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現代小説 9

「スティル・ライフ」 中公文庫
池澤夏樹 著

   スティル・ライフ (中公文庫)


ある日、ぼくの前に佐々井が現れてから、ぼくの世界を見る視線は変わっていった。ぼくは彼が語る宇宙や微粒子の話に熱中する――。アルバイト先で知り合った友人との交流を描いた「スティル・ライフ」。
父一人娘一人の暮らしに、偶然知り合ったロシア人の友人がささやかな変化をもたらす「ヤー・チャイカ」。短編二編。

 例えば、地上40cmのところをふわふわ漂ってみたら、日常はこんな風に変わって見えるかしら、と思うような不思議な読み心地の小説2編。

 新聞などでコラムを見かけるたびに気になっていた作家さんですが、初読。意外とご年配な方であると知って驚く。中身を読んで、もっと驚く。やわらかくて、みずみずしい果物みたいな文章には惚れ惚れしました。須賀敦子さん以来だと思ったら、巻末に解説を書かれてました。

 主人公の「ぼく」はアルバイト先で知り合った友人とたまに飲みに行って「理科っぽい」他愛ない話をする。たとえば、星座のこと、染色工場の管理、分子について、雪について。
 そんな飄々と現実離れした友人から、ある日持ちかけられた相談がぼくの生活を変化させます。日常からのちょっとした浮遊感――これは確かに現代のファンタジーです。また、前半に出てきた雪景色の描写が美しい。こんな風に世界が見えることがあるのかと目が覚めたような気持になりました。

 「ヤー・チャイカ」とは、初の女性宇宙飛行士ヴァレンチナ・テレシコワのコールサインで「わたしはカモメ」という意味。
 Wikipedia を見てみたら「チャイカ=かもめ」は宇宙飛行士の個人識別名なので、単に「こちら、チャイカ」という事務連絡の言葉だったというのだけれど。そんな味気ない説明よりも、「わたしはカモメ」という言葉から広がる想像とあこがれの方がずっと大切なんじゃないかと思うようなお話です。

 偶然知り合ったロシア人クーキンとのおしゃべりは、文彦に子どもの頃の記憶や日々の暮らしの中で忘れているさまざまなことを思い出させます。これもまた、日常から半歩踏み出してしまったような不思議な感覚の短編。
 ディプロドクスを育てる少女の断章は文彦の娘のカンナの内面でしょうか。巨大な恐竜を世話していた少女は、やがて恐竜と別れ、恐竜を育てていた自分自身とも別れなければならない。いや、これはカンナだけのことではないのかもしれないなあ、と思う。

 文彦、カンナ、クーキンは出会い、そして離れていく。ただ、それだけのお話。三人それぞれの切なさと穏やかさにあふれたお話でした。
(2013.7.20)

 

「いつか記憶からこぼれおちるとしても」 朝日文庫
江國香織 著

   いつか記憶からこぼれおちるとしても (朝日文庫)


吉田くんとのデートで買ったチョコレートバーの味、熱帯雨林にすむ緑の猫への憧れ、年上の女の細くて冷たい指の感触…。10人の女子高校生がおりなす、残酷でせつない、とても可憐な6つの物語。少女と大人のあわいで揺れる17歳の孤独と幸福を鮮やかに描き出した短篇小説集。

 ほぼいまどきの女子高生の生活をさらっとスケッチしたような短編集。それぞれが単独のお話ですが、同じ学校を舞台にしているため、登場人物も少しずつ重なっていたりします。

 私立の女子高、経済的には中の上くらいの家庭の女の子たち。学校の売店で買うジュース。渋谷のお店をぶらぶら歩いて結局は何も買わない時間。ママといっしょのショッピング。アルバイトと期末試験。

 等身大の女子高生の小説、というと、妙に甘たるかったり、生々しかったりするものも多い気がしますが、この本は絶妙にバランスが取れているな、と 思いました。私でも抵抗なく読める(笑)
 十代の女の子の大人への諦観、自分自身への不安、矜持、友達関係の複雑さが時にうっとおしく感じられる――そんな感覚が切ない。また、親の離婚、思春期のノイローゼ、援助交際といったちょっと重めの現実も描かれています。でも、それすらも、くるっと飲み込んでしまうような読後感の良さがありました。
(2013.7.20)

   

「ないもの、あります」 ちくま文庫
クラフト・エヴィング商會 著

   ないもの、あります (ちくま文庫)


よく耳にするけれど、一度としてその現物を見たことがない。たとえば(転ばぬ先の杖)(堪忍袋の緒)。こういうものは、どこに行ったら手に入れられるのでしょうか?このような素朴な疑問とニーズにお応えするべく、クラフト・エヴィング商會はこの世のさまざまなる「ないもの」たちをお届けします。

堪忍袋の緒
口車
自分を上げる棚
思う壺
語り草
転ばぬ先の杖
目から落ちたうろこ
一筋縄
冥土の土産



 とまあ、目次の通りの品揃えの掌編集(ちょっとはしょりました)。壺やら杖やら縄の絵姿つきです。よく取り揃えたものと楽しく読みました。
 思わず笑ったのは、

どうも相手が所有しているイメージの方がポピュラーで、それにはまってしまうのが自然な流れのようです。なぜ「自分の思う壺」というものが、いまひとつポピュラリティを得られないのでしょう?
「思う壺」


ちょいと頭にくることが発生いたしましたら、本品をうやうやしく取り出し、貴方の頭頂に載せていただくだけでOK。
「おかんむり」

 そつがないのが物足りない、と言うのは贅沢でしょうか。でも、面白かったです。あっという間に読み切りました。
(2013.8.14)

 

「海の物語」 角川文庫
灰谷健次郎 著

  海の物語 (角川文庫)


真っ直ぐに生きる海の人たち――。浜辺の町を舞台に、腕利きの漁師である父親と二人で暮らす少年健太郎と、都会からの転校生可南子、担任の若い教師・紀子先生との交流を鮮やかに描く。。

 関西の漁港町に住む小学生健太と同級生たち、そして漁師のおっちゃんたちのお話。
 漁港のある町とはいえ、健太のクラスで親が漁師の子は三人しかいない。その子ですら、将来はサラリーマンになりたいという。健太は大きくなったら父と同じように漁師になりたいと思い、今も時々父と一緒に海へ出ている。しかし「海は変わった」と漁師たちはいう。

 海の汚染で漁獲高は減り、売れる魚に集中した漁法が漁場を細らせる。漁船は進歩したものの高価になり、漁師には大きな負担となる――。
 こういったことを健太たちは学んでいきます。漁師の子も都会っ子も一緒になって、わくわくしながら釣り糸を下ろす姿が微笑ましいです。
 日本の漁業をめぐる問題を子どもの自由研究で語らせたことで、物語がちょっとお説教くさくなってしまったのが残念な気がしますが。でも、子どもたちの健やかさや、彼らに愛情を抱く無骨なおっちゃんらの姿が爽やかでした。
(2013.8.25)

 

「夢見る黄金地球儀」 創元推理文庫
海堂 尊 著

   夢見る黄金地球儀 (創元推理文庫)


1988年、桜宮市に舞い込んだ「ふるさと創生一億円」は、迷走の末『黄金地球儀』となった。四半世紀の後、投げやりに水族館に転がされたその地球儀を強奪せんとする不届き者が現れわる。物理学者の夢をあきらめ家業の町工場を手伝う俺と、8年ぶりに現われた悪友・ガラスのジョー。二転三転する計画の行方は?


 いつもの医療ミステリーではなく、推理小説。それもドタバタ、スラップスティック。実をいうと、東城大学病院のシリーズよりはるかに安心して楽しめました。
 学者になる夢を諦め、父親が経営する町工場で働く平々凡々な三十代の平介。その前に学生時代からの悪友ジョーが現れ、黄金の地球儀強盗を持ち掛けます。
 桜宮市がふるさと創生金で作った客寄せモニュメントだが、どうやらその裏では公金横領の疑いがあるという。お役所の悪行に一矢報いることができる。これこそ、学生時代の合言葉「ジハード・ダイハード」にぴったりのひと仕事だ。
 ジョーは能天気にそう誘ったが、平介の方にはそれだけでは済まない事情があった。平介の父親が、あろうことかこの黄金地球儀の警備契約を結んでいたのだ――。

 引きずり込まれた平介が、行き当たりばったりなジョーが不安で綿密な計画を練ってしまうのがおかしい。
 自宅の工場にあるトンデモ発明の機械を活躍させて地球儀を盗み出す計画なのですが、工夫の数々が奇想天外だったり、セコかったりして面白いです。ついでに「ナイチンゲール」の小夜と瑞人も登場して、平介たちの計画にちょっと風変りな手助けをしてくれます。しかし、事態は予想外の展開に。

 難をいうと、4Sエージェンシーに仕事を依頼したことが不満かな。平介の計画が失敗する可能性がなくなってしまったから。あ、小説的にね。もしもの時の保険という発想で、緊張感が弱まってしまうのが惜しいと思いました。

 エピローグはよくある後日譚と言ってしまえばそれまでですが(^^;)、平介とジョーの長い長い青春にようやくピリオドが打たれたようで、さわやかなラストシーンでした。
(2013.11.15)


「螺鈿迷宮 上」「下」 角川文庫
海堂 尊 著

   螺鈿迷宮 上 (角川文庫)     螺鈿迷宮 下 (角川文庫)


「この病院、絶対に変だ。あまりに人が死にすぎる」。医療界を震撼させたバチスタ・スキャンダルから1年半。東城大学の劣等医学生・天馬大吉はある日、幼なじみの記者・別宮葉子から奇妙な依頼を受けた。「碧翠院桜宮病院に潜入してほしい」。この病院は、終末医療の先端施設として注目を集めていた。だが、経営者一族には黒い噂が絶えなかったのだ。やがて、看護ボランティアとして潜入した天馬の前で、患者が次々と不自然な死を遂げた。


 借金のカタに桜宮病院への潜入調査を引き受け(させられ)た落ちこぼれ医学生・天馬大吉。名前とうらはらに運の悪さが身上の彼は、思わぬ怪我で当の病院に入院することに。「バチスタ」「ジェネラル・ルージュ〜」に登場の姫宮も本領発揮して、コミカルとさえ言えそうな軽いタッチで話が進みます。
 軽い、とはいえ、医療界の問題を題材にする著者なので、今回も終末期医療という重いテーマが底にあるのですが。
 桜宮病院では患者参加型(というか、労働型?)の独特の療養、運営がなされている。死までベッドにしばりつけられるより、動ける間は動き、仲間とともに死に向かっていく―― たしかに、そんな病院があったら悪くないじゃない、と思うのですが。その経営方針は、光をあてる方向によって色を変える螺鈿細工のように、別の危険を孕んでいたのでした。
 国の医療行政に問われるもの、医療現場の現実との乖離といった面も書かれて、日本もいつかアメリカの医療制度の様になるんだろうか、と寒々しい思いをしました。桜宮病院を語る白鳥の言葉も印象深い。


「その基本姿勢は、法体系なんてクソくらえ、スキあらば国からあぶく銭をむしり取り、患者により良い医療を還元しようというもの。……(略)……患者にとってよりよい環境をつくるためなら国さえも騙す。割り切った姿勢からは、現代医療の枠組みの中で患者主体の医療を真剣に行うと、反体制化せざるを得ないんだ、という叫びさえ聞こえてきた」

 「ジーン・ワルツ」でも感じたけれど、法と現実の整合性をどこでつけるか――難しいこととは思うのですが。この点を丁寧に考えつくし、かつ「ジーン」で感じさせた傲慢さに見せないのが、院長・桜宮巌雄の存在感なのかなと思った。いまだに南方戦線を引きずっているという、とんでもじいちゃんではあるのだけど、「ああ、そういう一面もあるのかも」と思わせるのです。

 同じ株から育った木ともいえる碧翠院桜宮病院と東城大学病院。終末期医療を切り捨てて生を生かすことに専念しようとしていた大学病院と、桜宮姉妹の闘いは、皮肉な結末になだれ込んでいきます。

 天馬・白鳥コンビは、実は田口・白鳥の組み合わせよりも小説として面白い気がします。田口先生はあんまり働かない(おい)けど、少なくとも落ちこぼれ医学生の天馬は若いだけに身を張ってますから。
(2013.9.30)


「イノセント・ゲリラの祝祭 上」「下」 宝島社文庫
海堂 尊 著

   イノセント・ゲリラの祝祭 (上) (宝島社文庫 C か 1-7)

   イノセント・ゲリラの祝祭 (下) (宝島社文庫 C か 1-8)


東城大学医学部付属病院4階。万年講師の田口公平は、いつものように高階病院長に呼ばれ、無理難題を押しつけられようとしていた。「お願いがありまして…」そう言って取り出した依頼状の差出人はあの火喰い鳥、白鳥圭輔。厚生労働省で行われる会議への出席依頼だった。


 螺鈿迷宮のあとの東城大学病院が舞台です。
 うーん、会議が嫌いな人には勧められないなあ。だって、ただただ会議とその根回しのお話だったので。

 その会議にしても、ほぼAI推進派の演説会と化してしまいました。
 慎重派の言い分にどれくらい正当性があるかわかりませんが、何かしらの主張か事情はあると思うので、そこを書いて欲しかったなと思います。熱心なファンなら気にせず読めるのかもしれませんが。
 唯一、私にとって救い(笑)だったのは、田口先生が会議で自発的に発言してくれたことでしょうか。内容は他人に言われた通りのパペットだったけど(爆)。田口先生って、こういうキャラだったかな。

 「ナイチンゲール〜」のように、次の巻の種まきのお話だったんだろうか。気が向いたら、次のお話を読んでみます。
(2013.10.15)

 

「アリアドネの弾丸 上」「下」 宝島社文庫
海堂 尊 著

   アリアドネの弾丸(上) (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)

   アリアドネの弾丸(下) (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)


不定愁訴外来の田口公平医師はいつものように高階病院長に呼び出され、エーアイセンターのセンター長に任命されてしまう。そのため田口は、東城大学病院に新しく導入された新型の縦型MRI、コロンブスエッグの説明を技術者の友野から受けていた。しかしその矢先、MRIの中で友野が亡くなった。死因は不明。過労死と判断されたが…。

 ついに東城大学病院にAIセンターが作られることになり、議論の末にセンター長の座には田口が着くことになった。だがその直後、院内で医療機器業者が死亡、続いて警察官が殺害された。しかも、犯人は病院長の高階かという疑惑が――。

 あはは、そんな訳ないでしょ、と笑い飛ばしたくなる序盤の展開ですが(おい)、次々と高階に不利な証拠が並んで緊張感を誘います。
 病院に導入されたばかりの新型MRI、室内に金属類を持ち込めないという特殊な状況下での拳銃発砲事件。医療ミステリーならではの設定が面白く、そこにAIセンター設立をめぐる医療関係者と警察の対立が絡んできます。死因の特定に解剖だけでなくAIを導入する是非、その主導権をどこが握るか、という問題は既刊でも少しずつ描かれてきましたが、それがここにきて一気に表面化してきた感じ。
 ……なんですが。なぜ病院と警察がそんなに対立しなければならないか、どうも私には理解しがたくて。
 友野の死をめぐる遺族との会話を見るとAIには解剖とは別の役割があることはよくわかるのですが。

 ともあれ、事の重大さを今一つわかっていなかったのは田口先生と私くらいだったようです。とうとう警察内の秘密組織まで登場してしまいました。この辺りちょっと荒唐無稽すぎるのではないかという気もしますが。
 でも、テンポよく楽しめたし、前作でほぼ名前しか出なかった人物もよく働いていたので、納得して読み終えました
(2013.11.6)

 

「ケルベロスの肖像」 宝島社文庫
海堂 尊 著

   【映画化原作】ケルベロスの肖像 (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)


東城大学病院を破壊する―病院に届いた一通の脅迫状。高階病院長は、“愚痴外来”の田口医師に犯人を突き止めるよう依頼する。厚生労働省のロジカル・モンスター白鳥の部下、姫宮からアドバイスを得て、調査を始めた田口。警察、法医学会など様々な組織の思惑が交錯するなか、エーアイセンター設立の日、何かが起きる?

「バチスタ」シリーズ最終巻、ということで手に取りましたが、私的には微妙、かな。
「ブラックペアン」「螺鈿迷宮」と直結した内容なので、2作が好きな人はそこそこ楽しめるとは思いますが、Aiをテーマに読んできた人には煮え切らない気分では?

 私としても、ケルベロスの塔、破壊、というか、田口先生のキャラクター描写がいっそう崩壊してきたので、楽しみが無くなってしまいました。多分、著者が田口先生も白鳥も書くのに飽きてしまったのではないかなあ。
 しかも、ちゃんと崩壊で終わればそれはそれでよかったのですが、主要メンバーがなんら傷を負う事なく生き残りそうなエンディングなので、そこも不満。
 やっぱり、シリーズ内では「バチスタ」と「ルージュ」が面白かったです。
(2014.1.26)


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