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現代小説 14

 

「ハルさん」 創元推理文庫
藤野恵美 著

  ハルさん (創元推理文庫)


 結婚式の日、お父さんのハルさんは思い出す、娘の成長を柔らかく彩った五つの謎を――児童文学の気鋭が、頼りない人形作家の父と、日々成長する娘の姿を優しく綴った快作。

 ほのぼのと優しい表紙のイラストにひかれて手にとりました。
 心優しいけれど世慣れない人形作家のハルさんは、最愛の妻の死後は愛娘・風里(ふうり)と二人暮らししている。娘の結婚式の日、利発で心優しい娘との幸せな日々をハルさんが思い出す――。

 父が娘に向ける穏やかなまなざしと風里の成長を描いています。初めから終わりまで、細やかで澄んだ雰囲気にあふれたお話。でも、きれいなばかりの癒しの物語ではないことに驚きました。

 ハルさんがいくら世慣れないといっても、世間の子供らのそばにある、悲しい出来事を知らないわけじゃない。むしろ、世間と距離を置いた家庭であるために、無意識の悪意をかわしながら生きていかなければいけない。
 そんな胸の痛みを基調にひっそりとした幸せを描くから胸に染みるのでしょう。あとがきを読むと著者も複雑な家庭環境に悩んだ方のようで、だからこそこんな物語を生み出すことができたのだろうな、と思いました。

 ハルさんが困りきったときに声をかけてくれる、亡き奥さんの瑠璃子さん。彼女が出てくるので謎解きミステリーにはならないのですが(笑)、読み終わると背筋がのびて、ふっと空を見上げたくなるような……『珠玉の』と呼ぶのがぴったりの一冊でした。
(2016.10.25)

   

「メリーゴーランド」 新潮文庫
荻原浩 著

  メリーゴーランド (新潮文庫)


 過労死続出の職場を辞め、Uターンしたのが9年前。啓一は田園都市の市役所勤務。愛する妻に子供たち、あぁ毎日は平穏無事。……って、再建ですか、この俺が? あの超赤字テーマパークをどうやって?! でも、もう一人の自分が囁いたのだ。〈やろうぜ。いっちまえ〉。平凡なパパの孤軍奮闘は、ついに大成功を迎えるが――。

 箱もの行政の典型的な負の遺産である寂れたテーマパークの再生のお話。
 面白かった〜。東京から車で数時間の地方の話。のどかな、でも大都市の空気からまったく自由ではいられない感じがリアル。とはいえ、公務員の実態は誇張であることを切に願いたい・笑

 企業戦士としての人生に疲れ、地方自治体の公務員として再就職した啓一。残業はなし。会議と打ち合わせ、その打ち合わせ、そのまた打ち合わせで過ぎる安心安定の毎日。家族のためにはこれでいいのだと思ってはいるが、子どもの作文に胸がズキッとする。

『うちのお父さんの仕事は、えらい人にこうしなさいと言われたことに、はいと言って、それをきちんとやることです』


 その言葉に背中を押されるように(?)、市が抱える赤字テーマパーク・アテネ村の再生に乗り出します。
 右も左もわからない新しい出向先、時間も人手もない、何より肝心のプランがない、という状況に笑いつつもハラハラさせられました。啓一が昔馴染みの知人を頼り、プロジェクト責任者の権限を最大限に生かして苦境を乗り切っていくのが爽快。

 その創意工夫と行動力も面白いのですが、この本の半分はリアルなファンタジー世界、つまり一般社会の常識を覆す鏡の国「役所」の冒険譚といった読み方もできるところが可笑しい。


「試験的に子ども料金だけ下げるというのは、いかがでしょうか」
「料金を安くして、もし客が押しかけたらどうするんだ。私たちが間違っていたと公表するのも同然じゃないか」
啓一は思った。やっぱりここは不思議の国だ。何もかもがあべこべの鏡の国。俺はうさぎの穴に落ちたに違いない。



 いやいや、いや、こんな公務員ばかりとは思いませんけれどね。多分ね。多分……。

 大詰めのアテネ村イベント開幕の場面は、大人げなくも(笑)楽しくなってしまう。やっぱり、お祭りってかけたお金の多寡ではなくて、人の心をつかむかどうかの一点に成功のカギがあるんですね。そこをつかんだ劇団「ふたこぶらくだ」一同は大貢献でした。

 終盤は、しかしお祭り騒ぎだけではすまない展開になっていきます。それでも啓一の全力投入の結果は何かを駒谷に残していく。
 ラストは少々うまくまとめすぎでは、とも思いましたが、仕事をやりきった充実感(笑)のような気持ちのいい終わり方でした。
(2017.4.20)

 

「銀行仕置人」 双葉文庫
池井戸潤 著

  銀行仕置人 (双葉文庫)


通称“座敷牢”。関東シティ銀行・人事部付、黒部一石の現在の職場だ。五百億円もの巨額融資が焦げ付き、黒部はその責任を一身に負わされた格好で、エリートコースから外された。やがて黒部は、自分を罠に嵌めた一派の存在と、その陰謀に気付く。嘆いていても始まらない。身内の不正を暴くこと―それしか復権への道はない。メガバンクの巨悪にひとり立ち向かう、孤独な復讐劇が始まった。

 融資未回収の責任を上司から押しつけられ、人事部へ左遷されたエリート銀行員・黒部。しかし、人事部上司から、行内の不正を追及する仕事を命じられる。自分の運命を変えた不正と戦い、銀行員としての良心をまっとうしたい思いで黒部はそれを受け入れる――。

――といったお話。というわけで、一人で立ち向かってるわけじゃないですね。あくまで、組織内の仕事です。
 でも、そこはフィクションらしく、十分に『仕置人』らしい仕事ぶりに描かれてます。期待していたよりもずっと面白かった。どす黒くて(笑)

 各章であちこちの支店で行われている不正をただしていき、しかもそれぞれが黒部の左遷の原因となった上司と取引先企業との癒着とからんでいます。

 印象的だったのは、金融業がもつ「顧客を狩る、狩人」とでもいうべき性質。これは大手銀行でも闇金融でもかわらず多かれ少なかれ持っている、というセリフがありました。たしかに、金融関係の業界は「金の吸い上げ装置」と思うことも多いのですが、元・銀行員さんからこう書かれると元も子もなくて、何ともいえない気分になりますね。

 部下の女性とワイン一杯飲んでふわふわした気分になる黒部はちょっと情けないし、そもそも人事部長の英(はなぶさ)さんはもっと働くべきじゃないかと思ったり、突っ込みつつも楽しく読み終わりました。
(2016.11.22)

  

「ルーズヴェルト・ゲーム」 講談社
池井戸潤 著

  ルーズヴェルト・ゲーム (講談社文庫)


大手ライバル企業に攻勢をかけられ、業績不振にあえぐ青島製作所。リストラが始まり、歴史ある野球部の存続を疑問視する声が上がる。かつての名門チームも、今やエース不在で崩壊寸前。廃部にすればコストは浮くが―社長が、選手が、監督が、技術者が、それぞれの人生とプライドをかけて挑む奇跡の大逆転とは。

 半沢シリーズを手にとれず、かわりに選んできました。しかし、中盤まで読んで先の展開がわかってしまったので、確認だけして読了ということに。

あらすじは上の通りで、爽やかに読めるかと思ったのですが……これは欲張って詰め込みすぎでは。
野球も経営再建も、技術開発もすべて中途半端にしか書かれておりません。加えて、私は野球がまったくわからないので、もうどこをどう読んでいいのかわからない。ああ。珍しいほど相性の悪い読書で年末を迎えました(笑)
(2016.12.30)

 

「民王」 文春文庫
池井戸潤 著

  民王 (文春文庫)


「お前ら、そんな仕事して恥ずかしいと思わないのか。目をさましやがれ!」漢字の読めない政治家、酔っぱらい大臣、揚げ足取りのマスコミ、バカ大学生が入り乱れ、巨大な陰謀をめぐる痛快劇の幕が切って落とされた。総理の父とドラ息子が見つけた真実のカケラとは?

 入れ替わりもののドタバタ喜劇、かな。政治家と大学生の父と息子が、ある日突然入れ替わってしまう。父・武藤泰山は気がつけば大学生のコンパ会場に、そしてバカ息子・翔はなんと国会答弁の真っ最中に放り込まれた!

 政党名こそ変えてあっても、未曾有を『みぞゆう』と読んでしまう政治家など、現実のパロディがあちこちにあって可笑しい。かなり可笑しい。
 また、親子二人が場違いなところで言いたい放題言うのがスッキリします(笑)。ああ、この著者の本のいいところは「おじさん相手の盛大な啖呵」なんだな。

 はっきり言って難点は多いです。体が替わっても、肉体的なギャップを感じるエピソードが少ないので、入れ替わりという感じがしない。薬事法をめぐる複雑な事情を誰かを悪者にして断罪するのは無理がある。ホスピスまで話を広げるのはちょっと書きすぎに思えます。
 それでも、キレイごとをいうのも悪くないな、と感じます。政治家、ぶらさがり記者、大企業の本音にバシっと言ってみたいなあ、バシっと(笑)

 でも、一番好きだったのは人情味。ライバル政党のスキャンダルを持ち出す記者に対して、泰山の姿をした翔はぽろっと本音をもらす。とがったことを言っても、やっぱり人の毒気を抜いてしまうのはこういうセリフなのかな。

「浜畑? ああ、あれか。あいつはいい奴だよ」
 翔は真顔で言った。「誰にだって間違いはある。オトナになろうぜ、みんな」


(2017.1.22)

 

「ひかりの剣」 文春文庫
海堂尊 著

  ひかりの剣 (文春文庫)


覇者は外科の世界で大成するといわれる医学部剣道部の「医鷲旗大会」。そこで、桜宮・東城大の“猛虎”速水晃一と、東京・帝華大の“伏龍”清川吾郎による伝説の闘いがあった。

 ジェネラル・速水の若かりし日の剣道部物語。ライバルの清川……って誰だっけ、と思ったら、「ジーン・ワルツ」で登場していたみたい。読んだのに忘れてる。あちらのシリーズはあまり好きでないので、記憶の彼方でした。

 それはともかく。さわやかで、面白かった! ことに冒頭の寒稽古のシーンは美しいです。
『医鷲旗を手にするものは、外科の世界で大成する』というジンクスを持つ華やかな大会に賭ける剣道部の若者たち。
 まだ医療費削減のための医者減らしが始まる前の「いい時代」――学生が学業以外のものに打ち込むことで、教室では学びえない何かを得られた時代。剣道を通して、命と向かい合う気迫や重圧に負けない強さを身につけていく若い医学生たちの姿が切ないほどくっきりと描かれていました。

 速水って、こんな初々しい好青年だったのね。数年後の手術室にいる変わり者とは別人のようですらあります。
 また、嬉しかったのはタヌキ・高階医師や、サボリの常習者・田口先生がちらっと登場すること。田口先生は今も昔も若年寄みたいであんまり変わりませんけどね。

 しかし、この題名のもとは清川の後輩として登場する朝比奈ひかりだと思うのですが……な、なぜ? 結末の試合はあくまで速水と清川のものなので、そこに物語が集約する面白さがやや殺がれている気がしました。

 でも、ともかくさわやかで、読後感がいい。医療ミステリーだけでなく、こんな青春小説ももっと書いて欲しいなあと思いました。
(2017.1.3)

 

「四畳半神話大系」 角川文庫
森見登美彦 著

  四畳半神話大系 (角川文庫)


私は冴えない大学3回生。バラ色のキャンパスライフを想像していたのに、現実はほど遠い。悪友の小津には振り回され、謎の自由人・樋口師匠には無理な要求をされ、孤高の乙女・明石さんとは、なかなかお近づきになれない。いっそのこと、ぴかぴかの1回生に戻って大学生活をやり直したい!さ迷い込んだ4つの並行世界で繰り広げられる、滅法おかしくて、ちょっぴりほろ苦い青春ストーリー。

 知人に教えてもらった作家さん。別の本「夜は短し歩けよ乙女」を書店で表紙をみかけたことはありましたが、読むのは初めてです。

 ……いきなり挫折。

 私には珍しい体験……とはいえ、これは出会い方も良くなかったなあ、と。

 冴えない大学生の恋、友情(腐れ縁)を京都の四畳半下宿を舞台にコメディタッチで描いた短編集ですが、曲者なのは4篇がすべてパラレルワールド風のストーリーであること。風、というのが曲者なんですよね。
 並行宇宙であることがポイントの作品でもないので、身も蓋もなく言えば同じ話を4回読むようなもの。最後の1作はいくらか変化がありましたが。

 七面倒くさいけれどユーモアがあって好みの文章なのに、「この設定って面白いか?!」と正直思ってしまった。ごめんなさいー。私は楽しくなかったー。

 出会い方がよくなかったので、一応、他の作品も探してみます。

(2017.2.16)

 

「きつねのはなし」 新潮文庫
森見登美彦 著

  きつねのはなし (新潮文庫)


「知り合いから妙なケモノをもらってね」籠の中で何かが身じろぎする気配がした。古道具店の主から風呂敷包みを託された青年が訪れた、奇妙な屋敷。彼はそこで魔に魅入られたのか(表題作)。通夜の後、男たちの酒宴が始まった。やがて先代より預かったという“家宝"を持った女が現れて(「水神」)。闇に蟠るもの、おまえの名は? 底知れぬ謎を秘めた古都を舞台に描く、漆黒の作品集。

 「四畳半神話大系」で挫折したものの、気を取り直して手にとりました。うん、私はこっちの方が好みです。

 京都の古道具屋・芳蓮堂界隈でおきる、もののけによる不可思議な出来事のお話。観光地ではなくて地元の生活感あふれる京都の雰囲気もいいです。埃っぽい古本、古道具に囲まれて静かに座っていると、小さな物音や気配に敏感になり、怪異に目ざとくなる――そんな独特の感覚を覚える短編集でした。

 気に入ったのは「きつねのはなし」。
 芳蓮堂の主人で謎めいた女性のナツメさん、奇矯なふるまいをする客の天城さん。彼らの風変わりな雰囲気にしだいに飲まれて(?)いく、ごく平凡な主人公のことが心配でのめりこむように読みました。
 古道具のやりとりには、何か得体の知れないものがついてまわる……のかもしれません。

 もうひとつは「水神」。
 祖父の通夜へでかけた主人公は、その晩、父や伯父たちから奇怪な出来事について聞かされる。かつて琵琶湖疏水の建設に携わった高祖父の死以来、一族には水に関係した不審な死を遂げる者が続いているという――。

 怖い、これは怖い話です。半分、怪談ですね。
 以前に小野不由美さんの「残穢」を読んだ時に、きりきりと緊張感を高めていく怪談はどんどん滑稽になっていく、と思ったのですが、この作品は正反対でした。どこかおっとりとした会話や態度を重ねることで、かえって主人公らが目にすることになった怪異が薄気味悪さを増しています。

 ここにもひょっこり登場した芳蓮堂のナツメさんは、「きつねのはなし」よりも謎めいた存在感で描かれています。芳蓮堂シリーズがもっとあるといいのになあ。
(2017.3.27)

 

「海と真珠」 ハルキ文庫
梅田みか 著

  海と真珠 (ハルキ文庫 う 8-1)


岡本バレエスクールに通う一之瀬舞と戸田理佳子。性格も環境も正反対で、ほぼ同じ身長と中三という学年以外には共通点のないふたりの少女が、「海と真珠」のパートナーに指名された。「おそろいの真珠に見える子たちがいない年にはやらない」と校長が語る特別な演目を、彼女たちは、無事に発表会で踊ることができるのか。バレエに賭ける青春の日日を、母との葛藤やほのかな恋心を交えて描く。

 小さな頃にバレリーナになるのを夢見た女の子は多いでしょう。かくいう私も四畳半で友達とくねくねダンスを踊った覚えがあります(爆)その頃の、ロマンチックな衣装や振付への憧れを思い出させてくれる少女小説です。
「海と真珠」という、それほどメジャーではないけれど、しっとりと美しい舞踊を題材にしたことで、この作品も大人っぽい味わいになっています。

 くせのない優しい文章で読みやすい。主人公二人は対照的ながらも可愛らしくて、どんどん先に読み進んでしまいます。バレエ用語が多くて、知らない人にはとっつきにくいのが惜しいですが。
 バレエを通して二人の少女がお互いに影響しあって成長していく物語は少女マンガの王道そのもので、それを辿るのが楽しいです。

 ただ、いい意味でも悪い意味でも何度も読み返した本を手にしたような錯覚を覚えました。バレエや他のスポーツを描いたまんがでどこかで読んだようなエピソードも多くて、物足りない感は否めません。
(2017.2.27)

 

「銀盤のトレース age16 飛翔」 実業之日本社文庫
碧野圭 著

  銀盤のトレース age16 飛翔 (実業之日本社文庫)


高1の秋、中部ブロック大会で優勝した竹中朱里は2ヶ月後、全日本ジュニア選手権大会へと駒を進めていた。世界ジュニアの出場権がかかった試合当日、朱里は体調を崩し、スケート靴のトラブルにも見舞われ、絶体絶命のピンチに。ところが、演技中に朱里の取った行動は周囲をあっと驚かせる…。スケート少女の苦悩と成長を活写する人気シリーズ続編。

 「海と真珠」と立て続けにスポーツもの少女マンガのノヴェライズみたいな小説を読んでおります。

 とても気になったのですが、巻末の解説では「リアリティがある」と繰り返し書かれているのですが、本当にフィギュアスケートの世界ってこんなに選手任せなんでしょうか。
 つまり、コーチが選手のコンディション不調に気づかないとか、トレーナーが選手の会場入りの時間を知らないとか、取材スケジュールも当人任せとか。これが実際のことなら、高校生選手にはちょっと荷が重いかもしれませんね。

 それをのぞけば、読みやすい軽やかな文章でした。中空に舞うようなジャンプを理屈っぽい言葉で読みたくないですから、モチーフと合っているのだと思います。
 また、怪我に悩まされる主人公の負けん気や、両足どちらでもジャンプを跳べると(当人には)どうでもいいことばかりがマスコミに取沙汰される苛立ちなども描かれていて、読んでいて朱里を応援したくなりました。

 ひとつだけ、ちょっとご注意。このシリーズも巻数がわかりにくい、ということ。私はこの本をシリーズ2作目と思いながら読んでいたのですが(それもどうかと思うけど)、密林を見るとどうやら3作目らしいのです。そして、1作目がなかなか手に入らないらしい。文庫になっているのは2、3作目だけらしい。
どうしてそんなことになっているのか謎すぎますね。
(2017.3.1)

 

「どんぐり姉妹」 新潮文庫
よしもとばなな 著

  どんぐり姉妹 (新潮文庫)


姉の名前はどん子、妹はぐり子。突然の交通事故で、大好きだった両親の笑顔をうしなったふたりは、気むずかしいおじいちゃんの世話をしながら、手を取り合って生きてきた。そしてすべての苦しみが終わった日、ふたりが決めたのは小さな相談サイト「どんぐり姉妹」を開くこと。たわいない会話にこもる、命のかがやきを消さないように。ことばとイメージが美しく奏であう、心を温める物語。

 両親の死から、二人姉妹で生きてきたどん子とぐり子。性格は正反対の二人が心地よい距離感を保ちながらともに暮らして、相談サイト「どんぐり姉妹」を運営する。そして、サイトを訪れる人たちを支えたり、逆に姉妹が支えられている姿を描いた物語。

 最近の作風はどんどんエッセンスの部分が研ぎ澄まされて、言葉が美しくなっていくよう。おそらく、ファンではない人はもうついて来ることができず、波長が合った読者だけがその贈り物を受け取っているんだろうなと感じます。
 決して万人に受ける作風ではないし、そんな必要もないのでしょう。

のびていく時期は、ゆっくりとしている。まるで水中花がだんだん開いていくみたいに、水で膨らむ恐竜スポンジがガオーとふくらんで何倍にもなっていくように、おっとりと時間を感じることがいちばんの強さだ。


 あるとき、外側の世界と内側の世界が逆転してすうっと消えていくみたいな、そんなふうに消えていきたいとしたら、それを実現するにはきっと、このきれいな水を内側にためておかなくてはいけないんだと思う。

(2017.6.10)

 

「ジュージュー」 文春文庫
よしもとばなな 著

  ジュージュー (文春文庫)


美津子は両親から受け継いだステーキ&ハンバーグ店「ジュージュー」を、遠縁で元恋人でもある進一と共に切り盛りしている。「自分の前世が見える」という進一の妻・夕子さんはじめ、まわりに集うのは、ちょっと奇妙で愛すべき面々ばかり。秘伝の味にこめられた魔法の力とは?

 主人公・美津子やその元・恋人、その現在の妻――それぞれ個性的な性格と経歴なので、ちょっと物語に入り込むのにひと呼吸が必要かも。でも、それをつかんでしまえば、あとは変わらぬばななワールドでした。

 美津子が淡々とハンバーグをフロアに運び続けるように、誰もが日常生活を送っていくしかない。望んだものを手にできるとは限らず、手に入れてもそれを保ち続けられるのは、本当に稀なことなんだ、と切ない思いでした。

 だからこそ、「ジュージュー」が存在して『いつでも店に来てね。夕方から私は、いつでもいるから』と言えることは、周囲の人たちを支える、ということになるんだなあ。

 私たちは水槽の中の藻、いや、微生物みたいに、つながりあってひとつの命になっている。そんな気さえした。

 この無限はわずかな隙間に実は果てしなく広がっているから、他からみたらただのハンバーグ屋に見えるのだが、ジュージューをめぐるこの宇宙は実はものすごい広大さそして濃厚さなのだ。今なのにすべての過去を内包して、宇宙の星々と同じに、命にあふれた太古の海のように。


(2017.12.3)

 

「まぼろしのパン屋」 徳間文庫
松宮宏 著

  まぼろしのパン屋 (徳間文庫)


朝から妻に小言を言われ、満員電車の席とり合戦に力を使い果たす高橋はどこにでもいるサラリーマン。しかし会社の開発事業が頓挫して責任者が左遷され、ところてん式に出世。何が議題かもわからない会議に出席する日々が始まった。そんなある日、見知らぬ老女にパンをもらったことから人生が動き出し…。他、神戸の焼肉、姫路おでんなど食べ物をめぐる、ちょっと不思議な物語三篇。

 サラリーマンがある日電車内でおばあさんからパンをもらったことから始まる、ほのぼのした短編「まぼろしのパン屋」。
 ご近所さん同士で楽しみにしていた焼肉の会。その当日に起きたひったくり事件をめぐる顛末をコメディ風に描いた「ホルモンと薔薇」。
 姫路の元・ヤンキー少年が学校を出て就職する中で、自分の居場所を見つける短編「こころの帰る場所」。

 あとの2作は関西弁が強くて馴染めなかったのですが、パン屋の話には「いずこも同じサラリーマンの朝」と思っておかしくなったし、作中で書かれる「しあわせパン」の味がすばらしい。このパンのおいしさ(の描写)が作品を支えているんだな、と感じました。た、食べたい……。
(2017.6.19)

 

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