真冬の光 第一部 晩夏 | 3章-2 | ← | 真冬の光 目次 | → | 第二部 |
第一部 晩夏 |
三章 離別 - 3 |
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その冬、レンディアではいつもよりなお悲しみ深い葬儀が営まれた。 ケルシュのなきがらは山の高みへと運ばれ、そこでハールの使いが迎えにくるのを眠って待つことになっていた。 晴れわたった空のもと、祈りの声が山に響いた。たった一日、鈍色の雲が垂れ込めただけで山は薄く雪におおわれてしまった。白い斜面は陽を照り返して、なおのこと冷たく冴え渡っていた。 人々は小さな虫の列のようにその斜面を登っていた。白や薄い色の布を肩から垂らして弔意を表している。 列の中心には葬儀の主を務めるセディムがいた。まっすぐに頭を上げ、父のなきがらを乗せた床を運ぶのに加わっていた。本来は長のすることではなかったが、村人たちも止めようとはせず、ただ黙って交代で担いだ。 長の少しうしろでは、供物にするための薬草をたずさえたウリックが列に加わっていた。ケルシュが息をひきとった朝から、葬儀に必要なこと以外は黙ったきりだった。 「そのような顔をするな」 うしろから薬師に囁きかけたのは、城臣のレベクだった。 「命を送るも呼び寄せるも、ハールが決められることだ。わしらにできるのは、その道がまもられるように祈るだけだ」 しかし、ウリックの表情は曇ったままだった。 薬師はケルシュの傷を治ったと考えていた。念のために飲むといい、と言って薬を渡してはいたが、その後を確かめてはいなかった。そして、熱を出した長の私室に煎じた薬がまだ残っているのを見て愕然とした。 村の誰もが、天が長を招いたのだと信じている。しかし、自分はするべきことをしたのか、とウリックは自問せずにはいられなかった。その足取りは重く、とまりがちだった。 葬列のうしろの方では、ノアムが峰送りの印旗をかかげて歩いていた。 冷たく澄んだ蒼天にひるがえる旗を見上げ、ノアムは口元をひき結んだ。長の死の知らせを聞いたのは、一昨日のことだった。 数日前、村の狩人がそろって狩へ出たあともノアムは家にとどまっていた。エフタから帰った姉の荷物の片づけを手伝っていたのだ。ようやく落ち着いたのを見て、今日こそ牛に鞍をおいて狩場へ向かおう――そう考えていた早朝。ノアムの家の扉が強く叩かれたのだ。 母親は鍋から汁物をよそっていた。その横でパンを頬張っていたノアムははっと顔を上げた。淡い雪を肩に積もらせたまま、家に飛び込んできたのは伯父のモルンだった。 「長が……」 彼ははずむ息を抑え、唾を飲み下した。 「……長が亡くなられた。ハールのもとへ還られた」 かつっと鋭い音をたてて卓の上に匙が落ちた。母親は声にならない悲鳴をあげて、口元を覆っていた。ノアムも思わず腰を浮かせた。「何だって?」 信じられなかった。ほんの数日前、長は畑の最後の取入れを見てまわっていたではないか。 「傷から悪い風が入ったらしい。突然、熱を出されて……あっというまだった。夕べセディム様が狩から戻って、最期を看取られたそうだ」 「じゃあ、つまり……」 言葉をなくしたノアムにむかって伯父はうなづいた。 「セディム様がレンディアの長となられた」 ノアムは母親、姉と顔を見合わせた。誰もが黙りこくった部屋の中で、歩きはじめたばかりの甥っ子だけが上機嫌で拾った匙をふり回している。モルンは厳しい面持ちでノアムに向き直った。 「弔いの支度はもう始まっている。わしはこれから上の辺に住む者に知らせてから、城へ行く。お前も近所のみんなに言って、弔いの印旗を用意してくれ。峰送りはあさってになる」 そう言って踵を返した伯父をノアムは慌ててひきとめた。 「ま、待ってくれ。俺も城へ行く」 「お前は皆に伝えろ」 「でも、セディムが……」 「長とお呼びしろ!」 伯父の語気にノアムは目を瞠った。 怒鳴り声に驚いたマウロが泣き出し、母親はそんなにきつい声を出さなくても、ととりなした。だが、モルンは厳しい目で妹を制した。 「セディム様ご自身は何も変わらないのだ」 モルンは、まだ納得いかない顔つきのノアムに噛み含めるように言った。 「村のことをよくご存知で、みんなの考えを長へ伝えて下さった。優しい方だ。それは、これからも変わらないだろう」 「だったら、何故……」 「これまでとは違う責を負われるからだ。長とは格別の立場だ」 「それは、わかってる」 だが、モルンは首を振った。 「そうだと良いがな。セディム様ご自身だって、まだはっきりはわかって居られんだろう。だが、新しいお立場に慣れねばならない。ノアム」 と、声をあらためた。 「ノアム。お前はこれから長を助ける身だ。なのに、長の足をひっぱってどうするのだ」 「俺はそんなつもりじゃ……!」 「お前が城へ行っても、できることなどない」 伯父の言葉は厳しかった。 「ここでするべきことをしろ。それが長にお仕えするということだ」 そう言いおいて、モルンはまた雪風の中へ出て行ってしまった。残されたノアムは何もいわず、拳を握りしめた 確かに、行ってどうなるのだ。できることといえば、幼馴染の肩を叩いて声をかけるだけ。だが、それが何の役に立つというのか。 長く上がった詠唱に、ノアムははっと我に返った。 見上げれば、手にした印旗が棹にからまりついていた。あわてて旗をばさりと振って、祈りの声にのせて青空にたなびかせる。ハールが子を迎えに来られるように、声も旗もその目印のためだ。 ふと、となりを歩く姿にノアムは気づいた。 「スレイ」 少年は供物を手に、見るからに重い表情だった。 「そんな顔をするな。ハールはケルシュ様をあたたかく迎えて下さるんだから」 「うん……」 つぶやいたスレイは、ノアムを見上げてさらに声をおとした。 「これは、セディムにとって初めての長の仕事なんだよな」 ノアムは何も言えなかった。 前の方にはひときわ長い印旗がひるがえっている。その許には死者と、弔いをおこなうセディムがいるはずだ。急いで歩けば、すぐにも追いつくだろう。だが、その距離は妙に遠く思えて二人は黙って歩き続けた。 やがて大岩を過ぎ、しばらく登ったところで人々は足をとめた。その辺りは傾斜もゆるやかで、雪の原になっている。そこはもう死者のための庭だ。 なめらかな雪のおもては山を這い登り、峻烈なかたちの岩をさらに氷で尖らせて、峰へと続いている。ツルギの峰は天を指し、ここがハールの地であることを厳然と示していた。 われらが父神よ ここへ、来たりたまえ 子を迎えたまえ 詠唱、それにつづく若い長の祈りの言葉に人々は頭を垂れた。 儀式がすむと、なきがらは雪と氷のくぼみに横たえられ、そのまわりに印旗の棹が立てられた。そして、祈りの言葉をつぶやきながらその場をあとにする。 人の世界へと下りながら、振り返り見れば、白い旗が吹きすさぶ風になぶられている。青空に向かって手をのばしているようにも見えた。 これが、先の長との最後の別れだった。 |
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