるのか。

 知らない人もいないだろう、古典(と、もう言ってもいいのかな)SF。子供の頃、好きだったまんが家さんが絶賛していたのにひかれて、生まれて初めて見に行った映画でした。文字より先に映画を見たので、どうしても映像の感想になってしまいます。
当時は、後半のボーマンの目にする空間が、その映像表現が印象的だったのですが、時間がたつにつれて柔らかみのある宇宙船内のデザインや月行き旅客機の決まりごとといった人間に近い事物が面白くなりました。

 確か映画では、ヒトザルが放り上げた骨の棍棒が宇宙船にすり替わるという演出だったと思うのですが。人類最初の道具が生き延びるため、食べ物を得るために使われたものだったのに対して、宇宙船とは何だろうと、ふと考えました。必ずしも生きるのに必要なものではないのに、そのために多大な犠牲(金銭や時に人命も)を払って作られる巨大な道具、宇宙船。ちょっと皮肉を感じる映像だったと思います。

 ところで、SFファンな方たちは、こんな作品を見ると「科学的に本当?」と、考えてしまうのだろうな、と思って検索。やはりいろいろ考えておられました。無重力下での宇宙食の食べ方とか、宇宙空間で星はどう見えるか、とか。読んでも科学的にはさっぱりわかりませんでしたが、もう一回映画を見たくなりました。
(2006.2.15)

 

「失われた宇宙の旅 2001」 早川文庫
A・C・クラーク 著  伊藤典夫 訳 

   失われた宇宙の旅2001 (ハヤカワ文庫SF)


原題「The Lost Worlds of 2001」。映画「2001年宇宙の旅」のシナリオ用に書かれたものの、結局、映画にも小説にも使われなかったエピソードで綴る、もうひとつの宇宙の旅。

まえがき
第一部 キューブリックとわたし
第二部 人類の夜明け
第三部 HALの誕生
第四部 木星への旅
第五部 スター・ゲートを抜けて
エピローグ



 映画と小説が同時進行でつくられていた、というのは知りませんでした(いや、「2001年」のあとがきにはちゃんと書かれており、読んだはずなのですが。さーっぱり忘れてました)。シナリオをめぐるキューブリックとクラークの試行錯誤、討論、そしてユーモアある会話が面白いです。

 7月28日。スタンリー曰く、「われわれに必要なのは、神話的な荘厳さにみちたとびきりのテーマだ」

 11月16日。長時間スタンリーと膝をつきあわせ、台本について議論する。いいアイディアがいくつか出るが、わたしはこれ以上は要らないという気分。

 12月25日。クリスマスだ、はっは! こつこつと木星への道を切り開く――ゆっくりとだが、着実に進んでいる。



 記念すべき撮影初日のコールシート(呼び出し表)には楽しくなりました。
 出演者ごとの支度部屋やメイキャップ開始時間の一覧。スタッフにむけては、『ボヴリル(スープドリンク)とコーヒーのおかわりを絶やさないように願います』、『送迎バスは7:05きっかりに出発』云々……という感じ。

 それにしても、脚本をもとに映像が考えられたり、映像をもとに小説が修正されたり、という気の遠くなるような仕事。当初は二年と考えられていた制作期間は、結局四年(!)にのびたそうです。

 宇宙開発は日進月歩で進んでいく。
 映画の封切りが1968年、同年の12月にアポロ8号が月の裏側へ。やや遅れて小説の出版、そしてアポロ11号の月面着陸が1969年。アポロ8号の宇宙飛行士が言い損ねたジョークには思わずにやりとしてしまいます。決して、言えなかったでしょうが。

「月の裏側に巨大なモノリスを見つけた、と地球に送信したかったよ」

 わくわくする時代だったのですねえ。

 訳者あとがきにも書かれていますが、制作裏話的なものは意外と少ないです。一冊のほとんどが「もうひとつの2001年宇宙の旅」。
 類人猿たちは地球に下り立った異世界生物(?)と顔を合わせ、HALはアテーナという女性名のコンピューターで、スターゲートを抜けたD・ボーマンは(映画とは別の表現の)理解を超えた世界を目にする。
 どう説明されても、やっぱり難しいSFですが。でも、これら割愛されたエピソードが下敷きにあったのだと知っていると、公開となった映画&小説もひと味違ってみえてきます。
 私は映画&小説の表現の方がシンプルで抑制がきいていて好きですが、キューブリックとクラークのファンの方はどちらも楽しいかもしれません。
(2009.12.15)

 

「2010年 宇宙の旅」 早川文庫
A・C・クラーク 著  伊藤典夫 訳 

   2010年宇宙の旅〔新版〕 (ハヤカワ文庫 SF) (文庫) (ハヤカワ文庫SF)


原題「2010:ODYSSEY TWO」。「星がいっぱいだ」という謎の言葉を残して、D・ボーマンが宇宙船ディスカバリー号から“失踪”してから9年が過ぎていた。コンピューターHALに何があったのか。ボーマンの行方は。そして、謎を解く鍵と思われるモノリスとは何か。その答えを求めて、ヘイウッド・フロイドはロシア船レオーノフ号に乗り組むことになった。「2001年 宇宙の旅」の続編。

 来年は2010年だなあ、と思って読み返してみました。邦訳出版が1984年、私が読んだのが87年くらいだったので、ずいぶん久しぶり。驚いたのは、まだソビエト連邦があったことでした。

 アメリカ、ソ連が先を争って宇宙船を建造し、先に到着することを可能にしたレオーノフ号にフロイドは乗り組みます。同僚はロシア人、アメリカ人混交で、いずれも優秀な科学者。
 あとがきにも書かれていますが、映画「2010年」が米ソ対立を背景としていたのに対して、小説では二国は緊張感をはらみつつも協力的に謎に挑んでいます。どちらが現実に近いのかは知りませんが、地上にいる人間としては、映画に書かれた国際関係の方がよりリアルに感じます。
 小説ではむしろ中国の宇宙船の方に緊張感を覚えました。奇想天外な発想をして、それを実行し、でも国際社会の中ではどこか唯我独尊、といった大国の描写には苦笑しました。
 しかし、それもこれも地球上の瑣末な出来事、と思わせる宇宙空間の描写がすばらしかった。フロイドたちが見たエウロパ、そしてネタバレなので伏せておきますが、最終章のとある星の風景には圧倒されました。

 フロイドやチャンドラ博士、個性的なロシア人クルーどうしの、ユーモアたっぷりの会話も楽しい。非日常的な状況や危機のなかでも、これだけの信頼と思いやりが持てる――このこと自体がドラマですね。

 「2001年」があまりに衝撃的だったから「2010年」は評価が分かれるようですが、これもとても面白いです。
 続編はさらに「2061年」「3001年」と出ているのですが、こちらは未読です。一応、「2010年」で疑問の答えは提示されてしまったので、もういいような気がしたので。面白いなら読んでみようかな。

 久々に読み返すと、ちょっとしたお楽しみがたくさんありました。例えば、映画「バウンティ号の叛乱」、モルドールの風景、火はつけないけど“点火”する、など。飽きない本です。
(2009.12.4)

 

「2061年 宇宙の旅」 早川文庫
A・C・クラーク 著  山高昭 訳 

   2061年宇宙の旅 (ハヤカワ文庫SF)


原題「2061:ODYSSEY THREE」。2061年、ヘイウッド・フロイドはハレー彗星探査計画へ参加していた。かつて乗り組んだレオーノフ号と比べて大きく進歩した最新型の宇宙船ユニバース号での調査が始まってまもなく、彼らのもとに突然の帰還要請が届いた。ユニバース号の姉妹船が木星の衛星を調査中にエウロパへ不時着したためだった。「2001年 宇宙の旅」の続々編(第三弾)。

 何となく気になって、読み続けております。でも、この巻はあまり好みではありませんでした。

 宇宙船はさらに進歩して(駆動系の話なんてさっぱりわからんのですが)、乗客を乗せるような時代になったことが前2作と大きく違うようです。そうなれば、地上世界のしがらみや思惑が宇宙船の中にまで入り込んでくるのは必定。その通り、宇宙旅行にかけられる保険あり、この時代までに建国された(らしい)南アフリカ合衆国という背景あり、ギャラクシー号の調査計画にまつわる謎あり――まるで、地上の物語のようだわ。
 こういう話は決して嫌いではないのですが、私がこの小説に求めているのは違うものなのです。えらく長生きしてくれてるフロイド博士には申し訳ないんだけど。
 エウロパ世界の描写は面白かった。「失われた宇宙の旅 2001」に書かれた未知の世界とも通じる気がします。

 ここまで読んだ以上は、もう一冊も読んでみるつもりです。モノリスがもう一度歴史に姿をあらわしそうなので(多分ね)。ただ、エウロパで見つかったものが地上世界にどんな影響を及ぼしたか、そんなことが語られたらちょっと辛いかも。
(2009.12.30)

 

「闇の左手」 早川文庫
アーシュラ・K・ル・グイン 著  小尾芙佐 訳 

   闇の左手 (ハヤカワ文庫 SF (252))


原題「The Left Hand of Darkness」。星間連合エクーメンの使節ゲンリー・アイは雪と氷の惑星ゲセンと同盟を結ぶべく、この星を訪れていた。独特の文明を持つ両性具有の人々との交渉は、彼らの政争や国の対立の中でなかなか進まない。カルハイド王国の政変に巻き込まれたアイは元宰相エストラーベンとともに真冬の大氷原を越える旅に出た。

 学生の時以来、久々に読み返しました。中身はほとんど忘れてました(汗)が、独特の雰囲気で異星の文化・風景が描かれていて読み応えありました。

 光と闇、男と女、叛逆と忠誠といった二元論的モチーフを通して、ゲセンの世界観が断片的に浮かび上がってきます。異世界の全体像など簡単には掴むことができない、そう言いたいのかもしれません。また、二元論的といっても単純な対立ではなくて、混ざり合い、融けあっているのが面白い。東洋的な感じもします。

 アイにとって「わからない、理解できない」というところから始まった物語。それが、エクーメンという未知の存在にゲセンが揺り動かされる中で、アイとエストラーベンが理解を深めていく様子がいいです。後半になると人々の素朴さや笑い、狡さといった生身の姿も現れてきます。SFらしい壮大な設定も面白いですが、こういうささやかなエピソードが印象に残りました。
(2009.8.24)

 

スターウォーズ
「タトゥイーン・ゴースト 上」「下」
ソニーマガジンズ
トロイ・デニング 著  富永和子 訳 

   スター・ウォーズ タトゥイーン・ゴースト〈上〉 (ソニー・マガジンズ文庫―Lucas books)


原題「Tatooine Ghost」。映画・スターウォーズの小説シリーズ。エンドアの戦いの後、結婚したハン・ソロとレイアは行方不明になっていたオルデランの名画「キリック・トワイライト」を求めてタトゥイーンを訪れた。絵には共和国の諜報活動に関わる情報が隠されており、これが帝国軍に渡るのを防がなくてはならない。

 映画6部作の合間を埋めるように書かれた小説シリーズだそうです。ノベライズ、とも違うのですよね。以前に2、3冊読んだことがあったので、懐かしくて手にとりました。

 映画のテンポのよさはそのままに、でも、登場人物のモノローグもあるので、映画とは少し違う楽しみが味わえました。チューバッカの声が聞こえないのは寂しいけど(無理です)。
 ちょっと困ったのは、カタカナの名前、造語が多いこと。異星人の種族名とか物の名前とか。用語解説は上巻につけて欲しかったです(涙)。

 上のあらすじのようなミッションだけでなく、舞台がタトゥイーンということからわかるように、ダース・ヴェイダーの子供時代のエピソードにもふれています。それが、レイアが内心に抱えている葛藤にどう影響するのか――こういう機微のようなところは文字でゆっくり読むのがいいですね。

 良くも悪くも、映画本編とは別物と思います。映画ファンには賛否両論ありそうですが、私は面白かったです。
(2009.10.24)

 

ホーカ・シリーズ
「地球人のお荷物」
早川文庫
P・アンダースン G・R・ディクスン 共著  
稲葉明雄 伊藤典夫 共訳 

   地球人のお荷物―ホーカ・シリーズ (ハヤカワ文庫SF)


原題「Earthman's Burden」。星間調査部隊隊員のアレックスが不時着したのは惑星トーカ。彼を救出したのはテンガロンハットと六連発銃を腰にひきずるカウボーイ姿の「テディベア」――のような容姿のホーカ人だった。事実と虚構世界の区別がおおざっぱなホーカ人は地球の第一次探検隊が持っていた西部劇映画に心酔し、その想像力と高い知性を駆使、西部世界をそっくりものまねしてしまったのだ。

 1957年に執筆され、1972年に邦訳されたものの新装版です。
 おかしい。おかしいのです。上のように西部劇にはまった話の他に、小柄な熊そっくりのホーカたちがドン・ジョヴァン二やシャーロック・ホームズ、スペイン海賊になり切ります。
 ホーカたちののめり込みようが楽しいです。バスカヴィル館の村に大沼があるとなれば、沼ひとつ作ってしまう、西部劇の保安官は間抜けと決まっていると断言する辛口具合(だから投票で持ち回り制にするのだそうです)。
 どの話も荒唐無稽……いや、ホーカ的ロジックからすれば筋道立ったなりゆきが楽しいです。原典を読んでいない話もありましたが、それでも十分面白い。ねたになっている話を知っていたら三倍おいしく味わえるだろうな。
 私的に受けたのは「なに、初歩的なことだよ、ワトソンくん」「はねる芋虫事件」、天測した数字を四捨五入するため「大陸の真ん中に船をどしあげる艦長」。

 次の話では、全権大使アレックスはホーカを引き連れて地球を訪問するそうです。彼の苦労も並じゃあるまい。

 たったひとつ。些細な不満を言わせてもらうなら。
 地球人が異星の文化発展度をランクづけして捉える、という設定は、今では屈託なく読めないんですよね。執筆された五十年前なら面白かったんでしょうか。スタートレックの最初のシリーズを心底から楽しめないのとどこか似ています(私は「新スタートレック」の方が好き)。これも、ホーカたちなら「へっぽこ警部」とおなじく、おばかな設定としてまじめに笑いとばしてくれるのかもしれないけれど。
(2007.3.12)

 

銀河の荒鷲シーフォート 1
「大いなる旅立ち 上」「下」
早川文庫
D・ファインタック 著  野田昌宏 訳

   大いなる旅立ち〈上〉―銀河の荒鷲シーフォート (ハヤカワ文庫SF)

   大いなる旅立ち〈下〉―銀河の荒鷲シーフォート (ハヤカワ文庫SF)


2194年、国連宇宙軍軍艦<ハイバーニア>は植民地惑星ホープ・ネーションへ向かっていた。ニコラス・シーフォートは、士官候補生仲間と共にこの艦に乗り組んでおり、往復三年の任務の間に経験を積んで宙尉となるつもりだった。しかし、事故そして病気のために艦長、宙尉たちが死亡し、シーフォートは最先任士官として艦と乗客、乗組員の命を預かる立場に立たされた。

 再読なのですが、前に読んだ時と変わらず「痛い」と感じる文章でした。17歳の若者が宇宙の真ん中で二百余名の命を預かる責任を負う……こんな展開を一人称で読めば、「痛い」と感じるのも当然なのかもしれません。それも、すっぱりというよりも、時代物の剣で叩き斬られたような、後に響きそうな痛み(物騒ですな)。
 はらはらさせられる展開なのにハリウッド映画的な軽薄にならないのは、やっぱりシーフォートの性格の暗さゆえでしょうか(笑)。事件(それも結構大事件が多いのですが)よりも何よりも、シーフォート対義務感という葛藤の感情の方が重く思えるのです。
 艦長職を引き受けなければならないのか、否か。この事柄をめぐるシーフォートの恐怖、葛藤の描写はずっしりと読みごたえありました。何とかしてその責務から逃れようとするのですが、逃げられないということは誰よりも本人がよくわかっている。
 全体に骨太な展開の作品だと思うのですが、その中で時折、ぽつりと短い一言がシーフォートの孤独を描いているのが、とても印象的です。

 あちこちに皮肉あり、諧謔あり、思わずにやりとさせられる場面もあります。好きなのは「ギャレー襲撃」と、マッカンドルーズ機関長と「パイプを検証する」場面。この小説はホーンブロワー・シリーズに影響を受けて書かれたそうですが、この場面に私はドルトンを思い出しました。彼も極上のラム酒の樽を「検証」してましたっけ(こちらは笑えるエピソードですが)。

 久々に読み返せば、軍隊式の思考に気持ち悪くなるんですが、「アメリカ人って、どうだか」と思う価値観が滲んで見えることもあるんですが、やっぱりクセになる。私は好きな話です。

著者は2006年3月に死去されました。合掌。
(2006.4.10)

 

銀河の荒鷲シーフォート 2
「チャレンジャーの死闘 上」「下」
早川文庫
D・ファインタック 著  野田昌宏 訳

   チャレンジャーの死闘〈上〉―銀河の荒鷲シーフォート (ハヤカワ文庫SF)

   チャレンジャーの死闘〈下〉―銀河の荒鷲シーフォート (ハヤカワ文庫SF)


トレメイン提督ひきいる国連宇宙軍艦隊は、謎の異星生物「魚」からホープ・ネーション星系守るために出航した。艦内での伝染病発生、家族の死にうちのめされていたシーフォートは、反抗的な乗客とともにチャレンジャー号への移乗を提督から命じられる。そして、地球から19光年離れた宇宙空間の中、帰投する手立てのない艦に取り残されることになった。

 前の巻で、義務感がんじがらめの偏屈石頭に描かれたシーフォートに、今回は個人的悲劇がずっしりのしかかります。こ、こんなにどん底な展開にしなくたって、と、久々に読んでもやっぱり痛いお話。
 死が多く、しかもあまりにあっけない死が多いのがやりきれないし、食料の尽きかけたチャレンジャー上で「誰かが餓死すれば、残りはそれだけ生き延びられる」とつぶやく船員の姿など嫌なものです。それでも醜さを書き澱まないところが、この小説の魅力なのかもしれないと思います。
 展開も悲惨でしたが、何が救われないって。ラストに出てきた父親の偏屈な言葉&それを温かく噛み締めてしまうシーフォートの親子関係。確かにある種の愛情はあるし、当人同士が満足してるんですからいいのですけど。何ていうか、シーフォートにはふつうの奥さんもらって欲しいものだと思います(後の巻を読んでると、そうならないことはわかってるのですが)。

 それにしても表紙の印象は強烈。初読から何年たっても、この絵以外のシーフォートの姿を思い描くことができません。正直、好みではないので辛いです。でも、シーフォートの義務感につられて、無駄に忍耐してしまいました。
(2006.4.30)

 

銀河の荒鷲シーフォート 3
「激闘ホープ・ネーション! 上」「下」
早川文庫
D・ファインタック 著  野田昌宏 訳

 激闘ホープ・ネーション!―銀河の荒鷲シーフォート〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

   激闘ホープ・ネーション―銀河の荒鷲シーフォート〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)


植民惑星ホープ・ネーション星系には「魚」からの防衛のために宇宙軍艦が集められていた。地球への食料を輸出しているホープ・ネーション住民の間には地球政府への不満がくすぶっていた。不公平な費用負担、政府からの見当違いな援助と送り込まれた軍隊への反発……。チャレンジャー号の劇的な帰還で有名になったシーフォートは、その地上で、軍部と現地農園主たちとの間の連絡任務についていた。

 意外な展開が多かったため、この巻の感想は、いつにもましてただのお喋りになってしまいました。さっぱり訳がわからなくてすみません。
 前の二巻は自艦の中の話で、シーフォートの苦悩の種も宇宙軍の規律の中に(ほぼ)おさまってましたが、この巻はほとんどが地上のエピソード。話も政治的になってきました。アクションが多いという点では、この巻が一番活気があって面白いと思います。前半は決闘による怪我、後半は移植した肺に肺炎を起こして死にかけながら、文字通り捨て身のアクションなので、風邪気味の時に読むと臨場感満点(涙)。
 前半では信頼している人たちからの裏切り、拒絶(故意もそうでないものも含めて)、後半では友人を失うといった展開で、人間不信になりそうです。それでも一番痛い思いをしたのはラストでした。
 友人の死の真相を口にせず、そのまま辞職して静かな余生(まだ23歳ですが)を送れればいい、と私は思ったのですが。それが、法改訂によってシーフォートは罪を問われることは無くなり、一転して英雄扱いという胸が悪くなるような展開に。そして、彼は「馬鹿げている、我慢ならない」と思いつつ、義務感から士官学校の校長職を引き受けるところで、この巻は終わります。彼に実は一番向いている気がする職業ですが、そこで人生最大の決断を迫られることになる……のを知っているので、次の巻、読もうかどうしようか迷ってます。
(2006.5.4)

 

銀河の荒鷲シーフォート 4
「決戦! 太陽系戦域 上」「下」
早川文庫
D・ファインタック 著  野田昌宏 訳

   決戦!太陽系戦域〈上〉―銀河の荒鷲シーフォート (ハヤカワ文庫SF)

   決戦!太陽系戦域〈下〉―銀河の荒鷲シーフォート (ハヤカワ文庫SF)


シーフォートはかつて生徒として過ごした宇宙軍士官学校の校長職に就く。そして、憧れと不安、将来への希望を抱いている子供たちに、かつての自分を思い出した。しかし、それと同時にシーフォートは「もうひとつの宇宙軍」をも目にする。予算を得るための根回しや政治家との癒着……。シーフォートは異星生命体「魚」の襲来に備えて「囀り爆弾」の設置を提案するが計画は遅々として進まず、設置が間に合わないうちに地球は無数の魚の攻撃にさらされた。

 ああ、何でこんなことになっちゃったんだろう。そう呟いて読み終え、ぱったり本を閉じました。この呟きは、どこにも救いのないどん底ラストシーン、そして著者に対しての言葉です。

 文句をつけつつも、私はこの物語が結構好きです。強い力で物語に引きずり込まれるのには快感を覚えますし、シーフォートが絶対的な権威として捉えていた宇宙軍と神とが乖離していく成り行きは読み応えあります。荒廃したニューヨークを駆けずりまわるエピソードにはわくわくしましたし……。

 ですが、正直、不愉快な気分でもあります。それはシーフォートが他人を死に追いやるせいではなく、著者の書き様が、どうにも不愉快でした。
 部下(ネタばれになるのでこう言いますが)をだまして、死ぬとわかっていることをさせなければならない。これだけ厳しい状況を作りながら、シーフォートに近しい人物は死なないのです。シーフォートも、著者もまた死ぬ人を選んでいる。ここに腹が立ったのでした。
 こんな戦争を描くのなら、死は誰の隣にもあるのだ、と示して欲しかったです。一人の人間と神との葛藤の物語にしようというなら尚更だ、と思うのですよ。ところどころに現れる「ゲーム」というモチーフは、著者にとっては皮肉なのだろうか?

 何となく、著者は自分と同年代の方と思い込んでいたのですが、生年を確認して少し驚きました。著者は1944年アメリカ生まれ、ベトナム戦争(1960-1975)の頃に16歳〜31歳。この物語の4部までが書かれたのは1994〜1996年。このとき50代。これは日本で言う湾岸戦争(1991)の数年後のこと。
 恥ずかしながら私はアメリカの戦争について知りませんので、想像で語ることはできません。ただ、青年時代をベトナム戦争とともに過ごした人が、50といういい歳になった人が、この巻のように死を描くというのが、私にはよくわかりません。どうか、皮肉を込めて書いたものであって欲しい、と思いました。

 何と言うか。救われなかったのはシーフォートじゃない、という気分になってしまったので、5部以降を読むのは、またいつの日か。
(2006.5.9)

 

銀河の荒鷲シーフォート 7
「襲撃!異星からの侵入者」
早川文庫
D・ファインタック 著  野田昌宏 訳

 襲撃!異星からの侵入者〈上〉―銀河の荒鷲シーフォート (ハヤカワ文庫SF)

 襲撃!異星からの侵入者〈下〉―銀河の荒鷲シーフォート (ハヤカワ文庫SF)

(2003.4.1)

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