つい先月まで、あそこで働いていたのに。
ジョージは高層ビルを見上げて呆然とした。かつてのオフィスはすでに無く、そして真っ赤なコートにつけ鬚で、道行く人に風船を配るのが彼の今の仕事だった。
「君はついている」仕事仲間の老サンタクロースの言葉に、ジョージは目を剥いた。
「株でhappyになるのはひとにぎりの人間だけだろう? だが、この仕事なら100%の顧客が笑顔になるんだ」
ジョージは言葉を失った。そんな風に考えたことは一度もなかったのだ。
「風船を配りたまえ。いい仕事じゃないか。ああ、君は24日までなのか。残念だね」
そう笑うと彼は立ち去ってしまった。
残されたジョージはぼんやりと揺れる風船を見つめていた。 |
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薄青から紫、そこに翻る緑白色の光の帯。
そんな空に見とれていたミーチェは、風の音に我にかえり、あわてて橇をとめた。
見渡すかぎりの雪の原。極寒のこの地では、犬の鼻面に下がるつららを時々とってやらなければならない。
「もうひと走りだぞ、そら……」
と、手をのばしかけてミーチェは首をかしげた。まだ、氷はついていなかった。
この数年、冬の寒さは昔ほどきつくない。ありがたいが、どこか薄気味悪くてミーチェは身震いした。 |
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「何故だろう、という気持ちが大切なのです。それが私たちを発展させるのです」
そう子供らに教えていた娘は両親を残して帰らぬ人となった。学び舎がくずれて墓標になるなどと誰が考えただろう。
父、李喜明は一人娘の持ち物をまだ片付けられない。好きだったCD、手袋、読みかけの本。
世の中は動いていく。彼女のことなど忘れてしまったかのようだ。発展とは、きっといいことなのだろう。
だが、それは痛みをも癒してくれるのだろうか? |
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「これにします」と、その客はとうとう決めたらしい。
この一週間、ショーケースに張りついていた彼の決心に店員であるロブもほっとした。
ダイヤモンドの指輪の裏には、HAPPY TOGETHERと彫られることになった。 |
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誰もいない荒野で、ハッサンは約束の荷物が届くのを待っていた。弾丸、手榴弾。これでこの国は変わるのだ。
空から武器が降ってくる。だが、それと引き換えに大地から宝を掘りだして渡さねばならない。金、銀、ダイヤモンド――。
自分達がこうしてさらに貧しくならねばならないのは何故なのか――彼にはわからなかった。 |
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夜11時。マリアは草臥れきってアパートの鍵をあけた。
あのお客が、コーヒーも欲しいなんて言わなきゃ店仕舞いできたのに。こんな時間になっちゃって。
小声で悪態をつきながら明かりをつける。その途端、マリアは息をのんだ。部屋の真ん中に丸いものがいくつも漂っていた。
<ママへ おかえりなさい ふうせん もらったよ>
メモをぶら下げた風船は、落ちるでも伸びあがるでもなくふわふわ漂っていく。
それを見ると、疲れた足も軽くなったような気がして、マリアは微笑んだ。 |
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ジグメとダワとルンドゥブは肩を寄せ合い、夜闇の底に座っていた。
古いラジオから流れるのは砂をこするような雑音ばかり。だが時折、光がさすように遠い国の声が聞こえるのだ。
どんなニュースであっても、彼らには希望の歌のように思える。
真実が人の目にさらされる――そんな場所が世界のどこかにある、という証しだからだ。 |
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中央駅の前の広場で、ミシェルはヴァイオリンをかかえた男を見かけた。
ストリートミュージシャンなんて珍しくもなかったが、思わず足をとめたのは彼が小さなキャンドルをともしたからだ。
人々が帰宅をいそぐ夕暮れの中、ゆらめく炎の前で手を組み、目を閉じた彼はなにを祈っているのだろう。やがて、楽器をとりあげ奏で始めたのは――アヴェ・マリアだった。 |
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リースに木の葉や果物、リボンが編みこまれていく。
上に下にからみあい、結びつけられる。
涙に慰めを 恐怖には希望を
不安には喜びが与えられることを願って。 |
The End |