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エッセイ・詩歌 5


「だから僕らは旅に出る -100人の旅日記- ユーフォーブックス
100人100旅プロジェクト 編 

   だから僕らは旅に出る―100人の旅日記 (100人100旅)


「自分の旅の話を本にしませんか」――こんな呼びかけに応じて集まった旅好き100余人の共同執筆の本。第二弾。ヨーロッパ、アフリカ、インド、アジア、南北アメリカで出会った人々や風景を言葉と写真で語る。

 ひとつの地域の旅を語る本は多いけれど、これだけたくさんの場所の旅話を読めるのは珍しいです。
 文章が生き生きした人もいれば、写真が物語る人もいる。人数が人数なので、各人の記事量が限られてしまうのが惜しいけれど、ブログやサイトを持っている人はURLも紹介されているので、もっと深〜い思い出を読むこともできるようになってます。
 欲をいえば、目次に旅した地域を書いてくれると、もっと嬉しいですね。

 旅好きの本、というので筋金入りのバックパッカーの話ばかりかと思いきや、意外と「臆病で」「初海外旅行・初一人旅」という人がいてびっくり。ちょっとしたトラブルへの態度も人それぞれでとても面白かった。
 犯罪に巻き込まれ、とか、旅先で入院、という事態はどうもですが、「私もどこか行ってみたいな〜」と思いついてしまう本でした。

 そして、こういう本には珍しい旅ですが、家族と行った休日の外出、アメリカからの日本旅行について書いた人もいました。
 普段と違うところに行って、知らないものを見て、言葉が通じなくてもとりあえず喋ってみれば(そして、食べれば!)、それが旅の楽しみだよねえ、と頷きました。
(2010.7.28)


「千住家の教育白書」 新潮文庫
千住文子 著 

   千住家の教育白書 (新潮文庫)


子供は何をしてもいい、ただし何事にも真剣に――そう励ましあいながら暮らす家族の記録。日本画家、作曲家、ヴァイオリニスト、と世界的芸術家を育てた母によるエッセイ。

 ヴァイオリニスト・千住真理子さんの曲を聴いていたので、目について買ってしまいました。巻末の解説(重松清さん)にも書かれているように、エリート家族の教育論でもハウツー本でもない。家族、親子の幸せなあり方のひとつを見せてくれる1冊でした。

 天真爛漫な子供たち。これ以上無いほど率直で伸びやかな人間関係(家族関係)の中でこそ、人はこんな風に底力を発揮できるのかもしれない、と感じました。
 圧巻だったのは、著者の両親の死、夫の死を語った章。やがて来る最後のひと息まで、去る人とともにいて、その思いを汲み取ろうとする家族の姿に涙が出そうでした。
 そして、子供たち3人ともが芸術家ですが。人として、家族としての生き方がまず最初にあって、創作や表現活動はその表出してくる一部分にすぎないのだ、ということがよくわかりました。

 ちょっと惜しかったのは、著者(兄弟の母・文子さん)の視点で書かれているために、子供たちの内面描写や夫の登場が少なかったこと(存在感はあるのですが)。家族が新しい出来事に出会うたびに語られる夫・鎮雄さんの言葉はどれもしっかりと芯が通っていて印象的でした。
(2011.4.22)


「海からの贈物」 新潮文庫
アン・モロウ・リンドバーグ 著  吉田健一 訳

   海からの贈物 (新潮文庫)


原題「Gift from the Sea」。町の喧騒を離れ、一人浜辺で貝を拾うときに思うのは、家族、夫婦のかたち、女の生き方。大西洋横断飛行に成功したチャールズ・リンドバーグの妻によるエッセイ。


浜辺
ほら貝
つめた貝
日の出貝
牡蠣
たこぶね
いくつかの貝
浜辺を振返って



 3/11の地震の後、非常用グッズを入れてカバンが漬物石のように重くなってしまったので「軽い本、無いかな〜」と探して入手したもの。非道だな、内容じゃないんだ……。

 それはともかく。

 かのリンドバーグの妻である著者が、浜辺で拾った貝の姿に自分の生き方をなぞらえたエッセイ。
 20c前半のアメリカ人女性の視点で書かれているのですが、読みすすむにつれて、これは「女性の生き方」というより「人としての生き方」を考えた本だと感じるようになりました。

 特に気に入ったのは。
 自動車や皿洗い機、ビタミン剤と社交辞令に溺れそうになっている現代の生活に疑問を持つ。ほんとうに必要な「家」とは何か、と問いかけた章「ほら貝」。

 人は、年齢とともに生き方にあった人間関係や思考を身につけていくが、やがて年齢を重ねる中でさらに新しい成長が待っていると語る「牡蠣」「たこぶね」。


 とても美しい本でした。言葉も、著者のまなざしも。
 もし私がこの本のブックデザインをするなら、鮮明な貝の写真を使いたいと思いました。口あたりのいいイラストは似あわない。貝の色や無骨な表面を、ただそのままに映している写真がいちばんふさわしい気がします。
(2011.3.30)


「なるほどの対話」 新潮文庫
河合隼雄 / 吉本ばなな 著 

   なるほどの対話 (新潮文庫)


ユング派心理学の研究者・河合 隼雄と作家・吉本ばななの対談集。

T 若者のこと、しがらみのこと、いまの日本のこと
U 往復書簡「質問に答えてください」
V 仕事のこと、時代のこと、これからの二人のこと
対談を終えて


 心理療法家(って、心のお医者さんってことでしょうか)と作家。どこかでつながっている……かもしれない二人の濃い対談でした。話はあちこちに横っ飛び、舞い上がりしているので、私の感想もそんな感じで。

 一番面白いと思ったのは、眠ることで頭が整理されて、勘が冴えてくる、という話。
 確かに経験ある! 科学的な裏づけはわからないけれど。それを体験できないかしら、と思って、その晩はさっそくうきうきと早寝してみました。残念ながら、まだ実感はできません。毎日、寝て起きてるだけ(笑)。そのうち、いつかきっと「ああ、こういう感じね」と思う日が来るかもしれません。
 人間の能力とかパワーというのは、複雑で何とも不思議なものだなあ、と何度も思いました。

 また、日本と他の国の言葉文化を語る、「言葉とデリカシー」の章。
 「私・自分」を最初に押し出して主張する文化。断らなければならないような質問をするのは失礼だと考える繊細な文化。YesとNoでは割り切れない考え方の扱いについて。
 ドイツ人に対して、日本の「討論」について説明した河合さんの言葉が面白い。

(正面から言葉をぶつけるのではなく)
日本人はそんなふうに言わないんだ。こっち向きに言うたのと向こう向きに言うたのが、底の方でポッと触れたらめちゃくちゃ面白い、とぼくらは思ってるんだ。


 日本人がYesとNo、どちらかはっきり言いたがらないこと、また「互いに何となく通じる」というのは一長一短なのかもしれない。何となくの慣れが人を支え、互いに身を守る文化が積み重ねられている。もっとも、そんな社会では「クリエイティビティを表に出すのが難しい」という意見でした。

 クリエイティビティにあふれた人だけでは疲れる、という吉本ばななさんの言葉はちょっと笑ってしまった(だって、エッセイを読むと「よくもこんな人が!」と驚くような人ばかりですから)。
 そんな人ばかりでは、研ぎすぎた刃ばかりがぶつかるようなもの。ぼやぼやした人も必要なのだ、と語られていました。触媒的な役割を果たす人がいる方が、事がうまく動いていく、という考えには共感を覚えました。

 いろんな人が居るだけでも、居心地よくなる。
 そして、そのことをたくさんの人が知っていたら、世の中はちょっと明るくなるのかもしれないねえ、と思いました。
(2009.11.26)

 

「ぐるりのこと」 新潮文庫
梨木香歩 著 

   ぐるりのこと (新潮文庫)


「自分の今いる場所からこの足で歩いていく、そういう自分のぐるりのことを書こう」――海辺の断崖を歩きながら考えたこと。日本の里山の風景。こどもの犯罪について。イスラム女性のヘジャーブについて。日本社会の群れについて。日常生活の中の思索をつづるエッセイ集。


 小説が面白かったので手にとってみました。
 小説と同じく、穏やかさとともに、世の中の澱みに対する静かな強さを感じました。こう、澱みを洗浄するとか、力づくで追いやるのではなくて、「ここが気になるんだよね」と陽のあたるところへ押し出すことで、それが融けて消えていくことを願っているような。控え目で、でも断固としたところがある言葉でした。

 くるくると移り変わる視線、思考が面白い。
 神社で1000年以上昔の天皇の妃に思いをはせ、車にもどればラジオがアメリカの戦争を告げる。「アメリカ!」というひとことで、やりきれない思いが伝わるのです。印象的だった章は……。

「隠れたい場所」から。
イスラム女性のかぶりもの(ヘジャーブ)について。それを身につける女性の手記からの言葉。

「それは、没個性どころか、外界からくっきりと個を区別する、アイデンティティの強烈な主張だという。私の容貌は私だけのもの。見せてなんかやらないよ、という気持ちになるのだそうだ」


「風の巡る場所」から。
やりきれないニュースや世の中の習いを考えるときに湧いてくる、自分もその当事者の一人だ、という自覚について。

しようがない、というのは、ほかに選択肢がないことを不承不承認識した、落胆を含んだことばだが、しようがないなあ、の方は、あきれた感じと、本来つきあいきれないものだけれど、つきあっていくよ、という、丸ごと受け入れる感じがある。

そして、日本の男性には、社会には、リーダーとなる人に身を捧げることを待ち続けるようなところがある、という。

特に「大人物」「胆力がある」と言われて別格に扱われている西郷隆盛を通して『群れ』『リーダー』のありようを考えた章「群れの境界から」も面白かったです。

(2010.9.28)


「ミルクチャンのような日々、そして妊娠!?」 新潮文庫
よしもとばなな 著 

   
 ミルクチャンのような日々、そして妊娠!?―yoshimotobanana.com〈2〉 (新潮文庫)


取材や友人たちとの交流、そして妊娠判明? 著者の2002年1〜6月の日記。「怒りそしてミルクチャンの日々」を改題、再編集。

 いつものように濃厚な内容でした。この薄さの文庫本を3日かけて読むって、普通はありえないのだけど。
 簡単そうにみえて、さらっと読み流すことのできない本。深くて、心落ち着く言葉が多いのです。取材やアーティストの友人についての話が充実しています。

 サンディー先生(というフラの歌い手さん?何度読んでも把握してないのだけど)についての一言は特にすてき。

 歌や踊りだけではなく、お話ししていても本当に先生は美しく強い。そして、とても孤独な感じがした。この世にあれほど美しく強く存在するということは孤独であるということだろう。でもそれはすじの通った、哲学のある孤独だと思った。

(2011.5.5)


「日々のこと」 幻冬舎文庫
吉本ばなな 著 

   日々のこと (幻冬舎文庫)


友人とその母も一緒につかった温泉、揚げ物天国、新幹線の個室体験など、友人、家族とともに過ごした1988年冬〜91年春までの日々のエッセイ。

 これまでに読んだ、もっと後の時期のエッセイとはかなり趣が違いますね。
 目に留めて残しておこうとしている事柄は最近のエッセイとおなじですが、どこか堅苦しさがありました。でも、あたたかく、危うく、怖くて、可愛らしい。
 いつものように胸に残った言葉を書くのは難しい。なんというか、言葉になる前の、醸造中のものがうぞうぞと蠢いている本のように思えたので。

 あ、もちろん、文章が良くないというわけではないです。
 どれもすっと胸に入ってくる、素直でやわらかい言葉。デビューされて数年後のエッセイですが、こういう良さは最初から持ってらしたんだな、と思って面白かった。
(2010.1.22)


「FRUITS BASKET」 福武文庫
吉本ばなな 著 

  FRUITS BASKET


作家生活、恋愛、映画について――1987年のデビュー後から2、3年の著者と、村上龍、さくらももこ、内田春菊ら8人との対談集。

 前に読んだ同じような対談集「なるほどの対話」が面白かったので、手にとりました。
 デビュー後まもなくの話で、憧れ(だったらしい)の村上龍や、同年代のさくらももことの話しぶりのギャップが面白かった(笑)

 現在に近いせいか、やっぱり「なるほどの対話」の方がわかる話が多くて、私は好きですが。いいお話もあったので、読んでみてよかったです。

 印象に残ったのは、作家・高橋源一郎との回。
 他の作家の作品について「文章に透明感がある」とか「人柄のよさが出る」なんて言葉で表現していて。やっぱり作家さんというのは本の読み方が違うなあ、と思ったのでした。

 そして、ペンネームの「ばなな」が、バナナの実ではなくて花からとった、とは初めて知りました。
(2010.4.22)


「はじめてのことがいっぱい」 新潮文庫
よしもとばなな 著 

   はじめてのことがいっぱい―yoshimotobanana.com2008 (新潮文庫)


フラ、そして太極拳のレッスンのこと、父・吉本隆明の講演について、5歳になったチビちゃんの成長を見守る2008年の日記。

 公式HPに掲載されている日記を時々読ませてもらっています。既読分とそろそろ重なってきたので、本で読むのはこれが最後かも。

 フラを続けるか、やめるか――「進退を決める」という言葉がすごく潔くて、はっとしました。
 趣味ひとつにも、自分にとっての意味、位置づけをしっかり持っておられるんですね。何にでも無造作に手を出すわが身を省みて反省です。
 また、このようなことを記録しておくのが『気持ちの流れや身の振りかたを覚えておく』ため、というのが、さすがプロの作家さんだ、としみじみ思いました。

 大切な言葉は、

 人生はあっというまに過ぎていく。悔いなく生きるためには、人に嫌われるなんてなんでもないな、という思いを新たにした。むだなことでエネルギーをだだ漏れにさせているひまなんかないのだ。

 会いたい人に会うためにひと手間かけてたずねていく、みんなでごはんを食べ、片付ける……などがほんとうは人生を作っているいちばんすばらしいことなのだと思う。動けるうちはそういう手間をより惜しまないことが人生の価値だと言っても過言ではないと思う。動けなくなってきても、それをなるべく怠らないことが健康な生き方の全てかもしれない。


 そして、この一冊について忘れられないこと。
 私がすごく動揺していた時期に、サイトに書かれたある記事がとても嬉しく、有難かった。この著者の日記は普段はごく個人的なことが書かれていますが、めずらしく時事ネタに言及していたのです。

 有名な作家が自分の公式サイトでこの出来事を取り上げてくれた。これで、この事件は世の中から忘れられなくてすむかもしれない、と涙が出るくらい嬉しかった。
 仕事とは関係ないから、と黙っていることもできるのに、公の場所ではっきりと自分の言葉を述べてくれた――そのことに感謝しています。
(2010.1.22)


「池波正太郎の銀座日記(全)」 新潮文庫
池波正太郎 著 

   池波正太郎の銀座日記(全) (新潮文庫)


銀座を中心に歩きなじんだ東京の風景と名店の味、映画について語る。1990年、急逝の2カ月前まで「銀座百点」に連載された日記形式のエッセイ集。

 来歴などあまり知らなかったのですが、作家であるだけでなく、挿絵も描き、膨大な数の映画も観て論評している方なんですね。舞台の脚本を書かれていただけに、ミュージカルの寸評は視線厳しく、言葉豊かで面白かったです。
 また、年代からして古風な作品ばかり観てるのかな、と思ったら「エイリアン」「トップガン」なども楽しまれたらしい。

 食べ物の話も期待通りに満載。
 揚げたてを供する天ぷら蕎麦、仔羊のローストをシェリーつきで、馴染みの寿司屋の折り詰め、などなど。ほとんどどの日記にもおいしそうな食べ物が登場して、帰宅中に読むのは泣けました(笑)

 池波正太郎といえば食通、として知られてますが――単にグルメというのとはちょっと違うような気がしました。自分の体調とか仕事の集中力を常によく保とうとする心構えがあり、その一端として食へのこだわりがあるように思えました。

 大変な数の本や映画試写会の寸評が書かれているのですが、それぞれを味わい、文句をつけ(笑)、何より「面白かった!」と楽しんでいるのがわかります。これは、ものすごく体力のいることだと思うのですよ。
 巻末の解説でも、「常に書き続けて、手をとめない」「原稿は締め切り前に出来上がっていた」とその職人気質が語られています。
「良いものをきちんと受けとめる」、「自分の死の時まで生き続ける」ということに、常に目配りをしていた人なのだ、と感じました。

 でも、やっぱり食へのこだわりは並ではないです。驚愕のエピソードは(大袈裟)――。
 蕎麦好き同士の集まりに出かけ、天ぷら蕎麦、おろし蕎麦、盛り、と堪能。ラストは甘味が出る……なのに、そこで食べずに失礼して、一人、別の店で好物の粟ぜんざいを楽しんだ、という。

 清清しいですね! 私ならどちらの甘味も諦められません。

(2010.4.26)


「新しいもの古いもの」 講談社文庫
池波正太郎 著 

   新しいもの古いもの (講談社文庫)


変わりゆく東京やパリの風景、日々の食事、家族の話、舞台について、愛情とこだわりをもって語る、66編のエッセイ。

 私はお芝居のことはさっぱりわからないので、残念ながら半分くらいは読み流してしまいました。
 ですが、至言の数々。

「(もてなしは)なければないように。あればあるように。洗いざらいを客に出すつもりでやっている」
(「夏の客が訪れて」)

「つきつめてみれば、人間の幸福は、食べて寝て、愛し合って、子を育てることがスムーズにおこなわれることにつきる」
(「フラゴナールの優しい感性」)

 なんだか、すごい。
 自分の親よりも年上の世代って、まったく接点がないので(うちは祖父母が早く亡くなっちゃったんで)、この世代の日本人の軽やかさや持続力、腹の据わったところに圧倒されました。
 野暮な感想を書きたくない気分です。
(2010.5.18)


「鬼平・梅安食物帳」 角川春樹事務所 ランティエ叢書
池波正太郎 著 

   鬼平・梅安食物帳 (ランティエ叢書―グルメシリーズ)


江戸の町人、大名それぞれの暮らしぶり、彼らが親しんだ食べ物や風俗を著作の「鬼平犯科帳」「仕掛人・藤枝梅安」をとおして語ったエッセイ。

T鬼平の花見
  散歩(より)
  <鬼平>の花見
  余裕ある時代の風俗
  時代小説の食べもの
  卵のスケッチ(A)
U江戸前ということ
  江戸の味
    饂飩、蕎麦、そして天ぷら
    むかしの船宿というものは…… 他
V 梅安の暮らし
  梅安の暮らしぶり
  江戸の医者
  江戸っ子と金
  江戸の独り者
  江戸の庶民の楽しみ
  梅安の旅
  遊郭の遊び
  男の料理


 最近、江戸時代が気になってます。江戸=東京に限らないのですが。この江戸、徳川時代の庶民の生活や文化や技術の集積が、明治以降の日本の根っこになってるような気がしているのです。

 この著者の本はエッセイしか読んだことがありませんが、洒脱で、一本すじの通った、そして色気のある語り口が好き。かっこいいわ〜(照)。私の祖父世代ですけどね。時代小説、手を出してみようかな。

 題名のとおり、食べ物の話も美味しそうなのですが、その裏の話が面白い。大石内蔵助が討ち入りの前に鴨肉を食べた、とか。東京湾の淡水と海水が混じるところでとれる魚介を江戸前といって、他の海でとれるものとは味が違った、とか。

 江戸の生活風景も素敵。
 江戸は生活共同体。また、その中でもさらに細かい地域共同体=町があった。日常生活はその町内で事足りるので(遊び場も含めて)、一生自分の町から出ない人も多かった。また、長屋住まいだと連帯責任の制度だし、職人であれば親方のもとで働いている。信用を失うと江戸では暮らしていけないので真面目に働いたし、信頼があるからつけでの買い物が普通だったのだそうです。

 へえ、と思ったのは、「江戸っ子は宵越しの金は持たない」という言葉。気風や気前のよさ、を感じさせる言葉ですが、単に遊びが派手だ、ということではないのだそうで。
 どんちゃん騒ぎをして金を使うのも、人とのつきあいを大事にするから、そのための出費を惜しまない、ということ。
 そして、江戸の活気の中では何処かしらに仕事があって、真面目に働いていれば食べるのに困らなかったということらしい。なかなか良い町じゃありませんか。
 共同体の一員であることの責任や恩恵が、どんな風に日常生活を成り立たせていたのか。それを感じられるのが面白かったです。

 そして、小説「鬼平」や「梅安」での江戸の描写について。
 旅籠と宿屋の違い、雨上がりに舗装のない江戸の通りを歩くとどうなるか、など作家としてのこだわりも語られてます。
(2009.12.26)


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