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歴史小説 2

「風の王国」 集英社 コバルト文庫
毛利志生子 著 

   風の王国 (コバルト文庫)


唐の皇帝の血筋に生まれながら商家に育った少女、翠蘭は、皇帝の娘として吐蕃(とばん)へ降嫁することになった。野蛮な地と蔑まれながらも外交上、軽視することができない国へ公主として嫁ぐという大任に翠蘭が抜擢されたのは、その男勝りの武術と気の強さを見込まれてのこと。両国の使者と友人に付き添われて、翠蘭は吐蕃を目指した。

 中国からチベットへ仏教を伝えたとされる歴史上の人物、文成公主をヒロインにした小説。歴史の本を読むとっかかりになれば、と勇気を振り絞って買ってみましたコバルト文庫。懐かしいなあ。読者の感想をネットで見てみると、あまり知られていない実在人物まで取り上げていて、丁寧に資料をあたって書かれているようです。
 勢いのある展開、テンポよすぎる(笑)ラブストーリーは少女小説らしく、あっというまに楽しく読みきってしまいます。難を言えば、人物描写が類型的すぎる気がします。黒ずくめの魔術師、美形の僧侶。イメージが湧きそうで、かえって何も頭に思い描けないのがもったいない。そして主人公と放浪する謎の山賊の正体が実は……というわかりやすさが、しかし、やはり心地いいのかもしれません。
(2004.10.8)

 

-風の王国 2- 天の玉座」 集英社 コバルト文庫
毛利志生子 著 

   風の王国 天の玉座 (コバルト文庫)


唐の公主と身分を偽って吐蕃へ嫁いできた翠蘭。異国の風習にとまどいながらも義理の子に慕われ、リジムの愛情に支えられて王城に馴染んでいく。そこへ、リジムの父である大王ソンツェン・ガムポからの使者ケーセクとその姪ジスンが訪れた。その頃から、翠蘭のまわりでは不穏な事件が立て続けに起こるようになる。

 3年半ぶりに続きを手に取りましたが、案の定なりゆきをさっぱり忘れてしまってました。買ったはずの前巻が行方不明なので立ち読みしてウォーミングアップ。くやしいので買わない。
 イラストつきであることがやっぱり苦手なのですが(あ、絵はとても可愛らしい。絵単独なら好きです)、ひさびさに読んでみるとぱきぱきと小気味いい語り口。意外と好きな文章であることに気づいて、これは嬉しい驚きでした。

 吐蕃の風習にとまどうばかりの翠蘭をつい応援したくなります。紹介文には「男まさりの」と形容されているんですが、何故? 言葉遣いはさわやかですけど、どちらかというと気遣いばかりしている優しい女の子のイメージを抱きました。紹介文は読まない方がいいのか?

 狩のさなかの暗殺未遂、毒殺未遂――誰が誰を、何のために狙っているのか。登場人物の多くがそれなり怪しいので、はらはらしました。甘々恋愛全開の展開より、吐蕃の風習(赭面:顔に赤土を塗る)や祭事が出てくると嬉しくなるので(笑)、続きを見つけたら読んでみようと思います。

 しかし、文成公主って確か…………じゃなかったっけ? うーん、主人公が? 本当にそんな展開になるんだろうか。少女読者は納得できるのか。どちらかというと少女好みとも思えない舞台のお話なので他人事ながら心配。
 でも、とても人気があるシリーズだそうなので杞憂ですね。
(2008.6.8)

 

-風の王国 5- 月神の爪」 集英社 コバルト文庫
毛利志生子 著 

   風の王国―月神の爪 (コバルト文庫)


翠蘭の身分が明かされた時には唐と吐蕃の関係はどうなるのか――不安を抱きながら、翠蘭とリジムはついに大王と会うために王都へ向かう。都では大王妃のひとり、リティクメンとその侍女シャラ、そしてリジムの友人セデレクと出会った。女神のように美しい大王妃が秘めている謎とは何か。それを追いながら、翠蘭とリジムはツァン・プーへ大王の名代として赴き、騒乱に巻き込まれることになった。

 この巻がたまたま手に入ったので、2冊ほど飛ばしてしまいました。2巻の1年ほど後の話だそうで、それほど時間も経っていないから読んじゃえ! という無理矢理杜撰な読書。ここまでの成り行きがわからないので、あらすじだの感想はどこか勘違いしているかもしれません。しかし、どうして出版社は通し番号をつけないのでしょうね。

 翠蘭の身分をめぐる緊張感、ツァン・プーの城を訪れたときから漂う不穏な気配。そして「やっぱり、あんた!」と言わずにはいられない、あの人の悪役っぷりが面白かったです。

 そして、翠蘭の不安やとまどいが伝わってくるのが良かったです。
 リジムは若き吐蕃の王で、それなりの力も臣下からの信頼も得ている。それに対して、翠蘭は自身の立場について不安を拭いきれない。
 ほんものの公主ではないからリジムと別れなければならないのではと怯えたり、王妃の立場に求められることを掴もうとしている。2巻のときよりも、少し王妃らしくなったなあ、と思うこともありました。

 読んでいてしんどかったのは、悪役の描き方。
 前の巻でも感じたのですが――「何となーく悪役らしく登場して、いやそれほど悪くもないかもと思わされ、そしてやっぱり悪人であったらしい」となる。単純な勧善懲悪物語を求めてるわけではないのですが、読んでいてすかっとしないのですよね。
 文章はぱきぱきしてますけど、どちらかというと細やかな優しい表現が印象的な作品だと思います。だから、「きっぱり、すかっと」を求める方が間違っているのかもしれないけれど。

 一番好きだったのは……やたらスケールの大きいソンツェン・ガムポ王。存在感があってよかったです。最後、旧友と語り合いながら杯を傾ける姿には何ともいえない苦さと友人への親愛の情を感じました。
(2008.7.3)

 

-風の王国 6- 目容の毒」 集英社 コバルト文庫
毛利志生子 著 

   風の王国―目容の毒 (コバルト文庫 (も2-24))


シャンシュンの侵攻を受けてリジムは戦線へ赴き、翠蘭はヤルルンへ帰ることになった。王城ではソンツェン・ガムポ王の仏教寺院建設をめぐって意見が対立し、祖霊祭をまぢかに控えているというのに不穏な空気が漂っていた。

 いよいよ巻数がわかりません(笑)。

 一番印象的だったのは、ネパールからソンツェン・ガムポに嫁いできたティツンの回想。
 爪を美しく彩るというネパールの花嫁の風習は、吐蕃では受け入れられない。周囲に理解されず、故郷へ帰ることもできずに怒りをぶつけるティツンと慰めるソンツェン・ガムポの会話がよかったです。政略結婚ではあるのだけど、この二人ならきっとうまくやっていける――そんな気がしました。あれ、しかし、よく読むと7歳と39歳、ですか。少女ティツンの気概はすごいです。

 そして、領主ミチェンが翠蘭に昔の戦の記憶を語るところは、寒気をおぼえるとともに読みごたえがありました。
 ミチェンは手柄をたて、領地を欲しいばかりに王がのぞむ以上の虐殺を行ってしまう。ソンツェン・ガムポはその惨状に言葉を失いながらも、結局は部下の戦果を黙って受け入れた、という。
 やがてミチェンも自分の行為のおぞましさに気がつくことになる。そうなれば、優れた武人と称えられる言葉も苦痛でしかなくなっていった……。

 渋い、ですよ。
 この著者さんは、きっとソンツェン・ガムポ王の話を書きたいのではないかなあ、と思いました。私も少女向け小説としてではなくて、普通の、もっと辛口なエピソード重視の歴史小説として読みたいです。いずれ書いて下さることを期待。

 さて。そろそろ登場人物のイメージが頭にしみつきはじめたので、続きを読むのはしばらくお休み。ちゃんと歴史の本でこの時代のことを読んでのち、再読したいと思います。
(2008.7.20)

 

「介子推」 講談社文庫
宮城谷昌光 著 

   介子推 (講談社文庫)


仁徳篤く、天地が認める君主に仕えたいと願う青年・介推は山霊から神力のある棒を授けられる。その棒術でもって流浪の人生を送る晋の公子・重耳を守り、仕える。中国の春秋時代の覇者・重耳と、それを支えた従臣たちを描いた歴史小説。

 定評のある作家さん。一度は読んでみよう、と買ったまま積んでありました。鬼門、漢字の山ですから(笑)。それにしても、漢字もカタカナも嫌だなんて、何てわがままになってしまったんだろう。

 それはともかく。
 前半は面白かったです。清廉潔白、澄んだ志をもつ人物として描かれる介推は青年時代には魅力ありました。でも、この人物がそのまま中年を迎えて、同じように魅力的かといわれると……どうも私は馴染めませんでした。

 志を貫く、というと良い印象ですが、それ以外の視点が介推の中に生まれていない(ようにみえる)のがその原因だと。「思い込みで行動したあげく、その若さで(40代くらい?)世の中を放り出して、山へ隠遁するのかい」と思うんですよ。
 この人物を神として祀り上げたくなる、後の世の民衆の気持ちがわからない。歴史物語をこう読んではいけない?

 それに「君主より親を大事にする」という思想の世界とこの物語展開が、何故両立するのか、私には不思議に思えました。

 あれこれ文句しか出なくてすみません。でも、文章はこれまで読んだことのないタイプで面白かったです。
 次はこの本の兄弟にあたる「重耳」にしようかと考えていましたが、ここはさっぱりと気分を変えて他の小説にしてみます。
(2009.2.10)

 

「華栄の丘」 文春文庫
宮城谷昌光 著 

   華栄の丘 (文春文庫)


争いを好まず天を畏れ、道を守って君主に仕え、ついに大国晋と楚の和睦を成した――宋の宰相、華元の生涯を描く歴史小説。

 国同士の関係とか山のような漢字など、ちょっとハードルは高かったけれど、面白かったです。
 策によって無用の争いを避けようとする慎重さと、ここぞという時には敵地に単身乗り込むような大胆さが同居する人物像が魅力的です。やっぱり私は介子推よりもこちらが好きです。

「食べ物の恨みは怖いね」というエピソードには驚いた。本当にこんなことがあったのだろうか? そりゃあ、華元さん、あなたが悪い。ラムステーキは重大な問題です。

 よくわからなかったのは、国同士の力関係や王・公といった身分について。国を治めていれば「王」ではないの? 周王室とは? 宋の建国を「許す」とは、周は帝国のようなもの?
 ついでに言えば、華元が始終気にしている「徳」。
 ひとつ通せば他が通らぬ、みたいな決まりごとめいているのが、今ひとつわかりません。それを言ったら、時代小説は読めないのだけど。
 何だか。みんな良い人にならなくてはいけなくて大変そうだ、と思ったのでした。
(2009.3.11)

 

「羅生門・杜子春」 岩波少年文庫
芥川龍之介 著

   羅生門 杜子春 (岩波少年文庫 (509))


中国や日本の古典に題材をとった「杜子春」、「羅生門」、「芋粥」などの短編集。

蜘蛛の糸
魔術
杜子春
犬と笛
トロッコ
仙人
羅生門

芋粥
幻灯
蜜柑
侏儒の言葉


 カテゴリー分けが明らかにおかしいのですが、文学なんてめったに読まないので、とりあえずここへ。

 電子辞書(だったか?)の車内広告で「羅生門」の冒頭の文章が使われているのを見ました。
「ほら、古典もこんなに格調高い画面で読めますよー」という例だったと思うのですが――いや、その文章が素晴らしいことにあらためて気づいて、続きを読もうと借りてきました(昔、子供の頃に持っていたのは処分してしまったので)。

 懐かしかったのは「蜜柑」、「魔術」(これはプーシキンの「スペードの女王」を思い出しました)。

「鼻」は初めて読みました。
 醜い鼻を思い悩む僧侶がそれを嫌悪して、どうにかならないか笑い事のような治療に手を出す、という滑稽なところのある話なんですが――ぞっとしましたねえ。
 鼻の話だけど、鼻のことしか書いてないけど……でも、本当は鼻の話のつもりなんかじゃないでしょ! と思うとつくづく怖かった。

「羅生門」は期待通り迫力ある短編で、堪能しました。後半はすっかり忘れてました。
 寂れた都の羅生門は、闇と影の地獄図そのまま。わずかな明かりも、殺伐とした光景を照らしだすためだけに書かれているのが、恐ろしい。最後は誰でも知ってのとおり。

 参りましたです。昔の日本人の言葉はすごい。
(2009.5.22)

 

「琉球の風 1  怒涛の巻 講談社
陳 舜臣 著

   琉球の風(一)怒濤の巻 (講談社文庫)


1600年代初頭、琉球は明からの冊封使を迎える準備でわき返っていた。「明を親とし、薩摩を兄とする」といわれ、両国と深い関係をつむいできた琉球王国。そこに薩摩からの侵攻の手が伸びようとしていた。王国の宰相のひとり謝名親方は、助力を求めるために明、そして幕府の動向を探らせるために江戸へ人を遣わした。

 琉球の第七代国王、尚寧の時代の話。NHKで1993年に放映された大河ドラマの原作です。本当はドラマを見たかったんですが、15年も前の番組では簡単には探せそうにありませんので、原作を。

 一巻ということで、冊封使を迎える儀式や時代背景、時の薩摩藩の内情やら幕府の動向など説明が多く、話が進まなくてちょっと辛かったです。
 そして、私にとって思わぬ落とし穴が。人名が全部、漢字やん……。尚寧の敬称「御主加那志前」のような長い名に困り、謝杰と謝汝烈親子に悩み、島津ときたら義弘、義久。ただ一人見分けられた忠恒まで家久に改名してしまって! 「まぎらわしいのう……」という台詞にだけは泣いて頷きました。

 お話は面白くなりそうなのです。
 秀吉の時代の朝鮮出兵が原因で、現在薩摩の財政は火の車。それを立て直すために持ち上がった出兵計画。
 そして、それを操りながら明貿易の利を手にしたいと目論む幕府。大御所・家康の狸っぷりが見事です。映像が目に浮かぶ。
 一方の琉球がわといえば。朝鮮出兵の折に「親である明を攻めることはできない」と協力を断ったために悪化した薩摩との関係を修復できずにいる。今はまだ国の先行きを憂えるばかりの尚寧王がどうするのか、気になります。
 そして、頼みの綱である明は政争のために国が倒れかかっており、とても琉球を援助できる状態ではない。使者に立った啓泰が出会った謝汝烈は「民が楽になるなら明朝が倒れるもよし」とまで言っている。よく、50年100年単位でものを考えるといわれる中国を生々しく感じる台詞でした。

 そして、薩摩の侵攻がいよいよ現実味を帯びてきたところで一巻は終わり。

 気になるのです。面白そうなんですけど、漢字に立ち向かえるパワーがついたら続きを読んでみます。
(2008.4.3)

 

「琉球の風 2  疾風の巻 講談社
陳 舜臣 著

   琉球の風(二)疾風の巻 (講談社文庫)


1609年、ついに薩摩による琉球侵攻がはじまった。兵の上陸にそなえて、琉球の誇りを守ろうと若者たちは武術に励んでいた。しかし、対する薩摩軍は武力も兵の数も桁違いに大きい。いかに戦うか、そしていかに命をつなぐか――王府の中でも重臣たちの意見は分かれていた。


 いよいよ琉球侵攻の話になってしまいました。
 一巻に比べて、各人の考え方や心情の描写はあっさりしてます。かわりに薩摩内の派閥(?)の力関係や南海での活動の足がかりを求める倭寇の一派、明では汝烈が琉球侵攻のなりゆきを観察している、といった周囲の状況が書かれています。琉球を中心に渦を巻く不穏な空気が伝わるようです。

 きっぱり清清しいリズムの文章は心地よかったです。逆に戦の場面はあっさりしていてもの足りないような気もしましたが。いや、しかし。この後の3巻が山場なのかもしれない。尚寧王、謝名親方らが不在の琉球にはまだ若者が、薩摩兵が残ってる。ついでに啓泰が手に入れた鉄砲も。どんな展開が待っているのか、気になります。

 また、前の巻でじっくり説明されていた琉球の踊りが大和人の前で演じられる場面が印象的でした。
 本来は冊封使に披露する演目、神聖な踊りを侵略者である薩摩のために見せろと要求される。そこで苦肉の策として、本来は男が舞う役を女の羽儀が踊ることになります。
 踊り好きの少女・羽儀にとっては、理由はどうであれ、晴れの舞台。そんな成り行きになるとは思わず、それでも嬉しくて心をこめて踊ったのだろうと思うのですが(こういう気持ちが書かれていないので、もの足りないのですよね)。
 謝名親方や啓泰が話す、国同士のかけひき話も面白いのですが、国の都合とはかけ離れたところにいる少女が大和で何を目にすることになるのか――気になります。次の巻も楽しみです。
(2008.5.20)

 

「琉球の風 3  雷雨の巻 講談社
陳 舜臣 著

   琉球の風(三)雷雨の巻 (講談社文庫)


大陸では明朝に翳りが見えはじめ、南海ではスペイン、ポルトガル、オランダ商人の争いが続いていた。人質として薩摩へ連れてこられた尚寧王らは対明貿易の利をめぐる島津と幕府の対立の間で翻弄される。その一方で啓泰、啓山兄弟は、琉球の踊りや南海王国建設の夢に琉球の誇りの生きる道を探しはじめた。完結編。

 読み始めてしばらくたってから「……羽儀はどこ? 大和へ行ったんじゃなかったの?」
 どうも2巻を読んだ時に思い違いをしていたようです。2巻手元にないので、確認もできないのですが。そのショック(?)でよろよろと読了しましたが、すっきりとしない気分。自分が悪いのですけどね。
 そんなわけで、以下、本自体の感想になってません。

 薩摩の支配下にくだっても、明に対しては独立国の体裁を繕わなければならない琉球。その状態が清の時代になっても二百年以上も続いた、ということには複雑な気持ちでした。でも、琉球がいつのまにか染み込んでくる薩摩風のものを疎んじるのではなく、受けとめていること。また、砂糖生産や織物つくりという新しい産業をうちたてる逞しい姿にはうたれました。
 そういえば、2008年に行った今帰仁村歴史文化センターのパネルには「硫黄、布、馬が琉球から輸出された」って書いてありましたっけ。あ、今帰仁城ではちょっと時代が古すぎか。

 また、明が凋落、北東から清がじわじわと台頭してくる、という様子も面白かったです。余談ですけど、中国史は外国との関わりの中でとらえた方が面白そうな気がしてます。

 そして、琉球と日本の関係も。この物語の背景自体、私には知らなかったことでした。
 江戸時代、鎖国の間は出島だけが外国と交流する小さな「窓」であった、と学生時代からそう思ってましたが。文中にもあるように、琉球は「もっと大きく開かれた窓であった」んですね。そういえば、ペリーが浦賀に来る前に琉球を訪れたことなど沖縄に行った時に初めて知りましたし。あああ、やっぱりもう一回沖縄に行きたい。
(2009.9.5)
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