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ノンフィクション・伝記 7

 

「紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている」 早川書房
佐々涼子 著

   紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている


「8号が止まるときは、この国の出版が倒れる時です」―2011年3月11日、宮城県石巻市の日本製紙石巻工場は津波に呑みこまれ、完全に機能停止した。従業員の誰もが「工場は死んだ」と口にするほど絶望的だったにもかかわらず、工場長は半年での復興を宣言。その日から、従業員たちの闘いが始まった。震災の絶望から、工場の復興までを描くノンフィクション。

プロローグ
第1章 石巻工場壊滅
第2章 生き延びた者たち
第3章 リーダーの決断
第4章 8号を回せ 
第5章 たすきをつなぐ 
第6章 野球部の運命 
第7章 居酒屋店主の証言 
第8章 紙つなげ!
第9章 おお、石巻
エピローグ


 この本、奥付の前のページに、本の体裁が書かれています。

 本文:オペラクリームHO四六判Y目58.5kg(日本製紙石巻工場 8号抄紙機)
 口絵:b7バルキーA判T目52kg(日本製紙石巻工場 8号抄紙機)
 カバー:オーロラコートA判T目86.5kg(日本製紙)
 帯:オーロラコート四六判Y目110kg(日本製紙)


 本は読むけれど、装丁は気になるけれど、本文ページの紙のことなんて考えたことなかった。それがどこで作られているのか、ということも。
 1、2章では地震とそれに続いた津波を体験した人たちの当時の証言が、3章以降は甚大な被害を被った石巻市の日本製紙石巻工場の再建までが描かれています。

 あの日、津波が町を襲った時の様子が克明に語られていて、読みながら涙が出そうになり何度も本を閉じてしまった。
 まさか、あれほど大きな津波と思わずに逃げ遅れた人、車で逃げたために後ろにせまる津波に気づかず外からの人の声も聞こえずに水に飲まれた人。目の前で水に落ちていく人と這い上がって助かった人、それを見ているしかなかった人。いったいなにが生死分けたのか――そう考えた時、いくらかの教訓は別として、たぶんそこに単純な答えなど無いのだろうと思う。
 私自身は地震のあとしばらくの間、日常生活をこなすことにしがみつくばかりでした。その同じ時に、こうやって水の中にいた人がいたのだと考えると言葉もない。

 さて、後半は何もかもが泥をかぶり、電気も無い、人手も足りない中での工場復旧のお話になります。
 津波によって損壊した石巻工場は日本製紙の主力工場で、日本の出版用紙の約4割を担っていた。工場を再開できるかどうかは会社の事業計画、日本出版界の未来を左右し、また地元・石巻の町の復興がかかっていると考えられていました。
 もとよりの出版不況を思えば、このまま工場閉鎖そして出版業界が否応なく電子書籍への転換を迫られる事態も十分ありえる。しかし、震災後早々に復旧という目標を掲げた日本製紙本社の判断は多くの社員を奮い立たせることになります。

「半年後の業務再開」という目標は、当初現実味をまったく持っていなかったと書かれています。多くの社員が家、家族を失って寝食もままならない。塩水を被った機械を修理する難しさ、稼働したとしても「商品」として使い物になる紙が果たしてできるのか。人手もなし、電力もなし。この状況でどうして工場が再開できるのか、と門外漢の読者も不安にしかならないのですが。
 この難題に立ち向かった人たちがどれだけ製紙機を大切に愛情を持って扱っているか、「本」に対してどれだけ誇りと希望を抱いているかが強く伝わってきました。

「いつも部下たちに言っているんです。ワンコインを握りしめてコロコロコミックを買いに来るお子さんのことを思い浮かべて作れ、と。小さくて柔らかい手でページをめくっても、手が切れたりしないでしょう? あれはすごい技術なんですよ。1枚の紙を厚くすると、こしが強くなって指を切っちゃう。そこで、パルプの繊維結合を弱めならが、ふわっと厚手の紙になるように開発してあるんです」

 ああ、そういえばまんが雑誌の紙って他にはない特別な感触でしたっけ。他にも、文庫本の紙の色が会社によって微妙に違うなんて気にしたことなんてありませんでした。手近の文庫を見てみると、なるほど「赤みの白」「黄色み」とわかります。知らなかった。
 その後、しだいに復興が進む中で被災地ではあらたな問題が起こっていたことも書かれています。
 留守の店舗に侵入しての強盗、自販機荒らし、それを「何が悪い」と居直る人間もいたことなど。当時、現地に住む知人がtwitterを通して、こういう事件も起きているよ、とつぶやいていたのですが、多分私が考える以上に治安は悪かったのだろうと思います。

 また、もうひとつ印象的だったのは「死者の霊と会った」という人がかなりの数居た、という話。
 私自身はもともと心霊話は信じないのですが。少なくとも宗教者なり相当にスピリチュアルな才能の恵まれた人しかそんな経験はないだろう、いや、それもどうだか、という考えだったのですが。今回「もしかしたら、何かあるのかなあ」と考えました。
 実際のところ、複数の人間が証言している現象にはなんらかの事実が含まれていると捉えるのが妥当ではないかな、と。さて、どうなんでしょうか。

 人の手が機械を動かし、何かができる――そんな単純なことが、どれだけ多くの人の希望を支えているのか。震災後、いくつかの出版社から被災地へまんがを含めた本が贈られたそうです。それを見て、子供だけではなく大人たちも喜んだ、という言葉に少しほっとしました。

 この本の売上の3%は公益社団法人全国学校図書館協議会を通して石巻市の小学校の図書購入費として寄付されるそうです。
(2014.9.10)


「奇跡の脳」 新潮社
ジル・ボルト・テイラー 著  竹内薫 訳
 

   奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫)


原題「My Stroke of Insight」。脳科学者である「わたし」の脳が壊れてしまった――。ハーバード大学で脳神経科学の専門家として活躍していた彼女は37歳のある日、脳卒中に襲われる。幸い一命は取りとめたが脳の機能は著しく損傷、言語中枢や運動感覚にも大きな影響が……。以後8年に及ぶリハビリを経て復活を遂げた彼女は科学者として脳に何を発見し、どんな新たな気づきに到ったのか。

第1章 脳卒中になる前の人生
第2章 脳卒中の朝
第4章 静寂への回帰
第6章 神経科の集中治療室 
第7章 二日目 あの朝の後で 
第9章 治療と手術の準備 
第12章 回復への道しるべ 
第13章 脳卒中になって、ひらめいたこと
第14章 私の右脳と左脳
第16章 細胞とさまざまな拡がりを持った回路
第18章 心の庭をたがやす

回復のためのオススメ
附録A:病状評価のための10の質問
附録B:最も必要だった40のこと
脳についての解説


 リンクは文庫版へ。目次は抜粋です。「『自分』の壁」の中で引用されていて、気になったので読んでみました。 今年、上半期で一番面白かったかも!
 前半は脳科学者である著者が脳卒中におそわれた時の詳細な体験とリハビリについて。後半はこの経験が著者に及ぼした影響について書かれています。

 ある朝、目覚めた時に著者を襲った脳卒中。数時間の間に脳の中では何が起きていたのか。
 脳卒中というと「いきなり、ばったり倒れる」というイメージがあったのですが、そうとも限らないんですね。著者の場合は、着替えたり電話をしたりといった日常動作(苦労しながらですが)をしながら、だんだんと感覚や体の機能が失われていったようです。それが内側(?)からはこう見えるのか、と驚きました。
 電話で「病院で行け」と言われても、その言葉が何を意味しているのかわからない。「助けて」と言っているつもりが言葉になっていない。頭の中にたくさんの情報が詰まった引き出しがあるのに取り出すことができない、と譬えています。こんな状況で自分の状態を冷静に観察できることがすごいです。
 また、「自分の身体」を認識する領域に異変が起きて、自分の体と世界の境目がわからなくなった、と。

 わたしは自分を囲んでいる三次元の現実感覚を失っていました。からだは浴室の壁で支えられていましたが、どこで自分が始まって終わっているのか、というからだの境界しらはっきりわからない。からだが固体ではなくて流体であるかのような感じ。


 なんて不思議な体験なんでしょうかね。

 ところで、巻末には脳の機能について簡単な解説が載っています。
 右脳と左脳はその機能が異なる。右脳は一瞬ごとに流れ込んでくる情報のコラージュをつくり、全体像を把握する。一方、左脳はその情報を分類し、並べ替える。
 例えば、左脳は言葉を並べ替えて文章をつくり、右脳は言葉以外のコミュニケーションを解釈して左脳を補佐する。楽譜を読んで指使いと結びつけて演奏する時に左脳が使われ、即興演奏や耳コピーで楽器を奏でる時には右脳が活躍する。さらに、右脳と左脳は瞬間ごとに膨大な量の情報をやりとりしており、その集積として人間は機能している――

 ――こんなざっくり理解でいいのかな(汗)
 著者の場合、左脳に障害が起きたために右脳による認識が強くはたらくようになったらしいのです。例えば、入れ替わり立ち替わりやって来る病院スタッフやお見舞い客が『エネルギーの塊に見えた』など。想像するに、子供や赤ん坊は人の気分を敏感に感じ取りますよね。そういう感じなのかな。
 また、脳卒中の後に生まれた感覚――『頭の内側に居座った劇的な静けさ』、そして『世界との一体感』『精神的な安らぎ』について書かれています。

 頭の中でほんの一歩踏み出せば、そこには心の平和がある。そこに近づくためには、いつも人を支配している左脳の声を黙らせるだけでいい。


 回復するまでの私の目標は、二つの大脳半球が持っている機能の健全なバランスを見つけることだけでなく、ある瞬間において、どちらの正確に主導権を握らせるべきか、コントロールすることでした。



 この辺りは読む人によって受け止められるか否か分かれるところだろうな、と思いました。
「言語中枢の活動減少」等々という説明から一転、「慈愛、思いやり」と言われても、唐突に感じてしまう。右脳の働きが前面に出ることで平和や人類としての大きなもののとらえ方をした、といった言葉はスピリチュアルにすぎる気がしてしまうのです。

 ただ、ちょっと考えたのですが。
 文中でもふれられていますが、特に欧米社会で一般に左脳の働きを優秀、右脳を劣等と考える傾向の価値観があるために、うさんくさい、ということになってしまうのでは? つまり、もしかしたら著者の体験は驚くべき現実であるにも関わらず、それを表現する言葉の文化が追いついていないのかもしれない。

 このことは翻訳者によるあとがきでも触れられていました。

 本書は宗教書でもなければ神秘主義の本でもありません。れっきとした科学書であり、科学者の自伝なのです。むしろ、神秘体験にも脳科学的な根拠があることを自らの体験により証明したという意味で、本書はこれまでタブー視されてきた領域に果敢に科学のメスを入れたと評価できるでしょう。


 さて。この本は著者の自伝であり、同時に脳卒中患者の回復のためのアドバイスも書かれています。自分がして欲しかったことのリストが巻末にあり、著者が同じ境遇に陥った人を励まし、治療の役に立ちたいと願っていることが強く伝わってきます。


 脳は入ってくる刺激に基づいて「つながり方」を変えるという、驚くべき能力を持っていることがよく知られています。私たちは失われた機能を回復することができるのです。
 (中略)
 私は脳を、小さな子どもたちでいっぱいの遊び場のようなものだと考えています。キックベースをやっているグループ、ジャングルジムの中で動き回っている別のグループ、そして、砂場で遊んでいるグループ。違ってはいるけれど、似たようなことをやっているのです。
 それは、脳の中の異なる組み合わせの細胞がすることに似ています。もしジャングルジムが取り払われたら、そこで遊んでいた子供たちは帰ろうとしないで、他の子供たちと一緒になり、できることなら何でもし始めるでしょう。



 難しい解説もありましたが、人間の脳の不思議さを垣間見せてくれる本でした。
(2016.6.12)

 

「マイナス50℃の世界」 清流出版
米原万里 著  写真:山本皓一

  マイナス50℃の世界 (角川ソフィア文庫)


トイレには屋根がなく、窓は三重窓。冬には、気温が-50℃まで下がるので、釣った魚は10秒でコチコチに凍ってしまう―。世界でもっとも寒い土地であるシベリア。ロシア語通訳者として、真冬の横断取材に同行した著者は、鋭い観察眼とユニークな視点で様々なオドロキを発見していく。取材に参加した山本皓一と椎名誠による写真と解説もたっぷり収められた、親子で楽しめるレポート。

第1章 本日は好天。外はマイナス21℃
第2章 凍土のめぐみ
第3章 ヤクートでディナーを
第4章 さいはてのさらにはて 
第5章 酷寒の真実


 リンクは文庫版へ。
 大黒屋光太夫の足跡をたどるTVのシベリア紀行番組のためにロシアのヤクーツク他を訪れた取材旅行記。4章までは子供向けに書かれています。
 ヤクーツクは12月の平均気温はマイナス50℃以下。マイナス70℃を記録したこともあるという、地球上で一番寒い場所(北極よりも寒い)。取材班が到着したときには空港職員から「日本から暖かさを運んでくれましたね。今日はマイナス39℃。こんな暖かい日は久しぶり」と迎えられたそうです。

 ほんとうにこんな場所があるんだなあ、と茫然とするばかり。

 地面が凍結を解凍を繰り返すためにゆがんでしまった建物。解けないために滑らない氷。ビニールやプラスチックはこなごなに砕けてしまう。煙や車の排気ガスが凍って発生する「居住霧」におおわれて10m先も見えない町の写真は、ぼんやりと青白くて幻の世界のよう。
 また、飛行機はマイナス50℃以下では墜落の恐れがあるので欠航。「来年の春まで日本に帰れないかも」という冗談が冗談でなくなってしまいそうです。

 こんな壮絶な寒さの中、ヤクート人はヤクート馬を運搬や食用に活用し、夏は水路、冬は凍結して天然の橋と化すレナ川とともに生きている。住めば都(?)、寒くないと調子が出ない、という住人の言葉も紹介されていますが、想像を越えてます。

「(乾燥していて風も無い気候なので)モスクワやレニングラードのマイナス30℃よりヤクーツクのマイナス55℃の方がしのぎやすいんです。あちらの空気は湿気が多く風が吹くから、寒さが骨身にしみる」


 そ、そうですか。

 特に印象に残ったのは、4章の「ヤクート族の故郷は常夏の国」という一節。
 物腰やわらかく、物静かなヤクート人の言葉には罵倒する単語がほとんど無いらしい(ケンカはロシア語で)。また、オロンホという民族叙事詩によれば、彼らの祖先は「花が咲き、陽光がふりそそぐ地」だったといいます。

おそらく、かつて南国に住んでいたヤクート族は周囲の攻撃的な民族に追われて北上し、この極寒の地にたどり着いて定住したのでしょう。隣のブリヤート族に「ヤクート」すなわち「最果てのさらに果て」と呼ばれるこの地からは、もう誰も追いたてるものはいなかったのでしょう。


 ヤクート語はモンゴル系ではなくチュルク語系で、今のヤクートには居ないラクダや象を指す単語がたくさんあるのだそうです。
 言葉の中に民族の来歴を見つけるとは、さすがに言葉のプロの本です。
(2017.8.15)

 

「スポットライト 世紀のスクープ
   ― カトリック教会の大罪 ―
竹書房
ボストン・グローブ紙 <スポットライトチーム>編
有澤真庭 訳
 

   スポットライト 世紀のスクープ カトリック教会の大罪


原題「BETRAYAL ― The Crisis in the Catholic Church」。2002年1月、アメリカ東部の新聞『ボストン・グローブ』の一面に全米を震撼させる記事が掲載された。地元ボストンの数十人もの神父による児童への性的虐待を、カトリック教会が組織ぐるみで隠蔽してきた衝撃のスキャンダル。1,000人以上が被害を受けたとされるその許されざる罪は、なぜ長年にわたって黙殺されてきたのか。

序 文
第一章 ゲーガン神父の笑顔の裏側
第二章 隠蔽の循環構造
第三章 国中にはびこる虐待者たち
第四章 罪悪感に苛まれる被害者たち
第五章 全世界に波及するボストン・スキャンダル
第六章 失墜??教会に背を向ける人々
第七章 法律を超越した枢機卿
第八章 セックスと?と教会
第九章 変革の苦しみ
2015年版へのあとがき


 同名の映画を見ましたが、いい作品で背景をもっとよく知りたくて本も手に取りました。映画はグローブ紙の記者たちの地道な取材を追っており、本は取材で入手された文書や被害者の証言などで構成されています。

 2002年、アメリカの地方紙ボストン・グローブの報道記事によって、カトリック教会神父による児童への性的虐待の実態が明らかにされた。
 発端となったのは、司祭ジョン・ゲーガンによる信徒の子供への虐待事件だった。彼は過去にも同種の問題を起こしたにも関わらず、異動によって教区を転々とし、あらたな被害者を生み続けた。つまり、教会上層部は事実を知りながらそれを隠し、性犯罪者を子供たちの身近に置き続けていた。
 当初、ゲーガンはごく特異な例と思われた。だが、記者たちの調査が進むうちに同様の事件が多数あることが明らかになる。アメリカだけでも関わった司祭は数百人、被害者は500人以上。さらに、全世界のカトリック教会でも事件が報告されていたことがわかった。


 映画、そして本を読みながら茫然となるよりありませんでした。神父が子どもをレイプし、教会が組織ぐるみで隠蔽したというだけでも衝撃ですが、その人数にも驚く――どうしてこんなことが起き、どうして放置されていたのか。まったく言葉もない。
 何故、これほどの規模の被害が隠されていたのか? 被害者は子どもの将来や世間体を憚り、教会も事を公にはしたくなかった。被害を訴え出たケースでも弁護士によって両者が納得できるかたち、すなわち和解が勧められる。弁護士もそれなりの報酬を得て、問題は終わる――。

 ――この繰り返しだったわけですね。
「和解」であるがために問題構造がいつまでも放置されてきた、というのが何ともやりきれない。和解となれば公的に記録は残らず、被害者は秘密保持の契約に縛られて再び訴訟を起こすことはない。これは実質的に虐待司祭への保護処置なのです。

 また、地域社会で教会が特別の存在であったことも関係したのかもしれない。
 神父は無条件に従うべきもので、法律の外にある。神父の運転する車が少々速度違反をしても『ご注意申し上げる』程度。信徒にとっては神父が家を訪問してくれるのはこの上ない栄誉であり、ある被害家庭では神父のために専用の部屋を用意してあった、という。

「神様に言われたことに、どうして逆らえる?」

 これは映画の中の言葉ですが。こういう社会では神父を糾弾すること自体にそうとうな勇気が必要だったのでしょう。
 他にも法的な問題点として、子供への性的虐待の報告義務が課される職業から司祭が除外されていたり、もしバチカン大使館に記録が持ち込まれたら教会は外交特権でそれを隠蔽することができる、ということも指摘されていました。

 さて、当の教会側の問題といえば、これがあまりに複雑でまだまだ真相は闇の中だと感じました。

「これは大変な難問です。なぜ司祭たちが未成年者に対して性的な振る舞いをするのか。答えは"現代社会の反映"で片づけてしまうより、はるかに複雑なのです。原因はひとつじゃありません。司祭職は、権力があり忍耐強く清らかで生産的な文化であるとともに、深い深い闇の面を抱えていると理解せねばならない」
(元修道士:リチャード・サイプ)


 私も映画や本を読みながら感じたのは「何故、カトリック教会なのか?」「何故、男児の被害者が圧倒的に多いのか?」ということ。このあたりはけっこう重要な点ではないかと感じました。本の中の『強欲で常習的な、子供への性的虐待者はプロテスタント組織にはいないし、カトリック組織のように寛容ではない』、また『何世紀にも渡って教会は将来の司祭たちに性教育をしなかったし、教会文化の価値観はすべて男性中心である』という指摘には頷けました。
 この例がわかりやすいのですが、

「司祭や司教による性的行為に役員たちがあれほど寛容だったのは、男の子はいくつになっても悪さが好き、という空気があったためだ。霊的な友愛会――大学の友愛会に似ているが、ただし霊的なオーラが取り巻いている」
(元修道士:リチャード・サイプ)

「(自分は)性的嗜好が13歳のままなんです」
(元司祭:ロナルド・パキン)


 そして、もちろん教会を取り巻く俗世社会の変化も影響あったのでしょう。
 多くの学者が、カトリック教会の道徳的権威が本格的に崩れ出したきっかけは1968年にバチカンが人工的な産児制限に反対した頃だったと考えていること。また、1900年代中盤から「アメリカの教会ヒエラルキーの目標が、魂の救済ではなく、健全な収支決算をすることに変わった。司祭には神学や研究に割く時間はほとんどなく、ビジネスマンの実利主義、実践主義に変わってしまった」という指摘もありました。

 これは私の想像ですが、ちょうどカウンターカルチャーの最盛期で既存社会への対抗や性意識も大きく変わった時代であったこと、教会自体もキリスト教の教会一致運動(エキュメニカル運動)で変化の時期であったことも背景にあるのではないでしょうか。このあたりは自分への宿題。

 さて、事件が明らかになったことで、信徒社会には大きな動揺が走ります。
「神さまはもう僕を愛していない」と母親に話したことから虐待の被害がわかった9歳の子供。
グローブ紙の記事を読み、誰にも相談できなかった自分の体験を話したいと編集部に電話してきた200名以上の男女。
多くの信徒――子供から大人までが一様に傷ついた。
 直接の被害者はもちろん、そうでなくても自分が子どもの頃から慣れ親しんだものを糾弾しなければならないことでも信徒たちは深く傷ついたのだと思う。
 救いがあるとすれば、彼らによる抗議活動の結果、教会組織の中から自浄作用が生まれ始めている、ということでしょうか。

「うっそうとした暗い森で朽ちかけた木々が、火事の熾火でくすぶっている。数か月以内には灰の中から新しい命が現れる。灰色を背景にしみるような緑はいまだもろいが、少し経つと、完全な暖かい生命を宿した風景が現れる。<信徒の声>で潤ったカトリック教会、何世紀もの闇の中から、巡礼者の教会が再び芽を吹く」


 アメリカ社会にはいい意味でも悪い意味でもキリスト教が根づいているのだと強く感じたのは、ある被害者のエピソードでした。11歳の時にジョゼフ・バーミンガム神父にレイプされたトム・ブランシェットは、25年後にバーミンガムを訪ねます。

「『本題に入りましょう。私がここに来た本当の理由を言います。私がここに来た真の理由は、25年間あなたを憎み、敵意を抱いてきた許しを請うためです』
私がそう言うと、彼は立ち上がり、噛みつくように言いました。『なぜ、私の許しを請うんだ?』涙ながらに私は答えました。『なぜなら聖書に汝の敵を愛し、自分を虐げる者のために祈れとあるからです』と――」
 胸にパンチをくらったかのようにバーミンガムはくずおれたと、ブランシェットは言った。司祭は泣き崩れ、ブランシェットも泣いていた。


 その後、ブランシェットは司祭の死の数時間前にも再び面会し、バーミンガムのために祈ったそうです。

 教会の心ある人々によって、また信徒たちによって教会は変わりつつあるけれど、謎は多く残されている。記者らによる小さなスポットライトだけでは照らし出されなかった事がまだまだある、と感じさせるような、ずっしりとした読後感でした。
(2016.7.5)
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