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歴史・文化(アジア) 5

「消されゆくチベット」 集英社新書
渡辺一枝 著

   消されゆくチベット (集英社新書)


2008年の騒乱以降、チベット語教育への介入、無秩序な開発、言論統制など中国政府による弾圧は年々深刻化、文化や伝統を消し去ろうとする圧力はより一層強められている。だが、チベット問題は世界を覆うグローバル経済の面からも見る必要がある。長きにわたって現地を取材してきた著者が独自のルートでチベットの現況をルポルタージュする。

第1章 ドンを探しに
第2章 変容する食文化
第3章 ダワのお葬式
第4章 子供の情景 
第5章 伝統工芸の行く末 
第6章 「言葉を入れておく瓶はない」 
第7章 近代化の波


 チベットの友人やその家族、近所の人たちとの交流を深めてきた著者ならではの視点で書かれたチベットの風景です。
 野生のヤク「ドン」を探す旅では、自然の中で行動するための知恵やちょっとしたカンのようなものを持つ友人たちが印象的です。また、手作りのお香や手すきの紙をつくる職人を訪ねた章も面白かった。出来上がった布や紙を目にしたことはあっても、それを作る人たちの生の声を知ることができました。

 でも、その豊かなチベット文化はじわじわと締めつけられ、痩せつつある。その「締めつけている」主体とは何かと考えてみると、明快に答えられないことに気づく。そして、その複雑な背景に気づいて茫然としてしまいました。

 昔ながらの水車で挽かれたツァンパ、遊牧で育てられた牛の肉は、新しく作られた工場生産の低価格に太刀打ちできない。人々はどうしても安い商品に流れがちだ。若者はファーストフードも好きだし、ツァンパよりパンとコーヒーの朝食を好んだりする。
 こう書くと「何だ。日本でだってあること」と思ってしまう。実は私も、こういう変化はいいじゃないかと考える方だし、安くてスタイリッシュ(と感じる)なものを買えるのはいいことではないの、と思う。

 ところが、これを拒もうとしたとたんに、事態は一変してしまう――そこが、日本とあきらかに違うのだと思います。

 外国語を覚えれば就職の可能性も高くなるのはいいこと。だけど、自分の町で外国語でしか暮らせないとしたら困る。
 ベルトコンベアーの上で解体された安い食肉もいい。だけど、ちゃんと感謝の祈りを捧げて解体した肉が欲しい、と思ったら誰も育ててなかった。
 これではいかんから、伝統料理を食べ、着物を着て、母語を話す集まりを友達と開こうとする。すると、警官に見張られ、時に連行されてしまう、というのが、今のチベット。
 おかしなことだと思う。

 ちょっと、本の内容から逸れるのだけど。
 著者の講演や写真展にうかがった事もありますが、文章とおなじように凛とした佇まいのきれいな方。いつもチベットの好きなところを伝えることに真摯で、重苦しいニュースをことさらに語ったりはしない方なのです。
 なので、この本を一読して「一枝さんにさえ、こう語らせるか」と驚きました。すでに100人を越えた焼身抗議、50年前の文化大革命より厳しいといわれる弾圧。こういう話をこの著者が厳しい口調で語られるのは珍しいことだと思う。それだけ、現状が深刻なものなのだとあらためて感じました。

 なので、最後の一文の静けさが心にしみました。

 厳しい状況下でチベット人たちはなお懸命に文化を、伝統を守り抜こうとしているのだ。同じ時代に生きている私たちが、チベットの人たちから学ぶことは大きいと思う。
 どうか、チベットの友たちが、したたかに、しなやかに生き抜いていってくれるようにと祈ります。


(2013.6.2)

 

風刺漫画で読み解く 日本統治下の台湾」 平凡社新書
板野徳隆 著

   日本統治下の台湾 (平凡社新書)


大正から昭和にかけて、『台湾日日新報』に連載された日本人無名画家・国島水馬の傑作風刺漫画を題材に、デモクラシーと植民地政策の変遷、当時の台湾の社会・政治・風俗を読み解く。

序 「大椀」に乗り込んだ漫画家
第一章 大正デモクラシー・イン・台湾
第二章 富み、また悩みもする蓬莱島
第三章 震撼と共感の関東大震災
第四章 皇太子がやってくる
第五章 牙を剥く台湾
第六章 奇妙な台湾
第七章 メディアと便利さの狂想曲
第八章 大正デモクラシーの終焉


 日本統治下の台湾について、当時の庶民の日常生活から見たいと思って手にとりました。
 台湾で発行されていた新聞の風刺漫画を取り上げて社会状況を語った本です。とはいえ、新聞購読者の多くは内地からの日本人だったので、原住民族や中国系住民の意識を映しているとは言い切れないのですが。
(「台湾原住民」は17世紀頃の福建人移住前から居住していた先住民族の正式な呼称。中国語の「先住民」は「すでに滅んでしまった民族」という意味のため台湾では用いられない)

 何なのだろうな、この無邪気さは――と、まず感じました。
「大椀」に乗り込んで水平線を目指す大人と子ども。内台人の結婚を「台湾のお雛様は生きている」と誉める。花街を歩く男たち。原住民の反乱を表す仔猪をつまみ上げて眺める警官。
 漫画の笑いを誘うタッチや反語的な表現を斟酌しながら読むのですが、それにしても「無邪気」。無神経、活気、前向き、残酷さをひっくるめた「無邪気」。そういう雰囲気の時代だったんだろうか、大正って。

 明治政府は、日清戦争後に日本に割譲された台湾に多額の金をつぎ込んでインフラ開発を進めます。フランスへの売却という声もある中で事業が進められたのは資源目的なのでしょうが、別の心理もあったのかもしれない、と感じました。
 紹介されている漫画には、内地を大人、台湾を子どもになぞらえた画が多くあります。良くも悪くも「子ども扱い」というのは穿った喩えかもしれない。国家予算の四分の一強をつぎ込んで「育て」、労働で大人を手伝わせ、教育する。税制で優遇されているのだから、地方自治など問題外。子どもが偉そうなことを言うな、というところでしょうか。

 思えば、台湾は日本が初めて持った植民地なんですね。そこをきっちり経営するのは国際社会での面子に関わることでもあっただろうし、日清、日露戦争と続く時期、外国に支配されることを恐れる空気があって「まず、一勝した」と考える人たちもいたんじゃないだろうか。また、当時の日本人の頭の中には4、50年前の自分たちの姿が残っていたのかも、とも思いました。進んだ文化や学問を学んだからこそ、今の自分たちの成功もある。だから台湾もそうしたいはず、と。

 脱線ですが、真珠湾の攻撃合図の電文「ニイタカヤマノボレ」。台湾の山なんですね。知らなかった。富士山よりも高く、なので当時は「日本の最高峰」だったんだ。

 しかし、内台融和という甘いスローガンは、やはり日本内地に向けて甘めにできていたんでしょう。その齟齬はやがて原住民族の反乱というかたちで日本に牙を剥いてくるのです。

 原住民族を蕃人と呼んだのは、清朝での呼び方に倣ったもの。皇太子
(のちの昭和天皇)が台湾行啓後に「それでは、あまりの呼び名」と言って「高砂族」と名付けたそうですが、いくら名を変えても現実には蕃人は差別の対象に他ならなかった。
(またも話がずれますが。「理蕃」も清朝の理蕃院から来てるんでしょうね。明治以後の政府組織はドイツあたりに倣ったと思っていましたが、やっぱり清朝の影響もしっかりあったんですね)
 日本に友好的な「味方蕃」、敵対的な「敵蕃」と呼んで区別し、互いの抗争を煽っていたことを表した漫画もありました。警官が花見の番外(蕃害)余興として原住民同士の剣試合を仕切る、と。辛辣な漫画です。

 やがて、大正から昭和へと移って戦争が近づいてくると、内地では軍部が力を増してくる。中国とつながりのある台湾への締めつけは厳しく、「内台融和」にかわって皇民化運動が盛んになり、検閲のために漫画の風刺も鋭さを失っていきます。大正デモクラシーのおわり、というわけです。

 他の歴史の本とは切り口が違うのが面白いです。
 ただし、新書だけに肝心の漫画の図版が小さくなってしまっているのが惜しい。また、著者の近代日本史観がにじみ出ていて、私の好みではないです。親というなら、子の教育にどれだけ金を使って育ててやった、などとは言わないものでは。
(2013.8.10)

 

「図説 台湾の歴史」 平凡社
周婉窈  著  
濱島敦俊 監修・翻訳  石川豪、中西美貴、中村平 訳

   増補版 図説 台湾の歴史


台湾の歴史を、中国漢人史の一部ではなく、先住民も含めた多様な民族からなる台湾人の歴史として描き上げた。多彩な図版を掲載し、歴史を固定的で単線的な物語ではなく、現在に想起すべき多様な記憶の場として再現することに成功した。台湾初版未収録の「戦後篇」に加え、日本統治時代の台湾の政治・文化運動も増補し、日本統治と東アジア現代史の連関について、さらに深く省察した一冊。

本篇 先史時代〜1945年
第1章 誰の歴史か?
第2章 先史時代の台湾
第3章 先住民とオーストロネシア語族
第4章 「美麗島」の出現 
第5章 漢人の故郷と移民開墾社会 
第6章 漢人と先住民の関係 
第7章 日本統治時代――天子が代わった 
第8章 二大抗日事件
第9章 植民地化と近代化
第10章 知識人の反植民地運動
第11章 台湾人の芸術世界
第12章 戦時下の台湾 

戦後篇 ポストコロニアルの泥沼
第1章 ニ・二八事件
第2章 「白色テロ」の時代
第3章 党国教育
第4章 民主化、歴史記憶、私たちの道のり


 台湾の、日本統治時代以前を知りたくて手に取りました。
 オランダ人(東インド会社)、清、日本、そして国民党政府による統治。権力者が替わるたびに台湾は何を得て、何を失ってきたのか。それが時代ごとの章立てで簡潔にまとめられ、豊富な写真図版で直感的にわかるようになっています。これは面白い。

 一冊を通して通奏低音のように流れているのが「台湾は誰にとってのどんな地だったのか。誰の歴史なのか」という問いかけ。時代によって「台湾」の捉え方は異なる。さらに、先住民、清朝時代からの移民漢人、終戦後に大陸からやってきた漢人など立場によって、また日本統治下に育ったか否かなど世代によってすら異なる――。いまの台湾がどれほど複雑な背景を持っているかを知って驚きました。

 断片的ですが、印象に残ったこと。
 ひとつは、清時代にやってきた移住漢人が「未開の広野」が開墾したが、そこは先住民にとっては「豊かな狩場」であり、生活の手段であったこと。清朝は台湾への移住を厳しく制限したり土地売買を禁じていたにも関わらず、それをかいくぐる商売がなされて先住民の土地が次々と移住者に奪われていった様子が書かれていました(まあ、単純に奪ったことも多かったらしいのですが)。
 アメリカの西部開拓と同じような構図ですが、清朝の「番地保護政策」の失敗の結果と捉えて語られているところが面白いと思いました。清が最大の版図を誇った乾隆帝時代以降、政府の力が衰えていったことと関連していると考えていいのかな。

 もうひとつは、日本の統治について。
 近代化と植民地化というコインの裏表のような開発、同化政策がとられていたのは確か。でも、その目指したものが「日本化」と言い切れないところが面白い。
 町並みは西洋風に。服は和服でなく、洋服が広められた。教育も司法制度も従来の台湾のもの(慣習や言葉)を性急に握りつぶすのではなく、変化をゆるやかに受入れられるように行われたこと(末期には日本語使用の強制や皇民化運動などあったが、少なくとも前〜中時期では改革は時間をかけて進められていた)。
 著者は「日本化」というより「小型の明治維新」行われた、と考えています。私も他の本を読んで、明治維新の体験が日本の植民地経営の下敷きになっているかもしれない、と思っていたので興味深かったです。

 さて、そうして台湾に播かれた種は日本統治が終わったあとも芽を出して、戦後台湾の歴史に影響を与えていきます。
 日本の敗戦後、台湾は中華民国に委ねられ、多くの台湾人は大陸・中国からの国軍を歓迎。しかし、じきにそれは失望に変わります。日本人の規律に慣れていた台湾人には、国軍兵士のだらしなさや横暴が我慢ならず、加えて貨幣制度の混乱、物価高騰、治安の悪化が民衆の不満を招く。それが爆発したのが2・28事件。制圧の中で、国の未来を支えられたであろう多数の知識人が命を落とします。

 この時期の混沌とした様子は読んでいて言葉もないです。
 国語が突然北京語に切り替えられてしまったため、日本語教育を受けた世代は唐突に文盲にされてしまう。多くの人が「光復
(失われていたものの復帰の意。日本から中華民国統治になり、中華民族の支配域に戻ったことを示す)」という漢語の意味すらわからず、「コウフク=降伏」と思っていた。
 さらに、1949年には共産党との内戦に敗れた国民党政府が台湾に居を移してくると、政府によって反体制派(と疑われた人々も含めて)への弾圧が長く続き、台湾の民主化は大きく遅れてしまう。大陸での国共の勢力争いがそのまま台湾に持ち込まれたわけだし、もっと言うなら背後にアメリカの都合が散見できる。ほんとうに台湾は外からの支配や紛争に翻弄された土地だったのだとわかります。
 1980〜90年代にかけての民主化運動の際には、日本統治時代の反植民地運動や選挙経験が基となるのですが、これもまた外からの支配の影響だと考えると複雑な思いがします。

 少し話が戻りますが。日本統治時代に台湾が日本国憲法の効力外だった、というのは意外でした。そこで日本内地と同じ権利を求める、つまり実利を求める考えもあれば、あくまで植民地の地位に甘んじて、それによって台湾のアイデンティティを保とうという考えもあった。台湾の地位向上を求めた人々がこのような二つの考えに分かれていたことは、今のチベットと共通する難しさを感じて興味深かったです。

 この本の中で、著者は台湾が外からの支配を受け続けたために人々が自国の歴史を学ぶことがなく、また歴史研究が専門家のもので一般に広く知られなかったことも、台湾人アイデンティティの弱さとなっていると繰り返し語っています。
 失われたのは時間だけではなく、知識も言葉も誇りもなのだ、ということが強く伝わってきました。


 とりとめなく考えさせられたのですが。
 twitterなど眺めていると、右寄りの人の中によく「台湾は親日」「インフラ整備や教育を行ったことについて、台湾は日本に感謝している」などと言っている人がいる。ある部分では真実かもしれないけれど、そこだけを取り出して語るのは大きな間違いだと思うようになりました。
 確かに、台湾が得たものもあるのだろうけれど、そのかわりに何が失われたのか。それを取り戻すために、どれだけ苦汁をなめているのか、それを想像したら、そんなことは言えるわけがない(そもそも「自分で言うな」という類のことではありますけどね)
 著者のこんな言葉を読みながら良いことも悪いことも、事実としてだけ受け止めるのは、どうして難しくなってしまうんだろうか、とため息をついたのでした。

 台湾人(漢人、先住民ともに)は過去100年間、台湾先住民族の歴史と文化を学ぶことができなかった。社会大衆に台湾先住民族についての系統的な理解がないことは残念なことである。
 (もし、これが教授されるなら)漢人の先住民に対する理解が深まり、尊重する気持ちも深まるに相違ない。また、先住民も、自己の歴史文化に自尊心を持つことができるだろう。


(2013.9.5)


「現代台湾を知るための60章」 明石書店
亜洲奈みづほ 著

   現代台湾を知るための60章【第2版】 (エリア・スタディーズ 34)


アジア太平洋各国に様々な影響を及ぼしてきた台湾。著者の台湾留学から、その後の断続的な現地取材を通じて得た事象をたいせつに「現代・台湾」を紹介する。

T 国際関係 ― 国際社会の荒波のなかで
第4章 それぞれひとつの国? ―台湾海峡両岸関係
第8章 美麗島を通りすぎてゆく外部勢力 ―前近代の外来政権

U 政治 ― 民主化時代の主体台湾
第9章 ブルー陣営、グリーン陣営 ―二大政党政治時代
第11章 台湾か? 中華か? ―揺れる国家的アイデンティティー 
第14章 対中路線 ―反中でも親中でもない「和中」

V 経済 ― 先進工業国の横顔
第15章 アジアNIESの優等生 ―安定成長時代を迎えた貿易大国 
第23章 バイオテクノロジー革命  ―胡蝶蘭の生産、世界一

W 社会 ― 重層的な多元社会 
第28章 亜熱帯気質のなごやかさ ―ゆとりと緑の地
第34章 高齢化社会 ―家族扶養の原則
第38章 先住民のエスニシティ ―過去形でなく個性として

X 文化 ― 充実したコンテンツ
第44章 中華文明の変容 ―漢民族の台湾化
第48章 信仰というヒーリング ―現代に息づく民間信仰 
第51章 自然派志向 ―黒髪素肌美人のみずみずしさ

Y 芸術 ― 美の宝庫 
第55章 国際映画祭受賞 ―ポスト「台湾ニューウェーブ」時代の世界進出
第56章 近代絵画の台湾風情 ―「我々の美術」とは何か


 目次は主なもののみ抜書きです。私が読んだのは初版かもしれません。上のリンクは第二版に飛ぶようにしたので、若干内容が違う可能性もあります。

 今の台湾について、政治、経済、文化等をざっくりと知りたくて読みました。前に読んだ「図説 台湾の歴史」より後の年代が対象で、複雑な近代史の影響が様々な面から語られています。
 面白いと思ったのは、その文化に現れていると著者が語る「南国気質」、そして歴史から見て当然なのかも知れないけれど「独立独歩の気風」でした。

 旅行中に見かけた人たちを思い出すと、おおらかさ、逞しさ、「丸みを帯びた性質」という著者の形容にはなるほどと思ったり。そんな気風がにじみ出る工芸品や彫刻はぜひもっと見てみたいと思いました。次の旅行の目標決まり(笑)
 しかし、政治、経済を扱った章では、穏やかに流れるだけでないしたたかさも強く感じました。
 大企業や財閥企業より中小企業志向、花や茶栽培、機械部品の製造など得意分野に集中した経済政策は興味深かった。国際経済の中での立ち位置を意識しているらしいことがわかりました。

 それにしても、言語、政治、歴史、芸術とこの本のどこを開いても同じ問いかけが繰り返し、繰り返し立ち上がってくる――台湾とは何か、中国とはどこのことか。こういう問題は台湾アイデンティティの模索というだけでなく、未来への疑念や不安にもつながりがちなのでは、と想像してしまうのですが。
 でも、この問いかけがなされているうちは、台湾は台湾であり、中国とは別個の国であり続けるだろうと感じました。

 1990年代に掲げられていた「(大陸中国と)統一せず、独立もせず、また武力行使はしない」、つまり『〜しない』という現状維持戦略は今はどう考えられているのか、興味があります。
 こういう方向性って、政治センスが成熟してないと選択できないと思うのですよね。市民レベルの政治意識も高いようで――ある意味、今の日本よりもはるかにまっとうな国じゃないだろうか。ちょっと、うらやましく思ったりもする。

(2014.5.15)


「図説 台湾都市物語」 河出書房新社
後藤治 監修  王惠君・二村悟 著

   図説 台湾都市物語 (ふくろうの本/世界の歴史)


台湾では日本統治時代につくられた建造物が多数現存し、当時の歴史を今も語っている。台湾総督府、台湾総督官邸、台北帝国大学、台中駅、台南庁庁舎、高雄駅、三井物産等、統治時代の建物を紹介する。

第1章 台湾小史
第2章 台北とその周辺の歴史
第3章 台中の歴史
第4章 台南の歴史 
第5章 高雄の歴史


 台湾は先住民時代、オランダ、スペインによる統治時代、鄭成功一族、清朝、日本統治時代を経て、戦後は中華民国と複雑な歴史を持っています。その変遷を各地に残る建築物を紹介しながら辿る本です。
 70を越える建物が紹介されていて、次に行く時にはどこを見ようかと楽しく読みました。ただ、解説が建築様式、工法などに文量を割いているので、建築に興味がないとちょっと読みづらい。一方で、専門家が読むには簡略すぎるので、中途半端な一冊なのかもしれません。

 興味がわいたのは、台北の北投(ベイトウ)。清朝末期に温泉地として開かれ、日本統治時代に温泉宿や交通インフラが整備されたそうです。当時の浴場の建物が温泉博物館となっているのですが、まさに大浴場といった感じの大きい湯殿が日本と少し違っていて面白い。

 あと、台南にある鳳山城址の城壁。清朝統治時代のお城はもう無いようですが、城壁といくつかある門は保存されています。それ自体がお城かと思うような分厚い壁。銃眼などどこか西洋の城と似ているようにも見えるのです。

 また、建築そのものではないのですが、台湾の発展には茶葉の生産が大きく貢献しているようです。お茶の生産地も見てみたいなあと思いました。
(2014.10.18)


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