3へ← 読書記録  5へ

エッセイ・詩歌 4

 

「わたしのチベット紀行」 集英社
渡辺一枝 著 

  わたしのチベット紀行


私はひたすら祈っている。チベットの人たちが望む日がきっと来ますように――。
正月ロサを祝う人々を描いた「ロサ、タシデレ」、メコンの源流ザチュ川をおとずれる「川のふるさと」など、1996年から1999年のチベット滞在記。

怪鳥の里
消されたらくがき
1000のバターランプ
カルマゲリ先生
川のふるさと
ロサ、タシデレ
チャンパツェリンが死んだ
サカダワのラサ
一九九九年


 著者は毎年のようにチベットを訪れているそうで、知人はもちろん、思いがけない人と再会した経験がいくつも語られています。同じキャンプ地に泊まった、あるいは馬を売った人――偶然知り合った相手を覚えている、覚えられているという素朴な嬉しさがじんわり伝わってきます。
 また、年越しの支度や葬儀など家族同様の付き合いがあってこそのエピソードも書かれています。こうした近しい人を描くのにふさわしい細やかな文章でした。
 写真(「風の馬」など)と同じ柔らかさだなあ、と思いましたが、否、作家さんなのだから逆、ですね。写真が文章と同じなのです。

 楽しい風景も、そこにある隠れた棘のような出来事も淡々と書かれています。

 著者のために好物をつくってくれたチベット人家族。
 電波妨害で映らないCNNニュース。
 前払いでなければ治療を行わない病院。
 その一方で病気の旅行者のために薬を探し歩いてくれた青年。
 壮健なのに物乞いをする人と、それに喜捨をする人。
 誰が書いたか「チベット独立」のらくがきはすぐに消さなければ犯罪とされてしまう。
 「歩くと緑に染まりそうな」草原の風景。
 亡命した娘へ電話をかけるも「帰ってきては幸せになれないから、来るな」と語る両親.。
 その反対に、亡命者の写真を故郷へ届けにいったことも。


 それぞれの出来事は小さなことで、ばらばらに見えるかもしれない。でも、それが降り積み、重なって、その向こうにある何事かを感じさせてくれる本だと思います。
(2009.6.20)

 

「テーブルの雲」 新潮文庫
林 望 著 

  テーブルの雲―A book for a rainy day (新潮文庫)


「A Book For A Rainy Day」人生、晴れの日ばかりにてもなし――イギリス滞在中のできごと、恩師の思い出、食べ物へのこだわりなどを綴った73編のエッセイ集。

 いきなり余談ですみませんが(いつものことか)。「イギリスはおいしい」の著者ということは知っていましたが、一度も著作を読んだことがなく、ものすごく勘違いしてました。
 どういう按配か、『著者は中国人の漢文学者で食通』、上の本は『留学先・英国の食物に関する世間の誤解を解くべく、実はこんなにおいしい料理があるんだよ、と語ったもの』だと思ってました。どれだけ違うのだか。とりあえず、プロフィールについては脳内訂正しました。

 さて。一読後の感想は「さらっと読んだけど、特に印象的ではないな」というものでした。
 ですが、なんとなく本を置き難くて、珍しく二読目。覚えてしまうほど印象的な言葉もなく、それでもぱらぱらめくる三読目……。
 普段、一読目からひとめぼれして何度も読み返すことは多いのですが、こんな状況で三回読み返すとは。珍しい体験でした。
 すっきりした文章、味のよさ、バランスのとれた感覚をおぼえる――全体にただよう心地よさが癖になりそうでした。きりがないので本を閉じましたが、印象に残ったのはこんな話。

・幕末〜明治、日本へ来たイギリスの外交官アーネスト・メイソン・サトウの日本通ぶり。
・古書修補の名人と、正倉院の蝋燭文書。
・イギリスの小学校の給食制度の個人主義。
・王者の風格をもつ、虎屋の練り切り。

 そして、あらためてぱらっとめくると、副題「A Book For A Rainy Day」のもとになっている巻頭の詩。

  その雨はまた、すべての時間を巡歴して
  ふたたび蒼穹へ差しのぼって行くであらう
  うらうらと天上するであらう


 何だか、いい一節ですね。
(2008.2.16)

 

「イギリスはおいしい」 文春文庫
林 望 著 

  イギリスはおいしい (文春文庫)


不評ばかりのイギリス料理はほんとうに美味しくないのか。庶民の味フィッシュ・アンド・チップス、アフタヌーンティー、大学のディナーの味と食事風景を語るエッセイ。文庫本のためのおまけ「スコンの作り方秘伝」レシピつき。

 上の「テーブルの雲」に書いた思い込みあらすじは、それほどはずれてもいませんでした。残念ながらイギリスへ行ったことがないので、私が口にしたことがあるのはフィッシュ・アンド・チップスとスコーンだけでしたが。

 予想どおり「やっぱり、美味しくない」(笑)ということも書かれているのですが、同時に「美味しいって、どういうことだ?」ということも語られていて、それは予想外の展開でした。
 読むからにまずそうなカフェテリアの味に舌鼓をうち、「帰ってきたという実感がわく」といったイギリス人の話、パブの割り勘、魚や香り良い林檎など素材のよさ――これは食べてみたい気がします。もしかしたら、それでもやはり美味しくないのかもしれないけれど、何だか楽しそうなのです。

 また、パンは主食でなく「何かを載せるための台」というのは面白いなあ、と思いました。「輸入もののジャムはごろごろフルーツが入っていて塗りにくいぞ」と思うのはそもそも違うのかも?

 一番心惹かれたのはこれ。「狼がむがーっと牙を剥いたように」出来上がったスコーン。以前、銀座の真ん中で食べたスコーンはクリームつきでおいしかった、あのお店はなぜ無くなってしまったんだ、うわあん! と、食い意地の張った思い出がこぼれてきました。
(2008.3.14)

 

「イギリスは愉快だ」 文春文庫
林 望 著 

   イギリスは愉快だ (文春文庫)


イギリス、ヘミングフォード・グレイの古いマナーハウスに下宿した日々。そこから見るイギリスの四季、人々の生活の風景を綴るエッセイ。

1 一人の男と彼の犬
2 庭冴ゆる月なりけりな……
3 お茶はホコリの香り
4 勇気とは何か
5 ささいなる文化
6 四季
7 ロンドンの哀しさ
8 冬の楽しみかた
9 豚の個人主義
10 甘いクリスマス 辛いクリスマス
11 動物たちの庭
囚われぬ魂――あとがきに代えて


 前作の「〜おいしい」はぴりっとしたユーモアのきいた小話集、という印象でしたが、こちらは下宿していたルーシー・ボストン夫人のマナーハウスの雰囲気が通奏低音のようにあるせいか、全体にしっとりした感じが漂ってます。
 (私は読んでいないのですが)「グリーン・ノウの子どもたち」の著者であるルーシー・マリア・ボストン夫人の家に下宿している、というと「あなたはイギリスで最も幸せな日本人」と言われたそうで。

 そのマナーハウスの様子を書いた「四季」や「動物たちの庭」の章が好きです。巨大な暖炉(暖炉部屋?)、草木がうっそうと繁る庭の小道。蛇はありがたくないけれど。
 このマナーハウスは、掛けられているパッチワークのカーテンは1803年(!)に作られ、建物は1120年(!!)に建てられた、という非常に古いものだそうです。ちょっと前に読んだ「中世ヨーロッパの農村の生活」に書かれた風景とつながっているのが感じられて、面白かったです。

 他に、イギリスのTV番組、クリスマスメニュー、バスタブの使い方についての章は笑いがこぼれて楽しかったです。バケツを持ってホテルに泊まる日本人がおかしいのか、食器をゆすがないイギリス人がおかしいのか。
 それぞれの説明があまりに筋が通っているものだから、「それなら、それぞれでいいよね」と納得してしまった。
(2009.5.15)

 

「りんぼう先生おとぎ噺」 集英社文庫
林 望 著 

  りんぼう先生おとぎ噺 (集英社文庫)


昔話、寓話に想を得てかかれた創作寓話と現代批評エッセイ集。

うそつきねずみ
賢人の夜逃げ
闇猫
蟻のギジ
姜詩の膾
錫の大将
キリギリスと蟻
泥棒取締委員会
消えた村
王様の御馳走
おならの駆け落ち
与五郎どん
あやまりヤギさん
欲張りの殿様


 中国や日本、ヨーロッパの昔話を下敷きにした創作昔話とエッセイが交互に書かれています。

 正直なところ、お説教くさい、と思いましたね。私はちょっと苦手。こういう形式のエッセイと考えて創作昔話だけにした方が良かったのでは、と思います。「キリギリスと蟻」なんて、ブラックな結末がそのままで面白かったのですが。
 昔話に律儀に書評を書くにも似た、野暮を感じました。
(2008.12.7)

 

「虫眼とアニ眼」 新潮文庫
養老孟司 宮崎駿 共著 

   虫眼とアニ眼


虫好きとしても知られる解剖学者・養老孟司とアニメーション作家宮崎駿。二人が自然と人間の関わりあい、風景、教育について語る対談集。巻頭には、宮崎駿が考えた理想の町計画のカラーイラストを収録。

養老さんと話して、ぼくが思ったこと
『もののけ姫』の向こうに見えるもの
 対談1(1997)、対談2(1998)
『千と千尋の神隠し』をめぐって
 対談3(2001)
見えない時代を生き抜く―宮崎アニメ私論―


 このところ、読みたくても性に合わない本を読みあぐねていたので、気分転換に購入。刺激的で、とても面白かったです。
 読み終わって、思わず。「さすが爺さん、やるな」
 いや、中年ごときでは太刀打ちできない飄々とした、しかし鋭くてどっしりした視点が見事でした。

 三回の対談をまとめたもので、話の大テーマは「自然と生き物」「人間の能力」について、といったところ。

 養老さんがベトナムで見た鮮明な「蝶道」(蝶が飛ぶ決まったルート)、縄文式土器とマイマイカブリの分布図が重なる、といった話では、周囲の環境を何らかのかたちで察知して生きること、それを失った現代の生活への苦言を語っています。
 また、日本の自然について。日本人は自然を大切にしてきたわけではない、という言葉には意外な気持ちがしました。

 (鎌倉時代以来)ずっと大事にしてこなかった。ただ、それだけ削っても自然が耐えられるほど丈夫だったにすぎない。現在のブルドーザー方式ではダメです。

 人の気配も痕跡もない自然を「守る」べきなのか、自然との関係で育まれる人間の文明はどう捉えるべきなのか。スケール大きくて、考えるとどきどきするような話です。
 日本の自然に関しての話には、最近見たインドの国立公園をめぐるドキュメンタリーフィルムを思い出したりしてました(こちらはいずれ日記にでも感想を書くかもしれません)。


 人間の感覚、能力といった話はいろいろ耳が痛く(笑)、興味深かったです。
 近頃、流行の『感性』とは何か。書名にもなっている虫眼やキノコ眼という、匂いや説明のできない何かを察知する感覚について。また、最近の若者の身体感覚の弱さや(おそらくは教育による)不器用さという話には考えさせられます。
 最初、「鉛筆を削れない」「火をつけられない」というとお決まりの愚痴(失礼)かと思ったけれど。
 メスという道具をどう扱うかべきかわからない医大生、美大を出ながら絵の具の塗り方を覚えられないアニメーター(今はPCで作成するそうですね)と挙げられると、さすがに唸りました。
 多分、著者らの世代から見たら、私などもそうなのでしょうね。

 その他、ジブリ作品によく言われる懐かしいという感覚の実体、都市のつくり、日本独特の「音・訓読み」という言語感覚について、日本人の戦争観の変換点などという話も面白かったです。

 印象に残った言葉は、

 現代は先が見えないというけれど、先が見えたことなんてなかった
 世の中は、いつもどこかおかしいものなのでしょう


 (その中で必要なのは)
 理念を語ることではなくて、実際に何かをやることです

 そして、宮崎さんはやって見せた。
 巻頭に収録された理想の町の青写真がそれです。しかも、あたたかなメッセージつきで。
 恐れ入りました、爺さま。
(2008.12.13)

 

「明日も元気にいきましょう」 角川文庫
新井素子 著 

   明日も元気にいきましょう (角川文庫)


「体調カラータイマー」「品切れ警告装置」「物体縮小機」――あるといいな、と思う夢の品物を描いたエッセイ。

 笑ってしまったのは「選択性猫ドア」「物体縮小機」。わかるわー、と手をぽんと叩いてしまったのは「今の、なかったことにしてくれ」「意味がわかってる痛みをなくしてください装置」。私も欲しいです(切実)。
 この作家さんは想像力が爆走してる作品の方が面白い気がします。エッセイよりも小説の方が、エッセイの中でもこの本のように『ありえない』ことを書いたものの方が小気味いいです。
「それ、もう実現してるよ」というものもあるのが、何となくご愛嬌でした。
(2008.5.30)

 

「落ちこぼれてエベレスト」 集英社文庫
野口健 著 

  落ちこぼれてエベレスト (集英社文庫)


落ちこぼれ学生だった著者は冒険家・植村直己の著書と出会ったことをきっかけに登山にひかれていく。7大陸最高峰世界最年少登頂記録をうち立てた登山家のエッセイ。

 最近では、エベレストの清掃活動でも有名な方ですが、こんなに若い時からの登山家だとは知りませんでした。こ、こうこうせい?
 いたずら好きの小学校時代、全寮制学校でもトラブルをおこして停学処分を受ける。その頃に知った植村直己の業績に憧れて登山をはじめる。学校の教師や友人に認められたい、居場所を得たい、という十代らしい願望から、やがて7大陸最高峰制覇という夢がはっきり形を成していく様子には……ええと、はらはらしました。

 どうも、この本一冊だけ読むと初期の登山はそうとう運任せにみえて、「何て無謀な?」と思ってしまいます。いや、もちろん素人の感想ですが。
 登山にかける意気込みが強烈に伝わってくるので、中高生が読むとものすごく感じるところがありそうです。
 しかし、年がはかどってしまった(笑)身からすると……何としても登りたいと思って、実際に登ってみたらどう感じたのか、をもっと読みたかったです。そういう意味では、少し物足りない一冊かもしれません。

 それでも、ネパールのシェルパとの交流には、ああ読んでよかったな、と思いました。
 ヒマラヤ登山のドキュメンタリーフィルムをいくつか見ましたが、欧米の登山家には、シェルパと一線をひいてつきあう人が多いようです。しかし、著者は「命を預けて一緒に山に登る彼らと、一緒に食事をしたい」という。どちらがいいのか、それぞれもっともな点があるんでしょうね。
 でも、シェルパにとって、山は征服対象ではないこと(神の山ですから)、そして「登りたくなくても金のために行かなければいけない」という言葉は、もっと多くの人に知られて欲しいと思います。
(2009.7.30)

  

「発見」 幻冬舎文庫
よしもとばなな 他 著 

  発見 (幻冬舎文庫)


下駄について、温泉の看板について、時間について。犬、女優、小説、インド、けんちん汁について。日常生活の中、ふと目にとまり、忘れられないものとなった事どもを語る。複数の著者による30編のエッセイ。

 お題は「発見」。それは「こだわり」であったり、「日常の穴」「観察の果て」であったり、人によってさまざまです。また、文章の雰囲気も著者によって日記風、おしゃべり、掌編小説風、ととりどりで楽しかったです。
 心にかかって残った言葉は――。

「心と頭脳の延長に手がある。手が動かないまま、物を考えることはできない。」
 
篠田節子『ナイフをめぐる文化度』より

「生涯に一冊の本さえ読まない人でも、一行の手紙さえ書かない人でも、誰でも胸のうちに物語を抱えているのかもしれない」
 
小川洋子『物語はそこにある』より

「金をきちんと支払うと、それに見合ったものが得られる。これが現代社会の市場原理だろう。京都のお茶屋さんは、その自然な流れに従っていないようである。そこに京都のダンディズムがある、と思った」
 
藤田宜永『攻める男、誘う女』より

「舞踊と音楽は人間自身の発明した最初にして最も初期的な快楽である」
 
周防正行『インドの魂』より
(2008.2.16)

 

「夢について」 幻冬舎文庫
吉本ばなな 著 

   夢について (幻冬舎文庫)


映画そのものに入り込んだようなひと晩の夢「探偵夢」、家族と時空を越えてつながってしまった体験を書いた「白いセーター」など。夢にまつわる24編のエッセイ集。

 いつものばななさんの文章&淡白でどこか寂しげな愛情にあふれた線画イラストとで出来上がった一冊。
他人の夢の話は面白い。夢を夢とわかってみている人もいれば、現実と思ってみる人もいる。私は現実だと思いながら夢を見るので、いい時はいいが、良くない時は……まあ、ありがたくないです。

 さらっと読んでみて面白かったのは――。
「木目の夢」。世界中の芸術家が描く普遍のテーマ「理想の女」や「海」は、もしかしたら次元の違う世界をそれぞれの方法で描いたものかもしれない、という発想。いや、この場合は『理想の木目』(?)の話だったのですが。面白いことを考えつくなあ、と唸ってしまった。
 また、友人の命の危うさを感じ取る感覚を書いた「正確とは?」、作家として原稿用紙に描こうとしている夢の世界を現実に見つけてしまった「ある男の夢」も印象的でした。

 いつか思い出した頃に手に取ると、また違う一編にひかれるような気がします。
(2009.3.22)

 

「パイナツプリン」 角川文庫
吉本ばなな 著 

   パイナツプリン (角川文庫)


愛してやまない作家やアーティストのこと、銀座や浅草の町歩きを語る36篇のエッセイ。

 章数が多いので、目次は省略します。
 著者が作家としてデビューされた初期の頃のエッセイ。そのせいなのか、少しあとの時期のエッセイと比べて、「憧れ」な思いを綴ったものが多いような気がします。

 特に、作家への尊敬と愛情あふれる言葉は密度が濃い。S・キング、内田春菊、D・アルジェント(まだまだたくさん挙げられていましたが省略)……どの人の作品に対しても、手放しで喜びながら味わう気持ちと、冷静に分解・分析している視線が同居しているところがさすがだ、と思います。
 自分の身を蝕むような思い入れ方ではなくて、そこから何かを頂いて、きちんとからだに吸収しているような健康的な憧れが伝わってきて、読むのが楽しかったです。

 一番いいな、と思ったのは、幸福を卵に譬えて、無造作に幸福とつきあうことを語ったところ。

 家に帰って、2、3個割れていても「あら、われてるわ、ま、いっか。また買えば。」と気軽に受けとめて、残りの卵を使っていればいいわけで、(幸福とは)こういう対し方がいちばん大切である。
(2009.5.1)

 

「パイナップルヘッド」 幻冬舎文庫
吉本ばなな 著 

  パイナップルヘッド (幻冬舎文庫)


講演先のイタリアで会った読者を書いた「現場のもよう」、高校時代の自分に伝えたいと思うこと「主観というもの」、歩くのが得意な友人の目にうつるものを語った「歩くということ」など。雑誌「anan」に連載された50編のエッセイ。

 ファッション雑誌に連載されたせいか、ダイエット、芸能人と軽めの話題が多くて、のんびりお茶を飲みながら読むのにぴったり。
 ……と、思ったら、お茶にむせるような直球の言葉があるのも、この著者ならではだな、と思いました。

 人間には人間が必要で、愛する人やものとできる限り快適に生活できる環境が必要なのだ。それ以外に優先されるべきものはないのだ。

(2009.5.1)

 

「江戸アルキ帖」 新潮文庫
杉浦日向子 著 

   江戸アルキ帖 (新潮文庫)


『今日は珍しく早朝に目が覚めた。そのまま取るものもとりあえず、江戸へ出る』。近所の散歩を楽しむように、毎週末は江戸時代へタイムトラベルする。馴染みの町から気の向くままに歩き出す「私」のお江戸見物のひとこと日記。カラーイラストつき。

 カテゴリーは「文化」の方がいいかな、と思いましたが、読み心地はエッセイなのでこちらへ書きました。
 この江戸ツアー(?)は申込者の江戸オタク度によって資格が与えられて、級が上がればより自由に江戸の町歩きを楽しめる、という設定らしい。
 江戸だから、ほとんどが今の皇居よりも東のお話。私にはあまり馴染みがないのですが、それでも「ああ。これ、今も同じ!」と思うものがありました。御茶ノ水の渓谷の地形、お稲荷さん、上野・不忍池……。

 また、色鉛筆で几帳面に描かれたイラストが楽しい。風景もあれば、町人、芸人の風俗を描いたものもある。冬の関東らしい、ぼんやりした灰色の空の絵は素敵でした。
(2009.2.16)

 

「オーケストラ楽器別人間学」 新潮文庫
茂木大輔 著 

   オーケストラ楽器別人間学 (新潮文庫)


人が楽器を選ぶのか、楽器が人を作るのか――楽器と演奏者の関係を、オーボエ奏者の著者が鋭い観察眼とユーモアをもって語るエッセイ。

 お正月早々、思いっきり笑いました。クラシックの演奏者はあまり知らないのですが、楽器や演奏パートが性格に影響するというのはうなづくことも多かったです。以前、ピアニストの中村紘子さんがエッセイの中で、「ピアニストは長生きな方が多い。ヴァイオリンなどと違って左右対称の動きが多いせいか」と書いておられたのを思い出しました。科学的根拠があるかどうかはともかく、健康との関係(?)も読んでみたいなあ。

 オーケストラの管楽器奏者を対象にしたアンケートの章は面白かったです。
 設問は「あなたの楽器の得意技」「苦手な作曲家」「アンサンブルの相性が悪い楽器」「オケの中で一番気持ち良いと思っている楽器」など。
「苦手な作曲家」で、その楽器がつくられた意図、年代と合わない作曲家の曲の演奏が嫌だ、というのはなるほどと思ったり。
「アンサンブルの相性がいい楽器」「悪い楽器」では、自分と同じ楽器を挙げてもよいところが可笑しかったですね。フルート、というのは私は意外でした(どちらの設問の答えかは内緒)。

 また、誰でも知っている有名人でオーケストラをつくったら、という趣向の章は、笑うお腹を押さえつつ読みました。

東京都知事・石原慎太郎氏→大きくて充分な自己主張と過激さをもつ楽器、ティンパニ。
「ティンパニの苦労は何ですか」と聞くと、「指揮者ってやつらに音楽ってものを強制的に解らせることかな」

和田アキ子さん→どんどんモノを言うから同族集団の弦楽器ではない、と消去法からはじめて、おさまるのはトロンボーン奏者。背の高さ、酒に強いこと、パンチのある押し出し――すべてがトロンボーンを指向している……そうです。

みのもんたさん→頭の回転の早さ、全身表現、有無を言わせぬ説得力とカリスマ性。

「そこんとこさ、ぜったい、遅くなっちゃだめよ。そうなったらオシマイだよ。わかった?」
――ということで、指揮者。

 ちなみに性格判断してみたら、私はオーボエかファゴット向きでした。どこまでいっても木管楽器らしいです。
(2008.1.2)
3へ← 読書記録 → 5へ
inserted by FC2 system