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海洋小説    3

英国海軍の雄ジャック・オーブリー
「新鋭艦長、戦乱の海へ」 上下
早川文庫
P・オブライアン 著  高橋泰邦 訳 

   
 新鋭艦長、戦乱の海へ―英国海軍の雄ジャック・オーブリー (上) (ハヤカワ文庫 NV―英国海軍の雄ジャック・オーブリー (1025))

 新鋭艦長、戦乱の海へ〈下〉―英国海軍の雄ジャック・オーブリー (ハヤカワ文庫NV)


原題「Master and Commander」。イギリス海軍士官、ジャック・オーブリーはスループ艦ソフィー号の艦長に就任した。待ち望んでいた、最初の指揮艦だ。友人スティーブン・マチュリンを軍医に迎え、ソフィー号は出航する。英米で人気のシリーズの1巻。

 海では有能な艦長ぶりを見せるのに陸ではちょっとたよりない(借金もちで女性好き)、太り気味のジャックと、博学で外国語にも堪能(そして変わり者)なスティーブンのコンビが魅力的です。邦題に「マチュリン」の名前がないのはどうして〜?
 海にはまるで素人のスティーブンと船の中を見てまわり、ジャックといっしょに晩餐会へ出かける。そしてソフィー号とともに海へ、そして敵艦との遭遇……。見るものすべてが新鮮で楽しい巻です。ところで邦訳には巻数が入ってませんが、ちゃんと全巻出版してくれるんでしょうね、早川書房殿。


このシリーズの動物が見たくなったら、こちら
映画「マスター・アンド・コマンダー」の感想はこちら
(2003.1)

 

英国海軍の雄ジャック・オーブリー
「勅任艦長への航海」 上下
早川文庫
P・オブライアン 著  高沢次郎 訳 

   勅任艦長への航海〈上〉―英国海軍の雄ジャック・オーブリー (ハヤカワ文庫NV)

   勅任艦長への航海〈下〉―英国海軍の雄ジャック・オーブリー (ハヤカワ文庫NV)


原題「Post Captain」。シリーズ2巻。突然の休戦によってジャックは陸に上がらなければならなくなった。スティーブンや気心の知れた部下達とメルベリー・ロッジに居をかまえ狩や遠乗りを楽しむ。そこで彼らは二人の娘と出会った。優しく穏やかなソフィーはジャックを愛するようになるが、ジャックとスティーブンはダイアナをめぐってライバル同士になってしまう。そのうち拿捕賞金代理人の破産によってジャックは借金取りに追われる身の上となってしまった。船のない半給艦長生活から抜け出したいと考えたジャックに与えられたのはポリクレスト号という独特の形のスループ艦だった。

 ヒロイン達の登場に「海洋冒険物っぽくない」と考える読者もいるようですが、私は話に広がりが出て好きです。海洋物に出てくる女性は妙に理想的だったり愚かだったりすることが多いのに、ソフィーもダイアナも実際にいそうなキャラクターです。
 この巻はともかくジャックに惚れます。借金取りを強制徴募してしまう、とんでもない変装をしてくれる、反乱直前の部下達の心をしっかり掴んで戦いをはじめてしまう・・・。他の本ではまず見ない型の、ポリクレスト号が頑張ってくれてる姿が印象的です。
(2003.5.20)

 

英国海軍の雄ジャック・オーブリー
「特命航海、嵐のインド洋」 上下
早川文庫
P・オブライアン著  高橋泰邦・高津幸枝訳

   特命航海、嵐のインド洋〈上〉―英国海軍の雄ジャック・オーブリー (ハヤカワ文庫NV)

   特命航海、嵐のインド洋〈下〉―英国海軍の雄ジャック・オーブリー (ハヤカワ文庫NV)


シリーズ3巻、下記「H.M.S.Surprise」の邦訳。代理艦長だったジャックはスティーブンのつてによって、かつて士官候補生として乗り組んだフリゲート艦サプライズ号の艦長となる。特命外交使節を乗せてインド、そしてカンポンを目指すことになった。ジャックは愛するソフィーと離れてインドへ向かう。そのインドにダイアナがいることをスティーブンは知っていた。

 日本語で読むと色々発見がありました。スティーブンが船に連れ帰った動物のその後、後日ネズミに食べさせるためのアカネを出航前に購入していたり、細かいところに気づいて楽しかったです。また、原文では難しすぎて読み飛ばした海戦シーンが新鮮でした。他の海洋小説では戦闘が行われるほんの一時を大きく取り上げることが多い気がしますが、今回はそこに至るまでのサプライズ号の準備の様子が良かったと思います。波や風、敵艦の喫水を見て、動きを予想しながら夜を明かす。ジャックの名艦長ぶりだなあ、と思いました。それとは対照的に友人を案じて取り乱したり、ナマケモノに嫌われたと傷ついてるジャックも可愛かったです。
 そして終章。やっぱりダイアナの辞書に「女冥利」の文字はないと思いました。
(2003.9.19)

 

Aubrey&Maturin Novels
「H.M.S.Surprise」
Harper Collins Publishers
Patrick O'Brian 著  

   HMS "Surprise"


シリーズ3巻の原書。あらすじは上記にまとめて記載。

(以下は原書を読んだ時点での感想です)本当はサプライズ号に乗る前に一波乱あったのですが、冒頭を読んだのがほぼ一年前のため細部はすっかり頭から抜け落ちてしまいました(涙)。
 ヨーロッパから南下、喜望峰をめぐりインドへ。この長い(実際彼らと同じくらいの時間をかけて読んだのでした)旅の間の風景がとても美しいです。喜望峰近くの荒れた海、日に日に寒くなる風、マストの上に瞬く星、そしてインドについてからは鮮やかな海の色や熱気。つい夢中になって辞書を引きまくりました。これだけ行動範囲が広がればもうスティーブンの天下(笑)。様々な動物がサプライズ号に持ち込まれて乗組員を楽しませたりやきもきさせたりします。この巻ではスティーブンがらみのエピソードが心に残りました。どこへ行っても新しい興味の対象を見つけている楽しげな姿、ひどく傷ついて悲しむ姿。そして彼が辛い時に必ず発揮されるジャックの温かさが魅力的です。
(2003.5.15)

 

英国海軍の雄ジャック・オーブリー
「攻略せよ、要衝モーリシャス」上下
早川文庫
P・オブライアン著  高津幸枝訳

   攻略せよ、要衝モーリシャス(上) ジャック・オーブリーシリーズ (ハヤカワ文庫 NV)

   攻略せよ、要衝モーリシャス(下) ジャック・オーブリーシリーズ (ハヤカワ文庫 NV)


原題「The Mauritius Command」。シリーズ4巻。結婚して双子の女の子の父親となって、今は陸で半給生活を送っていたジャックに、モーリシャスでの戦隊司令官の役職が与えられた。インドとの貿易上、重要な拠点となるこの島からフランス軍基地を奪取し、イギリスの植民地とすることが任務だ。

 ブロード・ペナントをあげる、一艦の艦長ではなく、艦長たちを束ねる司令官になる、と目を輝かせるジャックと周囲の反応が楽しかった(当初、反応しなかった人も含めて)。
 全体としては何とも渋い展開であった気がします。ジャック本人が前線に飛び込んでいくのではなく、後ろに控えているという構図、陸軍との連携、クロンファートとの確執(というには一方的な関係)、そしてトンビが現れる結末。
 忘れられないのは……クロンファート艦長か。情けなさっぷりと俗っぽさ、でもどこか憎めない。スティーブンは彼とジャックをカエルと牛に例えてますが、クロンファート一人に限れば彼の部屋の描写が印象的です。双方向に鏡を張って、実際以上に広く見せてる装飾過多な船室。こういう表現がオブライアンってうまいなあ、と思いました。
 各艦長や陸軍さんも個性的なんですが、それでもジャックがやってくると「よかった、ジャックが来ればもう安心」と思ってしまう。後半は周囲の目で見たジャック像が新鮮で、そして最終章でのジャックの舞い上がりぶりは、その倍ほども楽しかったです。
(2004.8.15)

 

英国海軍の雄ジャック・オーブリー
「囚人護送艦、流刑大陸へ」上下
早川文庫
P・オブライアン著  大森洋子訳

   囚人護送艦、流刑大陸へ〈上〉―英国海軍の雄ジャック・オーブリー (ハヤカワ文庫NV)

  囚人護送艦、流刑大陸へ〈下〉―英国海軍の雄ジャック・オーブリー (ハヤカワ文庫NV)


原題「Desolation Island」。シリーズ5巻。レパード号は囚人を護送するという、オーブリーにすればありがたくない任務のためにボタニー湾へ向かう。囚人、しかも女を艦に乗せるというやっかいな事態に加え、発疹チフスが発生、そしてレパード号は赤道無風帯へ入っていった。

 これまで読んだ巻の中で一番面白い! 上のような目を離せない展開ももちろんですが、ジャックとスティーブンの演奏、懐かしい顔との再会、古い50門艦と取っ組み合うようにして南極海を航行する姿は読みごたえありました。
 話もエピソードも微妙に違いますが、映画を思い出すシーンが多かった。殊に演奏シーンなど嬉しくて、実は読みながら涙を浮かべてました。ジャックの気持ちが言葉よりわかりやすく表れるヴァイオリン。R・クロウで見たい〜(じたばた)

 チフスの発生から終息までページ数は少ないのですが、とても印象的です。「過度の恐怖感と失望感といったものが乗組員の上に覆いかぶさって……」病気より早く男達を殺していった、と書かれています。
 医療というより迷信ぎりぎりの治療方法も多かった時代。素朴な頭脳の屈強な水兵たちの死生観がどんなものであったのか、気になりました。そして、手を尽くした治療だけではどうにもならなかった艦の雰囲気が、風を取り戻したことで好転していく場面は素晴らしい。「子供みたいに大笑い」したというジャックの存在感は、幸福な艦の艦長らしい。

 ところで、このシリーズの艦はどれも印象的。2巻のポリクレスト号は形が妙なので特に忘れられませんが、50門艦というのも他の本で見たことがない。こういう、ちょっと扱い辛かったり廃れゆく等級の艦を愛してくれるジャックが好きです。舵が壊れ、船体が裂けてポンプを突きながら氷山の横を航行する。最後の最後まで艦に踏みとどまって知力を尽くす姿は醍醐味があります。
 陸上の話が多くて海洋小説ぽくない、なんて読者もあるそうですが、どうしてだろう。こんな航海の物語なのに?

 しかし、ダイアナ。美容ミルク風呂の代金くらい払ってから遁走しなさい。
(2005.6.26)

  

英国海軍の雄ジャック・オーブリー
「ボストン沖、決死の脱出行」 上下
早川文庫
P・オブライアン著  高沢次郎訳

   ボストン沖、決死の脱出行 (上) (ハヤカワ文庫 NV)

   ボストン沖、決死の脱出行 (下) (ハヤカワ文庫 NV)


原題「The Fortune of War」。シリーズ6巻。満身創痍のレパード号は、東南アジアのイギリス海軍基地へ辿り着く。生還したジャックは新しい指揮艦と妻子の待つイギリスを目指して出航する。しかしその途中、乗艦は沈没し、その乗組員を救助したジャワ号はアメリカ艦に拿捕されて、ジャックとスティーブンは捕虜としてボストンへ向かう。そこで、スティーブンはダイアナと再会することになった。

 ノアの箱舟化した船が沈み、あれこれ、散々な目にあった後に捕虜としてアメリカへ。何とも慌しい巻でした。
 今回はスティーブンの活躍が多くて嬉しい。ダイアナがからむと、彼はずいぶん人間くさくて(サラマンダーではなく)面白いです。ルイーザと会った時には、その率直で明るい気性を内心ほめているのに、ダイアナと再会したとたん、眼中になし。普段は身なりなどかまわないのに、ダイアナとの約束のためにひげを剃って、ぱりっとした格好をしたり……(「ギャングスターNo1」の、極上スーツのポール・ベタニーを思い浮かべるのは、良すぎかしら)。裏稼業持ちの割には、内心がぽろっと表に出やすい人なのだなあ、と心配になりました。

 登場した艦の辿る道がそれぞれ違うせいか、「The Fortune of War(戦時の運)」という原題が印象的でした。乗組員のやる気は充分なのに訓練不足の艦。有能な士官のもとで幾度も戦果を上げながら、それを諦めなくてはならなかった艦。修理不能なまでに壊れて、軍艦としての命を終える船。何が彼女ら(船)の道を分けるのか、どの艦に乗りあわせるか、は運としか言いようがないのでしょうね。

 ところで、心配です。この人、ブローク艦長。何だかあまりにいい人すぎて、あっさり死んでしまうのでは、と気が揉めます。次巻が楽しみです。
(2005.10.23)

 

英国海軍の雄ジャック・オーブリー
「風雲のバルト海、要塞島攻略」 上下
早川文庫
P・オブライアン著  高沢次郎訳

   風雲のバルト海、要塞島攻略〈上〉―英国海軍の雄ジャック・オーブリー (ハヤカワ文庫NV)

   風雲のバルト海、要塞島攻略〈下〉―英国海軍の雄ジャック・オーブリー (ハヤカワ文庫NV)


原題「The Surgoen's Mate」。シリーズ7巻。ボストンを脱出したジャック、スティーブン、そしてダイアナは無事イギリスに辿りついた。久しぶりに我が家へ帰ったジャックだが、落ち着く間もなく海へ戻ることになる。 英国とナポレオン軍との戦いに重要な位置を占めるグリムズホルム島。この島は独立を望むカタロニア人たちの手にあり、彼らと接触するために二人はエーリエル号でバルト海へ向かう。

 題名の派手さには首を傾げましたが、次々に目を離せない展開が続いたので、あっというまに読みきってしまいました。
 アメリカを後にする彼らを追う私掠船、ダイアナの身の上、大西洋を越えてジャックを追ってきた恐怖の(笑)手紙。ジャックの行状は情けなかったけれど、わからないでもない心情。グリムズホルム島に近づくための計画。そして、その後、舞台はフランスの牢獄へ……。 前の巻にも劣らず慌しいけれど、面白かったです。ブローク艦長も大丈夫そうですし。


「何であれ海にうかぶものをつかまえるオーブリー艦長の能力を信頼しています」というスティーブンの言葉にじわっときました。一番好きだったのは、この後。『海に浮かぶものを捕まえに』行くエーリエル号の場面です。

 明け方に見つけたミニー号を追って、風を伺い、帆を広げたり取り込んだりしながらの一日。命令を口に出す前に、既に水兵たちが索についているという。いい艦だ、というジャックの喜びに頷けます。やがて、日没まで続いた競り合いから一転、座礁するまいと測深しながらそろそろと進む緊張感。対比が鮮やかです。

 もうひとつ気になったのはダイアナとスティーブンが無事に結婚できるのか。いや、ダイアナ。前科がありますから。でも、ダイアナはいい女だと思うんですよ。スティーブンには諜報員なんて向いてない、と笑うけれど「あなたは鳥と一緒にいる方が幸せだ」というせりふ。事実に気づかなくても、真実を知ってるタイプの女性だと思うのです。

 ヤギエロさんがあんなに苦労して手に入れた滑車は、活用できなくて残念でした。

 全体としてはめまぐるしく、盛りだくさん。一冊一大クライマックスという流れを期待するなら、読みづらい本。でも、それで片付けるにはあまりに魅力的だと思います。物凄くお喋りで、インスピレーションにあふれた人の話に相槌を打つような読書、かな。
(2006.7.7)

 

英国海軍の雄ジャック・オーブリー
「封鎖艦、イオニア海へ」 上下
早川文庫
P・オブライアン 著  高津幸枝 訳

   封鎖艦、イオニア海へ〈上〉―英国海軍の雄ジャック・オーブリー (ハヤカワ文庫NV)

   封鎖艦、イオニア海へ〈下〉―英国海軍の雄ジャック・オーブリー (ハヤカワ文庫NV)


原題「The Ionian Mission」。シリーズ8巻。ジャックは戦列艦ウスター号を指揮してツーロンでのフランス艦隊の封鎖任務にあたることになった。しかし、地中海艦隊を束ねるソーントン提督は体調が思わしくなく、次席司令官を務めていたのはジャックと折り合いの悪いハート提督だった。トルコ帝国の地方長官たちの協力によって、マルガに駐留するフランス軍を追い出そうという作戦の責任はジャックの肩にかかってきた。

 ユーモアある文章がノリよく訳されていて、翻訳者も楽しまれたのだろうなと想像することが多かったです。ことにスティーブンと周囲の会話。
 いつものように海がせり上がってくるわ、塗りたてのペンキから足を離していただきたいわ(笑)、最悪のタイミングで水泳するわ。
『何もかも展帆した状態をいつまで礼儀正しく眺めていなければならないか』って。そりゃあ、退屈でしょうよ。読みながら何度も噴き出してしまいました。
 また、ジャックとキリックとの艦長室でのやりとり。ジャックが上機嫌ならキリックは不機嫌。「シーソーのよう」とはうまい言い方です。「望遠鏡を覗くのに片目をつぶらなくてすむ」と言った隻眼のマーティン牧師も印象的でした。

 下巻では再会いろいろ。久々に帰ってきたポート・マオン(1巻当時とはご時勢もかわり、今はスペインの港)では可愛いメルセデス、そして、サープライズ号との再会が嬉しい。トルグッド号との接近場面、『サープライズ号のほうも詰め開きはいつだって大喜びだから』という艦の描写に、わくわくしました。

 印象的だったのは、メディナにてフランス艦との牽制し合い(というか、気分としては挑発し合い?)する場面。
 メディナは中立の港だからそれを尊重しなければならない。決して先に攻撃してはならないと命じた上で、ジャックはフランス艦の出方を窺う。ゆっくり波をかき分けながら進むウスター号からはマスケット銃をかまえた姿がはっきりと見てとれる……緊張して、目が離せませんでした。

 難を言うなら、ところどころ日本語ではありえない(!)長さの文章を読むのは辛かった。原文も一文が長いことが多いから仕方ないのかな。もちょっとだけ切って欲しい。しかし、思いつくまま喋りたくて仕方ないような「だらだら」も捨てがたい……。だらだら&すっぱり希望とは、わがままな読者ですか。

 今更、気がついたのですが。このシリーズの私の感想部分、ひどいですね。これでは読んでいない方にはさっぱりわからないです。すみません、好きな本に関してはたがが緩むらしい。次の巻からはもう少し気をつけます。
(2006.12.7)

 

英国海軍の雄ジャック・オーブリー
「灼熱の罠、紅海遥かなり」 上下
早川文庫
P・オブライアン著  高津幸枝訳

   灼熱の罠、紅海遙かなり〈上〉―英国海軍の雄ジャック・オーブリー (ハヤカワ文庫NV)

   灼熱の罠、紅海遙かなり〈下〉―英国海軍の雄ジャック・オーブリー (ハヤカワ文庫NV)


原題「Treason's Harbour」。シリーズ9巻。サープライズ号は修理のためにマルタ島のドックに入っていた。乗艦が整うめどを待つジャックは砂漠を越えて紅海へ向かうように命ぜられる。紅海周辺の国々は複雑な政治情勢下にあり、そこにフランス、イギリスが勢力をのばそうとしていた。ジャックが受けたのは、フランスからの貢納金を山積したガレー船を待ち伏せるという秘密任務だ。しかし、この作戦は当初から秘密どころか噂話となっていた。

 強い日差し、柑橘類の香りのする風景。ジャックには明るい地中海が似合う気がします。最初に読んだ一巻も地中海(メノルカ島)でしたから、なおのことそう思うのかもしれません。
「公然の秘密」任務となってしまったジャックの紅海行き、そして水面下で動いているかのようなフランスの諜報活動がちらほらと感じ取られるのが面白かったです。いや、事実、水面下にも潜ったのですが。と、ジョークを飛ばしたくなるのは、間違いなくジャックの影響でしょう。気の利いたひとことを見つけるとうきうきする、あいかわらずのジャックが可愛いです。

 一番印象的だったのは、サープライズ号にかけるジャックの思い入れでした。
 ぼろぼろのサープライズ号と遅々として進まない修理作業。上陸している間にだらしなく、しかも散り散りになってしまう水兵たち……これを取りまとめていくジャックの熱心さが細かく書かれているものだから、後半でサープライズ号の処遇を聞かされると、こちらもがっくりきてしまいました。気心の知れた仲間が、結束が、馴染んだ艦の手ごたえが永遠に失われてしまうというやりきれなさ。涙を浮かべた、というジャックの気持ちがよくわかります。
 ジャックもスティーブンも年齢を重ねているようです(いま、幾つなんだ?)。ハートリー提督といい、道端で見かけた亀といい、サープライズ号、ハート提督……「変わっていく」「無くなっていく」ことがくりかえし描かれて、なかなか切ない巻でした。
 巻が進むにつれて多くなる下ネタにも関わらず(笑)、オブライアンの皮肉めいた、クールな文章は好きです。サー・フランシスの話ぶりについての一文には思わず笑ってしまいました。『言葉の奔流と、必ずしもわかりやすくはない挿入句』って、他人事じゃないですよ、オブライアンさん。

 個人的に注目したのはスティーブンとローラ・フィールディング。『思いやり、敬意、好意もあり、愛情をともなう友情が、ついぞなかったほど高まっている』って、回りくどいけれど、ようは相当好きってことじゃないですか。いいのか、既婚者スティーブン。

 白状すると、この話の前振りにあたってるらしい4巻や、続く10巻の内容をかなり忘れてしまってるので、また読み直そうと思います。もちろん、この巻だけでも面白いですけれど。
 ついでにおしゃべりすれば。高沢次郎さんの訳も読みたい。高津さん、高沢さん、大森さん御三方の中では、私は高沢さんの訳が一番好きなんです。高橋さんの文は別格で好きですが。
(2007.5.24)

 

英国海軍の雄ジャック・オーブリー
「南太平洋、波瀾の追撃戦」 上下
早川文庫
P・オブライアン著  高橋泰邦・高津幸枝訳

   南太平洋、波瀾の追撃戦〈上〉―英国海軍の雄ジャック・オーブリー (ハヤカワ文庫NV)

   南太平洋、波瀾の追撃戦〈下〉―英国海軍の雄ジャック・オーブリー (ハヤカワ文庫NV)


原作10巻にあたる「The Far Side of the World」の邦訳(2004年3月公開映画「マスターアンドコマンダー」の原作)。イギリスの捕鯨船を捕獲しようとする合衆国艦ノーフォーク号を阻止するためにオーブリー指揮するサープライズ号が出航する。目指す敵の情報を得ながらイギリスから南下、ホーン岬を超えて遥か南太平洋へ向かう。

 初頭部の陸上での話が長くて退屈という読者もいるようですが、私は結構好きです。早く出航したいのに人手が集まらない、装備がなかなか整わない、と、やきもきするジャックと一緒に「もう陸のごたごたはたくさんだ!」と頭をかきむしった頃に話が海へ滑り出すのが快感です。多分著者の思うままに操られてます、この一読者。今回はじめて読んだスティーブン&マーティン牧師、向かうところ敵なしのインテリコンビも気に入りました。3巻の懐かしのセント・ポール岩礁がちょっと話題に出ていて、ファン心をくすぐられます(知ってるところが出てくるだけで、もう嬉しくなってしまう)。
 全篇通して悪天候、漂流など自然を相手にした戦いが続きますが、淡々とした文章が心地いいです。遥か太平洋まで追い詰めたノーフォーク号の姿に「それはないだろう」と一瞬思いましたが「いや、こういうこともあっただろう」と納得できる世界が堪能できました。
 あと今回、注釈が多くて嬉しかったです。音楽からミジンコ、古英法まで幅広い話題に説明つき。翻訳の方、お疲れさまです。
(2004.3.20)

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