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歴史・文化(欧米) 3

「十字軍 - ヨーロッパとイスラム・対立の原点 - 創元社
J・タート 著 南条郁子/松田廸子 訳 池上俊一 監修

   十字軍―ヨーロッパとイスラム・対立の原点 (「知の再発見」双書 (30))


十字軍のはじまりとキリスト教世界・イスラム教世界双方から見た経緯、各勢力が抱えていた複雑な事情を描く。単なる宗教的な対立ではなかった十字軍史の入門書。

 ルイ9世の本を読む前に、十字軍についてのおさらいとして手にとりました。
 図版が多くて嬉しいです。そして、西欧、イスラム、ビザンティン帝国のそれぞれの思惑が書かれていて、視点に偏りがないのがよかったです。単に二つの宗教の対立というだけでなく、宗派、政治権力、経済……いろいろなことが関係した出来事だったのですね。
 聖地へ十字軍を送り出し続けた西欧と、現地のラテン国家の考え方の違い、という点は興味深かったです。
 十字軍が回を重ねるにしたがってキリスト教徒の風評が悪くなっていく、現地の住人は発展しつつある経済活動を守りたい。同じキリスト教徒、西欧(出身)人であっても異なる視点がある。さらに、おおざっぱに見れば東方キリスト教会もキリスト教徒に違いはない(と思うんですが)のに、ここでも思惑違いから協力しあうことができなかった様子が述べられています。
 イスラム側の事情はこれまで何も調べてこなかったので、また別の本を読んでみようと思います。そもそも「聖戦」という言葉を掲げて戦っていたわけではない、ということは初めて知りました。

 ちょっと物足りなかったのは、第三次十字軍以降があっさりとまとめられていること。「原点」と副題にあげてあるので、あえて深くは触れなかったのだろうと思うのですが。
 特にフリードリッヒ二世とアル=カーミルについてはもっと読みたかったです。一時的にせよ、「対立」でない時期があったことは現代のイスラム社会ではどう考えられているのか。現代の権力者がサラディンを引き合いに出すのならば、アル=カーミルはどのようにとらえられているのか。知りたいところです。

 あと、私としては、この頃から地中海貿易で力をつけていたヴェネツィアなどの商人の視点も気になります。
 巡礼事業(?)や十字軍への支援で利益を得つつ、でも戦争があるということは損害も大きかったはず。彼ら自身、西欧からは「異教徒との取引で富を蓄える」と非難の目を向けられていたわけですが、イスラム世界をどのように見ていたのか。ビジネスの実態はどんな風であったのか。
 現代の、例えば同じアジアの国同士のビジネスだって「どーして、そんなこと言うの?」「どーして、そこに拘る?」と思うことがあります。それと比べれば、もっととんでもない誤解や無理解があったはず。それをどんなふうに乗り越えて商いしていたのか、知りたくなってきました。

 読書の芋づるを一本引っ張ってみたら、塩野七生さん本が姿を現すのが目に見えるようです。あああ、積読が終わりません。また一冊、ジョワンヴィルが遠くなりました(涙)。
(2007.4.5)

「中世ヨーロッパを生きる」 東京大学出版会
甚野尚志 堀越宏一 編

   中世ヨーロッパを生きる


人間と自然との関わり、衣食住、社会生活、親子関係など、十五のテーマによって描かれる中世ヨーロッパ世界。

 複数の著者によるテーマ別の文章を集めた一冊。
 講演会でも聞いているように要点がわかりやすく、もっと詳しく知りたい読者のために各章の後ろに参考書籍が紹介されているのがありがたかったです。

 面白かったのは。
「水車は領主のものか?」では、人力にかわるエネルギー源であった水車の建造と領主の強制使用権(バナリテ)について。技術は優れているからといってすぐに普及するわけではなく、社会状況や制度の中でさまざまな利用のされかたをする、というところに興味をひかれました。
 いくつかの章では、災害についての記述、慈善施設の歴史、生死観について書かれており、中世ヨーロッパでは現実生活と宗教的な思考が強く結びついていたことがよくわかります。現代からみると、その二つが「混乱」してしまっているようにも感じられるのですが。私は現代と中世ヨーロッパのこういう感覚の違いのようなものが好きです。
 また、領主の城や農家の建物のつくり、世帯の中心となる炉の設置技術についてゆっくり読むと、当時の人たちの家(家庭、家柄、避難場所としての家)に対する感じ方を想像できるのがよかったです。

 参考書籍の中には既読のものもいくつかあったのですが、「こういう入門書的な本を先に読めば良かった」と、自分の勉強の手順の悪さに脱力してしまいました。
(2006.11.14)

「パンとぶどう酒の中世 十五世紀パリの生活 ちくま学芸文庫
堀越孝一 著

   パンとぶどう酒の中世―十五世紀パリの生活 (ちくま学芸文庫)


1405年から1449年にわたって書かれた「パリの一市民の日記」をもとに、中世フランスの庶民の日常生活を垣間見る。

 15世紀の日記を題材に庶民の生活風景を語るという趣向であり、日記自体の翻訳ではありません。
 もとになっている本は当時の物価や天候を淡々と書き残したものらしい。物価の話ならば『この年は上等の小麦が1スチエあたりパリ貨16スー、そらまめは10ドニエ』といった調子。また、天候については『サンタンドレの日まで大変な暑さだったが、その日から凍てつきがはじまり……』などと細かく書かれているのが面白い。

 もとの日記を自力で全部読み通すのは専門家でないと無理だろうと思いますが、おしゃべりのような作者の解説に助けられて、当時の生活の様子が想像されました。作者の語り文がわかりづらいこともあったのですが、家計簿のような(笑)内容を飽かず読み通せる面白い工夫だと思いました。
 どんな品物が市場で売られていたのか、値段は高かったのか低かったのか、セーヌ川の増水・氾濫は住民たちの目にどのように映ったのか。できれば、この日記をそのまま翻訳してくれないかなあ、と思いました。かなり好みです。

 手こずったのは通貨について。
「パリ貨」と「トゥール貨」という二通りの計算方法があるそうで、わかりやすい例として「ふたつでパリ貨4ドニエの卵」を買いたい時に、財布の中のどのコインを出せばよいか、と説明されています。この例自体はすぐわかるのですが、なぜ違うコインが同じ額面なのか、わからずに混乱しています。
「パリ貨」と「トゥール貨」どちらを使ってもいいのなら、値札(あったとして)はいくらと書かれたんだろうか。また、いくつかの金額単位には固有のコインがないなんて、想像できませんでした。日本には2000円札まであるのに。
 今の日本の金銭感覚とは根本的に違う気がする。ドルだのポンドなどを参考にする方がいいのでしょうか。これはこれでわからないのですが。

 巻頭には、16世紀に書かれた「トゥルシェとオヨーのパリ絵図」が、見開き4ページ(8、というべきか)に分割され、掲載されています。
 写実的ではありませんが描き方はかなり細かいので、おおざっぱな地図として見ることはできそうです。「橋の上にも家があったのだな」「この通りを境に畑が多くなって、ここには塔のある大きな建物があるな」と読むことができます。文字が読めたらさらに面白そうでした。
 ところで、著者は上の「中世ヨーロッパを生きる」の編集とは別の方なんでしょうか。お名前の字が違うのは……。
(2007.9.29)

「中世ヨーロッパの城の生活」 講談社学術文庫
J・ギース F・ギース 共著 栗原 泉 訳

   中世ヨーロッパの城の生活 (講談社学術文庫)


11世紀半ば、イギリス ウェールズに建てられた古城チェプストー城を例にあげて、中世ヨーロッパの城と領主たちの生活、城を支えていた周辺の村の生活を描く。

 城の形と戦法の変化、封建制度の中での領主たちの立場など時に血なまぐさくなる政治的な話、宮廷文学に描かれた美しい貴婦人の生活や社会的な立場について、また、領地と領主の生活を支えていた村社会について、という具合で、様々な視点から中世イングランド世界がとらえられています。

 私が一番面白かったのは、領主と村人の相互扶助とでもいうような関係。
 領主は絶対権力者ではあったが慣習によって権力を制限され、村人の奉仕にたのむところが大きいので無理を押し通すことは少なかった。また、村人には労働奉仕などの義務が課せられたが、土地を相続できたり、共同体の中である程度安定した生活を保障されていたそうです。
 別の本で読んだ水車小屋の使用権のことを思い出しました。強制使用は村人にとって負担ではあったようですが、長い目で見ればメリットもあったのでしょう。ある程度の財力と権力を持った人間(領主)がいてこそ実現できる事業があって、それによって領地社会が豊かになることもあったのだろうな、と思いました。
 また、村の集会「バイロウ」においては投票ではなく合意にいたることで物事を決めていた、というところにも興味を持ちました。皆が意見を言う機会をつくりつつ、話し合いによっておおよその合意に達したら、それ以上のしつこい反対は許されない、という考え方。まとまった数の人間が生きていくための社会運営という考えが、こんな時代からあったのですねえ。日本にもあったのでしょうか? 気になりました。

 また、領主の生活についても生き生きと書かれています。まるで、ドキュメンタリー映像を見ているような気分でした。城全体の形と内装品(家具、じゅうたん代わりの野草、暖房など)について、家計簿から見る城のきりもりといった暮らしぶりの話は大好きです。

 もちろん、中世ヨーロッパといえば何といっても騎士。
 多重封臣制(複数の主君に仕える)の話は面白かったです。仕えている主君同士が戦争となった場合は、片方の戦力として参戦しつつ、その敵方に援軍を送るという不可解な話。中世の騎士たちは戦場でも必ずしも死ぬまでは戦わなかったというのは、こういう事情も関係あるのでしょうか。
 また、騎士叙任式の晴れやかな様子も書かれています。騎士となる誓いを忘れないためにおこなわれる「コレー」(父親によって殴られる)。どんな流れで行われるものか、と前から気になっていました。

 この「殴る」&「忘れるなよ」という発想はどこから出てくるのでしょう。これは確かに忘れられないだろうけれど(笑)。
 中世ヨーロッパの農村において、村の境界線を定めた時に、幼い子供を殴ってその場所を覚えこませるという習慣があった、とどこかで読んだのですよね。その時は地図の作図方法が発達していなかったか文盲が多かったから文書にしなかったのかな、と考えていたのですが。これはコレーから生まれたものなのか、それともこういう発想が普通だったのか?

 殴ってでも守るべきものがある、あるいは、こうでもしないと人はすぐ忘れるからというような諦観が、ヨーロッパの文化にはあるのでしょうか。

 いろいろ好奇心ばかり刺激されました。また、他の本を読む楽しみになりました。
(2006.12.15)

「中世ヨーロッパの都市の生活」 講談社学術文庫
J・ギース F・ギース 共著 青島淑子 訳

   中世ヨーロッパの都市の生活 (講談社学術文庫)


13世紀、シャンパーニュ伯領の都市として活気に満ちていたトロワ。そこに住む人々の日常生活の様子を追うことで、中世ヨーロッパの都市の実像を描き出す。

 上の「中世ヨーロッパの城」が主に騎士と領主の世界から書かれていたのに対して、こちらは町人、商人の生活がメインで書かれています。私はこちらの方が好み。

 特に面白かったのは、1〜5章で描かれた生活と冠婚葬祭について。
 町並みの説明から、主婦の日課である買い物や料理、子供の遊びなどが取り上げられています。食料品市場の風景、どんな食材がどのように調理されていたか、など。もっとたくさん読みたかった(笑)。
 肉がいくら、食用油がいくら、という例もあげられていて、これは買い手の視点。6章「職人たち」ではギルドによって商品の品質基準が細かく決められていたこと、16章「シャンパーニュ大市」では遠方から運ばれる商品の値段を決める際に考慮されたこと(道中の通行料や護衛代、損害)に触れられていて、これは売り手の事情。買い手、売り手両方の視点で市場を見ることができるのが面白いです。

 中世の人にとって大きな意味を持っていた教会行事、教育、医療、演劇や物語などの娯楽についても書かれています。

 興味は湧きつつも、あまりわからなかったのは15章「市政」。
 領主と都市との間で決められた義務(軍役や税)と権利(自治について、特許状の獲得)、裁判制度などは私には難しくて、かなり読み飛ばしました(目が単語を拒否する・笑)。
 ただ、特許状の多くに「義務の限度」を明記したということには注意をひかれました。軍役をお金で代替できるとか行軍の地理的な限度(セーヌ川まで行けばいい、など)が取り決められたそうですが。果たしてそれで戦争できるのだろうか、と素朴な疑問。
 この時代(13C)から権利と義務を取り決め、さらに具体的な線引きをしようとした……ヨーロッパとはすごい世界だなあ、と思ってしまいました。

 エピローグではシャンパーニュ大市の衰退について。商売システムの変化、災害、増税など、いくつかの理由が挙げられています。
 以前に読んだ「中世イタリア商人の世界」に書かれたフィレンツェ、ペルッツィ社の倒産にも触れられていたので、世界がつながりました(そういえば、毛織商人の話は「プラートの商人」とも重ね読みできて、楽しみの多い本でした)。
 プロローグで時代背景からトロワに視点を定めていったのと対をなすように、エピローグではヨーロッパ各地の繁栄と衰退へ話の視点が移っていきます。小説か映画を見ているような気持ちで読み終えました。
(2007.1.10)

「輪切り図鑑 ヨーロッパの城」 岩波書店
S・ビースティ 画 R・プラット 文 桐敷真次郎 訳

   輪切り図鑑 ヨーロッパの城―中世の人々はどのように暮し,どのように敵と戦ったか


14世紀半ばのヨーロッパの城を輪切りにしたイラスト図鑑。中世の人々の生活、城の構造、戦の様子を説明する。

 上の「中世ヨーロッパの城の生活」を読んでいて思い出したので、取り出してみました。偶然にも、この本に描かれた城もイングランドのチェプストー城をモデルにしてありました(フランスのシノン城とイングランドのチェプストー城を参考に描かれています)。
 取り上げている事柄もよく似ています。城攻めの方法、武器や攻城機の説明、食べ物と宴会、槍試合や狩猟などの娯楽について、など。この二冊の併せ読みはお勧めです。あ、しかし古書のみしか無いようです(涙)。

 細密画とは違うのですが、細々としたイラストも好きです。城を輪切りにするだけではなく、壁を切り取ったり透明にしてあってわかりやすい。見開きひとページ(?)をつい30分も眺めてしまいました。トイレがつねに満員なのと物陰で抱き合う男女の姿が多いのがつっこみどころか(笑)。

 私が特に興味を持ったのは城の構造。剣を持って防戦する方が有利なように時計まわりに上がっていくらせん階段。戦時に塔の上にとりつけられ、反撃のために使われた板囲い。はしごを架けられないように突き返すためのフォーク状の棒。破城槌から門を守るために下げられたひっかけ鉤や緩衝材(材料は何だろう?)。
 原始的だけれど、効き目は間違いなくあるのですよね。何というか人間の体どうし、知恵のぶつかりあいという昔の戦の様子が想像できるようです。

 城の中にもぐりこんだスパイを探す、というおまけの楽しみもついているのが嬉しいです。
(2006.12.25)

「輪切り図鑑 大帆船」 岩波書店
S・ビースティ 画 R・プラット 文 北森俊行 訳

   輪切り図鑑 大帆船―トラファルガーの海戦をたたかったイギリスの軍艦の内部を見る


18世紀のイギリスの軍艦を輪切りにしたイラスト図鑑。艦上の生活、階級と組織、戦闘の様子、帆船の構造を図解する。

 もともと細かいイラストなのですが、艦上のぎゅう詰め具合が伝わってきて面白いです。階級ごとに割り当てられたスペースの違いが如実にわかります。下甲板と艦長室なんて、縮尺が違うのではないかと思うほど(笑)。ここでは暮らしたくないです。

 何度か読み直していますが、たぶん見落としが多いので、読む度に発見があります。
 航海中に空になった樽を分解しておくというのは、気がついていませんでした。水も食べ物も樽に入っていて、これがないと生活できないわけで。樽職人の腕が良いかどうかが船にとって大問題なのだと実感しました。
 あとは、信号旗を入れるロッカー。あんなに大きなものだとは思わなかった(艦尾甲板の端から端まで)。いざ、信号を出そうという時にはあっちこっちと取りに走ってから掲げるわけで、いくら急いだとしても、随分ゆったりしたペースに思えます。

 文字ではなく、絵で見てはじめて気がつくことも多い。いい本ですね。でも、これも古書だけのようです。

 今回もイラスト中に紛れ込んだ密航者を探す、というおまけつきですが、結構難しかったです。
(2007.1.13)

「図説 ヴェネツィア -『水の都』歴史散歩- 河出書房新社
L・コルフェライ 著 中山悦子 訳

   図説 ヴェネツィア―「水の都」歴史散歩 (ふくろうの本)


水の都ヴェネツィア。六世紀、異民族に追われての移住からはじまったこの都市は、交易によって成長、中世には東西文化の中継地点として栄えた。やがて、ナポレオンによって共和国が崩壊、イタリアへ編入されてから今日までの歴史を、写真や地図、絵画とともに辿る。

 写真満載で、前半は塩野七生さんの「海の都の物語」のヴィジュアルバージョンみたいで楽しかったです。
 ラグーナ(潟)への移住、そこに町が生まれ、共同体が形作られていく様子が(概略ですが)描かれています。水路に面した建物の写真や古い風景画から当時の生活を想像することができる――もしヴェネツィア旅行にいくことがあったら、その前に再読してみたいと思いました。

 私がヴェネツィアに惹かれるのは(読書でしか知りませんが)、商業都市の活気、海運によって富と力を蓄えてきたという歴史です。なので、アルセナーレ(国営造船所)を鳥瞰した図版には特に目をひかれました(遠近法が確立される前の絵なので、海が斜めに滑り落ちそうでくらくらします・笑)。隙間もないほど丸型船が錨泊している様子にわくわくしてしまいました。

 入門編風の本にしては珍しいな、と思ったのが、ヴェネツィア共和国の繁栄と崩壊の歴史だけではなく、その後の手探りの再興、今日の観光都市ヴェネツィアの問題点にもふれてあった点です。

 ヴェネツィアは過去の遺産で生きる観光都市となるか、あるいは常に変化しつづけていくべきなのか。

 著者はヴェネツィア生まれ、在住とのこと。この本は、第三者ではなく、ここに住む人が書いた郷土史でもあるわけです。華やかな過去だけではなく、現在、未来に向かう視点がいいです。
(2007.2.10)

「図説 メディチ家 -古都フィレンツェと栄光の「王朝」- 河出書房新社
中嶋浩郎 著

   図説 メディチ家―古都フィレンツェと栄光の「王朝」 (ふくろうの本)


ルネサンス文化の中心地であったフィレンツェ。そこで商人から大公の地位にまで登りつめたメディチ家一族の歴史を写真や肖像画、その庇護下でつくられた美術品を通して紹介する。

 いや、面白かった! 14世紀末にメディチ銀行を設立した「創始者」ジョヴァン二から最後の末裔アンナ・マリア・ルイーザの死まで、4世紀にわたる歴史が簡潔にまとめられています。

 14世紀半ばから大商社の倒産が続いた混乱期のフィレンツェで、新興商人として台頭してきたメディチ家。特に最初の4世代の人物が魅力的です。

肖像画は偏屈そう(!)ですが、話し上手であったというジョヴァン二。
優れた銀行家であり、フィレンツェにおけるメディチ家の地位を確固たるものとした老コジモ。
その息子で、病弱だった「痛風やみのピエロ」。
そして、ミケランジェロの才能を発掘したことでも知られるロレンツォ・イル・マニフィコと弟ジュリアーノ。

 後の時代になっていくと、周辺国との抗争や跡継ぎの無能ぶり(笑)やら若死などで勢力も衰えていくのですが、それでも一族から教皇やフランス王妃を出しています。
 そして、一族最後のアンナ・マリア・ルイーザが遺言で「メディチ家の財産は永遠にフィレンツェから持ち出されることのないように」と記したことで、今日までこの町は「ルネサンスの都」であり続けている。……凄い一族としか言いようがないですね。名門の意地とはこういったものか、と。

 一族の歴史そのものとは関係ないのですが。
 数多く収録されている肖像画は、眺めていると本当に面白いです。創始者ジョヴァン二の肖像など結構容赦なく(!)描かれているのですが、表情に何とも雰囲気があります。また、ロレンツォ・イル・マニフィコ。彼もまた「美貌とは程遠い」と言われていますが、G・ヴァザーリによる肖像画は陰気そうながら気迫を感じる、魅力的な姿です。ええ、アクが強くて、かなりかっこいい。美男ジュリアーノより好きですねえ。
 いずれも16世紀に入ってから描かれているので、写実的なものかどうかはわかりません。それでも、一人ひとりの個性を描こうとしたことははっきりとわかります。記号性を重視していた中世絵画ではあり得なかった、イタリア・ルネサンスを経たからこそ生まれた絵画に、その姿を残すメディチ家。やっぱり凄い一族です。
(2007.2.10)

 

「イタリア ルネサンスの旅」 日本交通公社
田中 穣 著

   イタリア ルネサンスの旅 JTBキャンブックス


イタリア・ルネサンスの三山といわれるダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエッロの作品を、同時代に生きた画家であり、「芸術家列伝」の著者であるジョルジョ・ヴァザーリの言葉を引用しながら紹介する。

 出版社を見てわかるようにイタリア旅行を念頭においたつくりで、巻末には編集部によるローマ、フィレンツェでの美術館、建築物の紹介が載っています。

 フィレンツェやヴェネツィアの歴史、ルネサンスの生まれた背景にふれつつ作品を見る――著者の狙いどおり、見て楽しくわかりやすいルネサンス美術の本です。
 とりあげられている作品は、ミケランジェロの「ダヴィデ」、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」、ラファエッロ「アテネの学堂」、ジョルジオーネ「嵐」、ボッティチェリ「春」……などなど、よく知られたものばかり(それでもダ・ヴィンチ、ミケランジェロの紹介が圧倒的に多いですが)。同時代を生きたヴァザーリの言葉を交えながらの紹介なので、作品の背景や発注にまつわる話にもふれてあって面白いです。作品が生き生きして見えてくる、というかんじ。行ってみたいです、イタリア(ほ〜)。

 ヴァザーリが「ルネサンス」という言葉を使い始めたことは知っていましたが、「芸術家列伝」は読んでいません(かなりボリュームがあるので、手が出なくて・汗)。同時代人が芸術家を評した言葉をかいつまんで読めるのは――ちょっとお得かも、と喜んでしまいました。ラファエッロについては〈……画家というよりも、王侯貴族のごとく生きた人〉、ダ・ヴィンチには〈……真に驚嘆すべきし神的な人であった〉という言葉が引用されています。

 システィーナの天井画発注をめぐるブラマンテの陰謀(?)についての話は面白かったですね。
 絵画は本業ではないと言い続けていたミケランジェロの仕事ぶり、それを横で見ていた形のユリウス二世、若きラファエッロ……ドラマだなあ、と。それにしても、ユリウス二世って我侭ではないの、と思いましたよ。別の仕事をしていたミケランジェロを無理矢理引っ張ってきて「自分の墓廟を作れ」だの「やっぱりやめた、お前、絵を描け」「(ミケランジェロ)私は画家ではなく彫刻家です」「法王の命令だ」、あげくに「早く描け、いつできるのだ」だの……おいおい。
 あれこれ未完成にせざるを得なかったのに、どれも見事な出来栄えであるミケランジェロはやはり天才。でも、このこき使われぶりは可哀想ですよ。

(2007.3.20)

 

「悪魔の布 - 縞模様の歴史 - 白水社
M・パストゥロー 著 松村剛・松村恵理 共訳

   悪魔の布―縞模様の歴史


中世から20世紀にいたるまで、ヨーロッパでは縞模様は特別の意味、機能をもつ図像だった。12、13世紀には異端の象徴、後には「従属」「革命精神」「清潔」といった意味を持つように変わっていく。長い時間の中でひとつの紋様がどのように捉えられてきたか、その歴史を追う。

 かなり以前に旧版を買ったのですが、「中世ヨーロッパを生きる」の中で参考書籍として紹介されていたので、懐かしくて取り出してみました。
 中世(15世紀くらいまで)の章はとても面白いです。
 13世紀半ば、聖王と呼ばれたルイ九世がフランス帰還の際にともなっていたカルメル会修道士の衣服が、パリの人々に衝撃を与えた。何故なら、その衣服が白と暗色の縞模様だったから。
 不名誉で、「悪いもの」とされた縞模様。それを修道士が身につけていたことへの驚きは相当なものだったようです(修道士たちにとっては、会の創始者とされる聖書の預言者になぞらえた模様だったのですが)。
 どちらが地でどちらが柄かわからない、あいまいで、人の目を惑わせるとして忌避された紋様。この感覚は現代人にはなかなか想像がつきません。ですが、言葉のかわりとしてたくさんの宗教画が描かれた時代は、言葉に拠らない情報に今よりももっと敏感だったのかもしれません。
 衣服においてメランコリックな色や柄が注目されるようになった15世紀に、縞模様が流行したというのも面白い話だと思いました。

 ですが、時代が下ってフランス革命以降の章は、こじつけっぽい感じがしてしまいました。
 模様を図像として捉えるなら、フランスの三色旗は「縞」というより「三分割」という方がしっくり来るし、寝具に使われる細い「縞」は「無地の亜種」という方がいいような気がするのです。
 そこまで色や模様の意味=記号性にこだわる感覚そのものが意外で、興味を感じました。


 新版はこちら

   縞模様の歴史―悪魔の布 (白水uブックス)

(2006.11.22)

「グリム童話 - メルヘンの深層 - 講談社現代新書
鈴木 晶 著 

   グリム童話―メルヘンの深層 (講談社現代新書)


世界中で幅広く読まれている「グリム童話」。グリム兄弟によって編まれた伝承というのは真実なのか、話が書き換えられているのは何故なのか。無邪気で心なごむものと一般に思われる童話から、どんな意味を読み取ることができるのか。

 書き足しや書き換えがあると聞いたことはありましたが、実例を読むのは初めてでした。また、グリム童話が書かれた頃、ドイツの民族意識を高揚させようとする動きがあったことも初めて知りました。こんなことにまでナポレオンの影響があったとは。
 童話の薄気味悪い雰囲気をちょっと味わいたくて買ってみましたが、昔話の構成についての研究、精神分析的解釈とその欠点についての話も面白かったです。「存在しない象徴を超人的な敏感さで嗅ぎ取り」、「少なくとも精神学者が出現するまで存在しなかった世界に導く」云々という批判には、つい失笑してしまいました。

 こうしてみると、昨年見た映画「ブラザーズグリム」の方が、よほどメルヘンぽい話でした。そういえば、映画にもナポレオンの肖像画が出てました。そういう時代だったのですね。
(2006.11.22)
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