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ロバや牛の声が聞こえる、薄暗い厩。そのかたすみの、ろうそくの明かりのもとで。 夫婦はほっとして、眠りについた我が子の顔を見つめました。 「それにしても、小さいものだなあ」 ヨセフがしみじみとつぶやくと、赤ん坊は答えるように口を動かしました。 マリアはぽつりと言いました。 「……何故、この子は赤ん坊の姿でやって来たのかしら」 そのとたん、その目に涙が浮かびました。 「もしも、大人の姿で天から降りてきたのなら。白い衣をまとって、天使と一緒にやって来たのなら。何を告げられても、こんなに悲しくはなかったでしょうに」 「マリア……」 ぽろぽろと涙をこぼす妻と子を見て、ヨセフは胸がいたみました。自分はいったい何のためにここにいるのだろう、と情けなくなりました。 「神さま」 ヨセフは天を仰ぎました。 「この子のために、いったい私に何ができるというのでしょう?」 ですが、答える声はありませんでした。 妙なる調べも、空から天使が降りてくる様子もありません。天井のすきまからはただ星空がうかがわれるばかり。 やがて、ヨセフはきゅっと唇をひきしめました。 (いや、そうじゃない。この自分がしっかりしなければいけないのだ) この十月というもの、ヨセフはこの不思議な知らせを受けとめかねていました。 ですが、ただ一つわかったのは――それは、この子は間違いなく天から授けられたということ。自分の子でも、他の誰の子でもない。それでも、赤ん坊はここに居るのです。 「マリア。泣くのはおやめ」 ヨセフは妻の肩をそっと抱きしめました。 「こんな不思議なことが起こるからには、神さまは何か計画をお持ちなんだよ」 「計画ですって?」 ヨセフは言葉を探しながらゆっくりと話しました。この子が何のために生まれたのか、どんな未来が待っているか。それは、神さまだけがご存知なのだ、と。 それでもなおいぶかしげなマリアを見て、ヨセフはきっぱりと言いました。 「だから、僕らはただ出来ることをしよう。この子に僕らが知っていることを教えてやろう」 「知ってることって……」 マリアは首を傾げました 「パンを焼いたり、水を汲んだり?」 「そうだよ」 「家の建て方を教えろ、というの?」 「マリア、笑うんじゃないよ」 くすくすしのび笑いするマリアに、ヨセフはちょっと怒ってみせました。 「だって、国の作り方を教えたいなら、王の子に生まれたはず。学問をさせたかったら、学者の子に生まれたはずだ。僕らに何ができるか、なんて神さまはとっくにご存知なんだから」 若い父親は赤ん坊をそっと抱きあげました。 「――この子に、生き方を教えてあげるのだよ」 ヨセフが思い描いたのは、遠い未来の日々でした。父親を手伝って壁を塗ったり、母親とともに甕から葡萄酒を注ぐ、賢そうな少年の姿……。 「この子はきっとしっかりした良い家を建てて、そこに住むことになるんだ」 ああ、きっとそうだ、間違いない、と力説する夫を見て、マリアはとうとう吹きだしてしまいました。それにつられて、ヨセフまで訳もなく笑い出しました。 このヨセフの言葉が現実になるのは、何年もあとのこと。今はまだ小さな、みすぼらしい厩に希望のひかりが灯っただけでした。 ひとしきり笑って涙を拭くと、マリアはあらためて飼い葉桶に眠る子を見つめました。 「この世に生まれてびっくりしているのは、この子の方かもしれないわね」 何せ神の国で暮らしていたはずが、いきなり厩にやってきたのですから。 赤くて小さな顔。細い声。せいいっぱい伸ばされる手足はなんと頼りないことでしょう。ですが、眠って目覚めるたびに、泣き声は力強くなるでしょう。やがて笑い、話すことを覚えるでしょう。 すると、ふいに赤ん坊が声をあげました。 「うああ」 ヨセフは目を瞠りました。 「おや、自分の話だとわかったのかな?」 「そうね。きっと知りたくてしようがないのだわ」 何故、御子は授けられたのか、この先に何が待っているのか。 二人には知るすべもありません。ただ、わかっているのは、父なる神は故なくしては何もなさらない、ということでした。 神さまが決められることは、何故こうもはかりがたいのでしょう。何故、心構えもできないうちに降ってくるものなのでしょう。 ですが、それは手をさしのべて受けとめなければならない贈り物なのです。 マリアは優しく、そして少し寂しそうに微笑みました。 「どうか元気に育ってね。正直で心のやさしい、働き者になってちょうだい」 ――たとえ、その日々がどれだけ続くかわからなくとも。 ヨセフとマリアは、赤ん坊を守るように頭を垂れて祈りました。 「何ごとも神さまの思うとおりになりますように」 「神の国が天にあるように、地にもありますように」 そして最後に、ヨセフは心のうちでそっとつけ加えました。 どうか、この頼りない僕らに行くべき道を教えてください。 |
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その夜、ヨセフの夢にいつかの天使があらわれて、こう言いました。 「妻と幼な子をつれて南へ行きなさい」 そして、からかうように笑みを浮かべました。「ダビデの子よ?」 ですが。この若い夫はもはや迷うことはありませんでした。 彼らはベツレヘムを離れて南へ向かいました。 そして、みどり子の命を奪おうとしたヘロデ王の手を逃れて、無事にエジプトへ辿りついたのです。 |
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終 | |
<解説> □ Good News 「良き知らせ」。キリストの誕生を指します。 □ ダビデの子 ヨセフの系図は、「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」(マタイの福音書)と書かれているようにダビデ王にさかのぼります。そして、救い主はこのダビデの家系に生まれると旧約聖書では預言されています。(創世記、サムエル記U) 天使がヨハネに「ダビデの子」と語りかけた(マタイによる福音書)ことから、マリアが宿したのが預言された子であることが示されています。 □ 東方の博士たちとヘロデ王 この博士とは占星学者たちです。聖書には人数は書かれていませんが、贈り物が三つであることから三人と考えられることが多いようです。 彼らは星によって救い主の誕生を知り、その子供を捜してエルサレムのヘロデ王のもとへやってきます。王はこの誕生が自分の地位をおびやかすと考え、子供を殺してしまおうとします。そして、学者たちに居場所がわかったら知らせるように申し渡しました。しかし、学者たちは夢でお告げを受けて、王のところには戻らずにこの地を去ります。(マタイによる福音書) □ 「家を建てて、住む」 ヨセフのこの言葉は創作です。聖書に書かれているわけではありません。 子供時代のイエスはおそらく大工である養父の仕事を手伝ったと考えられます。 また、「家」はよくキリスト教会のたとえに使われます。神の家は、「生ける神の教会」をさし(テモテへの手紙T)、「神を礼拝する中心地」(詩篇)を意味します。 このヨセフの言葉は、イエスが教会をつくり、その主となることをあらわしています。 (引用・参照はすべて新改訳「聖書」より) |
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<あとがき> こういうのは、なんというジャンルになるのでしょうか。 敬虔なクリスチャンの方に怒られそうな気がする短編になりました(^^;) もとは去年のクリスマス企画用に書きはじめたものだったのですが、予想外に長くなったので、途中で中断して仕舞いこんでおりました。 ほとんどが創作ですが、一般的な聖書解釈から大きくはずれたことはしたくなかったので、その匙加減が難しかったです。 子供の先行き長くないと知らされた両親に何の希望のお告げも無いってひどいなあ、とは思うのですが。でも、原典に書かれていないことを創作するわけにはいきません。与えられた事実を受け入れる、というところにこそ信仰心があるのでしょうが。そんな機微まで書けているかどうか……? まあ、こだわりすぎると「ほんとうにマリアは天然さんだったのか?」、「天使、品がなさすぎ」など細かいことが気になってきます。ですので、あまり考えないことにしました。 ……だから、考えないでね(^^;) マリアは超常現象も受け入れる、心のやわらかさと信仰心を持っていた、ということで。 ヨセフは超常現象をにわかには信じられず、穏便な婚約破棄の方法を探すような実際家、ということで。第一、「夢想家の大工」なんて居そうにありませんし。 そんなわけで。ちょっと変わった生誕劇を楽しんでいただければ幸いです。 (にっけ) |
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background by トリスの市場 | BGM: Ave Maria (Stevie Wonder) For unto Us a Child is born ( Messiah) How Beautiful are the Feet of Them ( Messiah) Jesu, Joy of Man's Desiring ( Dave Neiman) |
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