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エッセイ・詩歌 11

   

「面白南極料理人」 新潮文庫 
西村淳 著

  面白南極料理人 (新潮文庫)


ウイルスさえも生存が許されない地の果て、南極ドーム基地。そこは昭和基地から1000kmかなた、標高3800m、平均気温-57℃、酸素も少なければ太陽も珍しい世界一過酷な場所である。でも、選り抜きの食材と創意工夫の精神、そして何より南極氷より固い仲間同士の絆がたっぷりとあった。第38次越冬隊として8人の仲間と暮した抱腹絶倒の毎日を、詳細に、いい加減に報告する南極日記。


 人間は1年間にどれくらいの食料を摂取するのか?


 ……約1トン、だそうです。酒やジュースなども含めて1トン、びっくりです。

 1996年11月から約1年間、料理人として南極のフジドームに滞在した著者のエッセイ。映画「南極料理人」の原作にあたります。
 時々、文章が乱れてわかりづらいこともありましたが、ユーモアとテキトーさがあふれてます。勢いと臨場感があって楽しかった! 零下80℃には臨場したくありませんが!

「○○しないと凍る」「○○がないと凍る」「○○すると凍る」………はあ、本当に大変な世界なんですね。機械も人間も両方どちらも凍るのか(茫然)。
 そんな世界では、食べる喜びが極地での生活を支えるから料理人は責任重大なんですね。
 単調かつ厳しい労働環境の中で、メンバーが元気に過ごせるようにという工夫の数々が笑いと涙を誘います。なにかにつけて開催されるパーティ、防寒着にくるまってのバーベキュー、誕生日の決まりごと(祝われる人からの料理のリクエスト)がおかしくて、美味しそうで読んでいるだけで力が出ます。
 過酷な環境であればあるほど、緻密さと同時に「ま、いっか」という鷹揚さが必要なんだなあ。

 なんだか映画ももう一度見たくなりました。
(2017.9.25)

 

面白南極料理人 笑う食卓」 新潮文庫 
西村淳 著

  笑う食卓―面白南極料理人 (新潮文庫)


息をするのも一苦労、最低気温−80℃の南極で、男たちの一番の楽しみはなんと言っても毎日の食事。麺5玉、チャーシュー10枚、ねぎ2本入りラーメンを軽く平らげるツワモノどもを相手に、お湯は85℃で沸騰し、食材の補給は絶対不可能の環境はなかなか厳しい。しかし創意工夫と節約は料理の基本、料理人は今日も笑顔で皆の元気を支える。抱腹絶倒南極日記第2弾。日本一笑えるレシピ付き。

 前作よりもさらに南極の食生活を支える努力(予算問題や欲しい物品の申請)、食のなれの果て……トイレ事情にも触れられていて面白いです。食料を持ちこむだけでなく、その最後のゴミも一切持ち帰らないといけないですもんね。これは大変〜。

 また、簡単レシピが嬉しい。

米と同量の水にめんつゆを入れ、味を調える。貴方が「うん! いいじゃない」と思えるくらいが良い加減です。
(中華ピラフのレシピより)

 おおざっぱですけどね(笑)

 前作を読んだ後、DVDを借りてきてしまいました。登場人物もエピソードも原作そのままで楽しかった。
 でも、主役の堺雅人演じる西村(著者)はがらっと性格が変わってますね。原作ではおおざっぱで、どんとした存在感。でも、堺雅人は押し出しの弱い、しかし飄々とした料理人を演じていましたから。

 ところで、衝撃のレシピはこれ! 皮なしシュウマイ! ええっ、そんな馬鹿な?! ……と思ったけど、説明を読むと一度試してみたくなりました。
 もちろん、映画「南極料理人」にも登場してましたよ。
(2017.10.1)

 

面白南極料理人 名人誕生」 新潮文庫 
西村淳 著

  名人誕生―面白南極料理人 (新潮文庫)


巡視船で航海中突然呼び出された著者は、南極観測隊員に選ばれたことを知る。そうだ、ずいぶん前に応募してたんだっけ! 過酷な訓練や悲劇に終った身体検査の間に、次々現れる濃~いキャラの隊員たち。超お喋りな相方の料理人、どう見ても猪八戒のパイロット、ウヒャヒャ笑い続ける隊長──夢と不安に包まれて到着した白い大陸で、外は寒いが仲間同士は温かい生活が始まる。

 1988年の30次観測隊への採用の経緯から、南極到着&前任隊が引き揚げるまでの話(例によって時系列は前後しますが)。
「こんな風に隊員が選ばれるんだ」――という点は意外と現実的で、しかも「お給料と税金はそうなってるんだ」とさらに現実的な話も登場して面白い。

 そして、今作では基地で発刊された手作り新聞「Antarctica」がたっぷり紹介されています。部屋割りの連絡からソフトクリーム専門店オープンのお知らせ、ゴシップネタまで――。

 2年6か月ぶりの強風に被害多し。
……二重窓からは段ボールなどが鳥のように基地の屋根を飛び越えていくのが見られた。電離棟の山本隊員は食堂に来ることができず、「峠の茶屋」でひとりラーメンをすすった。


 駐車する時は……

 最近、車のドア破損事故が増えています。駐車の際は、必ず風上に向けましょう。とうがもでさえ駐鳥してる時は、ちゃんと風上を向いてますよ。

そして、基地近くにペンギンが現れたエピソードは、ペンギン好きとしてはたまらない。

 昨夕4時頃、観測棟から新発に向う途中、数名の人だかりが見られた。近づいてみるとなんとペンギンがうろうろしているではないですか。


 もう、これだけでうっとり。。。

 こんな具合に、忙しい日常業務の合間に書かれたとは思えないユーモアたっぷりの内容。次回「南極料理人」は新聞まるまる掲載でもよいかと(笑)
(2017.10.10)

 

「身近なもので生き延びろ
 ―知恵と工夫で大災害に勝つ
新潮文庫 
西村淳 著

  身近なもので生き延びろ―知恵と工夫で大災害に勝つ (新潮文庫)


グラッときた→家族の名前を呼ぶ→幸い皆無事→落ち着いて避難…しようと思って愕然→防災グッズは瓦礫の下だ! さあ、頭を使いましょう。今手に入るものを使って、生きる工夫をしなければ! 究極のサバイバル技術を身につけた現役海上保安庁職員であり、厳しい環境の南極の冬を2回も乗り切った著者が、その知恵と経験を生かして、誰もが近々遭遇するかもしれない大災害への対処法を伝授。

 南極で培われた究極の「手近にあるもので何とかする」技の紹介です。
 なかなかイイ、できればやりたくない、ぜひ覚えたい……などの小技。ハウツー本とエッセイの間くらいの位置づけかな。

 ぜひとも覚えておこうと思ったのは「簡易トイレの作り方(バケツ、ゴミ袋、新聞紙)」「火を熾す(乾電池、スチールたわし)」「防寒着(ごみ袋、新聞紙)」「ガムテープ活用法」。不器用な私でもできそうです。

 でも、一番印象に残ったのは「慌てない」というひとことかな。なかなか出来ないことですけど。

 ちなみに、手旗信号で『タ・ス・ケ・テ』とやってるペンギンのイラストが可愛いです。あ、すみません、最近こればかりですね。。。
(2017.11.15)

 

「ママ、南極へ行く!」 主婦の友社
大越和加 著

  ママ、南極へ行く!


海洋生物学者のママが史上初の「お母さん」南極観測隊員に! 小学生の娘と息子を夫に託し、愛しい「海のふにゃふにゃ系の生き物」に出会うためなら、どこへでも行こうというママ。そして、南極の大地に生きる生物との出会いは「人生で本当に大切なこと」をくっきりときわだたせてくれた。

「南極料理人」シリーズと別角度の南極も見てみたくて手にとりました。
 2000年・第42次隊参加、ということは「南極料理人」から10年後の話。でも、限られた時間や装備の中での苦労は変わらず、ついでに『南極原人』たちの風貌も同じなんですね(笑)

 南極行きが決まってからの家族それぞれの思い、主婦が四か月に渡って不在のときの家庭運営(?)がくわしく書かれていました。「ああ、こうなるよねえ」と納得しつつも、南極での実作業についてもっと読みたかった気もします。

 目玉のエピソードはなんといっても「ペンギンの送り迎え」でしょうか(力説)

 私が朝起きて、調査の現場まで歩いて行き、採集を終えて帰ろうとすると、なんと一匹のアデリーペンギンが先導するように前を歩いているではないですか。ときどき体を半分ひねって振り返り、横目で私を見るのです。まるで「だいじょうぶ? 南極はそう甘くないからね」とでも言うように。
行きの途で会うこともありましたが、帰りは必ずといっていいほど一緒でした。



 その他、伝統の赤道越えのお祭り、そして計測調査を終えたあとのナンキョクイチレツダコの試食など、他隊員たちとの交流も楽しく描かれていました。
 南極の生物は骨や甲がもろくて「テンプラにするとうまい」らしいです。何故にもろいのか、あるいは固くする必要がないのか――そんな身近なところが研究の着眼点になるんですね。
(2017.10.20)

 

「アァルトの椅子と小さな家」 河出文庫 
堀井和子 著

  アァルトの椅子と小さな家 (河出文庫)


コルビュジェの家を訪ねてスイスへ。暮らしに溶け込むデザインを探して北欧へ。家庭的な味と雰囲気を求めてフランス田舎町へ----イラスト、写真も手がける人気の著者の、旅のスタイルが満載。

 北欧デザインやヨーロッパの建築、地元の暮らしについての本かな……と思ったら、圧倒的に「美味しいもの」をめぐるエッセイでした。え、アァルトこれだけ? コルビジェこれだけ?
 密林のレビューでわかったのだけど、複数の本の合本らしい。しかも、写真を減らして内容も端折ってあるようで、どうもちぐはぐなはずでした。食べ物をめぐるエッセイと思えば、楽しかったです。お腹を減らしての帰宅電車で読むと拷問のようでしたが(笑)

 ともかく、食事を作っている人たちの姿が印象的。見た目は冴えないけど、筋の通った味をつくるシェフ。厨房とフロアのみごとな連携。大切にしている家庭の味を出してくれるマダム――ヨーロッパ(特にフランス、スイス)の食へのこだわりが伝わってきます。
 豪華な食事ではなく、あくまで、家庭料理へのこだわり。日々、口にするものへの愛情と感謝といったものなのでしょうね。読みながら、中欧で食べたチーズやパンの味を思い出しました。

 それにしても、これだけよく旅先でのメニューを記録したものだなあ。言葉によるメニュー説明がていねいなので、これは写真を見たかったです。
 ニースで食べたというサンドイッチは「そう言われても」というもので。


 ツナやアンチョビーの塩気とオリーブ油がパンに浸みておいしい。想像していないで、まずひと口食べてみたらいいサンドイッチだ。


 ……想像していないで、って(号泣)

 イラストや写真がかわいい本です。合本前のものを読んだら、もっと楽しいのかもしれません。
(2017.12.15)

 

「イヤシノウタ」 新潮社
吉本ばなな 著

  イヤシノウタ


みんなが、飾らずむりせず、自分そのものを生きることができたら、世界はどんなところになるだろう。ほんとうの自分、を生きるための81篇からなる人生の処方箋。

 掌編または詩というほど短いことばの数々。この著者の本では珍しいスタイルですね。言葉の雰囲気からは最近の著作と思ったし奥付も新しいのですが、著者名が漢字なので過去の作品集なんだろうか?

 全篇が好きと思えるわけではないのです。でも、81もあれば、どれかひとつは「これは自分のための言葉だ!」と思う一篇に出会うことがある。そうやって読まれることを望んで書かれた本ではないかなあ。
 私にとっては「中年から老年へ」「死」でした。20代の若者のチカっと一瞬輝くような姿を映した一篇。そして、これから死に向かって老いることを見据えた一篇。大事に覚えておきたい作品でした。


 どうか覚えていてほしい。私たちはあんなにもバカみたいに飲んで、ワインのボトルを何本も空けて、行き場のないやるせない思いを世界に向かって発散していた。げらげら笑う声は天に響き、千鳥足で帰る栄光の道は未来に満ちていた。


 手綱をぎゅっと握りすぎず、そして緩めすぎず。不意のことがあっても対応できるようになるべく整えて、道なき道を自分の体という馬に乗って歩いていくのだ。毎日ブラシをかけて、話しかけて、いっしょに眠って、大切に。

(2017.12.30)

 

「すぐそこのたからもの」 文化出版局
よしもとばなな 著

  すぐそこのたからもの (幻冬舎文庫)


著者が一人息子との日々をつづったエッセイ。何気ない日常の中に、驚き、切なさ、あたたかさ、笑いがあり、子どもがいる人もいない人も、子育て中の人も子育てが終わった人も、若い人も若くない人も、すべての人が楽しめる本。

 幼い子どものはっとする言葉や笑顔、子どもだけが感じる苦しみを見守るように綴ったエッセイ24編。いや、人間の子どもだけではなく動物も含めて、小さくて力強い命との関わりを描いています。
 挿し絵に描かれている親子の母が著者ばななさんにそっくり。ご本人には言葉のアルバム、成長記録の本なのだろうな。

 いいなあ、と思ったのは「しみこみ」。
「しみこみ」って、ばななさんのお子さんにとっては最大の愛と親しみと賛美なんですよね。そう、そう。「しみこむ」とか「じゅー」って、生命の根源と直接つながっていそうな言葉だと大人の私も思います。

 そして、犬の散歩風景「ちゃんときいてるのに」。
 忙しさのあまりに「ちょっと(だけ)お散歩に行こう」とつぶやいた意味を犬がわかっていて、早々にお散歩を切り上げようとするなんて。そんなことあるんだ。
 犬って、人の言葉をよくわかってるんですね。飼い主を見て、心を配り、人間の面倒を見てくれているんですねえ。

 小さな命って、こちらが思う以上にこちらのことをわかっているのかもしれない。
(2018.1.1)

 

「『違うこと』をしないこと」 角川書店
吉本ばなな 著

  「違うこと」をしないこと


「違うこと」とは、“その人の生き方の中で、今ここでするべきではない”こと。「なんか違う。」その直感がそう教えても、義理とかしがらみ、習慣に縛られて、我慢したり、そんな風に思う自分を責めたりしていませんか。自分を生きるって、むずかしいこと。これをすれば幸せになれるとか、これをやめないと不幸になるとかではありません。自分を生きるためには、まずは自分に正直であること。本来の自分を生きるには違うことをしないことが大切なのです。

 タイトルは「花のベッドでひるねして」にも出てきたフレーズです。そこが気になり、もっと読み進んでみたくて手にとりました。が、想像以上にスピリチュアル本で、合わない人間にはまったく合わない気がします。私もほぼ合わなかった。

 人間同士の関わりの中での自分らしい生き方とか、現代社会のペースに飲み込まれないために、という視点はいいなあと感じましたが。宇宙からのパワーはないです、私的には。
 それを感じる人はどんどん宇宙と交流すればいいけれど、そういう才能を持っているのはごく限られた人だけ。「宇宙のパワー」が口実になるだけの人はこういう世界とは距離を置いた方が幸せになれる気がします。他人事ですが。

 いいな、と思ったのはこんなところ。


 
みんな、愛というものを勘違いしてるんじゃないかって。特定の人物の特定のかたちの愛情を注がれないと自分は癒されないみたいな思い込みを持っているみたいだけど、そうするとセンサーが鈍くなっちゃって、本当の愛に触れた時に気づけなかったりする。


 自分自身の本当の思いを押しとどめていたら、アンテナがフリーズして自分の声の発し方、喉の震わせ方がわからなくなってしまう。だから、今すぐお風呂場とかに行って声を出してみるといい。体と、自分の意思と、声に、違和感があるなら一体になるまで声を出し続けてみるといい。


 物事をコントロールする人より、笑って過ごす人の方が幸せだって、僕は思う
(アップル創業者「アップルを創った怪物 もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝」)


 
いたるところに意識させないかたちで、トラップが潜んでいる。逃げ切るためには、漠然と上を目指すんじゃなくて、自分がどういう生活をしたいのかを真剣に考えること。
 目的地がわからない電車からは降りた方がいい。


 
大切なのは、自分にとってホントはダメだと思うことをしないでいること。とりあえず「なんか、いやだ」と思ったら、その感覚をスルーしないとかね。




 ところで、著者は長年ひらがな表記にされていましたが、「吉本ばなな」表記に戻されたのですね。新しい方向を見つけられたのかな。
(2021.7.31)

 

「イタリアンばなな」 NHK出版 生活人新書
アレッサンドロ・G・ジェレヴィーニ / よしもとばなな 著

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翻訳家と作家による、言葉と言葉の幸福な出会い。本書は、「家族」「食」「身体」をキーワードに、イタリアという異文化を通して「よしもとばなな」の世界を旅する試みである。作品の秘密をめぐる語りおろしの対談、イタリアの雑誌に翻訳のみが掲載された、よしもとばななの日本未発表エッセイ『クリスマスの思い出』も収載(イタリア語全訳付き)。

 2002年出版。イタリア語版の翻訳者ジェレヴィーニとよしもとばななとの対談、著者二人の交流をめぐるエッセイ、イタリア人の視点から読むよしもと作品についてのジェレヴィーニの論文が収録されています。

 イタリア版は著者も気に入っているということは知っていたので、そして、この著者の本は翻訳しづらそうだと思っていたので、興味津々で手にとりました。そう、やはり翻訳は難しかったそう(^^;)

 やさしい言葉なのに完璧に描かれているから、同じレベルのイタリア語を選び出すのが難しい


 それに、私が感じるのは、よしもとばななさんの本は感覚的なイメージを直接描くのではなく、読んだ人の中にそれを想起させる言葉を選んで書かれている気がするんですよ。だから、ぴんと来ない人には何も響かない。それを翻訳するって大変だろうな。

 エッセイの中で印象に残った言葉ですが、

 日本では歳をとるまでに体のメンテナンスを怠りがちになり、不調とともに人生を「もう歳だから」と投げてしまうことが多い。

(沖縄のおじいさんやおばあさんに会うと)自分の人生は自分のものだという確固とした姿勢が頼もしく感じられるからだろう。

 体に気をつけて長く使えるようにすれば、楽しいことは続いていく。
 何をすることなら頑張れて、何をしないでおくべきか。自分の人生をカスタマイズして絞り込んだ結果が出る時期が老年なんだと思う。



 第3部のエッセイでは「キッチン」をじっくり分解(?)解釈されていて、思わぬ発見もありました。
 「台所」と「キッチン」という言葉の持つイメージの違い、80年代の日本社会における女性の生き方の閉塞感などを考えると、確かにこの時期の作品の読み方はぐっと変わるなあと感じました。

 実は、私が好きな作品はどれも『よしもとばなな』名義の第二期のものばかり。改名直前のものはあまり性に合わず、初期の作品も第二期作品ほどのインパクトは感じなかった。
 でも、作家としてのこだわりどころ、書きたいことがお若い頃から今までぶれていないということは、この本を読むと納得いきます。
 2015年にふたたび『吉本ばなな』に再改名されて以降の作品はわずかしか読んでいないので、この第三期の作品もこれからもっと読んでみようと思います。

(2022.3.3)

 

「江戸の味を食べたくなって」 新潮文庫 
池波正太郎 著

  江戸の味を食べたくなって (新潮文庫)


春の宵につまむ鯛の刺身、秋には毎日のように食べた秋刀魚、冬の料理に欠かせぬ柚子の芳香……季節折々の食の楽しみと、それらが呼び覚ます思い出を豊かに描いた「味の歳時記」。フランス旅行で偶然出会った、江戸の面影を感じさせる居酒屋“B・O・F"への偏愛をつづる「パリ・レアールの変貌」など。食を愛し、旅を愛した大作家の、絶筆となった小説や座談会も収録した傑作随筆集。


 第一部「味の歳時記」は古き良き東京の味、というところか。
 美味なるものを愛で、『春は鯛と浅蜊。夏は茄子と白瓜。紺色の肌へ溶き辛子をちょいと乗せ……』という感じでうっとりされているのは、まさに徒然草。こちらは黙って読むしかありません。
 二部は対談。第三部はパリのこれも古き良きフランスの居酒屋をめぐるエッセイ5編。

 三部は内容のかぶり具合が並みではないです。同じ話題で書かれたエッセイを集めているので当然ですが、まったく同じ思い出話が出てきます。この編集ってありなのかなあ。池波ファンには嬉しいのかもしれませんが。

 しかし、それでもついつい読み進んでしまうのはさすが大作家なんだなあ。
 頑固おやじの居酒屋「B・O・F」でゆっくりと流れる時間、再訪した時に消えてしまった店主、そして再会。店の跡を継いだ男の横顔――。
 同じ話をくりかえし読むうちに、パリの居酒屋と馴染みになった気さえするのです。
(2017.11.29)

 

「真昼の星空」 中公文庫 
米原万里 著

  真昼の星空 (中公文庫)


「星の輝きよ、わたしを通して万人に届くがいい!」。外国人には吉永小百合はブスにみえる? 日本人没個性説に異議あり! など、「現実」のもう一つの姿を見据えて綴ったエッセイ集。「コミニュケーションにおいて、量と質は反比例」「人間は決まり事を創って自分をがんじがらめにするのが好き」。軽妙洒脱な語りのなかに、生きた言葉が光る。


 通訳業から離れて、旅先での出来事や友人とのおしゃべり、子供時代の思い出が語られています。
 印象に残った話は、グルジアの居酒屋に貼られている気骨あるビラの文句――飲酒が宗教を信仰するより優れている八つの理由。

 一、未だ酒を飲まないという理由だけで殺された者はいない。
 二、飲む酒が違うというだけの理由で戦争が起こった試しはない。
 三、判断力のない未成年に飲酒を強要することは法で禁じられている。
   ……
 八、酒を実際に飲んでいるということは、簡単に証明することができる。



 なるほど(笑)

 そして、「ああ、米原さんらしいな」と思ったのは、寓話「北風と太陽」についての言葉。
 他人に何かをさせようとする時に、自らすすんでするようになる方がいい、ということですが……

 ところが、最近は太陽より北風のやり方の方がましなのではないかと思えてきた。
 北風の意志に逆らうことで、旅人は己の意志を明確に自覚した。ところが太陽の意志については、旅人はそれを、あたかも自分自身の意志と錯覚して外套と帽子を脱いでいるからだ。


 何をするにしても、決めるにしても、「自分が決めた」ということが重要と考えられていたのでしょう。きりっとした考え方、生き方が伝わってくる気がしました。
(2017.11.29)

 

「不実な美女か貞淑な醜女か」 新潮文庫 
米原万里 著

  不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)


同時通訳者の頭の中って、一体どうなっているんだろう? 異文化の摩擦点である同時通訳の現場は緊張に次ぐ緊張の連続。思わぬ事態が出来する。いかにピンチを切り抜け、とっさの機転をきかせるか。日本のロシア語通訳では史上最強と謳われる著者が、失敗談、珍談・奇談を交えつつ同時通訳の内幕を初公開!「通訳」を徹底的に分析し、言語そのものの本質にも迫る、爆笑の大研究。

 前半では、言葉と意志疎通のしくみ、翻訳と通訳の違いなどが語られています。言葉にまつわる仕事をする方なら興味深い考え方が詰まっているかと。
 後半は、著者が実際の仕事を通して考えたことが書かれていて、前半が通訳業の基本事項なら後半はその活用例といったところ。
 この著者の本が面白いのは、基本と活用を日々つねに行き来しているのが感じられるからかなあ。

「米原万里の『愛の法則』」では、人が言葉を発する時に生まれる「もやもや」と通訳について語っていますが、その「もやもや」の分析がみっちりと書かれています。

 話し手のもやもやから発せられた言葉の意図を、通訳者が解読して別言語に置き換え、その言葉を聞き手が受け取り、聞き手の中に同じもやもやが生じる……かどうかが「話が通じる」ということなんですねえ。
 こんな複雑なやりとりの中に置かれている通訳者がブラックボックスに譬えられています。確かにはたから見たら通訳者の頭の中で何が行われているか、さっぱりわかりません。

 考えてみたら、著者はそのブラックボックス当人として、自身の中の回路を言葉にしようとこれだけ多くの著書を残しているんですね。

 そういえば、著者が「自分は語りが遅い」「その意味で通訳に向かないタイプ」と言っているのは意外でした。私は、米原万里さんとは早口でざっぱざっぱと会話を組み上げている方のようなイメージを漠然と持っていたので。


 閑話休題。もうひとつ面白かったのは「話し言葉の冗長と書き言葉の凝縮」ということ。
 どちらが良いということではなく、性格が違う。止まったり言い換えを繰りかえす話し言葉と、前もって考え抜かれて無駄をそぎ落とした書き言葉とでは通訳者にかかる負担が大きく違う。文書を読み上げる話者の通訳の際には、前もって資料を渡されている必要がある、と。
 確かにこれは、一般の人間には思い至らない。通訳者とは聞けばそのままするすると訳語が出てくるのだろう、としか見えないから。

 こういう忌むべき(笑)事態になると、通訳は話者に殺意すら覚えるらしい。どうか通訳の方々の思いに応えるべく、話者にジャブをボコボコ喰らわす装置の一日も早い開発を……じゃなくて、前もって資料を渡してあげてほしい(^^;)


 通訳にまつわる抱腹絶倒、あるいは冷や汗エピソードは他の本にも数えきれないほど書かれていますが、この本で特に印象的だったのは「通訳が言ってはいけない言葉がある」というエピソード。交渉の席で話者双方があえてボカして触れない言葉を通訳が言ってはいけない、という話でした。
 本来は、話の要点を掴んで伝えるのが通訳のポイントだけれど、あえて情報の核を訳さないことがあるのですねえ。

 本当に、一度では読み切れないほど濃い密度で書かれたエッセイ。深くて整然として、そして豊かな言葉の世界を感じられました。
(2017.10.20)

 

「米原万里の「愛の法則」」 集英社新書 
米原万里 著

  米原万里の「愛の法則」 (集英社新書 406F)


稀有の語り手でもあった米原万里、最初で最後の爆笑講演集。世の中に男と女は半々。相手はたくさんいるはずなのに、なぜ「この人」でなくてはダメなのか―“愛の法則”では、生物学、遺伝学をふまえ、「女が本流、男はサンプル」という衝撃の学説!?を縦横無尽に分析・考察する。また“国際化とグローバリゼーション”では、この二つの言葉はけっして同義語ではなく、後者は強国の基準を押しつける、むしろ対義語である実態を鋭く指摘する。四つの講演は、「人はコミュニケーションを求めてやまない生き物である」という信念に貫かれている。

第1章 愛の法則
第2章 国際化とグローバリゼーションのあいだ
第3章 理解と誤解のあいだ
第4章 通訳と翻訳の違い



 闘病生活の間におこなわれた講演をまとめた一冊で、1&2章は高校生に向けての講演会だったようです。
 1章では、「女が本流、男はサンプル」、「男の3タイプ分類」など爆笑をさそう説(でも、なんとなくうなづける)が炸裂していて、面白かったけど、それこそ『ガキっぽい高校生男子』には毒がきつかったのでは、と心配にもなりました(笑)

 2章では、おもに日本の「国際化」意識の問題について。
 日本語の「国際化」は世界の基準に日本語を合わせようとし、アメリカ人のいう「グローバリゼーション」は自分たちの基準を世界に普遍させるもの、という言葉には8割方うなづきつつも、昨今の「日本文化ばんざいTV番組」を見ると、考え方がアメリカナイズされてきているような気もしました。

 また、この章で面白かったのは、江戸時代にあった「蘭学」の奇妙さ。
オランダ語とそれを介して入ってくる外来知識をひとまとめにする、なんて「学問」のまとめ方自体が考えてみれば奇妙なものですね。中国なりオランダなりアメリカなり、強大なひとつの国の文化を習うことで「世界」を理解しようとする性癖が日本人にはあるという言葉が印象的でした。

 後半では、通訳という職業について語られています。言葉とコミュニケーションの成立を図解し、そこから通訳という作業の本質を明らかにするという――こんな手順からして明快で面白い。

言葉が出てくるためには、まずそのもやもやが必要なのです。つまり、まず概念があって、それを例えば日本語とか英語とかロシア語のコードにしていく。
 通訳する時には、このもやもやをまた作り出さなくてはならない。つまり、先に言葉が生まれてきたプロセスをもう一度たどらなくてはならない。
 結果だけやる方が早いと思われるかもしれませんが、実は今のプロセスを経たほうが早いのです。

(2017.8.28)


「KAWADE 夢ムック文藝別冊
米原万里 ―真夜中の太陽は輝き続ける―」
河出書房新社
米原万里 著

  米原万里:真夜中の太陽は輝き続ける (KAWADE夢ムック 文藝別冊)


天才ロシア語通訳者であり作家だった米原万里の、今さらに輝きを増す魅力に迫る。書籍未収録の貴重資料収録。

・エッセイ
ビリの超能力

・スピーチ
誤訳のおかげで命拾いをした話

・対談
山本美香×米原万里 戦場の女たち
井上ユリ×宇野淑子 激しくて繊細だったひと

・回想
井上ユリ 万里の爆買い

・エッセイ
姫野カオルコ ふだんの日に垣間見た米原さん
李賢進 韓国版『米原万里』の旅立ち

・インタビュー
上坂すみれ 平成生まれにソ連を感じさせてくれる本

・考察
小森陽一 米原万里の文学七変化
東海晃久 バベル万世

・米原万里ブックガイド
・略年譜




 ここ(読書記録)には基本的に後でも入手可能な本だけ載せており、雑誌類ははずしているのですが、ムックだったら後日になっても買えますよね。目次は例によって抜粋です。

 2006年に亡くなった通訳・作家の米原万里さんのムック本。家族、友人、作家や通訳仲間、ロシア文学研究家らが米原さんの人となりと作品背景について語っています。万里さんが通訳、作家としての仕事だけでなく、TVコメンテーターもされていたとは知らなかった。(寄稿している誰もが『万里さん』と書いているので、つい私もそう書いてしまう)

 近しい友人や家族から見た万理さんは激しく率直で、でも繊細でもあった。通訳仲間たちからは、クライアントへの注文を臆せず口にする頼もしさがあったという言葉も。
 料理上手だったという話も、あの歯切れのいい文章を見れば納得いきます。きっと手際のいい、味の深い料理だったんだろうなと思います。

 ことに印象的だったのは、ベトナムの作家さんが万里さんを「どこかの国の首相のようだ」と話したという言葉。
 そして、

 美貌という言葉は公人の場合、女性だけに被せるものではない。その人がそのポジションに立ち動き話すときに、多くの人間が惹きつけられる外見の力のことである。いわゆる内面の魅力とはややちがう。美容的に整っているということとも違う。米原万里さんは美貌の女性であった。
(回想「ふだんの日に垣間見た米原さん」姫野カオルコ より)

 実際、どの写真を見ても目を惹くさわやかな容貌の方だし、貫録もありますよね。

 大学生時代の友人の言葉からは、若者らしい頼りなさやおっとりとした性格も感じられるのですが。やはり通訳という職を通してくっきりした人間性が培われていったのでしょうね。文章からも写真からも感じられる、まさしく太陽のような姿が……。

 ほんとうに惜しい方を亡くしたんだな、としみじみ思いました。
(2017.9.24)


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