25 風渡の野 目次 27


風渡の野  26 
15.
 タジルの町をつらぬく坂道の上には、古い神殿がある。
 老職人はその石造りの階段に腰を下ろしていた。
 時折、煙草の煙が彫像のような顔の前で渦を巻くのだが、他には身動きひとつしない。パルトは隻眼を細め、広場とそれを囲む町並みを見下ろしていた。
 工房から上がる煙が、春の空をうっすらと黄みがからせている。その下に、家々は隙間なく立ち並んでいた。あそこは宿屋通り、その向こうは酒場の連なる通り、という具合に、タジルの顔を見せてくれる。
 その町並みのあちこちに家同士をつなぐ渡り廊下がかかっている。工房都市がアルセナの領土となる前に作られた建物に独特の形だ。
 鉄を作る技術を持つ工房の町は、昔から近隣の領主たちに狙われ続けた。
 攻め来る者から身を守るために高い壁が作られ、物見の塔が築かれた。
 通りは曲がりくねって行く先を隠し、何事かあれば住人が建物から建物へ逃げられるように渡り廊下が架けられた。町全体が寄り集まり、支えあっているようにも見える。
 やがて、工房都市はその身をアルセナに預けることとなった。優れた武具を差し出し、かわりに庇護を得る。技が町を守ることになったのだ。
 その頃から、町はまたその姿を変えた。
 鍛冶職人を守り、技術を盗まれないように工房はすべて裏通りに隠された。商人たちが集う大通りからは、職人の振るう鎚の音が聞こえるだけだ。だが……。
 パルトは煙を吐きながら考える。
 この町はこうして生き残っていけるのだろうか。
 広場の向こうには、三つの町の工房を束ねる『大工房』と呼ばれる館があった。
 そして、通りをはさんだ隣には、周りを威圧するかのようにそびえる石造りの建物がある。鉄官役所だ。そこに居座る役人たちは、本国からの命で剣や盾を注文してくる。
 彼ら役人と、町の鍛冶職人たちの間には、いつも冷ややかな気配が漂っている。
 アルセナの人間にすれば、ここは自治を許したといっても自国に属するちっぽけな町にすぎない。そんな見下すような感情を隠すつもりもないから、彼らの振る舞いはいつも横柄だ。
 一方の職人たちも、本国から来た役人たちをよく思ってはいなかった。
 何のかんのと言っても、俺たちの技が欲しいのだろう、と胸のうちでは嘲っていた。鋼がなければ、バクラとの戦も覚束ないのだろう、と。
 鉄をめぐって微妙な関係にある二つの集団の建物。その横から、もうすっかり見慣れた姿が走り出てきた。
「パルト! 待った? 遅れてしまってごめんなさい」
 その明るい声に、パルトは物思いから覚めて、煙草の火を消した。

 アーシアが息をはずませて階段を駆け上がっていくと、パルトはゆっくり腰を上げ、かたわらの祭壇に煙草ひとつまみを捧げた。
「何してるの?」
「ここで休ませてもらったからな。ハールへ礼を述べねばなるまい」
 命あるものの父の名に、アーシアは思わず背筋をのばした。だが、知りたがりの癖を抑えきれず、
「あれは、何?」
 と、祭壇の向こうを覗き込んだ。
 花のあふれるその奥に、石でできた柱のような物がある。アーシアの背丈の倍ほどもあり、上の方に開いた穴から花や飾りひもがこぼれていた。
「ハールの住む塔だよ」
 パルトは、なおも奥を見ようと首を伸ばすアーシアに言った。
「ここらの町の祭壇はみんな塔の形なのだよ」
「何故、塔の形にするの?」
「大昔にハールが地上を歩かれた頃、塔に住まっておられたからだ。雲を突く塔の上には美しい庭があって、そこから世界を見ておられたのだよ」
「それって、ハールの庭のことね」
 アーシアは奇妙な気分がした。
 確かに、古い世の塔の話は知っている。ティールが語ってくれた昔話に出てくるのだ。
 しかし『ハールの庭』といえば、小王国では大岩の上。雪と氷に閉ざされた地だ。その冷たく白い風景と、色とりどりの花がこぼれる祭壇は、どうにも結びつかなかった。
「さて、アーシア。今日はどうするね」
 パルトの声に、アーシアは我に返った。
 昔話のことはあとで兄に聞いてみようと思い、今は目の前のことに気持ちを向けることにした。
「今日はね、鍬を見たいわ」
 前の日には、二人はたくさんの掘り棒を見ながら道具通りを歩いた。
 いつまでタジルに居られるのかわからない。だから、アーシアはその間に道具の見立てを覚えて、ティールの買い物の役に立とうと考えたのだ。
 兄が毎晩の酒場めぐりのせいで疲労困憊していることは、よくわかっていた。
 兄のことは大好きだ。だが、少しばかり頼りないとも思っている。
 あんな調子では、出来のよくない鍬でもうっかり買ってしまうのじゃないのかしら。私がしっかり見てあげなきゃ……。
 アーシアは買い物の主導権を握るつもりで、道具通りをくまなく観察していた。
 その横顔を、パルトは黙って眺めていた。
 この娘が誰と連れ立ってきたのかはわからないが、と彼は考えた。老職人は、アーシアがタジルで手に入れるものはないだろうと確信していた。
 鏃にすら鉄を使えない貧しい村。
 小さな掘り棒でも買えるかどうか怪しいものだ。しかも、それすら必要ないかもしれない。狭い畑ならば手ごろなもので穴を穿てばそれでいい。やれ麦用だ、根菜用だと取り揃える必要もないだろう。
 工房都市で作られる農具やその工夫は、多くが広い畑のためのもの。アーシアの村と工房都市の技の間に接点は、ない。


16.
「面白かった」
 その日の午後。アーシアは軽い足取りでパルトの横を歩いていた。
 日差しは強く、市場の人いきれの中では蒸し暑いほどだった。風変わりな二人連れは汁気の多い果実を片手に、道具通りをひやかしていた。二人を見かけた店の主人たちは手を振って挨拶をよこした。
 様々な道具を品定めをするうちに、アーシアは彼らと知り合いになった。
 多くはパルトと同じように工房を引退した職人だから、目は確かだ。息子や弟子職人の作った農具を売ったり、時には旅商人から注文を聞いて品物を作るらしい。
「遠くに住んでいるお客さんの注文を、旅商人が聞いて伝えるなんて、知らなかった」
「だから、わしら職人はうまくやっていけるんだ」
 そのままどこかへ駆け出しそうな風情のアーシアから少し遅れて、パルトはゆったりとした足取りだった。
「職人が工夫する。それをわかって頼んでくる者がいる。注文をつける、それに応える。そうやっていいものができる。小遣い稼ぎでできることじゃない」
「何のこと?」
「あの風渡りのことを覚えてるかね」
 アーシアはとたんに苦い顔をした。
「失礼な人だったわ」
 そうだな、とパルトは苦笑した。
「風渡りは護衛が本業だ。だが、旅のついでに道具を仕入れて売り、小金を稼ぐ者もいるのだよ。工房都市の道具というだけで、他所でできたものより高く売れるからな」
「どこで売るの?」
「さあ、知らんね。どんな土かわからんのに鋤を持っていき、野菜のことも知らずに鍬を売りつけるのだ」
「風渡りって……」
 まったく、とアーシアは眉をひそめた。あの風渡りとの一件を聞いて、道具屋の主人が嫌な顔をしたのもわかるような気がした。
「パルトは平原のことをよく知っているのね」
「土や森のことなら、少しはな」
 アーシアは足を止めた。
「人は?」
「何故かね?」
 問い返されてアーシアは少しとまどったが、言葉を選びながら答えた。
「タジルにはいろんな人がいるから。青い服を着ているのは、どこから来た人か知ってる?」
 パルトは少女の目を見つめた。
「……いいや。この町で見たのかね」
「ううん。そうじゃないの」
 アーシアはがっかりした。この老人ならもしかしたら心当たりがあるかもしれない、と思ったのだ。
「あのね……」
 言いかけたその時、通りの向こうからざわめきが近づいてきた。アーシアは口をつぐんで、そちらを窺った。
 人波の向こうに現れたのは、荷車の列だった。
 太い木を組んだ車輪がきしみながら通り行く。山積みになった荷には布がかぶせてあった。
 車の列の両側には、革鎧に身を固めた兵士が並び歩いている。腰には大振りの剣が下げられて、これ見よがしに揺れていた。
 見慣れないいでたちにアーシアは思わず身をかたくした。いくら見つめても、無表情な男たちの顔は見分けがつかない。薄気味悪い見世物だ。
 同じことを市場の店衆も思うのだろうか。通りの誰もが言葉少なだった。
「あれは、誰?」
 アーシアはつぶやき尋ね、パルトの袖をひっぱった。
「鉄官の荷役一行だ」
「鉄官? 何を運んでいるの」
「さいや坂を下りてきたということは、あれは剣だな」
「剣?」
 アーシアは眉をひそめてパルトを見上げた。思わず声が固くなった。「そんなものも作るの?」
 その時、二人の前を遅れがちな荷車が行き過ぎた。
 四頭の牛が繋がれているが、前の一頭の歩みがおかしかった。老いた牛は幾分痩せており、目に力がない。
 どこか具合が悪いのだろうとアーシアは苦い顔をした。あんな仕事をさせるような状態ではないのだ。
「おい、さっさと進め」
 怒鳴り声とともに、前の方から役人が戻ってきた。そして、行列の歩みを遅らせている当の牛を見ると舌打ちした。
「誰だ、こいつを繋いだのは。使い物にならん。ここに置いていくはずの牛ではないか。おい、お前」
 と、御者の若者に顎で指図した。
「あの牛がいい。連れてこい」
 指差したのは木陰で水を飲んでいる若い牛だった。毛艶もよく、しっかりとした太い尾を打ち揺らしている。
 その傍らで荷をほどいていた主人は顔をあげ、役人と目が合うと青くなった。
「ま、待って下され。こいつはわしの牛だ。この一頭で商売道具を積んでいるのに……」
「黙れ、ただというわけではない。牛を交換して、そら、余禄をつけてやろう」
 そう言って、役人は商人に銅貨を数枚押しつけた。アーシアにも見覚えのある小さな銅貨だった。牛を召し上げられようとしている商人は悲鳴を上げた。
「これっぽっち、これでどうしろって……」
「いらんのか」
「パルト! あれじゃひどい……」
 叫ぼうとしたアーシアの口を、パルトは塞いだ。
「アーシア、だめだ」
 飛び出して行こうとするアーシアの肩を、パルトは辛うじて引き止めた。アーシアは払いのけようとしたが、老職人の大きな手はびくともしなかった。
「パルト、何でとめるの?」
 アーシアの抑えた声に、苛立ちが募った。「あんなの取引じゃない」
「そうだ。力づくと言うのだ。だが、アーシア、あれはだめだ」
「だから、どうして?!」
 理不尽だ。不公平で、いいかげんだ。だが、パルトも引こうとはしなかった。
「この町にいて、鉄官役人に逆らっちゃいかん。あんた、まっすぐなのは良いが、命を縮めるぞ」
 この思いがけない言葉に、アーシアは立ちすくんだ。
 その間に、行列は再び動き始めた。何事もなかったかのように角を曲がって行く。
 そして、彼らの姿が見えなくなった後には、呆然とした商人が痩せた牛の足元にへたり込んでいた。


「どうして?」
 再び戻ってきた市場の喧騒の中。二人はその場から離れた。いや、パルトがアーシアを引きずるようにして歩き出したのだ。
 アーシアは腹が立って仕方がなかった。
 パルトの袖を引っ張りながら尋ねた。この老職人と出会ってから、もう幾度も何故と問いかけてきた。だが、これまでのように楽しく、期待に満ちた問いかけではなかった。
「何故、ここで剣など作るの? 鉄官って、何のこと?」
 パルトは立ち止まって、静かにアーシアを見つめ返した。隻眼は、普段は見せない鋭い光を宿していた。
「鉄官は本国から派遣された役所だ。わしら職人たち、いや工房都市全体が彼らと折り合わねば生きていけないのだよ」
「あんなことされても?」
「あれだけではない。鋼にまつわる事柄は全て工房都市が賄うことになっている。飼葉は常に用意しておかねばならないし、御者が足りなければ男手を出さねばならない」
 アーシアは呆然とした。
「……どうして?」
「我々がそれを選んだのだ。まあ、座りなさい」
 パルトは木陰の石段を指し示した。座りたかったというよりも、今にも駆け戻りたそうなアーシアを止めるつもりのようだった。
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