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風渡の野 28 | ||
19. | |
ティールの前に差し出されたのは、鋭く打ち鍛えられた掻き刃物だった。 市場で求めれば、代価は毛皮十枚にもなろうという見事な手だ。しかも、彼らはいくつも並べて、持っていけ、とティールを促した。 売り物を貰うわけにはいかない、とティールはあくまで断ったが、商人たちも納得しなかった。 ティールに助けてもらわなければ失うことになった品物――それでも詳しく語ろうとはしなかったが――それを思えば安いものだから、と言う。 「それに、あんた。帰りには役人に刃物を見せねばならんだろう?」 ティールはあっと息をのんだ。自分のついた嘘のなりゆきをすっかり忘れていたのだ。 その呑気なことを笑って、商人たちは品物を押しつけるようにして立ち去っていった。 彼らも今頃は街道をかなり進んだことだろう。 手のひらに重みある品を見つめ、ティールは顔を上げた。大切に麻布にくるみなおすと、しっかりと上着の隠しに押し込み、歩き出した。 もう二度と会うこともない人たちの気遣いがありがたかった。また、自分の力で得たわけではないが、これほどの品を手にいれることができたということも嬉しかった。 これまで何度も村人が山を降り、ふもとの市を訪れた。しかし、こんな道具を手に入れられた年はない。今年の秋の狩人たちの仕事はずいぶんはかどることだろう……。 考えごとにひたって角を曲がったティールは、足元の何かにつまづきそうになって驚いた。 「アーシア?」 石壁の元に座って膝を抱えていたのは、朝早くに宿を飛び出していった妹だった。 「どうした? こんなところで何をしてるんだ」 「何でもない」 アーシアは不機嫌に答えたが、それは珍しく考えごとをしていたせいらしかった。 「店は見なくていいのか? 何か買うつもりなんだろう」 だが、アーシアは抱えた膝の上で首を振った。 「いらないわ」 「いらない?」 「欲しくないの」 ティールは眉をひそめた。 本当に欲しくないのか、あるいは気がかりでもあるのか。アーシアらしくない覇気の無さだ。だが、今日はからかう気にもなれなかった。 同じ山から来た身で、不慣れな町に何を感じたのか。楽しいばかりの場所ではないと気づいたのかもしれない。 ティールは穏やかに目を伏せて妹に手を差し出した。 「帰ろう」 そういった声は優しかった。アーシアは黙ってその手にすがると、のろのろと立ち上がった。 いつまでも座り込んでいるわけにはいかないのだ。そして、いつまでも歩き回っているわけにもいかないのだ。 ティールはもう一度、酒場のうわさ話を思い起こしていた。 「ハールの畜生め」 きわどい悪態をついて、若い風渡りは屋台の椅子に身を投げ出した。 日暮れ前の店はまだ閑散として、店のあるじの他には罰当たりな文句に眉をひそめる者もいなかった。 風渡りは持っていた大荷物を投げ捨てるような具合に放り出し、独りごちた。 「こんないい話をどこの馬鹿が断るってんだよ。おい、火酒持って来い」 まだ明るいうちから、と店の主人はうさんくさそうな顔をしたが、頭を振りながら天幕の奥へ引っ込んだ。 風渡りは日に灼けた顔をしかめて、いらいらと腕を組んだ。 足元の大袋はもう何日も引きずり持ち歩いているしろものだ。中には斧を束ねて放り込んであった。 いい話のはずだった。 風渡りは工房都市へと向かう途中、旅商人が街道ばたに斃れているのを見つけた。夜盗にでも襲われたのだろう、そう珍しい出来事でもない。 そのかたわらに、何故か手つかずのままの荷が残されていたのだ。 中身は工房都市で作られた斧だった。奪うつもりで襲ったはずの盗賊たちが何故置いていったのかは知れないが。 さて、どうしようか。風渡りはたいして躊躇もせずに決めた。 これは運がいいと一人勝手に決め込んで、彼は斧を手に入れた。『工房都市の』と名がつけば、どんな道具も二割は高値で売れるから、風渡りはほくほくしていた。 もっとも、森の少ない南へ帰るのに斧では都合がよくない。道々、売りさばくことができるよう、手間賃を払って鍬に打ち直すことにした。 構えの大きい工房では本国向けの商売に忙しいから相手にされなかった。そこで、市で見かける萎びたような老職人や、小遣いに困っているような若い見習い職人に話を持ちかけた。 だが、どういうわけか。 会う職人は皆が皆、言いあわせでもしたように断ってくるのだ。 「悪くねえ話のはずだぜ」 運ばれてきた杯をぐっと空けると、風渡りは酒臭い息とともに文句を吐いた。 「どいつもこいつも、商売っ気のねえ。くそ面白くもねえ野郎どもだ」 その時、卓の上に影が落ちた。 「あいかわらず、怪しい商売に手を出しているようだな」 降ってきた言葉にむかっ腹を立てて、風渡りは顔を上げた。 「よけいなお世話だ。てめえ何様……」 と、その目が大きく見開かれた。 「……あんた。くたばったんじゃなかったのかよ」 立っていたのは大振りの剣を下げた、がっしりした体躯の男だった。言ってくれる、とうすく笑いながら風渡りの向かいに腰を下ろし、 「同じものをくれ」 と、店の奥へ声をかけた。 「その様子では、あいかわらず儲かってはいないのだな」 風渡りは冷ややかな顔で聞き流した。 「余計なお世話だぜ。あんたこそ人殺しの商売はどうなんだ」 この物騒な言葉に、ちょうど杯を運んできた店の主人は身震いして、そそくさと立ち去った。 男は喉をならして杯をのみ干した。 「今はしていない。代わりに人を探している」 「人探し?」 若い風渡りは鋭く目を細めた。「儲かるのか?」 その様子をじっと見ながら、男は短く答えた。 「見つかれば、な」 「どんな奴だ」 「二人連れだ。見慣れん服装の、まだ若い男と娘だ。心当たりはないか」 ぎしり、と音をたてて、風渡りは椅子の背によりかかった。 「商売替えしたのかよ」 「あるじの命でな」 「宮仕えか」 「まあ、そんなものだ。どうだ?」 風渡りは答えなかった。杯を軽く傾けながら、相手の男を見つめていた。 幾日も野山を歩いてきたに違いない薄汚れた風体の中で、鋭いまなざしが目をひいた。何より携えている大剣が、ただの商人や農民ではないことを語っている。 確かに、昔からいい剣を無駄にしないだけの腕の持ち主だった。それをわかって雇ったのなら、あるじとやらもそれなりの金を積んでいるだろう……。 風渡りは杯を置いた。 「男はわからねえな。だが、娘っ子の方なら知らんでもない」 と、身を乗り出し、「いくら寄越す?」 剣を携えた男は苦笑いした。 |
20. | |
「……父なるハールが、この地に恵みを下さったことに感謝します」 太陽が草原のむこうに身を横たえる頃。ティールとアーシアは宿屋の小さな部屋で早い夕卓についていた。 ティールは祈ってからパンを割り、アーシアに渡した。 エフタでは、ささやかな食事の時もハールへの感謝の言葉を忘れることはない。その場の年長者や立場が上の者――長や城臣たち――が祈りを捧げる。 窓の外はいかにも町らしい宵のはじめのにぎわいだ。しかし、こうして小さな明かりのもと、食べ物を分け合っていると静かな山の故郷へ戻ったかのようだった。 アーシアはあいかわらず沈んだ様子でパンをちぎったり、口に押し込んだりしていた。ティールはいぶかしげに食事の手を止めた。 ティールは父と同じように静かな食卓を好んでいたが、今日の妹の様子はどうにも気にかかった。いつもなら今日一日で見たものを、もういいと言うまで並べ挙げるというのに……。 「アーシア」 とうとう見かねて、ティールは皿を横に押しやった。 「どうしたんだ。何かあったのか?」 アーシアは黙って首を振り、小さなパンを二つに裂いた。それを食べるでもなく、更にちぎろうとして、ふいに手をとめた。そして、堪えきれなくなったように声を上げた。 「エフタのハールとここのハールは、違うハールなの?」 ティールは一瞬、言葉をなくした。 「……何だって?」 「だって、ひどい悪態をつく人もいたし、石の塔があったり。そこに花を供えるのに、鉄の剣を作ったりするのよ」 「ちょっと、待て。何の話なんだ」 ティールは呆れた。 事の始まりも経緯も言わず、一足飛びに結論に行き着くのはアーシアの悪い癖だ。だが、よりによってハール、とは。 最初から、順を追って、と促されて、アーシアはこの数日のできごとを並べ挙げはじめた。 鍛冶職人のパルトと出会ったこと、彼にひどい悪態をついていた――さすがに説明するのはいたたまれなかったが、小さな声でひとことだけ――風渡りのこと。町の神殿の様子と、そこが『ハールの庭』と呼ばれているらしいこと。 そして、市場で出会った職人についても話した。驚くような工夫をほどこされた農具の数々。それをつくった職人たちが、同じ手で人殺しの道具をこしらえるのだ、と……。 「アーシア、待ってくれ。」 ティールは頭を押さえた。 確かに妹が市場を歩き回っていたことは知っている。鍬を見た、布を見たというおしゃべりは毎日聞かされていた。 だが、タジルの市場の半分と知り合いになったなどと、初耳だった。 「あら、言ったわよ」 アーシアは不満げに言って、頬をふくらませた。「聞いてなかったんだ」 「いや、その……」 「パルトは何でも知ってるから、ついでに尋ねてみたの。青い服を着ている人たちを知らないかって。でも、見たことないって言ってたわ」 ティールは言葉を失くしていた。 兄が酒にやられてふらふらになっている間に、妹はいったいどれだけの話を聞いてきたのだろう。 話すうちに昼間のできごとを思い出したらしく、アーシアはため息をついてパンを皿に置いた。食べる気も、すっかり失せてしまったようだった。 「アーシア」 ティールはうつむいてしまった妹を呼んで、顔を上げさせた。 「アーシア、これだけははっきりしている。ハールはただお一人しかいない。どこまで行っても、この世界はハールが造られたものだ」 「じゃあ、どうして平原の人は剣を作ったり、戦をするの」 アーシアは頑固に問い質した。 「エフタの狩人は鏃をつくれるけど、それで人を殺したりしないじゃないの」 ティールは重苦しい思いで、その言葉を受けとめた。 何故、戦などするのか。知りたいのはティールも同じだった。 「戦は遠い昔からあるんだ。それこそ小王国が生まれるずっと前から……ハールの塔の話は知っているだろう?」 「ええ。『昔、神が地上を歩かれた頃。ハールは石の塔に住まっておられた』でしょ」 ティールは頷いた。 遠い、遠い昔。 ハールは光と闇を分けて世界をつくった。この地上を歩き、自らに似せて人を作り、ハールの子供と呼んだ。 やがて神は地を去り、天へ帰られた。その時、地上に残していく子供達に自分の力を分け与えられた。それで人間たちは祈るだけで雨を降らせたり、遠い地のできごとをその目で見たように知ることができたという。 ティールは自分もよくは知らないのだが、と前置きして言った。 「その力のことを、アイルと呼んでいたらしい」 アーシアはきょとんとして兄の顔を見つめた。 「大昔のお話でしょ」 「そう。だが、本当のことだ。そして、今は忘れられようとしている。アイルは消えて無くなろうとしているそうだ」 アーシアは身を乗り出して、つづく言葉を待った。ティールは揺れる明かりを見つめながら、遠い炉辺での物語を思い出していた。 |
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