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歴史・文化(日本) 2

「昭和天皇の履歴書」 文春新書
文春新書編集部 編

   昭和天皇の履歴書 (文春新書)


明治以降、日本が近代化を遂げる中、皇室についての考え方、そのあり方も変化してきた。明治34年の誕生から昭和20年(44歳)まで、昭和天皇・裕仁の人物像を描く。


 ドラマ「坂の上の雲」を見たり、清やら満州についての本を読むうちに、日本の近代史もちゃんと知らなきゃいかんと思って、私には珍しい本を手に取りました。年配の方から聞く戦時の話のせいか、自分が受けてきた教育のせいなのか――天皇制に私はいいイメージを抱いたことがなかったので、かなり新世界な読書でした。

 毎年の社会の出来事とともに一人の人間の成長を追う、という構成はわかりやすく興味が逸れることなく、面白かったです。

 (私にとって)意外だったのは、明治時代の皇室がずいぶんおおらかに思えたこと。
 上野で開かれた博覧会へ数回足を運ばれたり、貞明皇后が「明治時代に葉山ではわずかな警官だけしか居ずに散歩を楽しんだ」と回想されたなど、のちの時代ほど警備がものものしくなかったのですね。

 また、天皇の幼少時代からの教育方針が「わがまま気ままの癖をつけない」など質実なものであったこと。
 東宮時代、東洋史学者・白鳥庫吉による歴史教育が神話と学問を混同しないものであったことも初めて知りました。
あまりよく知りませんが、敗戦までの一般的な歴史教育は「天照大神の建国」「日本は敗戦したことがない」だったのですよね。いつ、どこからこういう教育が始まったのでしょう。

 大正末になると普通選挙の成立など、近代的な国家づくりがさらに進んでいきます。
 しかし、政権をめぐる足の引っ張り合い、軍と内閣の力関係が変化する中で、しだいに天皇が政争の道具として利用される場面が増えてくる。太平洋戦争へ、日本が坂道を転がるように突き進んでいく間にも、天皇の君主としての立場は曖昧になっていく――ある面では神聖化され、ある意味では祀り上げるだけの存在になってしまったようでした。

 天皇が「しばしば軍の暴走へ懸念を表し、予見の甘さを指摘していた」、「開戦時には既に戦争を終わらせるための手段を考えていた」という逸話には唸ってしまいました。英明とはこういう立場の方に使う言葉かな、と。
 もっとも、戦況を見る目、戦争終結の機会をうかがう思考はあくまで「君主」のものだとも感じました。

 そういえば、「天皇は専制君主ではないから、議会の決定をくつがえすわけにいかない」という論理がたびたび出てきました。国のかたちも運営(?)の方法もまだ手探りだった近代化途上の日本で、この考え方は正論ではあったのでしょうが。
 もたらされるものと弊害とどちらが大きかったのか、と後の時代の者は思ってしまうのでした。

「次第に政府や軍部の決定に『不可』をいわぬ『沈黙する天皇』をみずからつくりあげていく。そして、歴史はそのときから、ぐんぐんと『不可』をいわぬ天皇の名のもとに、あらぬ方向へと日本帝国を押しやっていくのである」(半藤一利 P202)


 著者、編者によってさまざまな意見があるのが近代史だと思うので、他の本もいくつか読んでみようと思います。

 面白い本でした。ただひとつだけ不満だったのは、太平洋戦争の敗戦、つまり天皇の人間宣言までであること。人物を描く本であるのに、何故そこまでで止めるかな。
(2011.5.18)

「天皇家の宿題」 朝日新書
岩井克己 著

   天皇家の宿題 (朝日新書)


皇室が支えてきたものは何か。また、昭和、平成の皇室が背負ってきた問題とは何か。皇位継承にまつわる議論のあり方とは。朝日新聞・社会部の宮内庁担当として長年取材を続けてきた著者が問題提起する。

 序章  「昭和」の残影
 第一章 「平成流」の奥行きと危うさ
 第二章 失われた声 
 第三章 伝統とは何か
 第四章 東宮よ
 第五章 皇位継承問題
 終章  親王誕生



 戦後の昭和天皇の本を探したはずなのですが、成り行きで平成の話になってしまった。まあ、いいか。

 著者は新聞社の宮内庁担当記者なので皇室の内情や周辺事情に明るく、「そんなこともあったのか」という話や、一般にあまり知られていない宮中祭祀の意味なども書かれていて面白い。
 一方で、あとがきにもあるように、何をどう推察しても詰まるところの事実は菊のカーテンの向こう、という特殊な事情があるわけで。少し、すっきりしない気持ちも残りました。

 一番興味深かったのは、継承問題についての章。親王誕生以降はあまり新聞などでも見なくなった「女系天皇」の是非については、もっと調べてみたくなりました。
 これまでこういう話題に興味がなかったので「女性の天皇でもええやん」と漠然と思ってましたが……女性天皇と女系天皇って、まったく意味が違うのですね! 皇位継承の系譜を女性(母方)で繋げる「女系天皇」を認めるか否か。これには、著者は慎重な立場をとっています。
 古来の皇位継承や宮中祭祀の思想(第三章)も踏まえて深い議論をした上で、そして多くの人が持っている、上の私のような誤解(笑)を正した上で国民に問うべき、という意見には頷くばかりでした。

 そして、継承問題や皇室行事についてまわる「政治との距離」をいかに保つか、という話もありました。
 天皇の権威が「顕教と密教」(出典「現代日本の思想」久野収・鶴見俊輔)というキーワードで語られ、それが旧・憲法下と現行・憲法下では逆転しているのでは、という意見も興味をひかれました。(顕教と密教は仏教用語だと思っていたので、ちょっと言葉の意味にひっかかってしまいましたが)
 戦後、象徴としての天皇像を作りあげてきた昭和の皇室。そして、そこからはずれない限りにおいて国民に対して働きかけようとする平成の皇室。そして、その先はどうなるのか。確かに気になりますね。

 著者の、記者という立場のせいか。皇室の権威が政治へ浸食していくことを恐れる文脈が目立ちました。それはそうだな、と私も思ってます。ちょうど最近「君が代」の扱い関する記事も見るので、気になります。
 でも一方で、継承権に関する有識者会議にしろ、皇室バッシングにしろ、そもそも問題の原因は皇室の外にある気がしました。書名、違いません?(笑)
 だいたい、最近の政治を見ていたら、他の存在に縋りたいと思ってしまう気分もどこか理解できますし(爆)

 ああ、こんな文章をネット上にあげていたら、怖い人たちが来そうで嫌だー。主張や延々議論はよそに場所を見つけてくれますように(祈)
(2011.6.16)


「皇室外交とアジア」 平凡社新書
佐藤孝一 著

   皇室外交とアジア (平凡社新書)


戦後、天皇が日本の象徴となり、実権を持たないにも関わらず、皇室の外国交際が日本の外交に与える影響は大きい。おもにアジア各国への皇族の訪問がどのように受け止められ、報道されたかを通して「皇室外交」について考える。

 第一章 宮内庁の戦略と皇室外交
 第二章 明仁皇太子の東南アジア諸国訪問 
 第三章 昭和天皇崩御:アジアの新聞報道
 第四章 明仁天皇のアジア諸国訪問
 第五章 徳仁皇太子・文仁親王のアジア諸国訪問
 第六章 皇室外交とアジア



 皇室を語れば、どうしても戦争責任の話から離れることはできない――というわけで、昭和、平成の天皇像とアジアのことを考えてみたかったのだけど、ちょっと物足りない本でした。

 アジア、と一口に言っても、いろんな国がある。大戦中の日本との関わり方、国の制度(王政であるか等)、国内にどんな文化をもつ民族がいるかによっても、日本への見方が違う、ということはよくわかりました。
 でも、わざわざ「アジア」と限定した本なのに戦中・戦後の昭和天皇の話はあまり無いし、次世代(今上天皇)、次々代(皇太子)の外国訪問についても、日程などの表面的な話ばかりで少々退屈してしまいました。

 著者は、皇室の外国交際は、政府と異なる次元の外交が可能であることから、これをうまく利用しない手はない、という意見のようなのですが。そのわりには、政治との連携について何も語られていないのが物足りなかったです。せっかく本を書いたんだから、夢を語るつもりで話してくれてもいいだろうに。何をどう遠慮してるんだろう??
(2011.6.30)

 

「女帝の歴史を裏返す」 中公文庫
永井路子 著

   女帝の歴史を裏返す (中公文庫)


女帝は男性天皇の中継ぎではなく、実権を持ち、大きな改革を行っていた。8人の女帝の功績を通して従来の男性中心の歴史観をくつがえし、時の権力者たちの素顔に迫る。

 推古天皇――御存じですか、東洋最初の大女帝
 皇極(斉明)天皇――大工事の謎を残して
 持統天皇――栄光と悲劇を一身に
 元明天皇/元正天皇――女帝にとって遷都とは
 孝謙(称徳)天皇――恋に生き、愛に死し……
 明正天皇/後桜町天皇――「マサカ」の出現、両女帝



 女性天皇の話を読みたいな、と思いつつ、日本史はほんとうに中学校以来ご無沙汰なので、とっつきやすい本を探してみました。カルチャーセンターでの講義をもとにまとめられていて、わかりやすい。これは、面白かったです。

 妻問い婚が一般的だった古代では、現代から考える以上に女性の権力は大きく、後継者指名にも母方の血筋が重要視されたのではないか。古代の天皇たちも例外ではなく、皇位継承をみると蘇我家の血が受け継がれていく、と捉えることもできる。藤原氏の描く歴史である「日本書紀」を鵜呑みにするのではなく、さまざまな出来事を家系図や年表とともにつぶさに見ていくと、これまでとは違う古代の姿が見えてくる――。

 こんな感じの内容でした。

 推古から持統天皇の時代にかけて、蘇我と藤原氏の政治的な攻防が垣間見えるようで、わくわくしました。
 皇極天皇の話が特に面白かったです。日本書紀だけからはわかりにくいけれど、皇極、その母である吉備姫王が蘇我の血筋であることに注目。そうすると、その子供である天智・天武天皇時代の皇位継承をめぐる出来事にも、さまざまなドラマが見えてくるのでした。

 また、男性優位の社会価値観が浸透する前の時代にはけっこうな数の女性天皇がいて、その在位期間が長いこと、また譲位や再祚(一度退位した天皇が再び位に就くこと)、皇太子を定める、など制度上の大きな変更が女性天皇の時に行われたということが面白かったです。
「天皇家の宿題」では女系皇位継承に慎重な意見が書かれていました。あちらが、祭儀の意味を中心に組み立てられた意見なら、この本に書かれているのは、古代社会の習慣から見た天皇制の一面なのかも(特に継承について述べた本ではありませんが)

 著者は戦中・戦後の歴史教育の激変を体験されていて、それだけに勝者や体制の語る歴史の危うさを鋭く追及する目を持たれているんですね。
 これはあくまで「作家」として見た歴史だと書いておられますけど、フィクションではなくて、こういう事実も十分ありえた、と思わせるお話ばかりでした。
(2011.7.15)


「一万年の天皇」 文春新書
上田篤 著

   一万年の天皇 (文春新書)


男系でもなく、女系でもなく、日本文化としての天皇は「双系原理」である―縄文以来、一万年という単位で、日本文化と天皇を根底から捉え直した、壮大なる試み。

 はじめに ―日本文化としての天皇
 1 日本の自然はどういう人間を育てたか ―「流離う男」と「待つ女」
 2 「待つ女」がなぜ巫女になったか? ―自然の観察から予見へ
 3 「ヒメ・ヒコ」はどういう国家をつくったか? ―アマテラスの「稲作国家」
 4 ミカドがなぜ「恋の歌」をうたうか? ―ヒメになったヒコ
 むすび ―千の「特殊文化」を育てよう!



 先に言ってしまいますが、あまり本の感想になってませんので、あしからず。あらすじも密林からのもらいものです。

 図書館でぱらっと前書き(はじめに、ですね)を見て惹かれたので、借りてきました。
 曰く、

「庶民は天皇制が何であるかを知りたいと思っている」
「古代以来の天皇は豪族に政治を任せて、作物の豊穣や国土の安寧を司る巫女の役割を果たした」
「日本国家は、天皇という空っぽの空間を囲む輪であり、それを運営するのが日本の民主主義だった」
「天皇は巫女・ヒメであったが、明治維新以後、髭をたくわえた軍人となってしまった。これは、ヨーロッパの皇帝のコピーだ」

 ね。面白いですよね。

 日本が実権を持つ政府(幕府)と天皇というふたつの頂点を持つ、二重構造社会という考え方は他の本でも見て、なるほどと思いました。江戸時代の庶民と天皇の関係とはどんなものだったのか、「鬼平犯科帳ではわからんなあ」と常々思ってたし。
 明治・大正・昭和(敗戦まで)の軍服姿の天皇像と、百人一首で「君かため春の野に出てわかなつむ……」などと言ってる天皇像をどうやって同列線上で捉えればいいんだろう、と考えていたので、わくわくして本を開きました。

 ……………………

 …………

 多分、私の勉強不足も悪いのですが。
 ここまで「わたくしの解釈」を滔々と語られると、どう読んだらいいのか困りました。

 縄文時代からの女系原理の巫女制としての天皇制から話が始まるとは、ちょっと遡り過ぎでは。時代下って現代の天皇制、現代の日本社会まで語るのなら、せめて天智天皇くらいからでないと説得力に欠けると思うのです。

 日本人の食生活は自然のマナを食べる精神、とか。大型哺乳類の狩の時代が終わると定住が始まって母系社会を形成とか。唐突に言われても、素直に受け入れられません。
 また、ヒメ・ヒコ制として12世紀の沖縄の王朝とかオナリ神信仰が例にあげられていますが、その頃に「私、日本人」というアイデンティティが、沖縄にしろ九州にしろ本州にしろ、人々にあったとは思えないので、どれだけ関連があるのかと疑問を抱いてしまう。

 まえがきは面白かったです。すみませんが、内容はパスしたい。
(2011.7.30)


「天皇の宮中祭祀と日本人」 日本文芸社
山折哲雄 著

   天皇の宮中祭祀と日本人―大嘗祭から謎解く日本の真相


神との共寝共食の秘儀・大嘗祭こそが天皇制を支える秘密装置だった!天武朝以来、連綿と続いてきた天皇制の核心を宮中祭祀から解き明かす―。

 序章  世界の中の象徴天皇
 第一章 皇位継承の意味するもの
      大嘗祭は皇位継承の基盤
      重なり合う生と死――殯
 第二章 象徴天皇制を考える
      天皇とは何か
      象徴天皇制の二重性
      アジア的専制と天皇制 
 第三章 日本人の死生観と天皇
      霊肉二元論と心身一元論
      怨霊と祟り
      靖国の先に見えるルサンチマン
      祟りと鎮魂のメカニズム



 天皇制の意味を宮中儀式や政治権力との関係、ヨーロッパやアジアの王制との比較など様々な面から論じています。難しくてとても読み切れないのですが。でも、刺激的で、奥深くて、とても面白かったです。

 こんな気分なんですよ。
 真っ暗な部屋に豪奢なつづれ織りがかけられていて、それを小さな灯で照らしながら「何が描かれているんだよ」と教えられているようです。まだまだ全体を見通すことはできず、それどころか照らしてもらったところ以外はすぐにまた闇に沈んでしまう。でも、そこに見事な図像があることは感じられるのです。

 特に興味をひかれたところは。

 一章の、大嘗祭と殯(もがり)が皇位継承においてどんな意味を持っているのか。
 皇位継承には、血統原理と天皇霊の継承という二面がある。
 いくつかの宮中祭祀は天皇の霊力の強化と外部からの霊を排除する意味を持っていて、特に天皇の葬儀・殯・大嘗祭は一連のものとして捉えることができる。殿舎につくられた寝所に休む、収穫された米を神と天皇がともに食べる、また沐浴と衣替えといった儀礼を通して「神の資格を得る」。つまり前天皇から新天皇への霊の継承をあらわしている、といったところ。

 儀式の説明を読むだけでも面白いのですが、ヨーロッパの王位継承と比較されていると社会の中での位置づけが想像できるようです。また、権威の象徴である玉座と高御座の説明には、形が似ているものでもずいぶん意味が違うのだなあ、としみじみ。

 そして、二章の後半。アジアの神権政治体制として、天皇制とチベットのダライ・ラマ制を比較して論じたところ。
 両者は、継承するもの(霊)、代替わりの中間状態(殯/中有)をはさんで権威が引き継がれる点が似ている(死の穢れを内包する/排除する、など相違点もあるが)。中尊寺に藤原三代のミイラが葬られていることから、東北の平泉政権の在り方は、中国よりもチベット文明圏にある遺体信仰と通じる思想がある、という。

 チベットの葬儀といえば鳥葬が有名ですが、確かに高僧はミイラにされたり火葬もされるのですよね。生まれ変わるのに何故ミイラにするのか、疑問に思っていたのですが、こういう見方もあるのですね。
 実際、東北地方はチベットと縁があるので、そういう点でも興味を持ちました。

 読み終えてみれば、自分の知らなさ加減にえらく驚きました(いや、いつものことなんだけど)。
 神道=国家神道ではないということを初めて知りました。そうなんだ(茫然)。近年、神社の存在感が薄いのは(私はそう思っていたんだけど・汗)、戦後、象徴天皇制になったから、ボスといっしょに曖昧な立場の宗教になってしまったからだと思っていました。

 それと、平安時代から宮中の儀式に仏教が入っていたことに気づきました。そうだよね、思えば源氏物語の人たちはみんな出家するじゃないか! 物の怪退治もするけどね。

 ――って、書いていて情けなくなってきました。
 多分、私の持っている天皇像というのは相当におかしいのかもしれない。面白いから現状の誤解もろもろをどこかに一度メモっておこうかな、という気がしてきました。
(2011.8.30)


「天皇・天皇制をよむ」 東京大学出版会
歴史科学協議会 編 木村茂光・山田朗 監修

   天皇・天皇制をよむ


古代から現代まで天皇をめぐってさまざまに論じられてきた。その位置づけを知ることは、日本の歴史、そして現代をどうとらえるかという問題とも密接にかかわっている。「天皇」「天皇制」を考えるうえであらためて知っておきたい重要な知識を68のテーマから読み解く入門書。

 (下の小章題は抜粋)
通時代
 天皇と天皇制 / 天皇と名字 / 万世一系 / 天皇と仏教
古代
 出雲神話 / 継体天皇 / 天皇号の成立 / 説話と天皇
中世
 摂政と関白 / 院政 / 蒙古襲来と天皇 / 両統迭立
近世
 近世の天皇と摂関・将軍 / 「日本国王」復号 / 幕末の民衆と天皇
近現代
 天皇の肖像 / 創られた「天皇陵」 / 植民地と天皇 / 皇室・皇族の「人格」「人権」


 近年、天皇家についての報道が増えたけれど、天皇・天皇制をめぐる歴史的事実や議論は一般にどれだけ知られているだろうか。戦前の天皇制タブーからどれだけ脱却できているのか――。
 戦後の研究成果を集大成した本が必要とされている、という考えで編まれた一冊とのこと。

 おおまかに時代分けされた、それぞれ単独のテーマで書かれた小文集、といった感じでしょうか。
 全部で68章もあって、内容も多様。神話研究もあれば、朝廷と幕府の政治体制の変遷、天皇を頂点にした身分制度、庶民と天皇の距離感、天皇の肖像画・写真に読む君主像、憲法における天皇の位置づけについて――などなど。
 各章は2〜4ページなので、さくさく読めました。話題によってはちょっと専門的で、私にはちょっと背伸び読書になりましたが。でも、とても面白かったです。

 特にひかれたのは、ひとつは「天皇」というイメージの変遷を扱った章。

 江戸時代以前は、説話集や錦絵といった庶民レベルの史料から窺える天皇像に意外と権威がないのに驚きました。
もちろん、雲の上の存在だし、情報が広く伝わるような時代ではなかったのでしょうが。……ありていにいえば、かなりどうでもいい感じ(笑)

 天皇を(主役ではなく)すこしだけ登場させた仏教の説話集、天皇陵墓に畑を作ってしまったり、幕末期の江戸では天皇・睦仁(明治天皇)の人物像をさまざまに憶測する錦絵が流行していたらしい。

 それが明治に入ると、政府によって「天皇像」が形作られていく。

 直衣姿に加えて、西欧風の軍服姿の写真ができる。かつては側室と皇后がともに錦絵に描かれたのに、一夫一婦の夫婦像をつくるために、側室が写真から姿を消す。また、その写真や錦絵も自由に広めることが禁じられて、配布されるものになった。こうして「御真影」を生み出す土壌ができていく。昭和初期まで「大元帥」「現人神」だった昭和天皇は、戦後は平和と民主主義の象徴「背広の紳士」になった。

 「御真影」は戦時下に作られた考え方のように思っていたけれど、実はもっと古い、明治の近代化(西洋化)・富国強兵が根っこなんですね。
 さらに、天皇が一夫一婦になった大正以降は「天皇家」イメージができて、現在のお正月に窓辺に姿をあらわす「天皇一家」へつながるわけです。ただし、今の天皇家は「天皇夫妻と男子の夫妻と子(父系直系男子の妻子)」であり、一般の国民が考える「同居する家族」像とは違う。
 意味が異なるイメージを同時に体現しなければならない矛盾は、皇位継承問題を象徴的に表している(「天皇と家族」)という説明に唸ったのでした

 皇位継承についてはいくつかの章で触れられていますが、さまざまな捉え方ができるのですね。

 古代には女性・女系天皇の規定がつくられていて、実際に女帝もいた。
 平安時代以降は男系直系が原則で、それを前提にして政治体制や宮廷がつくられていった。
 とはいえ、時代によっては直系継承だったり、傍系継承だったり、兄弟間の場合もある。

 どれが正統ルール・例外措置かと問うても、時代背景や当時の社会状況など切り取り方によって答えが変わってくる。万世一系は相当に大雑把な考え方だとしても……皇位継承とは解釈が難しい問題なのだなあ、と感じました。


 もうひとつは、天皇と中国皇帝との比較。おもに隋・唐と交流していた頃の日本について。

 中国の天命・天下思想は「天から天命を受けた天子が天下を治める」(それにしても、てんてんと、くどいな)、天子はあくまで支配系の中にある。徳のない皇帝が出ると天命は他へ移り、皇帝の姓が変わる(易姓)わけですが。

 日本には、この天命・天下思想は入ってきたけれど、易姓革命は導入されなかった。天皇は自身が神格化して支配系の外におり、また貴族と天皇が互いに補完して政治形態をつくっていたことから、王朝交代が発生しにくくなった。「日本では王朝交代がない」――このことは宋の皇帝を驚かせたのだそうです。

 また、天皇には姓がないことにまつわる話も面白かった。
 遣隋使が「アメタリシヒコ」と王の称号を名乗ったつもりだったが、これを隋側は「阿毎多利思比孤」という姓名を名乗って臣属を求めてきたと理解した、とか。
 有名な「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや云々」も上下関係を示す意図はなく、単に東西の方角を示すつもりで書かれたらしいのだけど。むしろ、天子を名乗ったことが隋の皇帝にはいたくお気に召さなかったらしいのだけど。
 これは、いってみれば、日本が独自の論理で、当時の国際慣行に合わない国書を作ってしまった、ということなのだそうです。自国と国際社会のずれをまったく気にしなかった、という点には「こういうところ、まさに日本だよなあ!」と妙に感心してしまった。
 とはいえ、その後の遣唐使の頃には「主明楽美御徳(スメラミコト)」と好字を並べた表記で、わざと唐側に姓名と誤解させる、という政治的な技も使ったらしいですが。

 この他にも面白い話はたくさんありました。
 聖徳太子信仰とか。君が代&日の丸の由来とか。幕府は朝廷を守るところに存在意義があって、公家と武家は決して対立するものではなかった、というのは目から鱗です。

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 ざざっと何冊か天皇制についての本を読んできましたが、明治時代が一番気になります。
 今の日本とか天皇制は、ここ150年ばかりの近代化(西洋化)の波になかば溺れながら作られた一面があるのですね。
それ以前の長い長い歴史を思い描くことも、明治以降何を選択してきたか(させられてきたか)を知るのも面白いのです。

(2011.9.18)


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