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ある日、森から人間があらわれた。
狩人の父子だった。
森がやせた年だったので 魚を求めて
みずうみに船を出したのだ。
しかし、陽の光に緩みもしない氷を見ると
彼らは驚き、漕ぎ去った。

お前、二度とあすこへ行ってはいけない。
父は怯えて、子に言った。
あれは忌まわしいものだ、二目と見てはならない。
でも、と子供が言うと その口をふさいだ。
呼んではならない 名をつけてはならない。
忘れてしまえ。

父は二度と戻ってこなかった。
だが。
子供の方は その後いくたびも小船を漕いで、
ひとり みずうみを渡ってきた。
彼の名はイヴァ・ルアーク(水を見る者)といった。

         *

この氷はなんだろう?
何故、融けることがないのだろう?

彼の問いに、だが、大人たちは誰ひとり答えてはくれなかった。
誰もが怯えて 顔を背けてしまったのだ。
ただ、答えを知りたくて
イヴァ・ルアークはひとり舫を解いた。


鏡の水面に波をたて、浮かぶ氷に小船を寄せる。
そして、子供は櫂を置き、船べりから身を乗り出した。

なんて 不思議なものだろう。

凍てつく白は 彼を呼んでいた。
それが あまりに美しかったので
イヴァ・ルアークは思わず手をのばした。
すると、氷の冷たさに指は裂け、血が滴った。
彼は息をのんだ。
―― こんな風に 自分に触れるものを見たことがなかった。

血の紅は氷に滲み やがて白にのまれて消えた。
人の命の水は 氷にとけていった。
そのさまに イヴァ・ルアークは心を奪われた。

         *

その日から、子供はみずうみばかりを見つめるようになった。

目を刺すまばゆさに あの不思議に
憧れ、焦がれて離れられず
昼に夜に 船を出した。

鳥が梢を探すように
魚が岩陰に帰るように
氷をめざして漕ぎ渡った。

そして、氷を見つめたまま 
子供はしばしば帰ることを忘れた。


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