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歴史・文化(日本) 3

「明治天皇 ― 苦悩する「理想的君主」 中公新書
笠原英彦 著

   明治天皇―苦悩する「理想的君主」 (中公新書)

王政復古の旗印のもと、幕府や摂関職が廃され、若き明治天皇を戴く維新政権が誕生した。だが、近代国家の建設が急速に進むなか、「天皇親政」の理念はやがて形骸化する。政府と宮廷の対立関係を軸に、理想化された天皇の実像に迫る。

第1章 幕末の政局と睦仁の降誕
第2章 激動の中の即位と明治維新
第3章 天皇権威確立の努力と挫折
第4章 維新の宰相、大久保の政治指導 
第5章 伊藤首班の集団指導体制 
第6章 立憲制の確立と皇室制度の形成 
第7章 憲法の制定と立憲政治の開始 
第8章 議会政治の進展と日露戦争
第9章 天皇の晩年と明治の終焉


 うん十年ぶりの日本近代史。馴染みがうすいし、政治の話が主だったので息切れしながら読了。もう数冊読むと楽になるんだろうな。ふう。
 諸問題が山積みだった明治の、外交と内政について語られています。いや、外交以前、か。欧米列強からの圧力、不平等条約をどうするか。いやいや、その前に条約云々、国際慣習についていくためには、国内をどうすればよいのか――話はそこからだったのか、とあらためて当時の大変さぶりが目に浮かびました。

 面白かったのは、維新政府が公議政治と天皇親政という矛盾を抱えてはじまった、ということ。
 漠然とですが。明治って、江戸時代以前の幕府&朝廷という構図を引き継いで、しかし、欧米の「立憲君主制」とか「議会制」という翻訳語で日本を読み直そうとしていた時代だったのだろうな、と感じました。
 天皇の意味づけにしてもそう。一世一元制で天皇と元号の結びつきを強化し、古来ある天皇の「国見」の慣習(行幸)によって国内を統合していく。一方で、宮中改革で女官をすべて免職し、洋服を着て騎馬する天皇という、近代的な君主像が作られていった――やっぱりこれは諸外国との関係の中で進められたことなのでしょう。外圧がなければ、日本はまた別の国づくりをしたのかもしれないですね。

 明治天皇自身については、「活発な子供」にはじまり、「才気煥発とはいえないが、大変な努力家」「馬術に傾けるほどに情熱をもって政治向きに意を用いるよう促す助言」を受けたり、「酒に溺れる傾向」「自ら納得しないと物事を受け入れない」など、その人物像がエピソードとともに語られていて、興味深かったです。

 息切れしつつ、明治時代についてもう何冊か読んでみようと思います。
(2011.10.20)

 

「明治と日本人」 青春出版社
後藤寿一 著

   図説 地図とあらすじでわかる!明治と日本人 (青春新書インテリジェンス)


富国強兵・殖産興業・脱亜入欧・文明開化……近代国家成立を目指した明治の日本人のアイデンティティを読み解く。

第1章 富国強兵
第2章 殖産興業
第3章 脱亜入欧
第4章 文明開化 
終章  明治と日本人


 教科書、でした。なつかしい赤と黒の二色印刷。ああ、よみがえる ぱさぱさ無味乾燥な 日本史授業。

 武士たちは明治の日本のどこに居場所を見つけていったのか。王政復古の声があったはずなのに、いつのまにか文明開化・西欧化の方向を向いていたのは何故なのか。諸外国との不平等条約撤廃のための尽力の数々。そしてわずか40年ほどの間に大国ロシアに戦勝するほどの力をつけた理由とは。

 ともかく、明治時代の流れだけ読もうと思っていたので、ちょうどよい一冊でした。あまりに簡潔で不安になるほどだったけど。
 よかったのは、図解や地図が豊富であったこと。遣欧使節団の訪問国や滞在日程、報告書の量を表したグラフは面白かったです。アメリカ、イギリス、ドイツあたりだけだと思っていたのですが、ほかにスイスやオランダなども訪れているんですね。
 また、日清・日露戦争の戦費の多さや外債の占める割合などにもびっくりでした。のちの時代から見ると「何という貧弱な国の綱渡り。戦勝できたのは運じゃないのか」と思いますけど、当時としては「何もなくてもやるしかない」という状況だったのかもしれない。それで何とかなってしまった実経験が、のちの太平洋戦争への判断につながっていったのでしょうか。

 久しぶりに勉強させてもらった感じ。
 ちょっとひっかかったのは、天皇と政府の権力のバランスがわかりづらかった点。今の日本とは違う権力構造だったのだから、そこを踏まえた上でさまざまな出来事について読みたかったです。
(2011.11.20)


「幕末維新と佐賀藩 ―日本西洋化の原点― 中公新書
毛利敏彦 著

   幕末維新と佐賀藩―日本西洋化の原点 (中公新書)


幕末期、英明な藩主・鍋島閑叟のもと西洋の先進技術を蓄積した佐賀藩は、明治新政府において重要な位置を占める。開明的な藩士が多数輩出し、その一人、江藤新平は教育・司法に西洋に倣った制度を大胆に導入した。佐賀の乱以降、薩長政権下では活躍が軽視された同藩の真の価値を描く。

序章 長崎御番
第1章 鍋島閑叟の登場
    青年藩主/滲みわたる洋風
第2章 日本開国
    鉄製大砲/黒船来たる/洋化の進展
第3章 尊王攘夷と佐賀藩
    江藤新平の登場/閑叟と江藤の出会い
第4章 江戸幕府瓦解
    幕府衰亡/逆転に次ぐ逆転
第5章 明治新政
    版籍奉還へ/中弁―太政官の知恵袋
第6章 国民教育への道
    教育は「西洋の丸写し」で/左院副議長
第7章 初代司法卿―人権の父
    民の司直/人権のために
第8章 暗転―明治六年政変と佐賀戦争
    明治六年政変/佐賀戦争の真相 
終章  明治維新史を見直す


 昨年、東京湾のお台場建設展示を見に行って、ひと役買ったという佐賀藩主・鍋島家が気になったので借りてみました。
 もっとも、私の目当てだった鍋島斉正(のち直正、閑叟)に関するものというより、彼によっていち早く西洋風をとりいれて発展した佐賀藩と、そこから出た「人権の父」江藤新平を中心に幕末〜明治初期の政局を描いた本です。
 そして、はじめて気づいた。「ほう、薩長土肥の肥は佐賀藩でしたか」(汗)。佐賀、どうしてそんなに影が薄いのだ? 明治初期にこんなに重要な役割を負っていたのに。

 黒船来航後、幕府は佐賀藩に大砲を発注するも、据えつける台場の計画はその後で、というような混乱ぶり。そもそも、朝廷からいわば「白紙委任状」をもらって天下を治めていたはずなのに、アメリカの開国要求について幕臣、藩士、民間にまで意見を求めて、支配システムにみずから穴を開けてしまう。
 さらに、通商条約を結ぶか否かで意見が分かれる中、朝廷の口添えを得ようとしたことから天皇の政治利用が始まる。開国か否か&そこに将軍の後継者問題もからんで、朝廷・幕府・諸藩の権力バランスが崩れて全国が混乱していく。

 そんな混沌とした時期に佐賀藩は着々と力をのばし、いつのまにか(という感じがするのだな)新政府に重要な位置を占めるのですね。
 佐賀藩は、もとは若き藩主・斉正の帰郷の折にも借金取り立てに止められて江戸を出発できなかったというほど困窮していた。それが、財政を立て直して富裕藩となり、西洋の医学や軍事技術を研究。教育にも力を入れて、そこからのちに初代司法卿となる江藤新平が登場するのでした。

 斉正が日和見主義に見える一方、その下で働いた江藤の業績の大きさには驚きました。
 王政復古が叫ばれていた世に逆行するように洋学を重視して「西洋丸写し」ともいえそうな大胆な教育制度を確立。身分制度の撤廃。議会制度の骨子を作り、法の普及とそのもとでの平等をめざして司法制度を整えたのだそうで。彼が政府で働いていたのが、たった4年ほどであることが信じられない。
 ことに、司法制度については「国の富強の元は国民の安堵にあり、安堵の元は国民の位置を正すにあり」という視点から、冤罪を出さず、地方官を訴える権利を認めるなど「民のための司法」を推し進めたというところが印象的でした。

 その彼も「征韓論政変」に巻き込まれて辞任、そして「佐賀の乱」の首謀者として処刑されてしまうのですが。
 この「征韓論政変」は、一般には朝鮮への武力行使の是非をめぐる政争と言われているが実際は違うのではないか、というスタンスで書かれていました。日朝の関係は確かに一時険悪になったものの、それが即武力行使を望むような切迫した状況だったのか? 西郷隆盛はほんとうに開戦を望んでいたのか? 「佐賀の乱」もそれほどの規模ではなかった、などなど。その後ろで蠢く政治的な意図、派閥抗争などを感じさせて興味深かった。
 この辺り、他の本を読んでいてもどうも釈然としない感触を持っていたので面白かったです。

 終章では、世界史の中の明治史が語られています。

 現代は、国民国家の斜陽期(と断言されてしまった)なので理解しにくいが、19世紀はその勃興期であった。「国民国家」は産業革命後の経済発展を保障する最適な政治的枠組みと見做されていた(もっとも、当時の日本人がそこまで見越して変革を試みたとも言い切れないが)。

 明治期の日本の変化を、そうした世界史の流れの中に位置づけて捉えることができるようになっていて勉強になりました。面白かった!
(2012.1.3)


「鍋島閑叟 ―蘭癖・佐賀藩主の幕末― 中公新書
杉谷昭 著

   鍋島閑叟―蘭癖・佐賀藩主の幕末 (中公新書)


危機に瀕していた財政の立て直しを図り、洋学の積極的導入によって佐賀藩を先進雄藩に飛躍させた鍋島直正(閑叟)の世評は、「日和見主義の大陰謀家」という、決して芳しいものではなかった。しかし、幕末混迷の渦中で誰もが閑叟・佐賀藩の力を評価し、その動向に注目した。苛酷な勉学を藩士に強い、徹底した功利主義を貫き、明治の主流にはなれなかったが、近代国家創設に活躍する多くの人材を輩出させた閑叟の軌跡を捉え直す。

第1章 直正の登場
第2章 幕末佐賀藩の動向
第3章 佐賀藩の教育と学問
第4章 国内研修と国内留学
第5章 韜晦の軌跡
第6章 戊辰戦争と佐賀藩
第7章 藩の終焉


 長崎番の役目を負って黒船来航以前から外国の存在を肌で感じ、それを前提に将来を見ていた人物――鍋島閑叟(直正)について、もう少し知りたいと思って手にとりました。
 前半では、主にお雇い外国人たちの記録をとおした閑叟の姿が面白かったです。
 蘭癖に加え、「独裁」「用心深さ」「プライドの高さ」「行動力」「日和見主義」「好奇心旺盛」などなど。複雑な性格の人物だったみたいですね。
 外国人たちに酒を勧め、オランダやイギリスに行きたいと話したり。「私の家来たちはとにかく学ばねばならぬのだ」と語ってオランダ語の学校を作り、長崎海軍伝習所の作業場で自ら鉄板に穴をあけたり、削ってみたり。北海道での貿易やオーストラリアの開拓なんてことも考えていたらしい。
 そのスケールの大きさについては「鍋島直正、島津斉彬、徳川斉昭、この三人の行動には世界各国が注目していたといって過言ではない」という一文もありました。気難しそうで大河ドラマの主人公にはなりそうもないけど、興味深い人物ですね。

 印象的だったのは、ひとつには、あの手この手をつかっての行動力。
 幕府要人と親しかったことから、幕府非公認ながら蝦夷地調査に藩士を送りこむ。また、下田で洋式帆船が作られた際には、技術を学ばせるために職人を送りたいと幕府に申請して却下される。しかし、どういう伝手を使ったのか、結局数人の職人をちゃっかり参加させたらしい。
 もうひとつは、「新しもの好き」であると同時に古い時代の価値観も併せ持っていた人物だということでした。
 必ずしも幕府や封建的な制度が悪とも考えていなかったし、舶来品を取り寄せても「政府が頼んだ分がまだ届いていないから」と忠義立てして受取らなかったり。

 変化の時代にあって矛盾する思いもとまどいも多かったのでしょうが、その中で幕府なり攘夷派なりを単純に敵視するのではなく、現実に何ができるか、どうするべきかをとことん考えていたのだろうと感じました。過渡期……というより、その最中にあってはおそらく「混乱期」だったであろう江戸から明治に一国の藩主をやっていれば当然かもしれない。

 そして、閑叟自身の話ではないのですが。当時の学問について、面白い引用がありました。

 黒船以来、「蒸気」は幕末のひとつの流行語となった。しかも、誰もがそのたちいった内容を知らなかった。当時の蒸気は、蒸気・気化・沸騰・飽和・液化など一連の理化学的概念ではなく、蒸気・石炭・黒煙・蒸気船・強力な武装につながる「蒸気」であった。
(「維新と科学」より)

 日本はシナに近くこれと交わって来たので、シナの書物を読んで古人の言葉を信じ、西欧人が天理を論じたり、彼らの器械が巧妙であるのを見聞すると、そのよって来たる所以を確かめようとせず、ただ奇怪として退けた。これは、知識が及ばないのではなくて、日本人が墨守してきたこれまでの学問の流れがそうさせたのである。
(「大庭雪斎の『訳和蘭文語』について」より)


 この「よって来たる所以」というところがミソなのでしょうね。日本が中国、オランダに学び、のちにはイギリス、フランス、ドイツ、と四方あちこちを向いて学ぼうとした姿勢は猿真似と揶揄されることもあったのだけれど……それはちょっと違うのではないかなあ、と思いました。理由を求め、自分の手で試行錯誤するのは単なる真似ではないはず。
 いずれにせよ、学ぶ対象、分野が一気に増えたという点だけみても、学問の大きな転換期だったのですねえ。

 ざくっと読み終えましたが、くやしいことに引用されている古文(というのかな)が私には読めないんですよね。面白そうなものが多かったのですけど。時々、引用のあとに現代語訳で要旨が書かれているのがありがたく(涙)、頼む、全部に翻訳つけてくれ、と思われたのでした(涙)
(2012.2.3)


「幕末維新を「本当に」動かした10人」 小学館新書
松平定知 著

   幕末維新を「本当に」動かした10人 (小学館101新書)


260年続いた徳川の世が瓦解しはじめる。その時、各地で新しいリーダーが産声をあげた。列強の圧力をはねのけ、いかにあらたな「日本」をつくりあげていくのか。倒幕から明治維新、激動の時代に生き、人びとの先頭に立って世の中を動かした「志士」たち。坂本龍馬のような下級藩士から有力旗本だった小栗上野介、農民から武士となった近藤勇や土方歳三など、幕末維新を「本当に」動かした10人の活躍を、NHK『その時歴史が動いた』のキャスターを務めた松平定知氏の視点で捉える。

第1章 坂本竜馬
第2章 高杉晋作
第3章 小栗上野介
第4章 近藤勇と土方歳三 
第5章 大村益次郎 
第6章 榎本武揚 
第7章 篤姫と和宮 
第8章 岡倉天心


 幕末のどこに、どんな風に新撰組がはまっていたのか、今ひとつわかってない――という状態なので、あれこれおさらいしようと図書館で借りてきました。やっぱり、人物に焦点が合うと読みやすいです。印象的だったのは、小栗上野介、大村益次郎、榎本武揚。

 小栗上野介は旗本の御曹司で、幕府の遣米使節団のリーダーとして渡米。近代産業の力を目にして、帰国後横須賀に製鉄所、造船所を建設。幕府解体後は捕えられ、取り調べもされないまま斬首刑に処せられた人物。
 アメリカの工業力の基礎を支えるのが大量に生産される「ねじ」であることに気づいたという慧眼のエピソードが好きでした。それまでの日本のねじは手作りで、工芸に近いもの。そこから脱することが工業化、ひいては国力アップにつながると考え、帰国後はそれを実践に移して造船所まで作ってしまったのがすごい。
 この渡米は1860年。小栗が工芸ではなく工業を目指すことを考えたこの頃に、ヨーロッパでは工業化への反発からアーツ&クラフツ運動が始まりつつあったことを思うとちょっと面白い。
 造船所はその後明治政府に引き継がれ、日清・日露戦争を支え、太平洋戦争後はアメリカに接収されたことにも感慨を覚えたりしました。

 それから、大村益次郎。
 貧しい町医者の子として生まれ、漢学・蘭学を学び、西洋兵学者として幕府や長州藩に雇われる。西洋式の武器を導入、農民兵を組織。上野戦争では新政府軍の指揮をとり、彰義隊との戦いに勝利したのでした。
 武士でない者が農民を組織して戦をするという点で十分に近代的だし、国民皆兵を考えていたなら、さらに時代を先読みした人だったのでしょう。進歩的すぎて暗殺されたともいえる。
 経歴を読むと、幕府に雇われたり、故郷に帰って医者をやったり、長州藩に雇われたりと落ち着かない。しかし、裏返せば、学究肌で「どこでも構わない」人だったのかもしれないですね。

 もう一人は榎本武揚。
 長崎海軍伝習所を経て、オランダへ留学。当時まだ新しかった国際法や軍事、造船を学んで帰国した。この国際法の知識を駆使して、函館政権を「交戦団体」であると英仏に認めさせたという逸話はドラマか映画のようで面白かった。
 しかし、彼がオランダからはるばる持って帰った軍艦「開陽」との縁にはちょっと複雑な気持ちに。
 オランダから帰国後、「開陽」は幕府軍のものになり、大阪に停泊。しかし、榎本の上陸留守中に慶喜がこれに乗って大阪から江戸に帰ってしまう。ひどいなあ。また、函館政権を支えていたのは上の国際法と「開陽」を有した海軍力だけれど、これが座礁して沈没。ついに政権も倒れてしまう。
 敗北した時に、榎本は国際法の書「万国海津全書」を守り、新政府の海軍提督に渡されることを望んだ、ということも印象的でした。国際法を熟知することは、「どの政権であれ」日本に必要だ、と考えていた視点がすごいですね。その知識と視野の広さを買われて新政府にも登用。福沢諭吉はそこは批判的に見ていたそうですが、それは納得いかないと思ったのでした。

 うっすらと幕末の風景がつかめてきたような気がします。
 明治=西洋化の時代とまず思うから、倒幕派の方が開国に前向きだったような誤解をずっとしてました。それに、のちの時代からみれば「新政府vs幕府」という構図がわかりやすく目に入るけど、その中でも「薩長贔屓だけど、幕府にも良さもあると思う」とか「新しい時代を幕府の手で作る!」と意気込む人もいたのですよね。
 当時、政権がどちらに転ぶかわからない時点においては、政権がどこにあるかよりも、攘夷か否かの方が重要なことだったのかもしれない、などと想像しました。

 面白かったけど、私はやっぱり新撰組には興味がわかないようです(爆)
(2012.5.2)


「イギリス紳士の幕末」 日本放送出版協会
山田勝 著

   イギリス紳士の幕末 (NHKブックス)


幕末日本に開港を迫った西洋諸国、中でもイギリス人は、外交官や医師、海軍士官、大商人などが数多く来航した。彼らは日本人をどのように観察し、振る舞い、また日本人はどのように接したのだろうか。当時の異文化体験を顧る。

T イギリス紳士の外交 〜 大国の軍事力で脅しつつ
 序章 日英外交史概観
 第1章 イギリス紳士スターリングとエルギン卿
 第2章 イギリス紳士オールコックと反英感情
 第3章 外国人テロの要因とイギリス

U イギリス紳士の幕末生活
 第1章 日英の食文化の遭遇―イギリス紳士の食生活
 第2章 スポーツ好きのイギリス人
 第3章 幕末日本の社交生活
 第4章 イギリス紳士の見た日本人


 幕末をすこし違う角度から見たくて、図書館で借りてみました。
 著者は英文学が専門の方で、18〜19世紀初頭イギリスの社会常識、欧米の経済事情などとからめて日本の幕末が語られています。ジェントルマン、決闘の起源の説明は中世にまでさかのぼり、面白くて頭を本筋(幕末)に戻すのにひと苦労。
「世界史」背景から幕末期を見ると、いろいろな出来事の意味も少し違って見えてきました。

 当時、アメリカは独立まもなく。貿易相手あるいは植民地を欲していたものの、アジアで手つかずなのは日本と琉球くらい。
 イギリスはイギリスで、産業革命で商品がだぶつくわ、植民地(アメリカ)からの収入が無くなるわ。新しい市場をアジアに求めていた。また、ロシアが極東に進出するのを阻止したくもあった。
 ペリーが武装した艦で日本へやってきた理由とは。生麦事件前後から薩英戦争の間にイギリスの対日本政策がどのように変わったのか。また、イギリスが、倒幕の援助は直接せず「すべてを大名にさせよ」といった理由は何か――こんな話が面白い。

 特に印象に残ったのは、イギリス紳士階級とそれを育んだ社会のこと。
 その決闘の伝統(?)やノブレス・オブリージュの根っこが中世の騎士精神にあることや、良家の子息がグランド・ツアー(学業の終了時にギリシャやイタリアに旅行する)を通して海外を見る目を養ったこと。また毎年決まったシーズンに各領地からロンドンへやってきて情報交換、政治活動に勤しんだそうで――。
 ああ、こういう教育(学業だけでなく社会通念も)で叩き上げられた外交官を前にしたら、お江戸の大名に交渉ごとなどできるわけもないわなあ、と思う。そういえば、日本へやってきたイギリス紳士が、参勤交代を「社交界活動」と捉えた、というのは面白いですね。
 それにしても、どこへ行っても自分のやり方をまげない(と著者が語る)イギリス紳士の傲慢さが日本の攘夷感情にひと役かってしまったというのは皮肉。

 そしてこの頃、独立国として歩き出したアメリカ。
 階級意識がまだまだ生きていたこの時代、ヨーロッパ各国へ「アメリカ国大使」を送るのは大変な苦労だったのでしょう。政治なんて駆け引きばかりだから、貴族の前では、なめられるどころか、そもそも相手にされないような場面もあったはず。

 一方、幕末の日本。
 攘夷というかたちで蔓延した武士層の愛国心の底にも、いろんな感情があったのだろうと感じました。
 保身や官僚主義に陥った上級武士への怒り、幕府の方針への反対。変化する社会の中では、過去へのロマンティシズムあり、「新時代の武士」たらんとする気負いもあったのでしょう。

 後半では、異文明に接した日本人、イギリス人の様子が当時の手記を交えて説明されています。ここ、面白いです。お昼時にあわせてイギリス人を訪問した奉行所役人の食い意地にはあきれますが(笑)


(食事に招かれた日本人は)気に入った食べ物を真四角の紙に包み出した。一人はいちごのジャムを上着の袖に入れて持って行こうとしたようである。その袖はこの目的にふさわしく、たっぷりとして、袋のようになっている――
(エルギン卿遣日使節録)

 外国人も、日本側から招待を受けた時に、日本流にしなければならないと思い、料理を紙に包んで持ちかえった人もいたようで。

傲慢な人、厚かましい人、気遣いする人も気さくな人も、日英双方にいたのだな、と思って面白かった。
(2012.5.19)


県史33
「岡山県の歴史 」
山川出版社
藤井学/狩野久/竹林榮一/倉地克直/前田昌義 共著

   岡山県の歴史 (県史)


吉備の夜明け、造山・作山古墳、吉備真備と和気清麻呂、承久の乱、福岡市、新見荘…と、原始時代から現代までを県民の立場から叙述。

第1章 吉備の国づくり
第2章 古代国家の発展と吉備
第3章 古代社会の変容
第4章 武士政権の成立
第5章 室町時代の岡山
第6章 宇喜多氏の統一事業
第7章 近世社会の始まり
第8章 地域社会の成熟
第9章 幕末期の諸藩と民衆
第10章 近代化のなかの岡山県
第11章 戦争と平和のはざまで




 岡山旅行前に、と大あわてで読みはじめましたが、間に合わなかった……orz 7&8章のみ読了。興味がわいたのは、ええ。やはり、城です。

 岡山内の三つの城(岡山城、津山城、松山城)と城下町の様子がそれぞれ違っていて面白かったです。
 川に沿って作られて、西からの毛利氏の攻撃に備えていた岡山城。出雲往来の宿場を取り込んで発展した津山城下。松山城は山城で、藩主は通常は山麓の居館で暮らしていた、など、同じ城でも性格はずいぶん違うようでした。

 あと、瀬戸内海の水運。
 北前船――北海道から日本海を渡った船が関門海峡を経て瀬戸内海、そして大坂へ。同じ航路を逆に辿る船もある。天候が悪ければ港に船を寄せるから、町はきっとにぎやかだったことでしょう!
(一応 2012.5.19)


県史41
「佐賀県の歴史 」
山川出版社
杉谷昭一/佐田茂/宮島敬一/神山恒雄 共著

   佐賀県の歴史 (県史)

吉野ヶ里遺跡、肥前風土記の世界、神崎荘の開発、千葉氏の隆盛、松浦党の世界…と、原始時代から現代までを県民の立場から叙述。

第1章 肥前国成立前夜
第2章 律令体制下の肥前
第3章 武家社会の成立と蒙古・北条氏の重圧
第4章 分立する諸勢力の抗争と繁栄
第5章 地域の自立と統合の時代
第6章 近世大名の成立
第7章 藩政の展開
第8章 幕末の躍動と韜晦
第9章 佐賀県の成立
第10章 農業県佐賀


「鍋島閑叟―蘭癖・佐賀藩主の幕末―」とけっこうかぶっていました。著者が同じ方ですものね。
 地方史の本なので、目当ての江戸時代前後もさらっと読みましたが、いくつもの勢力が時代によって九州に興亡する様を俯瞰できて面白かったです。

 目当てで読んだ8章では鍋島家が力をつけてきます。
 佐賀藩が領国の体制を整えたのと、江戸時代の幕藩体制が確立していったのがほぼ同時期であったこと。江戸から明治初めにかけては、長崎番はもちろん、戊辰戦争の指揮に鍋島家系の人間があたるなど佐賀藩が軍事に重要な役割を担っていたこと。のちには、直大(直正の嫡子)が明治政府に出仕したり、長崎海軍伝習所で学んだ佐賀藩の生徒らが明治海軍の創設に関わった――などなどに興味をひかれました。

 佐賀藩のこのしぶとさは、やっぱり時に「日和見」とよばれた閑叟によるものが大きいのか。そもそも長崎防衛の役目は、佐賀や福岡には経済的には大きな負担であったはず。でも、苦労を逆手にとって西洋の文物を学び、それを手札に新しい時代に乗っていったのだなあ。
 ちょうど読みかけの「胡蝶の夢」に登場した、やり手で脂ぎった(笑)医師・伊東玄朴のこともちょっと書かれていました。閑叟の子供に種痘を受けさせたのは彼だったのですね。

 地方史という歴史の読み方はあまりしたことがなかったので、古代から近代まで串刺しにする視点が面白かった。

 そういえば、私の母方の祖先が秋月藩の人だったらしい。剣道場をやっていたそうな。運痴の私の本当に親戚なのか(爆)秋月には一度だけお墓参りに行ったのですが、幼かったので記憶にありません。2006年に九州旅行した時にももっといろいろ見てくればよかったなあ。あの時は唐津焼と海の幸で頭がいっぱい……。
(2012.3.20)


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