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歴史・文化(欧米) 4

「ヨーロッパ史 なるほど謎学事典」 学研M文庫
島崎 晋 著

   ヨーロッパ史なるほど謎学事典 (学研M文庫)


デルフォイの神託はそんなによくあたったのか? ナポレオンの不敗神話はどうやって崩れたのか? 紀元前600年から20世紀までのヨーロッパの歴史の中の謎と意外な事実を紹介する。ヨーロッパ史略年表つき。

 謎もあれば、あまり謎でないものもありましたが(?)楽しかったです。面白雑学集という感じでした。
 名将にまつわるもの、民族にまつわるもの、というように章が分けられていたので、エピソードによって年代がばらばらです。話ごとに頭を切り替えるのに少し苦労しました。
 一般教養くらいの史実を扱っていますが、私は結構知らないことが多かった。ポルタヴァの戦いって何、ストルイピンって誰、ビスマルクっていつの人、リトアニアって、うーん、何処だっけ(汗)。四つ挙げただけでも自分の弱点がわかりました。
 以下、面白かったエピソード。

 スイスで傭兵業が盛んになったのは何故か?
 エリザベス一世が殺されかけたわけとは?
 ロシアが正教を国教に選ぶにいたった驚きの理由とは?
 カラカラ浴場があれほど大きくなった真実の理由とは?
(2008.1.3)

 

「中世の光と影 (上)」 講談社学術文庫
堀米庸三 著

   中世の光と影 上 (講談社学術文庫 205)


中世とは何か。それは、古代文化・ゲルマン文化・キリスト教文化の三者が対立したり、融合しながら「ヨーロッパ」を形成していく過程の時代であり、混沌とした中に独特のエネルギーを孕んでいた。それまで古代とルネサンスの間の「暗黒の時代」とされてきた中世のさまざまな姿を描く。上巻はローマ時代からシャルルマーニュの戴冠までを扱う。

1 二つのローマ
2 ヨーロッパとはなにか
3 ゲルマン民族の社会と文化
4 民族大移動期の地中海世界
5 キリスト教世界の展開
6 イスラムの侵入と地中海世界の変貌
7 ヨーロッパの成立 その一
8 ヨーロッパの成立 その二
9 試練にたつ中世ヨーロッパ


 これまではキリスト教文化色の強い中世後半の本を読むことが多かったので、あいまいにしか知らなかった初期――ローマの古典文化、ゲルマン民族の文化――をざっくり読めてよかったです。

 L・ゴフ著「中世とは何か」などを先に読んでいたので、『中世とは暗黒時代ではない』というところは納得できていたのですが、あらためてローマ時代から辿っていくと……あれこれ興味がわいて、目が覚めるようでした。
 
 ゲルマン民族がどのように新しい宗教(キリスト教)を受け入れ、その共同体が国になっていったか。
 イスラムの地中海世界への進出によってヨーロッパが東西に分化していく経緯を読むと、この時代のヨーロッパ地域をおおった活力が感じられるような気がしました。これには、おもわずマーブル模様を描いて混ざり合うチョコバニラアイスを思い浮かべたりして(何のこっちゃ)。
 また、東ローマとの決別を図るローマ法王権がフランク王権と接近していくこと、メロヴィング朝からカロリング朝への交代劇など、まるで小説を読むように面白かったのでした。

 歴史の本ですが、年号などはあまり気にせず流れを読めます。また、ヨーロッパから離れて日本の天皇制に話が飛んだり、紀行文のようなところもあって楽しい。

 続きも読みます。
(2009.3.19)

 

「中世の光と影 (下)」 講談社学術文庫
堀米庸三 著

   中世の光と影 下 (講談社学術文庫 206)


概要は上に。「カノッサの屈辱」から百年戦争の終わりまで。中世から近世へ、新しいヨーロッパに生まれ変わるまでを扱う。

10 神のものかシーザーのものか
11 十字軍とその時代 その一
12 十字軍とその時代 その二
13 正統と異端
14 十二、三世紀のヨーロッパ諸国
15 都市と城と学生
16 ロマネスクとゴシック
17 中世の秋


 聖職叙任権をめぐる教皇と皇帝の対立に端を発した「カノッサの屈辱」、教会権力の変化、十字軍の大脱線ぶりを経て、封建社会の発達。最後には封建貴族層の衰退と、国家を単位とした新しいヨーロッパの成立で締められてます。

 下巻では、ローマ法王を頂点とするキリスト教会と諸国王権力とのせめぎあいがじっくりと書かれてます。堪能、です。興味深かったのは、やはりキリスト教会内部の問題。明快に説明されていてなるほど納得いくのです。
 腐敗した聖職者の権限をどう捉えるか、原始キリスト教への回帰の動きと異端の定義。キリスト教会が常にかかえてきた異端問題が、実は正統派を厳しく規定した時代にこそ生まれてきたという皮肉な話。
 キリスト教世界が他文化に対して寛容さがないのは一神教だから、と私は考えていたんですが、それだけではないのかも。同じキリスト教の中でさえこんな状態だったことを思うと、物の考え方とか規定の仕方の問題なのかも、と思いました。

 そして驚いたのは、12世紀前半くらいまで、ヨーロッパはイスラム世界に対して非常に無知であったということ。
 私もそれに近いほど(笑)イスラム世界には無知で細かいことはわからなかったのですが。当時はイスラム教は多神教、偶像礼拝をすると思われていた、という大変な勘違いぶり。ルイ9世の頃はもう少し理解が進んでいたそうですが。ジョワンヴィルの「聖王ルイ」も読み返してみようかな、と思います。

 また、世俗権力の移り変わりの様子も面白かったです。
「ウォルムスの協約」以後、皇帝と法王の権限が分かたれて、東ローマとは異なる世界が確立される。各国では封建制度による国づくりが進められる。弱体化していく皇帝の下でドイツは分裂、一方、着実に力をつけていたフランス・カぺー王家と法王権の対立、イギリスでの議会制の発達。そして、ひさびさにドイツをのぞいてみると――弱体化したかと思いきや実は都市同盟が発達して、商人・職人が頑張っていたらしい。
 この三国を見るだけでも、歴史って面白い、とあらためて思いました。
 入れ替わり立ち替わりというか、遅れているがゆえの利点や先進するものの痛みのようなものを繰り返し味わうものなのだな、と思いました。だから、ある時点だけを抜き出しての評価や否定には意味がないのでしょうね。

 最後に本の内容とはまったく関係ないこと。
 この本、30年も前に書かれたもので、著者は1913年生まれの方なんですが。渋い言い回しが多くて、ところどころ読むのに苦労しました。『さなきだに』って古文みたいだなあ、と妙に惚れ惚れ読んでしまった。
 高校時代の文法授業を思い出そうとしたり(結局出てこなかった)。意味がわかっても、自分では使えない言葉がいくつもありました。日本語ってずいぶん変化しているのだ、としみじみ。
(2009.4.10)


「近代化と世間 - 私が見たヨーロッパと日本 朝日選書
阿部謹也 著

   近代化と世間―私が見たヨーロッパと日本 (朝日新書)


2006年9月に死去した西洋中世史家の最後の書。

第一章 西欧社会の特性
第二章 日本の「世間」
第三章 歴史認識の東西
終 章 ヨーロッパと日本
(2008.7.25)

 

「ヨーロッパ史をいかに学ぶか」 河合文化研究所
阿部謹也 著

   ヨーロッパ史をいかに学ぶか


1990年に河合塾で行われた同題の講演の収録。著者がヨーロッパ滞在中に見たエピソードをまじえながら、異文化をどのように捉えるかを語る。

 受験生に向けて行われた講演です。
 内容は著者がヨーロッパ史の研究をはじめたきっかけや、「中世賤民の宇宙」の前書き部分でふれられていた『文化と文明』の違い、日本人が異文化であるヨーロッパの歴史を学ぶ視点の持ち方について語られています。

「ヨーロッパ史は長年研究していてもわからないことばかりです」

 と冒頭に書かれて、驚く(笑)ところからはじまった話は「わからないところが面白い」「では、何故どこがわからないのか」と、著者自身の体験や学生の旅行話、高村光太郎の詩などを例に挙げながら丁寧に語られています。
「なるほど。さっぱりわかりませんね! そうか、そこが面白いんですか!」と学生気分(楽しい)で読みました。

 最近、ぼんやりとですが「自分には縁がない思っていても、世間の習慣やTVを見ることで知らず知らずのうちに体にしみつく感覚があるのだな」と考えていたので、「文化と文明」の違いの説明に注目して読んでいました(←自分の考えがうまくまとまらないので、まだ書けず。訳がわからなくて申し訳ない)。
 異文化を理解するためには、個人的な感覚によって共有されていることを知ることが必要である、という考えがとても印象に残りました。

 また、大学での学問のしかたについて触れた言葉が良かったです。

 学問は抽象的ではあるけれど、誰にでも通じる言葉で勉強するのです。学問が対象としていることは、基本的にはみな普遍的なことです。しかし、最近になって、どうもそれではまずいと思いだしたのです。

(受験生に対して)大学では「文化」の次元から抜け出して「文明」の次元で学問を学ぶ。そして、そののちにもう一度「文化」の次元から問いなおすことが必要である、と。

 日常生活の中で、人々がどういう付き合い方をしているか、その付き合い方に国家や社会がどういう影響を及ぼしているかということを見る。ふり返って同じ目で日本を見る。そして再度日本を見る目でヨーロッパを見直す、というこの交互作用をしないといけないと思うのです。

 とても難しいことなのに説明はわかりやすい。見事だな、と思います。
(2008.4.1)

 

「十字軍の軍隊」 新紀元社
T・ワイズ 著 G・A・エンブルトン 画  桂 令夫 訳

   十字軍の軍隊 (オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズ)


原題「Armies of the Crausades」。11〜13世紀、十字軍の時代のキリスト教圏、イスラム圏双方の軍の編成、装備、武器についてイラストとともに紹介する。

 題名は『十字軍』となっていますが、キリスト教圏とイスラム圏の資料の量はほぼ同じ。全部で50ページにも満たない薄い本なので紹介されている武具の種類は多くはないのですが、それぞれの兵士の姿を知ることができるのがいいと思いました。

 キリスト教圏の軍については、騎士修道会、外地勢(聖地で集められた兵士)、ビザンティン帝国、イベリア半島などで、それぞれ異なる形やデザインの武具が使われていたこと。また、イスラム圏ではアッバース朝の軍編成とそれを基にして作られたのちの時代の軍組織についても書かれています。

 中世の兵士といえば剣と楯を持った騎士の姿を真っ先に思い浮かべますが、その他にも投石兵、クロスボウ兵など、さまざまな武器と戦う技術があったのですね。
 武具、特に防具を見ると、その頼りなさ(!)に呆れるというか、よくこれで戦をする気になったものだと思います。革やキルティングとは心もとない(手芸のキルトと違って、中がふわふわではないですけど)。鎖かたびら(メール・ホーバーク)、鎖頭巾(メール・コイフ)だって矢には役に立たない気がしますし、剣だって、斬る、というより叩っ切るわけでしょう。……当時を想像すると怖いです。
(2007.11.5)

「中世賤民の宇宙 - ヨーロッパ原点への旅 - ちくま学芸文庫
阿部謹也 著

   中世賎民の宇宙―ヨーロッパ原点への旅 (ちくま学芸文庫)


初期中世の人々は、家や村など「小宇宙」と、その外にあって人の力のおよばない「大宇宙」の中に生きていた。彼らが抱いていた世界観は11〜12世紀にキリスト教が普及、自然科学が発達したことによって大きく変化する。現代とは異なる中世の時間・空間概念、死生観や、かつて畏怖の対象であった人々を賤視するようになった過程を考察する。

 私にはかなり難しかったです。話の流れや構造をつかむのにせいいっぱい(遺言書あたりの話はお手上げでした)、でも読んでよかったです。長い中世の間に次第に変化していった人々の意識について、現代に生きている立場から想像することばかり考えていたので、中世以前の世界と比較して捉えるという点が面白かったのです。
 著者が何度もくりかえし言っておられますが、中世の事柄を現代の感覚でとらえてはいけない、わからない。彼らは何を見てどのように考えたのか。その心情に迫ろうとしている、熱のようなものが伝わってきました。

 まとめて感想を書けるほど読みこなせなかったので、以下私の覚書になってます。これではあんまり参考になりませんね。すみません。

メインの章ふたつの覚書
「死者の社会史」では、中世の人々の抱いていた死生観が現代と大きく異なることから語られます。中世以前のゲルマン人の世界においては死者と生者が同じように権利と義務を持っていたこと。そして、キリスト教が浸透していく中で死者のイメージは変化、また、贈与・互酬の関係が教会の慣習に取り込まれて、人同士ではなく神を介在した関係に変わっていったことが書かれています。

「ヨーロッパ中世賤民成立論」では、人体や家など人の手で制御されうる「小宇宙」、その外の「大宇宙」という概念が説明されます。中世の人々が抱いていた死、病、戦争などへの恐れ、それらを送りこんでくる大宇宙への畏怖、大宇宙と折り合いをつけるという願望があったこと。そして、これもキリスト教によって「二つの宇宙」は「神がつくったひとつの宇宙」と一元化されていく。その過程で、かつては大宇宙の力を扱う能力があるとして畏怖された職業の人々(例えば、水車小屋の粉挽き、煙突掃除人)、彼らに向ける畏怖の感情が賤視へ変化していったことが書かれています。

興味深かった点いろいろ
 ・時間意識の変化。歯車時計の出現で人間の行動とは無関係の抽象的な時間が生まれた。
 ・貨幣経済について。『すべてのものが貨幣に転形される。流通はすべてのものがそこに飛び込んでから貨幣結晶として再び出てくるところの社会的坩堝となる』
 ・中世以前の古ゲルマン人の社会では、死は消滅ではなく移行にすぎなかった。そのため死体に対して処罰が行なわれたり、死者を原告とした裁判が行なわれることもあった。
 ・中世絵画の逆遠近法。重要な物事を大きく描く方法は、中世の人々の時間・空間意識と結びついている。
 ・ヨーロッパの下掛け式水車は、その構造から人の手による水位の調節が欠かせない。
 ・キリスト教の悪魔は怖くない。
 ・王と賤民は裏表の関係にある。
(2007.11.1)

 

「絵解き ヨーロッパ中世の夢」 原書房
J・ル・ゴフ 著  橘 明美 訳  樺山紘一 日本語版監修

   絵解き ヨーロッパ中世の夢(イマジネール)


原題「Heros et Merveilles du Moyen Age」。中世の夢から覚醒したはずの人間たちは、想像の世界から離脱したわけではなく、むしろ夢を継承しつつ中世への共感をはぐくんでいるのかもしれない――(日本語版序文より)
 空想や幻想の中に描かれる、現実以上に真実らしいイメージの数々。これらによって形成された「想像界」は人々の思考、行動の中に今も生き続けている。アーサー王、シャルルマーニュ、大聖堂、コカーニュの国など、歴史・伝説上の「英雄」と「驚異」の存在をとりあげて中世の夢=想像界の特徴をつかみ、その変遷をたどる。

こちらが目次です。

 序文
 アーサー
 カテドラル(大聖堂、司教座聖堂)
 シャルルマーニュ(カール大帝)
 城塞
 騎士と騎士道
 エル・シド
 クロイスター(修道院、あるいはその庭を囲む回廊)
 コカーニュの国(桃源郷)
 ジョングルール(大道芸人)
 一角獣(ユニコーン)
 メリュジーヌ
 マーリン(メルラン)
 エルカンの一党
 女教皇ヨハンナ
 狐のルナール
 ロビン・フッド
 ロラン
 トリスタンとイズー(イゾルデ)
 トゥルバドゥール、トゥルヴェール
 ワルキューレ


 こっちを読むつもりだったのに、図書館から間違えて借りてきてしまいました。失敗、失敗。
    ↓  ↓

  絵解き中世のヨーロッパ


 それでも一応読みましたが、抽象的で難しかったです。
 古くは細密画やタペストリー、時代が下って絵画や詩歌、さらに現代の映画やアニメーションをとりあげて、その中に上のような人物像や驚嘆を呼び起こすもののイメージが受け継がれていることが語られています。←説明、まとめすぎか。

 イメージの変化が面白かったのは、シャルルマーニュ(カール大帝)の章。
「長身、美しい白髪、陽気な顔つき」と表現されていたものが、のちの時代になると「豊かな白いひげ」となってしまったり、学問の擁護者としての面が「学生の守護聖人」「学校の守護者」となり、現代のイラストで学校の厳しい監督官の姿に描かれているのが可笑しかったです。

 中世の社会状況と照らし合わせて語られた点では、コカーニュの国の話が印象的でした。
 13世紀末にファブリオ(韻文小話)に登場した理想の国で、大食、快楽、怠惰と無為を貪るという夢が描かれています。これは、当時の人々の飢えへの恐怖、教会からの抑圧、また貨幣経済の発達という社会変化の裏返しとして生まれたのではないか。そして、このイメージがのちの風刺画や笑い話、祭りの余興(宝棒。立てた棒のてっぺんにつけられたお菓子や食べ物をとる遊び)の中に残っていくと、語られています。

 カテドラル(大聖堂)の章では、建築構造の変化(ロマネスク→ゴシック様式)とそれがもたらした効果、教会体制の変化やキリスト教圏の経済的発展との関係など、大聖堂の盛期について多く書かれていて読みごたえありました。その後、14世紀のヨーロッパ経済の破綻、プロテスタントとカトリックの対立の中で大聖堂が放棄されていきます。19世紀になるとロマン主義に導かれてふたたび聖堂が注目されて、絵画にとりあげられたり中断されていた建築工事が再開されるようになります。
 この頃から、大聖堂には「原初の森」というイメージが付与されるようになったと書かれていますが、この点にはあまり深くふれられておらず、残念。でも、何となく惹かれました。

 あと、中世といえば、というほどメジャーな聖杯伝説、アーサー王やロラン、トリスタンとイズーなどもあったのですが、私はもとの話をあまり知らなかったので、楽しめなかったのが残念でした。これは、またいつか。
(2008.1.6)

 

「身体の中世」 ちくま学芸文庫
池上俊一 著

  身体の中世 (ちくま学芸文庫)


ヨーロッパ中世とは身体を媒介に世界と関わった時代である。数々の迷信や隠喩が身体・感情・身振りに付されていたこの時代、人々は何に気持ちを動かされ、それをどのように表現したのか。文字による記録や図像を参照しながら、人間の「体」と「心」から中世ヨーロッパを見直す。

T 身体コミュニケーション
U 身体に関する知・メタファー・迷信
V からだの<狂い>とこころの<狂い>
W 感情表現の諸相
X 五感の歴史


概要は、
第T章 体を動かす(身振り、ダンス)、加工する(化粧、モード)ことにこめられた社会的な意味について。
第U章 中世ヨーロッパの人々は身体をとおして世界を把握していた。身体の各部位に意味が付され、国家や教会はそれを利用して権威を築いていった。
第V章 神の似姿につくられた人間の体や心が変調をきたすこと――病、狂気、畸形について。
第W章 感情(笑い、涙、怒り、嫉妬、羨望など)と、それを表現する方法について。特に声の重要さ。メディアのない時代、声は大きな役割を果たしていた。
第X章 五感は世界からどんな情報を受け取り、どのように世界を捉えたのか。
12〜13世紀以前は五感の中の触覚と聴覚が優位にあったが、その後ルネサンス期にかけては視覚による認識が重要視されていく。


 中世期全体を扱い、しかも五感や身体・感情の表現について、と語られている事柄はとても幅広くて、目が回りそうでした。読み終わってから、「概論、と捉えるべきなのかも?」と思いました(←気づくのが遅い)。

 一番面白かったのは、五感を扱ったX章。
 中でも、中世の人々の「読書」は指で羊皮紙をなぞりながら、声を出して読み上げるものだった、というところには目をひかれました。
 黙読の習慣の誕生は中世における重大な出来事だった、という話は「中世とは何か」で知ってはいました。でも、本を手にして『当然、音読する』という感覚がぴんと来ていなかったのですよね。
 ですが、T〜Wで感情表現のしかたや自分の身体をどう見ていたのか――そんな話をゆっくり読んだ後だと、音読したい気持ちがわかる、ような気がしました(感覚の話だから、感想がどこか煮え切らなくてすみません)。

 知識は目(視覚)ではなく耳(聴覚)から頭に入ってくるものだった。
 それが、12〜15世紀にかけて聖職者から世俗の王侯貴族にまで黙読が浸透してくると、読書はより個人的な行為になった。(このことは内省的な視点を生み、自我の形成やキリスト教信仰にも影響を及ぼす、と「中世とは何か」には書かれてました。)
 ……こんな話でした。他人の耳に入ることのない読書によって風刺やエロチシズムが文学に広まった、というおまけも。

 また、黙読の浸透と同時期に、宗教界においても視覚の果たす役割が大きくなっていく、というくだりも印象的でした。
 それ以前は、聖遺物や聖像に手で触れ、接吻することが重要だった。視覚が重要視されるにつれて、聖別されたパンやぶどう酒が、肉や血に「見え」、それをもっとしみじみと見たい、という欲求が生まれた。そのためにミサの演出効果が工夫され(聖体奉挙)、儀礼化されていった、と書かれています。
 塩野七生さんの本だったか、聖像に接吻するだけでは足らず、ご利益をもとめて齧りとる(笑)なんて話を思い出しました。これでは見るだけで飽き足らず、所有しようという話になるわけですけど。いずれにしても、すごい情熱。

 あと、断片的ですが覚書として。
 教会の鐘は人々の信仰生活には欠かせないもので、その音は天に向かって響いて祈りを運ぶと信じられていた。その鐘の音の響く範囲が教区とされ、皮膜のように包んで外界から住民を守っていた、というくだり。「中世賤民の宇宙」の大小宇宙の話を思い出します。

 また、森の木々がつくるアーチを風が通り抜ける時に生まれる反響音がゴシック建築の教会に再現されている、という一文がありまして。「絵解き ヨーロッパ中世の夢」で書かれていた、大聖堂=「原初の森」というイメージと関係があるかな、と気になりました。
(2008.6.2)

 

「遊びの中世史」 ちくま学芸文庫
池上俊一 著

   遊びの中世史 (ちくま学芸文庫)


中世ヨーロッパで親しまれていた賭博や貴族たちの騎馬試合は、時に死者を出すほどに人々を熱狂させた。遊びは当時の社会の中でどのような機能を持っていたのか。

プロローグ
第一部 遊びの宇宙
 第一章 子供の遊び
 第二章 大人の遊び
 第三章 遊びのプロフェッショナル
 第四章 動物遊び

第二部 遊びと社会
 第五章 習俗のなかの遊び
 第六章 労働と余暇
 第七章 遊びと社会関係
 第八章 横溢する遊びの精神
エピローグ


 単なる古い遊びのカタログではなく、その価値や機能を中世社会の文脈の中で理解しようという試みの本です。

 人形遊び、ボール遊びなど今もある子供の遊びももちろんですが、2章以降の大人の遊び――さいころ、チェス、狩や騎馬槍試合などが面白かったです。

 殊にさいころなどの賭博は過熱のあまり、全財産や妻子、命まで賭けることがあった。のちに度が過ぎる賭け事に規制がされたり、当人自ら「年にこの日にしか賭博はやらない」と誓約書を書くこともあったそうで。
 もっとも、賭け事好き同士が誓約書をかわして、それをやぶったら相手に罰金を払うって、それ自体が賭博っぽいなあ、と思ったりしました。

 経済との関わりについて。
 賭博は発展しつつあった貨幣経済を脅かすものと捉えられていたが、それと同時に、莫大な財産が独特のルールによって動く「賭博経済」ともいえるようなものがあったのではないか。
中世イタリア商人の世界」に描かれていたような13〜14世紀ヨーロッパの経済発展、大商人の倒産などの出来事のうちには、経済の賭博化が進行していたのではないか、という考えが興味深いです。

 この賭博経済については、もうひとつの側面が書かれています。
 中世初期にあった贈与や略奪の慣習が経済発展のうらで非公式なものとなり、しだいに廃れていく。この「略奪経済」に代わって、「遊戯と賭博の経済」が力を持つようになったのではないか――。

 難しい話だったので、掴みきれませんでしたが。これはまたいつか読み直してみたいです。

 そして、巻末の参考文献に簡単な内容紹介があるのが嬉しいです。
(2009.7.20)

 

「色で読む中世ヨーロッパ」 講談社選書メチエ
徳井淑子 著

   色で読む中世ヨーロッパ (講談社選書メチエ)


中世の人々はどのような体系で色を分類し、個々の色にどんな意味を感じていたのか。12〜13世紀中世後期を対象に、紋章、文学、絵画をとおして中世の色彩観を探る。また、涙模様や縞、ミ・パルティ(衣服の色を左右で分ける)などの柄に注目し、そこに感じられる感情や中世社会的な意味を語る。

 あとあと便利だと気づいたので、今後は目次も書いておこうと思います。

 序章 色彩文明の中世
 第一章 中世の色彩体系
 第二章 権威と護符の赤
 第三章 王から庶民までの青
 第四章 自然感情と緑
 第五章 忌み嫌われた黄
 第六章 子どもと芸人のミ・パルティと縞
 第七章 紋章とミ・パルティの政治性
 第八章 色の価値の転換
 終章 中世人の心性


 白・黒・赤を軸にした色の捉え方は、現代の明度・彩度・色相による色体系とはずいぶん異なっていて、そこからして新鮮でした。

 色のイメージについての説明は、絵や文学、映画を例にひいているのでわかりやすくて、面白かったです。
  生命力と結びついた赤や光を連想させる白への好イメージは現代人も持っていますが、一方で生き生きした喜び・力と不安定・不気味さを同時に感じさせたという緑、忌避されるべき黄色、という捉え方はちょっとぴんとこない。そこが面白いのですが。

 そして中世末期になると、悲しみの色であった黒や文学に現われた「涙紋様」と呼ばれる柄が流行します。その背景には、それまで「怒り」とともに忌むべき感情とされてきた「悲しみ」に美しさがみとめられ、芸術作品に表現されるようになったことがあげられています。
 目に見えるあらゆるものに意味を見出そうとし、抽象的な概念を具体的なものに託して表現(擬人化など)していた中世の人の感覚――それを知った上でルネサンス期の美術品などを見ると、また違う感想が浮かぶのかもしれません。

 中世においては、五感の中でも特に視覚が重要視されていた、ということは興味深かったです。
 目に見える事柄に意味を見出し、また逆に抽象的なものが目に見える形をとると信じられていた。これは、現代から見ると原始的というか素朴というか、迷信的にすら見えますが、当時の人にとって世界はそういうものだったのでしょうね。
 そして、そんな時代だと考えると、縞柄とミ・パルティを着た娼婦・芸人、黄色のしるしをつけることを義務づけられたユダヤ人が社会の中でどれだけ区別され、排除されたのか。何となくですが想像することができました。
(2007.12.2)

 

「中世の饗宴 - ヨーロッパ中世と食の文化 - 原書房
M・P・コズマン 著  加藤恭子/平野加代子 訳

   中世の饗宴―ヨーロッパ中世と食の文化


食物に関する禁忌、食卓のマナー、宴の趣向は文化を知る手がかりとなる。この考えに立って、主に中世イギリスの饗宴を紹介する。さまざまな食材とその扱い方、食品市場の様子、14世紀のロンドンの上下水事情やこの時代の人々の食に対する考えにもふれている。

 メニューの立て方や食材の扱い方について、当時の記録が細かく書かれて残されていることに驚きました。『雉のロースト、やましぎのロースト、ひばりのロースト、鹿の肉のロースト……』こんなに、肉ばっかり食べれるか! また、こんな体質の人にはこの食材、こんな場合は食べてはいけない、など食材の常識もあったようで――真偽はともかく、呪術めいた雰囲気を感じてしまいました。料理人というより、錬金術師のようです。
 宴席の音楽や演出には度肝を抜かれました。手品師がプディングの中から現われるとか、リアル羽根つき焼肉とか――こ、これは楽しいのだろうか? というか、食べるんですか。 確かに「手が凝ってて、お金かかったろうなあ」とは思わされるでしょう。いわゆる上流階級の宴の話ですが、何ともぜいたくな食事ですよ。
 ゼリーやで紋章を象ってみせる、あるいは動物の形を砂糖細工でつくるなど、装飾菓子の伝統を感じます。また、宴席周辺の習慣――貴族の子息が作法を学ぶために給仕として宮廷に送られるとか、給仕の仕事の中でも肉を切ることが格の高い役目であるとか、こんな話も面白いです。歴史ものの映画で見かけた場面を思い出しては、こんな伝統が土台になっているのかも、と考えておりました。

 また、食材や調理法など食べることそのものだけではなく、宴に見られる社会的地位と食の関係、食事と排泄、食行為への罪悪感など話が掘り下げられていて、面白かったです。
 食べる行為へのものすごい情熱、それと同時に、その快楽を堕落と結びつけて捉えていた中世の人の複雑な気分を味わいました。
(2007.10.5)
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