5へ 読書記録 → 7へ

ノンフィクション・伝記 6

 

「福島第一原発収束作業日記」 河出書房新社
ハッピー 著

   福島第一原発収束作業日記: 3.11からの700日間


 汚染水問題、東電の工程表の欺瞞……今起きていることは全て予見されていた。3.11からほぼ毎日のようにツイッター上で綴られた、福島第一原発作業員による事故の収束作業日記。

プロローグ 爆発
----死を覚悟した4日間 2011年3月11日〜15日
第1章 待機
----がんばろう日本! 2011年3月
第2章 死闘
----汚染水がピンチ 2011年4月〜7月
第3章 乖離
----現実より「工程表」 2011年8月〜11月
第4章 神話
----「収束」なんてしていない 2011年12月〜2012年3月
第5章 限界
----仮設システムが悲鳴 2012年4月〜9月
第6章 危機
----再び汚染水がっ! 2012年10月〜2013年3月
エピローグ 希望
----オイラの願い
おわりに

コラム
(1) 作業員の生活
(2) 出会い
(3) 原発事故と動物
(4) 事故前の原発1
(5) 事故前の原発2

 「2011年3月11日14時46分----。オイラはその時、福島第一原子力発電所(1F)で原子炉建屋内のオペフロで作業してたんだ。」

 福島第一原発(1F)で働く作業員の方から見た原発事故と、その後2年間の事故処理作業の記録です。もとは著者がTwiiterでつぶやいていたことをまとめた本なので、口調、いや、文もそれらしい。
 著者は20年近く原発関連施設で働いてこられた方で、技術的なことも極力わかりやすくまとめて下さっています。門外漢にはすこし読みづらくはあるのですが、それでも新聞やニュースからはわからない現場の苦労や問題点を知ることができて、読んでよかった。日々の作業の問題点や、東電、政府の意向と現実との乖離が生々しく伝わってきました。

 実際、これほど生身の人間ひとりひとりの手に支えられている現場だとは想像していなかったです。
 資材を運び、応急処置の排水ホースをつなぎ、ひとつづつボルトを締める。しかも、防護服とマスクをつけて。現場作業員の方に感謝するとともに、読んでいてほんとうに申し訳ない思いでした。
 事故直後は、緊急対応のフローがなかったこと、タテ割り契約とその複雑さ(東電と協力企業、二次、三次請負の中小企業まで)のために連携がうまく取れなかったこと、作業員の安全管理が徹底されなかったり、非現実的な工程のために作業員が無駄に被ばくしなければならなかったなども書かれています。

 そして、政府が2011年12月に早々に「収束宣言」を出したこと。
 当時、新聞で読みながら「そんなわけないでしょ」とは思ったのですが、あれが現場にこんな影響を及ぼしていたとは知りませんでした。つまり、「緊急の作業が終わった」ことになって作業単価や危険手当額が下がってしまった。また、「平常」に戻ったことであらゆる工程が契約と申請・許可を経なければ進められなくなってしまった。
 2011年8月時点で、すでに著者が「東電の予算がないので今回の工事はここまで、と聞いてびっくりした」とツイートしているので、おそらくはお金の計算と世論をかわすための宣言だったのでしょうが。いったい、何を目指した事故処理なんだろうか。

 また、著者は作業員の確保の重要さを繰り返し語っています。
 結局、人間の手がなければ事は何ひとつ動いていかない。なのに、役所と東電本社の机上の理論からはその観点がすっぽり抜け落ちているように思えるのは気のせいなんでしょうか。
 作業員は、年間被ばく量の規定のために労働時間を減らさなければならず、さらに賃金をカットされれば生活していかれない。そんな1F現場よりも除染作業の方が収入がよければ、そちらで働きたくもなる。原発のベテラン技術者が離職し、普通の建築業界しか知らない作業員が増えていけば作業はさらに進まなくなる。
 また、2017年度からは社会保険制度のない会社は建設業の請負ができなくなるそうで。現実には、そういう中小企業が請け負っている事故処理作業はどうなっていくのか。

 縁の下の作業員たちも報われなきゃダメでし。決して使い捨ての駒ではないでし。
 その人たちを雇う会社も、決して許される事じゃない嘘をついてまで雇わなきゃならない背景、環境、法律を変えていかないと


 頷くしかない。
 ベテランが不足する可能性として、原発輸出にともなう技術者の流出も懸念されています。トルコでの原発建設受注が決まったのはつい先月(2013/10)。著者の予測はここでも当たっている、と寒気を覚えました。


 この先どうしたらいいか――著者はまず「現場検証を」と書いています(というか、やっていない、ということに驚くのですが)。
 建屋内の作業が本格化する前に専門家が検分、分析すれば、それはある意味で世界的な財産である、と。そして、収束作業を東電から切り離して、国やメーカー、東電、学者による新組織主体で行うこと。
 結局、企業とはコスト原理で動くものであり、政府も政権交代の度に方針が変わってしまう。それでは超長期にわたる収束作業はできない、と。このままでは「40年後の廃炉」という指針も「絶対に無理」と著者は断言されています。

 復興したいのに、、なぜ現行法で対処しようとするのか? なぜ縦割り行政がいまだに行われているのか?
 復興庁や規制委員会は本当に一日でも早く復興や収束させる気があるのか? 現場に見合った時限立法や超法規的措置をなぜ積極的に取り組まないのか?


 非常にきびしい内容の本ですが、著者の穏やかな口調、ユーモアを忘れない言葉につられてどんどん読み進んでしまいました。また、無人の町に咲く桜、立ち入り禁止区域に残された動物たちにすら向けられた優しい視線には胸が詰まるような気持ちになりました。

 東京に暮らす身には耳に痛いエピソードもありました。休暇で東京のハロウィーンパーティへ出かけた後輩作業員との会話です。

 
後輩「東京って平和で幸せな奴らばっかですね。東京の人らにも今の福島や現場の事をもっとわからせなきゃダメですよね?」
 
著者「ん〜でも難しいよ。マスコミ、メディアもあんま報道しなくなったし。でも、東京の人でも表向きは普通でも、いろいろ福島や原発の事をきにしてくれてる人はいっぱいいるよ」
 後輩「そうっすかぁ? 俺、来週パーティがあったら、現場の装備に瓦礫一個とアラームピ〜ピ〜鳴らして参加してみるっす!」
 著者「(-.-;)黙って持ち出したら、窃盗とか原子力基本法とかに触れるかもしれないよ、お前捕まるぞっ。バカなこと考えんなよ! お前のその気持ちはすごくわかるから」


 事故直後にあった現場の「絆」も、このようなさまざまな事情から薄れているように感じる、という言葉が恐ろしいです。

 あの災害と事故後はやっぱりしんどくて、原発関連の本を読む気にはずっとなれませんでしたが。他にできることのない身としては、わからないなりに事態を見続け、忘れてはいかんな、とあらためて思ったのでした。
(2013.11.5)


「下北核半島 ―原発と基地と人々」 岩波書店
鎌田慧 斉藤光政 共著

   ルポ 下北核半島――原発と基地と人々


 使用済み核燃料が大量に集積される、もっとも危険な原子力施設―六ヶ所再処理工場。原子力センターが姿を現しつつあるそこは、かつて、農民の土地だった。マグロ漁でしられる本州最北端の大間町では、危険と隣合わせの「最新鋭」原発が建設されている。その建設地のど真ん中で、建設に抗い、自然エネルギーで暮らす母と娘がいる。原子力開発・核燃サイクルという国策のもとに押し潰されてきた人々の暮らしと土地、そして矜持。フクシマ原発災害を出来させた構造と同じ光景が広がる下北核半島の現況を報告する。

第1章 悲劇の六ヶ所村
第2章 核最終処分場候補の不安・東通村
第3章 原子力に翻弄される町・むつ市
第4章 フルMOXに脅かされる本州最北端・大間町 
第5章 3.11後の下北半島 
第6章 軍事化される半島――謎秘める自衛隊基地群 
第7章 戦略出撃基地・ミサワ 
第8章 基地に依存する街


 前半は、下北半島各地に作られた核関連施設について、後半では国防上で重要視されてきた東北の自衛隊基地と地元の関係について書かれています。前半を読みたくて手にとりました。

 自分の日常生活の水面下、その淀みを見てしまったような、怖い本でした。
 政府の核エネルギー政策が1960年代からすでに始まっていたこと、地方自治体の経済的問題。そして、原発や関連施設の建設計画が決まれば官民一体となって地方へ雪崩れ込み、金にものを言わせて事業を押し進めたことが生々しく書かれています。
 札束押しつけて土地を手離させる、断りきれずに保証金を受け取った住民は「金をもらってしまったから」と口をつぐまざるを得ない。開発計画が頓挫しても、土地を売却した自治体は交付金を返せと言われることを恐れて、予定外の核関連施設が作られることに反対できない。

 2011年の原発事故で、急に世間の目がエネルギー問題に向くようになったけれど、実は自分が生まれる前からこの構図はできあがっていたのだと考えるとどっと疲労感に襲われました。
 また、原発を推進する組織の中に原発の監督機関があることを著者は「ピッチャーが審判を兼ねるようなもの」とうまい譬えで非難しているのですが、長年変わっていないのだと知るとがっくりしてしまいます。
 国から示される方針に、小さな地方自治体や個人が反対の声をあげるのは難しい。
でも、重圧の中でも胡散臭い金を拒み、「一度海が失われれば二度ともとには戻らない」と開発に反対の声を上げ続けた人たちの知恵に唸らされたりもしました。

 いろいろ知らなかったことに気づかされた本ではありましたが、構成には疑問を感じました。
 国の利益のために地方が大きな負担を強いられる、という文脈で東北の原発と基地を取り上げていますが、私はこの二つは別の背景を持っていて、解決の方向も違うように思えるから。
 原発やエネルギー政策に注目するなら、話を国防とつなげるよりも先に、中央と地方の経済関係とか原発をめぐる利権についてもっと掘りさげて欲しかったな、と思いました。
(2013.11.29)

 

「プロメテウスの罠 1 
―明かされなかった福島原発事故の真実―
学研パブリッシング
朝日新聞特別報道部

  プロメテウスの罠: 明かされなかった福島原発事故の真実


 朝日新聞のルポルタージュ連載記事の書籍化。福島原発事故による放射能汚染は、なぜこれほど多くの被害者を生んだのか。政府、官僚、東京電力、そして住民。それぞれに迫った取材記者たちのリポート。

第1章 防護服の男
第2章 研究者の辞表
第3章 観測中止令
第4章 無主物の責任 
第5章 学長の逮捕 
第6章 官邸の5日間 
福島第一原子力発電所事故全記録


 たまに新聞紙面で読むのですが、本になってみるとちょっと感想がかきにくい一冊でした。
 導入部では事故直後の浪江町や近隣の状況。原発で何があったか、避難の必要があるのか、どこへ行けばいいのか。そういった情報を全く得られなかった混乱状態が書かれています。住民の方の不安はもちろんなのですが、むしろ「どこそこより遠いから大丈夫と思った」「避難指示外だったから安心していた」といった言葉に胸が詰まりました。

 中盤では原子力安全保安院や放射線の研究者たちの視点から見た事故と事故対応が書かれています。
 何故、避難の判断が間違われ、必要な情報が住民に伝わらなかったのか。放射能の影響を予測するシステムSPEEDIはなぜ生かされなかったか。特に、放射能観測の中止を指示され、独断でデータを集め続けたの気象庁の方の話は印象的でした。なぜ個人レベルの機転や意思に頼るしかない状況になってしまったのだろうか。

 そして後半は、中盤で描かれたもろもろが官邸からはどう見えたのか、です。当時の菅首相周辺の人材、情報量、指揮系統が、ひとことで言ってかなり貧弱だったことが書かれており、愕然としました。


 まだ一巻しか読んでませんが、掘り下げ方が物足りないと感じました。あくまで私の印象なのですが――。
 登場する関係者以外にも取材されてるはずですが、それがさっぱり伝わって来ない。住民向けの避難対策のようなものが事故前にあったのか。なかったのか。気象庁での観測が具体的な災害時対応につながる仕組みは。官邸と保安院の連携態勢(住み分けではなく)など、ジャーナリストの突っ込みどころではないかと思うのですが。
 文章は「だ・である」調で書かれても、背景や因果関係を追及する鋭さが感じられなければ、ドキュメンタリーとしては受け入れ難いのです。感想が書きにくいのはそのせいかも。

 しかし、そんなことを言っていても仕方ないので、欲求不満はひとまずそのままにして次の巻も読んでみます。
(2013.12.14)


「プロメテウスの罠 2
 ―検証 福島原発事故の真実― 」
学研パブリッシング
朝日新聞特別報道部

   プロメテウスの罠 2


ふるさとを追われ、いまだ帰還のめどがたたない被災者たちの苦悩、新たに発掘された事故の原因と背景などをリポートする。朝日新聞掲載のルポルタージュ記事の書籍化。


第7章 原始村に住む 
第8章 英国での検問
第9章 ロスの灯り
第10章 長安寺の遺骨
第11章 遅れた警報
第12章 脱原発の攻防 
福島第一原子力発電所事故全記録(2011/12〜2012/5)


 1、3巻と読み、遅れて2巻を読んでおります。
 もと東電社員の目から見た原発運営を書いた7章、核関連施設の誘致をめぐる住民と自治体の対立を追った9章、気象庁の津波警報発令とその影響を書いた11章が興味深かったです。
 8、12章はエネルギー政策や原子力産業をめぐる金の流れに注目した内容で、面白いのですが、今のところはまだざっくりとした読み方しかできてないところ。

 3冊読んで、このシリーズ自体をどう捉えて読んだらいいのかわからなくなりました。
 うまく説明できないのですが。内容としては、2011/3/11のあの地震と津波を0時点として、そこへ至るまでの背景にあった事柄と、0時点以降に広がっていった被害、二次被害、三次被害を追うという二種類の内容のシリーズのようです。(この巻なら、10、11が後者に、他が前者に当たると思ってます)
 私がとまどいを覚えたのは、まずその扱う事柄があまりに広範囲であること。今、新聞掲載分を見ると災害後の現地の司法について書かれているようで、それはあまりに広がり過ぎではないかと感じているのです(どうでもいいという訳ではないです)
 そして、3巻の感想でも書きましたが、やっぱり個々の記事の内容が浅いというか。きつい言い方をするなら、結論ありきの記述が多い気がして納得いきません。
 例えば、7章では原発の定期点検の手順の「いい加減」さを東電社員の視点から書いて問題視しています。それは一応わかるんです。でも、作業手順といった技術上の問題を云々するなら、定期点検以外の手順もチェックしたり、他の産業施設で取られる作業手順との比較もして欲しい。本当にただの「テキトー作業」だったのか否かを追及しきれていないと思います。

 ついでに細かい苦言をするなら、ごく単純な誤字には脱力したし、『去年』『今年』といった新聞掲載時の記述がそのまま書籍にされていることにもがっかりしました。カッコ書き等で年号を入れて欲しかった。このシリーズを書籍にして記録性を持たせる、という企図は朝日新聞社には無いのかもしれませんが。

 あの災害をおおまかに掴もうというシリーズなのかもしれませんが、それにしても5巻も出ている割には(2014年現在)内容が薄い気がします。続きを読むべきか迷います。
(2014.2.16)


「プロメテウスの罠 3
 ―福島原発事故、あらたなる真実― 」
学研パブリッシング
朝日新聞特別報道部

   プロメテウスの罠 3: 福島原発事故、新たなる真実


福島原発事故から1年以上が経過したが、いまだ16万人が自宅に帰ることができず、避難を続ける。一方で、原発を存続すべきか、廃炉へと向かうべきなのか、揺れ続ける国と自治体。日本人に原発事故は何をもたらしたのかを検証する。

第13章 病院、奮戦す
第14章 吹き流しの町
第15章 除染の悩み
第16章 カワセミ日記 
第17章 がれきの行方 
第18章 地底をねらえ
福島第一原子力発電所事故全記録(2012/6〜2012/10)


 2巻を飛ばして読んでいます。ですが、目次は1巻から通し番号になっているようです。ということは、内容も数章ずつ連携しているのか。やっぱり順番に読むべきだったかな orz

 一番読み応えあったのは、14章、福島県三春町の記事。
 町は安全なのか、何をするべきか――国や県から情報が出てこない中、放射能による被害を抑える安定ヨウ素剤という薬を住民に配る、独自の判断を下した町です。

 原発からは45kmと離れており、事故時の備えも知識もない、というゼロからのスタートで、たった二日のうちに薬を手に入れ、住民に行きわたらせた経緯が書かれています。
 原発周辺地域からの避難者を受け入れる中で薬の存在を知り、どうにか手に入れようとする。放射能に接する直前に服用する、という特別な飲み方をする薬だそうですが、通常は国や県の指示で服用することになっており、それを町が判断していいのか町長らは逡巡します。また、放射能拡散についての情報が得られない中、どうやって服用のタイミングをはかるのか、ということも問題に。

 しかし、町長と副町長の決断がなされると、現場の協力、工夫でどんどん進められていきます。
 いつ飲めば一番効果的なのかを知るために手作りの吹き流しで風向きをはかり、断片的に入る放射線量の情報をもとに時機が決められる。これは、1巻に書かれたSPEEDIが生かされなかった余波のひとつの状況です。
 そして、住民に無用の混乱を招かないために段階的に通知、薬を配布する。大勢の子どもたちに確実に服用させるために、国のマニュアル(机上の空論のような)をあえて無視した、という点に目を瞠りました。

 町の独自の判断は問題を起こす可能性もあったかもしれない。
 でも、すべての判断は「住民を守る」という点に尽き、それが職員一人一人の機転と着実さに支えられていた。助けのない状況では最高の決断だったのかも。


 その他、15章では、住民の目に見えない放射能への恐れと、具体的な除染作業を結びつけるための苦労があること。その一方で、環境省による除染技術公募の応募案件が、除染だけでなく再利用も包括していたために選にもれた、という冗談のような話も。役所の中でも、現場と中央ではずいぶん意識も違うのだろうと思いました。

 また、17章では瓦礫処理にまつわるお金の動き方にも驚きました。
 瓦礫の広域処理の是非はともかく、受け入れ先の募り方、住民同意の得方(というか説明姿勢)がいかにも役所仕事。何より、それを「広報」と位置づけて広告代理店と契約し、40億円も支払ったとは。さらっと書かれた業務報告書はいかにも商品をアピールする手法で――って、広告会社だから当然なのか。何か、ものすご〜く間違っている気がする。18章でふれられていた、一見「新聞記事」のような「広告」の手法も併せ見ると、考えさせられます。


 いろいろと興味深い巻ではありましたが、やはり1巻を読んだ時にも感じた取材内容への疑念は拭えません。

 1巻では事故後に都内で鼻血を出した子どもが複数いたことを、3巻では池に泳いでいた鯉に免疫不全らしい病気が見られた、と書いています。でも、どちらも原発事故との関連性をどれだけ疑えるのか。
 私はデータを扱い慣れた理系ではないけど、さすがに、たったこれだけの事例では因果関係を考える方が無理ではないのかと思います。少なくとも数十の同様の例があって、さらに事故前との比較がなければ、関連性は認められないのでは?
 原発事故とこれらの症状の間に関連性が無いとはまだ誰も言えませんが――でも、これが根拠ある記事だとは私には思えません。

 13章の医療支援、18章の核関連施設をめぐる取材は、おそらく2&4巻とつながるので割愛。
(2014.1.5)


5へ ← 読書記録 → 7へ
inserted by FC2 system