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現代小説 10

 

「こちら郵政省特配課」 ソノラマ文庫
小川一水 著

  こちら郵政省特配課 (ソノラマ文庫)

  こちら、郵政省特別配達課(1) (新潮文庫nex)


郵便局が本気を出した。郵政省郵務局特別配達課が誕生した。法律に触れない限り、どんな物でもどこへでも、あらゆる機材を駆使して、迅速確実に、真心込めて届けます。

新潮から文庫が出ていたので、そちらにもリンクしておきます(内容が合ってなかったらすみません)。

「一律キログラムあたり40円の小包料金」「切手を貼れば、何でも届ける」「どんな手を使ってでも届ける」。
 目的のためにいくらかかろうと厭わない、という破天荒設定の特別配達課。真っ赤なスポーツカー(〒マーク付き)をぶっとばして配達する美女と、その部下・鳳一が主人公のお話。

 小包料金ってそんなに安かったっけ? でも、勢いがあって楽しかったです。予算(税金)にも限りってものがあるだろ、とか、それ犯罪すれすれ、とか野暮は言っちゃいけませんね。とんでもない設定の中でどれだけ熱い物語が読めるか――ええ、満足しました。

 あとがきでも軽く書かれていますが。
「運び屋」ものの小説はたくさんありますが、主人公が体制側、巨大組織の中に立って活躍する話って確かに少ない。そういう設定では、組織悪とか権力闘争みたいなどろどろの小説が多い気がするので、こんなさわやかな公務員の話が読めて面白かった。
 公務員には公務員にしかできない「熱い」仕事がある――だよね。
(2014.1.23)


「追伸・こちら特別配達課」 ソノラマ文庫
小川一水 著

  追伸・こちら特別配達課 (ソノラマ文庫)

  こちら、郵政省特別配達課(2) (新潮文庫nex)

切手が貼れるものならなんでもOK。特装新幹線車両や高速ヘリを駆使して、全国各地へ、皆様の真心を確実に素早くお届けしています。ところが、ここに来て、郵便局が宅配便に対抗して作った高速配達網が完成。特配課は存亡の危機に。

新潮から文庫が出ていたので、そちらにもリンクしておきます(内容が合ってなかったらすみません)。

 第二作。郵便制度を大きく変容させる新・配達システムG-NETをめぐって鳳一が活躍します。G-NETの開発が進めば、特別配達課は廃止となってしまう。そんなことは配達屋(?)魂が許せない。民間業者との協力で地道な抵抗戦が始まります。

 今回は作者のいろんなお楽しみが盛り込まれてものすごい充実感。走り屋あり、京都のはんなりしっとり、雪山登山に派閥政治……いや、満腹です。

 面白かったのは、京都の複雑に入り組んだ町と住所表記、そしてそう簡単にはマイペースを崩さない京都の人たちの気風。
 あのわかりにくい住所表記の理由にびっくり。表示方法が二つあるなんて初めて知りました。鳳一が「このせっまい道! ややこし!」と驚いてる視線にはおもわず頷いてしまった。

 雪山登山はさすがに現実味がなさすぎ(だって、いくら体力があったって、登山初心者をいきなり冬山には登らせないでしょう)と思いましたが、この作品に関しては、何でもあり。楽しく読み終わりました。
(2014.2.27)


「彼女について」 文春文庫
よしもとばなな 著

   彼女について (文春文庫)


由美子は久しぶりに会ったいとこの昇一と旅に出る。魔女だった母からかけられた呪いを解くために。両親の過去にまつわる忌まわしい記憶と、自分の存在を揺るがす真実と向き合うために。著者が自らの死生観を注ぎ込み、たとえ救いがなくてもきれいな感情を失わずに生きる一人の女の子を描く。暗い世界に小さな光をともす物語。

 「何か手伝えることがあると思って来ました。」
 そう言って、由美子のもとにいとこの昇一がやって来た。由美子は、幼い頃に両親が魔術にはまって傷害事件を起こして亡くなって以来ひとり生きてきた。最後の幸福な記憶の中にいた昇一と再会したことをきっかけに、事件の関係者や記憶の場所を訪れる。
 強烈な個性を持つ母たちからの、いわば自立の物語とも言えるし、子ども時代からの卒業の話とも言える。過去の傷の癒しの物語とも言える。

 家族や自分自身について他者から聞かされることがきっかけとなって「記憶とはあいまいなものだ」と気づくのはよくあること。由美子もまた不確かな記憶の中から事実を捉えなおし、生きる実感をつかみとっていきます。

 なんだ、生きてるってこういうことなんだ。もっとすごいことを成し遂げなくちゃいけないのかと思っていたし、それができないのなら、ずっと頭を低くして毎日を送らなくちゃいけないのかと思っていた。でも、そんな大それたことではなく、ただいとこと旅をしたり、今日一日の始まりをしずかに見たり、それでいいんだな、これが人生のほとんど全部の要素なんだ。


 母たちの確執、運命から逃れられないような重苦しさ、そして由美子の生家のまぶしく美しい庭の風景。その対比にめまいを覚えました。
 終盤、物語はとんでもない展開を見せるので、すべて終わったあと昇一がどうなったのか、とても気になりました。
(2013.12.15)

  

「残穢」 新潮社
小野不由美 著

   残穢


怨みを伴う死は「穢れ」となり、あらたな怪異の火種となるのか。畳を擦る音が聞こえる、いるはずのない赤ん坊の泣き声がする、何かが床下を這い廻る気配がする。だからあの家には人が居着かない──何の変哲もないマンションで起きる怪奇現象を調べるうち、浮き上がってきたある「土地」を巡る意外な真実とは。

 にっけは怪談、幽霊の類はまったく信じていない(霊より人の方が怖い)のですが、あの「屍鬼」の作者の久々の書き下ろしということで読んでみました。

 きっかけはホラー小説作家である「私」のもとに届いた一通のファンレター。「誰もいない畳の部屋で音がするんです」――その話に興味を抱いたわたしは手紙の差出人とともにマンションの過去を調べはじめた。
 単に人が居つかないマンションのように見えたが、人の記憶と噂、寺社の記録、土地台帳をもとに過去を調べていくと不可思議な話が次々に浮かび上がってきた。
 首をつった女、赤ん坊の泣き声、など。このあたり、探偵小説のような面白さもあります。

 しかし、「私」たちが綿密に調べれば調べるほど、その細かさが怖さよりも好奇心を刺激してしまう。「屍鬼」もそうでしたが、リアリティが増すと怪談は滑稽にみえてしまうのですよね。
 日本の高度成長期、戦後、戦前、と時を遡って話は進むのですが、読み進めながら「この方法だと戦前まで遡るのが限界だろうなあ。だんだんお話も伝聞と憶測になってきたなあ」とちょっと肩すかしな気分に。
 ところが、1枚の古い呪画をきっかけに話は唐突に現実味を帯びてきます――。

 題名にもなっている「穢れ」がどのように人にうつり、広まっていくのか――妙に細かく決まり事(?)があるのに感心したり、「聞いても伝えても祟るから、記録できない」怪談に辿りついてしまったことが一番怖いポイントではないのかな、と思ったり、いろいろずれた楽しみ方をしてしまいました。
 ごめんなさい、私が怖くないだけで、これはきっと十分に怖い物語です。
(2014.1.5)


「アヒルと鴨のコインロッカー」 創元推理文庫
伊坂幸太郎 著

   アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)


「一緒に本屋を襲わないか」。大学入学のため引越してきた途端、悪魔めいた長身の美青年から書店強盗を持ち掛けられた僕。標的は、たった一冊の広辞苑――四散した断片が描き出す物語の全体像とは?

 何年か前に映画化された作品。私は見損ねてしまって、ずっと気になっていました。淡々とした描写は好みですが、それにしても訳のわからん本でしたよ。

 大学入学とともに一人暮らしを始めた椎名は、同じアパートに住む河崎からとんでもない計画を持ちかけられます
――本屋へ強盗に入ろう、広辞苑を盗むんだ。椎名は優柔不断とお人好しから、本屋襲撃(?)の片棒を担ぐことに。一方、話は二年前へ戻り、河崎の前のガールフレンド・琴美とブータン人留学生ドルジは偶然から連続ペット殺害事件の犯人を見つけてしまう。椎名と琴美の二編が交互に編まれて、椎名の身辺で起きる出来事へつながっていきます。
 まったりと謎解きが進むかと思ったら、後半、「意外な人物」が現れて物語は急展開します。これには驚いた。それに、これをどうやって映像化したんだろうか。

以下、ネタバレ含みます。



 何となく続きが気になって本を手放せなかった。面白かったと言えるんだろう。ただ、お話世界に入り込めないところもありました。
 ペット殺しの犯人はどうなったのか。復讐の念を持つドルジが鳥葬をまねた行動を取るとは思えない(著者も鳥葬の意味は知ってるはずですが)。それに、コインロッカーは数日閉めっぱなしだと開けられますのでね、管理者に。

 レビューを見ると、何人かの方はすがすがしさを感じる作品と評されています。全体から感じられる軽やかな雰囲気はわからないでもないのですが……私は別に爽やかにはならなかったな。

 どうやって映像化したのかは気になります。DVDを探してみようかな。
(2014.2.22)

 

「つむじ風食堂と僕」 ちくまプリマー新書
吉田篤弘 著

   つむじ風食堂と僕 (ちくまプリマー新書)


少し大人びた少年リツ君12歳。つむじ風食堂のテーブルで、町の大人たちがリツ君に「仕事」の話をする。リツ君は何を思い、何を考えるか…。人気シリーズ「月舟町三部作」番外篇。

 この新書シリーズは「こどもたちに一つだけ伝えるとしたら、何を伝えるか」というコンセプトではじまり、著者は各巻の表紙をデザインされています。そして、200冊目刊行の記念に自身が執筆することになったらしい。

「つむじ風食堂の夜」と「それからはスープのことばかり考えて暮らした」のスピンオフ小説。主人公は「スープ」に登場したサンドイッチ屋トロワの息子リツ。将来、自分は何をするのか考えた彼が、食堂のお客たちに仕事について尋ねる、という趣向。
 ちょっと惜しいと思ったのは、せっかく様々な職業の人が登場するのに、仕事に対する語りが割に一般的な言葉だったこと。肉屋は「さまざまな人の手を経た肉をお客さんに届ける最後のアンカー」、花屋は「ものを育てて贈る仕事」。確かにそうなんだけど。もっと個人的な言葉になってもいいから、「なるほど」と腹に落ちる仕事観を読みたかったと思います。対象読者層でないので注文をつけるわけにはいかないのですが。

 むしろ、面白いと思ったのは、リツの空想で書かれる、宇宙人の視点。宇宙人が初めて地上に降り立ち、人間のふりをして食堂で注文したり、話を聞いたりするのです。

 この星の住人は義務的なルールがないのに、自然と役割分担を行っている。最初は「俺が魚を獲りにいくから、君はパンを焼いてくれ」と言い合っていたかもしれない。しかし、今はいちいち言い合っていない。言わないのにそうなっている。

確かにそうだなあ。こんなことを考えるリツの方が大人よりももっと面白い。
(2014.4.13)


「食堂かたつむり」 ポプラ文庫
小川 糸 著

   食堂かたつむり (ポプラ文庫)


同棲していた恋人にすべてを持ち去られ、恋と同時にあまりに多くのものを失った衝撃から倫子はさらに声をも失う。山あいのふるさとに戻った倫子は小さな食堂を始める。それは、一日一組のお客様だけをもてなす、決まったメニューのない食堂だった。

 エッセイがおもしろかったので小説も読んでみました。

 ううむ。感想がきつい言葉になって申し訳ないのですが。
 私の好みの問題かもしれませんが、読みながら「うす汚い」と感じてしまった。ちょっとした言葉遣いであり、エピソードであり、あるいは深い意味もなく書かれた日常の行動に汚さを感じる。いや、汚いことが問題というより、汚いことを言わなければならない物語の必然がまったく感じられず、ただ不快なだけだった。
 別段のどかなお話を期待した訳ではなく、むしろ願いのかなうジュテームスープなんて設定にはうさんくささしか感じなかったのだけど。
 以下、ネタバレ含みます。


 生命や自然への畏敬を描こうというなら、それに徹して欲しかった。倫子が豚のエルメスと向き合う話で十分だったはずです。それなのに、終盤まで餌をやる以外は人とエルメスとの関わりはほとんどなく、最後になっていきなり豚を食べて、何の感謝も涙もあろうかと思う。

 描く空気が柔らかであるほど、ちょっとした刺やささくれが不快に感じられる。生々しい現実と夢が同居する世界を築こうとして、多分、著者はその匙加減を誤ったのだと思う。
 エルメスの運命、味の濃い野菜、倫子と母親の関係――面白いモチーフがいっぱいなのに、物語に酔えなかった。もっとうまい嘘に騙されたかったなぁ、と残念な気持ちです。
(2014.3.12)


「おおかみこどもの雨と雪」 角川文庫
細田守 著

   おおかみこどもの雨と雪 (角川文庫)


ある日、大学生の花は“おおかみおとこ"に恋をした。ほどなく、ふたりは愛しあい、二つの新しい命を授かった。そして彼との悲しい別れ。一人になった花はおおかみの血を継ぐ子供、雪と雨を田舎で育てることに。

 アニメのノベライズか、原作らしいのですが、さわやかで面白かったです。
「おおかみおとこ」と恋にして、一緒に暮らしてはじめた花。ですが、彼を亡くして、残された二人の子を育てることになります。
 花を悩ませたのは生計だけでなく、おおかみであり人間である子ども――姉の雪、そして弟の雨をどうやって育てるか。花が悩んだ末に決めたのは「二人の子が成長した時に、人間として生きるか、おおかみとして生きるかを自由に決められるように、選択肢を守ってあげること」。
 そして、人の目の多い都会を逃れて、3人は山村の廃屋に引っ越します。気の向くままにおおかみに変化して遊びたがる子どもたちを諭す花の言葉がしっかりしています。


「もしも、急におおかみになったらびっくりするから、他の人の前でおおかみになっちゃダメ。それと、もうひとつ。もしも山で動物に逢ったら、人間のように偉そうにしちゃダメ」
「なんで?」
「お父さんはおおかみでもあったの。そんなことをしたら、きっとお父さんが悲しむよ」



 人間とおおかみ――どちらになれとも、どちらが偉いとも言わない。花の鷹揚さ、賢さがじんわり伝わります。母子3人のひっそりとした幸せを守ってあげたい気持ちになりました。

 やがて、二人の子どもたちに転機が訪れます。優れた「先生」と出会って山の暮らしに馴染んだ雨は、いつしか母や姉、いや人間との別れを決意するのです。
 雨の目を通して見る山の姿がいい。人間のつけた名前とは異なる名を持つ動植物、人が考えたのものとは別の体系で組み立てられる山の自然が雨の前に立ち現れます。それは、花がおおかみを理解しようと本に頼ったこととは、まったく別次元の知恵を示しているようにも思えました。

 アニメ化が著者の頭にあったか、あるいはアニメーションの演出家らしく「絵」がつねに物語に寄り添っている感じがして読みやすいです。物語のリアルさという点ではまったく私の好みではない(だって、花が強すぎだし、自給自足の生活ってもっとシビアなものだと思うので)にも関わらず、ああ、いい本を読んだな、と感じました。じんわりといいファンタジーだと思う。

 密林のレビューを見ると淡々とした文章に賛否が分かれているみたいですが、どうしてかな。静かな文から家族のささやかな幸せ、花の暮らしを見守る人たちの人情がふわりと香ってくるようで、物語に合っていると思います。
 小説文章のお約束事から見ると「上手でない文章」と言われてしまうのかもしれませんが、もし約束事を破って書くことを著者が意図していたのなら――うまい文章書き、ということになりませんかね。
 こういう文は私は好きです。この著者の他の本があれば、もっと読んでみたいなと思いました。

(2014.5.24)

 

「悼む人」上・下 文春文庫
天童荒太 著

   悼む人〈上〉 (文春文庫)

   悼む人〈下〉 (文春文庫)


不慮の死を遂げた人々を“悼む”ため、全国を放浪する坂築静人。静人の行為に疑問を抱き、彼の身辺を調べ始める雑誌記者・蒔野。末期がんに冒された静人の母・巡子。そして、自らが手にかけた夫の亡霊に取りつかれた女・倖世。静人と彼を巡る人々が織りなす生と死、愛と僧しみ、罪と許しのドラマ。

 この著者の本は初めて読んでみました。

 ゴシップ記事で生計をたてている記者・蒔野、夫を殺して服役・出所したもののこの先の人生を見失った倖世など、生きる不幸とどろどろの人間関係がみっしり描かれていて重い読み応え。その中でただ一人、見知らぬ死者を訪ねて歩く、「悼む人」坂築静人だけは穏やかな空気を漂わせて人々の救いとなっています。

 ただ、この人が「悼む人」の役割を担っていることに、なんというか皮肉で物悲しいものを感じました。
 静人自身もけっして人間どうしの確執から離れているわけではないのですが、いや、ある意味、大多数の人が日常生活を送るよりも辛い行脚をしているわけなのですが。

 どの死は覚えておくべきで、どの死は忘れられても仕方ないのだろう


 静人の繊細さ、弱さゆえに、やり場のない怒りと悲しみを抱えた人でも「家族を悼んでもらえた」と感じることもできたのだろうと思う。
 でも一方で、静人は弱さゆえに周囲の人を傷つけている――その代表が末期ガンを患う母親の巡子と家族なのです。
 弱さ自体は罪ではないけれど、甘えで人を害するのは罪だと思うので、静人に共感することはまったくできません。
 物語として見ると、静人以外の人間がしっかりとした存在感で書かれているのに、静人の行動にも静けさにも説得力が感じられませんでした。

 逆に、感情移入はできないのに説得力があったのが蒔野記者。
 死者を追いかけるという意味では静人と同じでありながら、まったく死者を悼むことのない彼。自分の播いた種で災いにも遭ってしまうのですが。ただ、不幸な死を遂げた身元不明の少女を探すエピソードには生々しさ、現実の力を感じました。

 さて。ふと面白いな、と思ったのですが。癌のことを「新生物」と呼ぶそうで。それが、死にゆく巡子の中にいるのと、娘の美汐が妊娠していることとにかけてあるのですね。
(2016.6.19)


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