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現代小説 13

 

「オレたちバブル入行組」 文春文庫
池井戸潤 著

   オレたちバブル入行組 (文春文庫)


 大手銀行にバブル期に入行して、今は大阪西支店融資課長の半沢。支店長命令で無理に融資の承認を取り付けた会社が倒産した。すべての責任を押しつけようと暗躍する支店長。四面楚歌の半沢には債権回収しかない。

 テレビドラマにもなった人気シリーズ。銀行内部で繰り広げられる熾烈な出世競争、組織に縛られる複雑な人間関係、そして綺麗事では済まない、金の貸し借りを巡る闇の一面を描いた小説。面白かった。やっぱり、この作者はこっちでしょう。

 「世間の非常識は銀行の常識」という独特の世界を垣間見られて面白い。私は勤めたくないわあ。1日だって持ちません!
 上司のごり押しで行われた5億円という融資が焦げつき、その責任だけを押し付けられそうになった半沢。しかし、その融資先の財務状況を調べるうちに、不審な金の動きに気づく――こいつ、資産隠しをしているんじゃないか、と。そして、謎を追ううちに、彼はとんでもない黒幕の存在に気づく。

 ドラマのセリフ、倍返しが流行ったようですが、原作の半沢の主義は「相手の出方によっては十倍返しも辞さない」らしい。テンポよく、なかなか痛快と言ってもよかった。

 少し違和感を感じたといえば、犯罪すれすれのメールの差出人名を奥さんの名にするのは妙ということ。
 あと、半沢の実家のエピソードは無い方がよかった。何をどう取り繕おうと、半沢のやり方は綺麗事ではないのですよ。それなら、免罪符のように中小企業の苦労など書かずに、権謀術数渦巻くどろどろの道を歩んで欲しいところ。
 続編も読んでみます。
(2016.8.25)

  

「オレたち花のバブル組」 文春文庫
池井戸潤 著

   オレたち花のバブル組 (文春文庫)


「バブル入社組」世代の苦悩と闘いを鮮やかに描く。巨額損失を出した一族経営の老舗ホテルの再建を押し付けられた、東京中央銀行の半沢直樹。銀行内部の見えざる敵の暗躍、金融庁の「最強のボスキャラ」との対決、出向先での執拗ないじめ。四面楚歌の状況で、絶対に負けられない男達の一発逆転はあるのか。

「性善説に立つが、やられたら倍返し」というスタイルが痛快な半沢直樹シリーズの第二弾。
 前作で希望の部署での役職を手に入れた半沢は東京勤務に。馴染みの地名が出てくると格段に面白くなりました。

 勤め先の東京中央銀行は旧大手が合併してできた銀行。客の側からは見えないものの、内部では旧・産業中央銀行(旧S)と、旧・東京第一銀行(旧T)の派閥争いが絶えず、それを背景にした問題が半沢担当の融資先で起こる。前作で書かれた銀行業界の不可解な風習に加えて、合併という特殊な事情で起こる問題を中から描いています。
 また、金融庁と銀行との関係も、対立するだけではなく、抜き打ち検査を前もって知らせるなど互いをうまく利用しているようにも見えます。
 銀行って小奇麗なイメージを表向きに出していますが、いや、これって悪徳企業とどう違うわけなの、と不思議でなりません。

 さて、そんな泥道を歩く半沢のエピソードと並行して書かれるのが、同期入社の近藤の活躍。優秀ながら、上司と運に恵まれずに身心不調のために出世コースからはずれた近藤はこのシリーズの良心のような存在。この人を気にかける読者も多いのでは?

 近藤は出向先企業に骨を埋める覚悟だったが、業務改善に後ろ向きな社長とそれに追随する年上の部下にはさまれて苦労の毎日。そんな時に、運営に苦労しているはずの会社の、不審な金の動きに気づく。
 銀行から借りた資金が社長の独断で他の会社に転貸されている? しかも、契約書もなく回収の見込みは立っていない。銀行マンの意地が頭をもたげた近藤は、自分の立場や家族の生活を案じながらも仕事に対する誇りから実態を解明し、出向先と銀行の調整を続ける――。

 銀行にも出向先にも居場所を得られない立場は辛いだろうなあ、と思う。
 そして、そんな近藤を目の上のタンコブのように見ている、出向先社員の野田の立場もやるせない。ようやくの昇進話を銀行からの出向社員に奪われて、いつも同じ仕事をしながら入れ替わり立ち代わり役職を奪う銀行員を見ているしかない。壁に打たれた古釘と掛け替えられるカレンダー、という喩えは鋭く切ないものがあります。

 まったく、読めば読むほど銀行って不可解かつ不思議な世界。
 こんな中で、世の銀行員はどうやって正気で仕事ができるんだろうと思ってしまう。私には絶対に無理。
 そんな気持ちを代弁してくれたのが、半沢の妻・花の台詞。この人、わがままで正直言ってウザいキャラクターながら、言うことは一番まっとうだと思ったのでした。

「これは金融庁の検査ですから」
「だから、なんなの? 私の夫は銀行員ですから何も言えないのかもしれません。だけど、私は一般市民ですから言わせてもらうわよ。あなたのような人はね、役人として通用しても世の中では通用しませんからね。役人が威張る社会は滅びるのよ。なんとか言ってごらんなさい」



 問題は無事に解決しますが、出過ぎた杭の半沢はどうやらどこかへ転任させられるようです。次の作品も探してみます。
(2016.9.2)

 

「ロスジェネの逆襲」 文春文庫
池井戸潤 著

  ロスジェネの逆襲 (文春文庫)


子会社・東京セントラル証券に出向した半沢直樹に、IT企業買収の案件が転がり込んだ。巨額の収益が見込まれたが、親会社・東京中央銀行が卑劣な手段で横取り。社内での立場を失った半沢は、バブル世代に反発する若い部下・森山とともに「倍返し」を狙う。

 シリーズ三作目、(私的には)久しぶりです。
 子会社に出向した半沢が親会社である東京中央銀行相手に言いたいことを言う(笑)巻。半沢もすっかり上司顔が馴染んだなあ、と思って面白かった。タイトルのロスジェネ(ロストジェネレーション)ではないのですけどね。

 企業買収、買収への対抗策、行内の派閥人事――駆け引きばかりの中で組織の論理に絡めとられるかに見えた半沢が部下とともに痛快な倍返しをする展開にはわくわくしました。
 また、ロスジェネの部下を諭す言葉にはバブル期入社世代の諦めと後輩への応援の思いが込められていて。いい仕事をしたいという思いは世代も立場も関係ないんですね。

 半沢を主役に据えたために、どうしてもロスジェネの逆襲とはならなかったのが惜しい。何といっても、倍返しの筋書きを作ったのは半沢ですから。
 著者はバブル世代ですが、半沢シリーズとは別に「ロスジェネの逆襲」を書いて欲しいです。
(2018.12.31)

 

「ようこそ、わが家へ」 小学館文庫
池井戸潤 著

  ようこそ、わが家へ (小学館文庫)


真面目なだけが取り柄の会社員・倉田太一は、ある夏の日、駅のホームで割り込み男を注意した。その日から倉田家に対する嫌がらせが相次ぐようになる。花壇は踏み荒らされ、郵便ポストには瀕死のネコが投げ込まれ、部屋からは盗聴器まで見つかった。執拗に続く攻撃から穏やかな日常を取り戻すべく、一家はストーカーとの対決を決意する。一方、出向先のナカノ電子部品でも、倉田は営業部長に不正の疑惑を抱いたことから窮地へと追い込まれていく。

 混雑する満員電車でのトラブル。それだけならよくある不快な出来事だった。しかし、トラブルの相手が帰宅する自分を尾行していたら?――

 うわあ、後味悪い!こんな作品も書くのか、と思ったら、途中から半沢シリーズもどきになりました。え、それでいいんですか?

 中小企業に出向した気弱な銀行員の倉田は、ある日不審な伝票を見つけた――あるはずの在庫がない、しかも二千万円分。部下と協力して、その背景である商品と代金を追ううちに、社内の営業担当者と対立していく――。
 どう読んでも話の核はこちらですね。さくさくと楽しく読めるのですが、味付けの間違いじゃないか、という思いは拭えない。

 半沢シリーズとひと味ちがうのは、一緒に謎解きに挑む部下の摂子さんの存在。仕事は早く、飲み込みも早く、何より性格がすっぱりさわやかでいい。
 しかし、企業が舞台の社会派の話なので、地の文でもファミリーネームで呼んで欲しかったな、と思うのでした。
(2016.10.6)

 

「スナックちどり」 文春文庫
よしもとばなな 著

   スナックちどり (文春文庫)


 四十歳を目前にして離婚した「私」と、親代わりに育ててくれた祖父母を亡くしたばかりの、幼なじみで従妹のちどり。孤独を抱えた二人は、一緒にイギリスの西端の田舎町・ペンザンスに小旅行に出かける。淋しさを包みあう二人の間に、三日目の夜、ある「事件」が起きる…。日々を生きる喜びが心にしみわたる傑作小説。

 ペンザンスって、そこまで何もない世界の果てなのね……と、ちょっとはずれたところに注目して読み始めまして。
 でも、じんわりと良い作品。離婚したばかりの主人公さっちゃんと、その従姉妹で肉親を亡くしたちどり――二人にとっては、この何もない異国の旅が必要だったのだ、と感じたお話でした。

 傷心を癒す旅、という安っぽさに流れないのは、それでも結局二人を慰めて力を与えたのは他人との関わりだったからだと思う。
 何故かこんな異国のはずれでタイ料理屋を営む夫婦、そして「ひょっとして、クロテッドクリームの作り方を話してるの?」と声をかけてくれたおばあさん。 人の力って、何より他人に影響する。その真実味があらゆる言葉に魔法をかけている。愛情の知恵としか言いようのない言葉にあふれた物語でした。


 仕事をして毎日を積み重ねているうちに、どんどん今の自分の状態が形作られてしまっただけなのだ。私は人よりも自分が静かに控えめにしていないと落ち着かない。自分の方が重い荷物を持っていないと、仕事をしたという気がしない。人間は成長した地点から昔に戻ることはできない。それが成長の代償なのだ。


 そのとき通い合っていたものを、私たちは、私は、育てられなかったのだ。
 もっと普通に、力をいれず、手をかけて、余裕を持って、ふたりであれを育てるべきだったのだ。あれがたとえめったにないものでも、十年に一個くらいしかなくても、あるからには育てようとするべきだった。目を向けるべきだった。そこからなにかが始まりかねなかったのに。


(2016.8.3)

 

「花のベッドでひるねして」 毎日新聞社
よしもとばなな 著

  花のベッドでひるねして (幻冬舎文庫)


 主人公の幹は赤ん坊の頃、浜辺でわかめにくるまっているところを拾われた。大平家の家族になった幹は、亡き祖父が始めた実家のB&Bを手伝いながら暮らしている。美しい自然にかこまれた小さな村で、少し不思議なところもあるが大好きな家族と、平凡ながら満ち足りた暮らしをしていた幹だったが、ある日、両親が交通事故に遭ってしまう。

 リンクは文庫版へ。
 最近の作品では強く感じるのですが、ますます『小説』から離れてきたなあ、と思います。いわゆる、あらすじ、すじがきのあるスタイルの小説というより、断片映像とかインスピレーションを前面に押し出した文章というか。
 短編ならともかく、長編でこのスタイルというのはあまり見たことがない気がする。ばななスタイル、ということになるのか。
 密林のレビューを見るとぴんとこない読者も多いみたいで。起承転結のある小説を想定して読むと驚くのでしょうね。あるがままに読めばいいのでは、と私は思いますが。すじがきらしいものはなく、ただ登場する人たちの素直な言葉や主人公・幹の幸せをかみしめる姿には心洗われる気がします。


 大事なのは違う事をしないことだ。毎日のほとんどのことは、まるで意地の悪いひっかけ問題みたいに違うことへと誘っている。でも、違うことをしなければ、ただ違わないことだけが返ってくるだけなんだ。

 欲がないところにだけ、広くて大きな海がある。

「花のベッドに寝ころんでいるような生き方をするんだよ。もちろん人生はきつくたいへんだし苦痛に満ちている。それでも心の底から、だれにもわからないやり方でそうするんだ。いつだってまるで今、そのひるねから生まれたての気分で起きてきたみたいにな。」

 一見あたりまえのこと…家族が仲良く暮らす、なるべく気持ちをためないようにちゃんと言う、あいさつをしっかり交わす、家の掃除をする、そんなことの積み重ねが結局は大きな力になっていく。

なにかが大きく動く時には、いいことも悪いことも同じだけ起こる。それはあたりまえのことだ。静かな池の水をかきまぜたら、奥にあるものも出てくるしまわりの空気も動く。底にあったドロドロが浮かんでくるし、動いた空気の中には信じられないくらい美しいものも見つけられる。それが落ち着いてまた水が澄んだ状態になったとき、池は前とまったく同じ状態ではない。
良くなったのでも悪くなったのでもない、ただ動いただけ。

(2016.9.27)

 

「チヨ子」 光文社文庫
宮部みゆき 著

   チヨ子 (光文社文庫)


 五年前に使われたきりであちこち古びてしまったピンクのウサギの着ぐるみ。大学生の「わたし」がアルバイトでそれをかぶって中から外を覗くと、周囲の人はぬいぐるみやロボットに変わり―(「チヨ子」)。表題作を含め、超常現象を題材にした珠玉のホラー&ファンタジー五編を収録。

 よく人から薦められながらも読んだことのなかった著者の本。まずは気軽な短編集を、と手にとりました。
雰囲気は作品ごとにばらばらですが、どれにも幽霊あるいは強い感情によって生み出された幻が登場します。

 一番印象的だったのは「いしまくら」。
 小さな出版社に勤める石崎は、最近反抗期を迎えている娘の話がきっかけで、近所で起こった殺人事件とそれに続く幽霊騒動の真相を調べ始めた。娘とそのボーイフレンドの調査のウラをとるうちに、事件は思いもしない展開に――。
 娘の文章がしっかり書けてる、とか、取材が公正にできていないのでは、と資料を読み込む姿が微笑ましく、また、事件が起きた公園を歩きながら若かった日の妻とのデートを思い出すなど、ストーリーの本筋以外にも楽しみの多い作品でした。もちろん、肝心の事件も意外な解決を迎えて、満足して読み終えました。

 全体としては、読みやすい真面目な文章だなぁ、という感じ。ただ、そつなくまとまっていて気持ちに引っ掛かるところがないのが物足りない気もします。文章は決して嫌いではないので、今度はもう少し長いお話も読んでみようと思います。
(2016.7.5)


「月の上の観覧車」 新潮文庫
荻原浩 著

  月の上の観覧車 (新潮文庫)


 閉園後の遊園地。高原に立つ観覧車に乗り込んだ男は月に向かってゆっくりと夜空を上昇していく。いったい何のために? 去来するのは取り戻せぬ過去、甘美な記憶、見据えるべき未来――そして、仄かな、希望。ゴンドラが頂に到った時、男が目にしたものとは。長い道程の果てに訪れた「一瞬の奇跡」を描く表題作のほか、過去/現在の時間を魔術師のように操る作家が贈る、極上の八篇。

トンネル鏡
上海租界の魔術師
レシピ
金魚
チョコチップミントをダブルで
ゴミ屋敷モノクローム
胡瓜の馬
月の上の観覧車


 旅行の車中で一冊読み切ってしまい、あわてて駅ビルの本屋に飛び込んで買いました。こんな買い方は私はあまりしないのですが、この著者なら間違いない。

 過去の記憶とさまざまな人との忘れられないエピソードを綴った短編集。しっとりとした、かなり私好みの一冊でした。ただ、贅沢を言わせてもらえば、似た雰囲気の作品が多くて時々飽きてしまうことも。たぶん、寝る前に一話だけ読んで本を閉じるような読み方が似合う気がします。

 気に入ったのは「トンネル鏡」。
 都会にあこがれていた主人公が東京で仕事を見つけ結婚し、自分の人生を築いた。その彼が、故郷へ向かう電車の車中で、母とのさまざまな記憶を思い出す。

 トンネルの多い長距離列車では、窓に映る自分の顔と向かい合うしかない。過去の思い出、親との距離、新しい人生と別れざるを得なかった日々を惜しむ気持ち――そういったことどもが細やかに描かれていました。
 ラストシーンは長いトンネルを抜けた先にある希望を描いているのか。いい読後感でした。

 そして、強く印象づけられたけれども、実はあまり納得できなかったのは「レシピ」。
 主婦として長年夫を支えてきた主人公・里瑠子。ごく平凡で、料理がうまいことだけがとりえの彼女の手製のレシピノートをめくれば、大学入学のために初めて上京した時から出会った男友達の顔が思い出された――。

 主人公が十代の若い女性だった時から、今日定年を迎える夫の帰りを待つ女性になるまでの思い出が時に優しく、時に厭世観とともに描かれています。
 こわいなあ、と思うのは、ひととおり読み終わっても「里瑠子」という名前がさっぱり現実味を帯びて見えてこないこと。そこにいたのは男性中心というか、男性について行くしかしてこなかった女性の姿だけでした。それがまたリアルで。レシピをめくる彼女の考えることが同性としてとても理解できる、こわいお話です。

 ただ、納得できなかったのは時々「こんなこと考える女はいないよ」と思うことがあったから。それと、こんなオジサンみたいなおつまみじゃ、女の酒飲みは喜びません(断言)。料理上手ならなおさら。自分のためにもっといいおつまみを作るよー、と思ったのでした。
(2016.10.15)


「劔岳 点の記」 文春文庫
新田次郎 著

  劒岳〈点の記〉 (文春文庫)


 日露戦争直後、北アルプス立山連峰の劒岳山頂に三角点埋設の命を受けた測量官・柴崎芳太郎たちの困難を極めた記録を描く山岳小説。

 映画を先に見ての読書。映画もよかったけれど、本もさらによかったです(当たり前か)。

 前人未到の劒岳に登頂し、国内の空白地帯である立山連峰の地図作製のための測量を初めて行った測量官の物語。測量隊と、立山信仰の浸透した地元やライバルである日本山岳会との関係が映画よりもこまやかに描かれていました。

 まだ日本に趣味としての登山が普及する前の話。山といえば信仰の対象、という時代の終わりの時期だと思うのですが。
 雲の動きや山の形、植生などが緻密に書かれ、まさに山道を一歩一歩辿るような文章。当時の地名、あるいは昔からの名が次第に変化した地名、そしてまだ無名だった山や峠、鞍部の姿を読むうちに、柴崎が歩いた時代にみるみる引き戻されていくような気がする――不思議な読書でした。

 また、柴崎が出会う人々は、劔岳のことを「決してのぼることはできない」「信仰の山」「どこかに登る方法があるはず」とさまざまに語ります。前人未到……かどうかも確かではない、というのが物語のミソなのですが。少なくとも当時の人にとって未知の領域であることがひしひしと伝わってきます。後半の、地元の人々が柴崎を『弘法大師も登れなかった山に登った偉い人』と呼んで賽銭を投げたというエピソードが事実に基づいていた、というのは驚きでした。

 あとがきがわりの文章「越中劔岳を見つめながら」もよかったです。著者が取材のために劔岳登山を行った時の体験、また柴崎に縁ある人々のその後が書かれていて、これだけでも大変読みごたえがありました。
(2016.9.22)


「ちょいな人々」 文春文庫
荻原浩 著

  ちょいな人々 (文春文庫)


「カジュアル・フライデー」に翻弄される課長の悲喜劇を描く表題作、奇矯な発明で世の中を混乱させるおもちゃ会社の顛末「犬猫語完全翻訳機」と「正直メール」、阪神ファンが結婚の挨拶に行くと、彼女の父は巨人ファンだった…「くたばれ、タイガース」など、ブームに翻弄される人々を描くユーモア短篇集。

 ちょっとズレていたり、痛い人々の姿が笑いと共に書かれている短編集。自分はこの人そっくりだなと思ったり、どこかでこんな人がいたな、と思ったりして楽しかったです。
 特に、新しい携帯電話やペットの声を自動翻訳するツールを巡る騒動を描いた「犬猫語完全翻訳機」「正直メール」がバランスよく、うまく落ちがついて面白いです。ペットと飼い主との関係はある意味幻想なのね。
 一方で、人情ものの「占い師の悪運」は、ちょっとわざとらしい感じもしてしまいましたが。

 この著者は本当に人間関係を温かく面白可笑しく、そしてしんみりと描くのがうまい。他の本も探して読んでみます。
(2016.7.24)


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