12 Novel 14
春を待つ城 13

 畑は黄色く色づいていた。
 峰から風が吹き下ろすたびに互いを擦りあわせながら穂が波打っている。
「この地は美しいな」
 セディムが振り返ると話しかけてくる姿があるのだが、太陽を背にして顔がよく見えない。
「吹く風も、容赦ない寒ささえも懐かしい」
 しかし、ヒラ麦に手を触れれば日差しの温かさが残っているようだ。
 早く。急がなければ。
 じきに風は冷たく吹きつけて穂を打ち倒す。
 倒れた麦穂は傷み、僅かな実はさらに少なくなってしまう――。

 大きく息をついて、セディムは起き上がった。
 夜明け前の部屋はうっそりと暗く、しかし晩まで続いていた風の音は跡形もなくやんでいた。
 セディムは毛皮の上着にくるまって、足音を忍ばせながら部屋を出た。塔を上がっていくと心地よい冷気が身を包んだ。
 黒々と覆いかぶさる空。遠くの山並みがうっすらと目に見えると思うのは気のせいだろうか。いや、夜明けは間近なのだ。そろそろ空を背景に、影を浮かび上がらせていい頃だ。
 何故あんな夢を見たのか。
 セディムは山並みに目を凝らした。夕べの風のせいだ。だが、この季節、冬の置き土産のように強い風が吹くのは毎年のことだ。何を不安に思うことがあるだろうか。
「今年はいい年になるというのに」
 セディムは数日前帰っていったティールに話した言葉を口の中で繰り返した。

 果たしてレンディアは変わったのだろうか?
 エフタの継嗣がいよいよ明日は帰るという晩に、若者二人は炉の前に座り込んでいた。
 ティールは熱い茶を、セディムは城臣たちに分けさせた酒を手にして、かつて二人が説教のために呼び出されていた長の間には他には誰もいなかった。
「城臣たちは昔気質だ」
 セディムは片肘をつき身を横たえて、ヤペルが見ればだらしないと小言を言うようなありさまだ。それでも紡がれる言葉はいつもと変わらず鋭く無駄がない。
「ヤペルは去年と同じことを嫌がらないし、レベクはハールが与えるものだけを喜んでもらうべきだと言う。欲がないのだな」
「しかし、収穫が増えて、皆喜んでいるようではありませんか」
 ティールは几帳面に頷きながら茶を啜る。
「それにあの平原の麦も。今年はきっとよくなるのでしょう」
 セディムは杯を傾けて炉の火が酒に映るのを飽かず眺めた。長となったあの年から、レンディアが変わるためならそれこそ何でもしてきたつもりだ。
「ここのつつましい生活は、少しはましになったのだろうか? 私はまだ自信が持てない」
 ティールは年上の、従兄上と呼ぶ幼馴染の飾らない言葉に驚いた。そして、答えられるほどの知恵がないことを恥じて目を伏せた。
「よくわかりません。ただ、何となくですが」
 セディムは杯を手のひらで包み温めながら、おとなしくティールの言葉を待った。
「最初、ここについた時、レンディアも従兄上も変わったなと思いました」
「私が? 変わったって」
 セディムは意外な思いだった。
 長となって以来変わりたい、もっと賢くなりたいと思い続けてきた。それでいて、いつまでも子供じみている自分に苛立っているというのに。
「見知らぬ土地と長のようだと思って緊張しました。ですが、畑を見せてもらって新しい計画を聞かせてもらうと、また違うことを感じました」
 ティールは炉を見つめて言葉を探しながら、この数日のあれこれを思い出していた。
 畑の様子、幼馴染のノアムの家、ティールが杯を重ねずにすむようにと心遣いするセディムの様子。
「変わったように見えても、従兄上の従兄上らしいところは無くならない。レンディアは変わったように見えても懐かしい所に違いない。エフタもきっと同じなんでしょう。どんなに変わったように見えてもハールの手の下にあれば大事なことには何の変わりもない」

 セディムは身震いして眼下を見下ろした。麦がそよぐ音がしてくる。
 それにしても妙な夢だった。あの冬の夢など見たのは何年ぶりだろう。
 セディムはやがて昇ってきた陽に照らされる畑の緑を見つめていた。

12 Novel 14
inserted by FC2 system