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エッセイ・詩歌 6

「ジブリの森とポニョの海」 角川書店
 

  ジブリの森とポニョの海 宮崎駿と「崖の上のポニョ」


 宮崎駿、プロデューサー・鈴木敏夫、スタジオジブリのスタッフらのインタビュー集。


 「崖の上のポニョ」を見ていませんが、読んでみました。いや、だってたくさんのポニョがわらわらしているのが怖くて見られません。
 制作現場の裏話らしいものも入っていますが、むしろ作り手の視点からみた日本社会の観察、といった話が面白かったです。題材はポニョですが、映画とはあまり関係ないかな(笑) 面白かったコメントを書いておきます。

 「都市」の住民は、何かが起きるごとに、「誰かのせい」だと思うんです。政府のせいか、気象庁のせいか、誰か個人のせいか。
(宮崎)

 どうして日常の生活において、こんなにもエンタテイメント作品が必要になってしまったんでしょうね。これは社会学の領域の疑問です。誰かに答えてほしいと思っています。消費者として生きている人が多くなったと感じています。
(宮崎)

 「日本のアニメーションは終わりだな」と感じています。(なぜなら)子供たちがバーチャルなものだけで育っているからです。アニメーションというものは、自分の体が覚えていることを思い出す作業なんです。…(中略)…若いアニメーターに「火を見ろ」と言ったことがあります。彼は裸の火を見るのは初めてだったんですよ。そういう人間に官能的な、肉体的な絵を描かせるのは至難の業です。どんなに本人が努力しても難しい。
(宮崎)

 日本人って、絵を描くことが好きな人種。耳より目で見たことの方が単純に好きといった傾向があるとか。日本のアニメーションの発達もそこにあるんじゃないかと。
(鈴木)
(2011.8.20)

 

「風の帰る場所」 文春ジブリ文庫
 

   風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡 (文春ジブリ文庫)


 『風の谷のナウシカ』から『千と千尋の神隠し』まで、宮崎駿監督が自らの作品の背景や狙い、文明論から歴史観を語り尽くしたインタビュー集。


 こんな文庫シリーズがあるんだな。絞った大豆おからからさらに何かを取り出そうというかのようだな(おい)。
 映画製作のこぼれ話かと思ったら、意外と宮崎監督の政治思想やら文明論が濃く語られていました。予想とは違ったけれど、面白かったです。どうりでジブリが憲法問題の冊子を作ったり、「コクリコ坂」を扱ったりするわけだな、と思ったのでした。こういう話を知っている方が「紅の豚」は面白い。
 ネット上で熱々に語られる思想というシロモノには胡散臭さがつきまとう、と思う昨今。「冷戦終結後、希望として残されたのが民主主義だったことにがっかりした」、「社会主義は失敗したが、掲げた理想の価値は今も損なわれていない」といった冷静な言葉にはほっとしました。

 もちろん、ややこしい話ばかりではありませんでしたよ。プロデューサーのお子さんを面白がらせることを目標に映画を作ったという言葉には、作り手の厳しさ、誠実さがあっていいなと思いました。

 また、八ヶ岳の別宅のお話がありまして。昔、その地域がどうやって生計を立てていたか調べて地元で映画にしたいといったことが書かれてました。そんな映画が出来上がったら、私も見たい。
 つまり、過去の八ヶ岳の山中には現在の主街道とは違う道があり、駅の村として栄えていたのではないか、と考えられたそうです。現在の風景も、観方、着目点を変えるとまったく違う姿が見えてくる――それに気づいたところがすごいと思いました。また、「照葉樹林文化」って気になります。

 全体にインタビュアーに乗せられて語り過ぎな感もありますが、面白かったです。

(2014.3.8)


「徳川慶喜家にようこそ」 文春文庫
徳川慶朝 著 

  徳川慶喜家にようこそ―わが家に伝わる愛すべき「最後の将軍」の横顔 (文春文庫)


 「最後の将軍」徳川慶喜の直系の曽孫。もしかしたら徳川幕府第十八代将軍になっていたかもしれない著者だからこそ書けた、徳川慶喜家に伝わる秘宝や逸品の数々のこと、ひいおじいさんのこと、徳川慶喜家一族のその後、そして自分のことを軽妙な文章でつづったエッセイ。

 将軍様直系の子孫に生まれても、今や普通のサラリーマンもやってるのに。初対面の人はそうは扱ってくれない、という愚痴あり、冗談ありのエッセイ。面白いのですが、徳川慶喜については思ったほどは書かれていないので、やや肩すかしでした。

 あれ、と思ったら、著者は写真集「将軍が撮った明治」を監修されてるのですね(前に図書館で立ち読みしました。写真集は重いのでめったに借りません)。
 白黒の端正な写真を見ながら「いろんなものに興味を持ってたんだな」「庶民の暮らしに結構カメラを向けてるけど、どれも遠くから風景として眺めてるみたい。やっぱり、将軍位を下りても目線は殿さまだな」などと思っていました。

 人生前半で歴史の舞台から消えてしまった人ですが、後半生もかなり生き生きと暮らしていたらしい。将軍さんを個性的な一人の人として語ることができるのは身内だけだと思うので、その点では面白いです。

(2012.8.12)


「炊飯器とキーボード」 講談社文庫
岸本葉子 著 

   炊飯器とキーボード―エッセイストの12ヵ月 (講談社文庫)


 旅の取材の苦労とは、カルチャー講座の講師をひきうけたきっかけは、そして、パソコン初心者の著者が購入にいたるまでの様々なできごとなど、日常を描いたエッセイ集。

 タイトルに妙に心ひかれて、図書館で借りてきました。初めて読む著者さんです。
 テンポよい語りで、ごくごく日常的なことがこれほど楽しくなるんだなあ。この人、変でおかしい。真面目が過ぎて、面白い。話の種は上のように幅広く、多才な方のようです。でも、「変」感が拭われずに(拭いきれず、ではない)ついて回るのが、身近な人のおしゃべりのようで楽しいんですね。
 新刊の売れ行きを気にする作家さんと本屋さんの、平場をめぐる絶妙巧妙なかけひきには笑わせていただきました。すみません、図書館じゃなく、次は買います。

 ちなみにタイトルの「キーボード」の由来とは。パソコン初心者である著者がどうやってパソコンに親しみ、使いこなせるようになるかを本にしよう、という企画があったから(その後、出版はされたのかしら?)。
 しかし、残念なことに思うようには上達されなかったらしい。「パソコン」にすら辿りつけずに「キーボード」をタイトルに使うことになったそうです。
(2011.11.1)

 

「ほぼ日刊イトイ新聞の本」 講談社文庫
糸井重里 著 

   ほぼ日刊イトイ新聞の本 (講談社文庫)


 49歳の誕生日に初めて買ったMacからすべては始まった。小さな出前のメディア「ほぼ日刊イトイ新聞」はベストセラーを生み、イベントを成功させ、「すぐそこにある幸せ」を伝える超人気HPになった。新しい「仕事」のかたちをさぐる「ほぼ日」の試行錯誤と成長のドラマ。

 「ほぼ日」……twitterで名前を見かけるまで知らなかったのですが、面白そうな企画だったので、本を買ってみました。1998年に開設された頃のことが書かれています。

 ほぼ日はネット上の「新聞」。対談やコラム、読者参加型のコンテンツなどがほぼ毎日更新。広告業界で活躍した著者が、日々の仕事にうまく収まらなくなった疑問の答えをさがして始めた試みです。
 その基本にある考えからして、わくわくするのです。
 人間は経済行為だけで働くものではない。働くことが面白い。「まかないめし」の中に自分の本当にやりたいことが秘められている――などなど。
 無報酬でお願いし、ごく普通の仕事人から有名作家までさまざまな方がそれに応えてできたコンテンツなのです。「どうせならお金で頼めない人に頼んでみよう」というのは、まさに発想の天地回転ですねえ。

 糸井さんといえば売れっ子のコピーライター、とだけ思っていましたが、存外いろんな仕事もしておられるらしい。
 いつも「面白いこと」「のびのびしてること」「真剣であること」をゆるゆると貫く姿勢が面白いです。あくまで、ゆるゆる。でも、こだわりどころには妥協しない、という感じ。異例の新スタッフ募集「お金を払って働く」とか、「正直者が一番得をする」という実験(ほぼ日さんで実験されたわけではないですが)の話が面白かったです。

 そして、印象に残ったところ。

 「何かができるような気がする」と思いながら生きていくのはそれだけでもけっこう楽しいものなのだ。無力感の逆のような心の状態というのは、やっと歩けるようになった赤ん坊が笑いながら一歩ずつ進んでいくときの感じに似ているように思う。歩けるということがうれしくてたまらない表情で――。

 ああ、たしかに。
 実際に力があるか否か、とは関係ない。こういう気分でいる時って、たしかに何にも怖くないんですよね。
(2012.2.1)

 

「日本語は天才である」 新潮文庫
柳瀬尚紀 著 

    日本語は天才である (新潮文庫)


 縦書きも横書きもOK。漢字とかなとカナ、アルファベットまで組み込んで文章が綴れる。難しい言葉に振り仮名をつけられるし、様々な敬語表現や味わい深い方言もある。言葉遊びは自由自在―日本語には全てがある、何でもできる。翻訳不可能と言われた『フィネガンズ・ウェイク』の翻訳家が縦横無尽に日本語を言祝ぐ、目からうろこの日本語談義。

 中高生にもわかりやすく、と書かれているそうで、なるほど易しい話ではないですが、楽しく読みました。

 私は日本語の文法をちゃんと勉強してないので、漢語と和語の違いという話は面白かった。和製漢語、なんて言い方があるのか。時々「ひらがな言葉の方が歴史が古そうなのに、文字は漢字の方が先にあるって不思議だなあ」と思っていました。そして、文字の無かった頃には、この細長い島の住人はどんな風に話していたのでしょうね。

 しかし、「しち」と「なな」への拘りは、そこまで言わなくていいじゃない、という気もします。アナウンサーや新聞には、言葉使いや表記の特殊なルールがあるし、日常会話だってわかりやすさ優先で言葉を選ぶので。

 一番印象的だったのは、方言について。
 各土地での暮らしや産物と結びついた方言には、標準語とは違う実感や身体感覚、温みがある、という。
 私は標準語(東京弁と横浜弁風味)しか知らないので、標準語と方言と比べみる感覚がよくわかりませんが。しかも生まれ育った場所が新興住宅地なので、地域に根差した言葉では無いですし。こう……友達と話してる時に、そばを通った先生に敬語を使うような感覚で切り分けるのかな?
 方言バイリンガル、いいなー、などと思ってみる(笑)
(2011.12.18)

 

「ばななブレイク」 幻冬舎文庫
吉本ばなな 著 

   ばななブレイク (幻冬舎文庫)


吉本ばななの人生を一変させた人々の言葉や生き方を紹介する「ひきつけられる人々」他のコラム集。

 前半は雑誌に連載されたコラムの収録。後半は海外向けのコラムや寄稿文です。前半は愛を語られてる人や作品を知らないと、ちょっと退屈かな、と思いました。
 その中でも面白かったのは、「奈良美智さんの感性とか本質とか」(2000年)シンプルに見えて、複雑なものを後ろに抱えているのがありありとわかる奈良さんのイラスト。その描き手の姿が垣間見えるようで好きです。

 彼の、作品が作品としてのびていく力を信用する態度がいちばん励みになった。私が私の作品の生命力を信じてあげなければ、誰が信じるというのだ、という、自分自身の魂をたのみにする心を彼から学んだ。

 作品は、自分でありながら、どこか高いところからやってきたものである。そことつながるやり方を、私は疲れ果ててとんと忘れていた。彼は「こうなんだ、こうなんだ」と繰り返し教えてくれたと思う。


 そして、真ん中に入っているこぼれ話のページによれば、海外向けの文章は、訳されることを意識して「あいまいさが許されない」と考えながら書かれるそうです。私は、これら後半の文章の方がすっきりしていて好き。

 今から10年以上前に書かれた文章たちで、今著者が書かれてる文とはずいぶんちがうなあ、と思います。それは、文章のリズムとか構造だけではなくて、見ているところがかなり遠くなったな、という感じ。
 社会の空気とか、生き方への問題意識の持ち方は、今もきっと変わっておられない。
 ただ、それを「ある」「こうだ」と確認したら、あとは飛び越せるものは飛び越して遠くへ歩き出している――そんな風に感じました。
(2011.10.1)

 

「人生の旅をゆく」 幻冬舎文庫
よしもとばなな 著 

   人生の旅をゆく (幻冬舎文庫)


人を愛すること、他の生命に寄り添うこと、毎日を人生の旅として生きることについてのエッセイ集。

 ひたすらに旅の本。日本とヨーロッパのバリアフリーのことを書いた章が、とても納得でした。
 子供を連れてイタリアへの旅は大変だろう、と思っていたら、日本よりも楽だったそうです。
 ヨーロッパでは、いろいろなものが大雑把にできているので創意工夫が必要になるけれど、ともかく人間がすることはすべて受け入れられている。一方、日本の町は整然として清潔であっても、人の望むことをかなえていない。バリアフリーと謳っていても「動きにくい人がいていい空間はここです。ここに座って飲み物を飲んで、トイレは15分後にお願いします。景色はこの角度から見てください」といった感じなのだ、と。人間が置き去りにされてる町、という言葉に考えさせられました。

 オープンカフェで一服しながら、通りを歩く人波を見ているような言葉がすてきです。

 みんな、どうしてしまったんだ。そんなにすごくならなくてもいいじゃないか、と思う。…(中略)…体を整えてよく見れば、一日の中に必ず宝が一個くらい眠っている。それを大事に輝かせて、いい眠りの中に入っていこう。形ではない、どんな人とも違う、自分だけのやり方がある。それを思い出そう。

 そして、犬や亀、植物を育てている姿勢がなんとも柔らかくて、真剣。私は亀は飼わないけど(笑)いいお話を聞かせてもらったと思いました。
(2011.12.1)

 

「もりだくさんすぎ」 新潮文庫
よしもとばなな 著 

   もりだくさんすぎ―yoshimotobanana.com 2010 (新潮文庫)


いい仕事をしよう。大好きな人たちが幸せである姿に力をもらいながら。旅をした。つらい治療にも通った。楽しいことと同じくらい、悲しい知らせも次々とどいた、もりだくさんすぎな一年。そして、みんなで準備した下北沢フリマでは、噂を聞きつけた人たちが道路を埋め始め……。読者と感動をわけあったイベントをふり返る特別エッセイも収録、感謝の気持ちが山盛りの日記+Q&A。

 著者のHPの日記で読了分ですが、気分が乗ったので読んでみました。
 いつものとおり、ごった煮の日常の中から「大切なもの」のかたまりを掬いだして、はい、食べてね、と手渡されるような読後感。抽象的な言葉が多いので、「え、これ何?」「な、何味なの?」と躊躇するけれど、ときどき「これは、いい」と忘れられない味に会うのが面白いです。
 「最近よく見かける変な人」についての文章は身につまされるものがある。


 ほんとうはほとんどなんにもできないのに、万能なもうひとりの自分を虚像として作り上げ、そっちに魂をどんどんあげてしまって本体はどんどん自信をなくしていく人たちについて語り合った。

 人間は弱いからだれにでもこういう気があるけど、ほんとうになにかができるときって、あ、これができた、よかった、これだけでもできた、よし、っていうふうに自信がついていく。病気をして寝込んだことがある人にはよくわかるはず。あれが、自信。床のぞうきんがけに実に似ているもの。


(2013.3.3)

 

「だれもの人生の中でとても大切な1年」 新潮文庫
よしもとばなな 著 

   だれもの人生の中でとても大切な1年: yoshimotobanana.com2011 (新潮文庫)


「十年間は続けようと思って日記をはじめ、ここで終わります」。世の中が一瞬で変わった震災と原発事故後の不安な日々。こんなときこそ、今このときがある幸せの大きさを感じる。だれもの人生の中でとても大切だったこの2011年と、日々の思いを読者とつないで重ねた10年間に心からの感謝をこめて。公式HPの日記シリーズ最終回。

 もう一冊ありました。ほんとうにこれが最後と思うと、ちょっと寂しくなりました。
 やっぱり「だれもの人生の中で」この年は特別な年だったのだけど、その中で淡々と日常を重ねようとする著者の姿勢はいろんな読者を支えていたのかもしれない。しみじみと優しい言葉が多い一冊でした。

 仮面ライダーやマリオやジョジョや……なんでもいい、そういう架空のものに心を支えられていきる人たちを、幼いと思う人もいる。でも、私はそう思わない。
 眠れない夜、心弱い夜によりそうヒーローたちは、その人の力を何倍にもする魔法を持っている。

(2013.12.1)

 

「人生のこつあれこれ2012」 新潮文庫
よしもとばなな 著 

   人生のこつあれこれ〈2012〉 (新潮文庫)


10年間続いた公式サイトの日記連載が一新。新エッセイシリーズが始まりました。毎日を健康で過ごし、いい小説だけを書いていきたい。鋭いカルチャー批評と、深く豊かな日々の思い。そしてたくさんの学びをのこした最愛の両親との別れ……。波瀾万丈な一年間の学びをつめこんだ、あなたと考える人生論です。巻末には、電子書籍アプリBanakobanashiからのボーナスエッセイも収録。

 日記エッセイを終了、その後毎月UPされていたエッセイをまとめた一冊。日記ほど鮮度重視ではなく、でも単行本より気軽に読めます。
 ですが、ちょうど著者の父・吉本隆明氏が亡くなられた頃の話で、しかも同じ時期に母上、友人の方も次いで亡くなられて、読む側としても気軽な気持ちではいられない、深い言葉の多い一冊でした。

 悲しいことや辛いことを見つめつつ、でも距離を保って未来に向いている目がいいな、と感じます。私はけっこうエッセイが好きなので、また書いて欲しいと思いつつ、これからも主業の小説も読ませてもらえるのを楽しみにしたいです。
 ほんと、この著者の書く言葉は易しくて単純に見えるのに、おなかに染みる。作家ってこういうことなのか、といつも感嘆します。

 おかしくて、じんわり来た文は。

「なんとか鶏のなんとかさくさく揚げ、どこどこ産大根おろしつき」とかにその場ではよだれをたらしていても、ほんとうは「あなたの好きなものを、あなたを思って作ったよ、いっしょに食べよう」というのを求めているからだ。体とひとつになっているこころがあるかぎり、人間の幸福はそんなに変化しない。

(2014.7.2)


「子供ができました」 新潮文庫
よしもとばなな 著 

   子供ができました―yoshimotobanana.com〈3〉 (新潮文庫)


妊娠届けを提出したが、なかなか気の休まる日はこない。うんざりするテレビのニュース、仕事上のトラブル。胎児の画像を見て感動する。人生のペースを落とし、自分のからだの声を聞こうと思う。冷え、ぎっくり腰、犬の急病、食あたり、仕事場の引っ越し。妊婦を次々に襲う試練の数々。

 さらりと読み、なるほどと思ったのだけど、珍しいことにいつもの他の本のように目が覚めるような衝撃というのを感じませんでした。読むタイミングや波長が合わなかったのかも。しかし、読者からの質問メールに答えた言葉が個人的に的を射すぎている! 

 現実的制限(時間、お金、体力、知力、免許の有無、どの国のパスポートを持っているか、家庭環境、受けた教育など)を必ず考慮に入れて実現可能なことだけを実現していくという姿勢がとても大切だと思います。でないと単なる夢見がちは人になってしまうので。

 すみません、すみません。
(2014.9.6)


「とるにたらないものもの」 集英社文庫
江國香織 著 

   とるにたらないものもの (集英社文庫)


とるにたらないけれど、欠かせないもの。気になるもの。愛おしいもの。忘れられないもの。輪ゴム、レモンしぼり器、お風呂、子守唄、フレンチトースト、大笑い、など。そんな有形無形の身の回りのもの60についてのエッセイ集。

 一つことにつき、ページは約ページ。もっと読みたいな、と思うところで終わってしまうのがちょっと歯がゆい。でも、この軽やかさが良い感じなのかもしれません。
 それにしても、60もよく挙げたもの、と思うと、まずそこから面白かった。いや、試しに私も好きなものを数え挙げてみましたが、意外と似たようなものばかりになってしまうのです。
 でも、挙げるだけでも良い気分になりますね。どこかの元修道女もやってましたっけ。

 私もきっと好きだ、と思ったのは。きりっとした佇まいの標本の蝶、「ルラメイ」。そして、「石けん」。使い心地とか、匂いまでこだわりはないけれど、あの姿は私も好きですねー。

 石けんは、この上なくシンプルで、可憐なかたちをしている。例外なく物静かだ(私は、饒舌な石けんにいまだかつて一度も会ったことがない)。そして、すこしずつ、すこしずつ、溶けて小さくなる。
 私にとって、雪の結晶と塩と石けんは、おなじくらい不思議でおなじくらい美しい。


(2012.11.8)


「霧のむこうに住みたい」 河出書房新社
須賀敦子 著 

   霧のむこうに住みたい


 心に残る荒れた風景のなかに、ときどき帰って住んでみるのも、わるくない――。単行本未収録の文を中心にまとめた29篇のエッセイ集。

 江國香織さんの巻末の解説によれば、最後の作品集なのだそうです(書評や日記をのぞく)。いつもの癖で巻末を先に読んでしまったせいか、著者の文筆生活のルーツともいえるエピソードを語った「芦屋のころ」と「となり町の山車のように」が印象的でした。

 高校生くらいの時に、兵庫から東京までの長距離列車に乗りながら思いついたある考えが、その後何年ものあいだ旅の記憶とともに生きていた、と語られています。とりとめなく過ぎゆく「記憶」「感覚」が線路に沿うように、ひとつの方向へ向けて束ねられ、紡がれていく。

 それは、たとえば成人のまなざしをそなえて生まれてきた赤ん坊のように、ごく最初からしっかりした実在をもってわたしのところにやって来たものだから、私はマヌケなメンドリのように両手でその言葉の束だけを大切に不器用に抱えて、あたためながら歩き続けた。

 著者が自身の文章を発表したのは50代後半になってからだったそうですが。長年こうやって言葉をあたため続けていたことを知って、この方の文の美しさの基はこれなのだろうな、と感じました。

 そして、この本で一番好きだったのは「アスパラガスの記憶」。ヨーロッパの春の味覚のアスパラガスをめぐる、さまざまな思い出が語られています。そのあふれるイメージのゆたかで美しいこと! 甘くて、期待にあふれていて、さわやかで、貪欲で、苦くて、少し哀しい――。
 アスパラガスの話なのに、そこに書かれているのは野菜のことじゃない。
(2011.11.16)

  

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