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歴史小説 4

 

「胡蝶の夢 1」 新潮文庫
司馬遼太郎 著 

   胡蝶の夢〈第1巻〉 (新潮文庫)


黒船来航以降、それまでの漢方一辺倒から蘭学が求められるようになった時代に生きた奥御医師の蘭学者・松本良順と、その弟子であり、図抜けた記憶力を持った変り者の島倉伊之助。変革の時代を権力者の側からではなく、学問を志した若者たちの目から描く。

 「坂の上の雲」が面白かったので、同じ著者ということで手にとりました。蘭癖の鍋島閑叟も出てくるかなあ、と期待しつつ。

 しかし、息苦しい1巻でした。あ、読みづらいとかつまらないという意味ではないのです。江戸時代の身分制度の複雑さ、身分によって髪型から身なりまで決められて、お江戸というのはこんな息苦しい社会だったのかしら、と今更ながら思いました。これはまるでインドのカーストだなあ、と。
 身分だけじゃない。医学の世界では、世襲の医師が実力がなくても高い地位に収まっていたり、漢方が幅を利かせていて蘭学者は肩身がせまい。
 こんな時代に生まれた一人が島倉伊之助。悪魔のような記憶力を持って学問の道を志すも、不器用で人づきあいの機微が悲しいまでにわからない。おかげで、行く先々で周囲の反感をかって逃げるように故郷に帰らざるを得ない。
 そして、その伊之助が唯一慕っていたのが、蘭方医師の松本良順。変り者の伊之助を面白がって受け入れることのできる度量の大きい男ですが、奥御医師である養父の跡取りという立場のために、思うように西洋医学を学ぶことができないという鬱屈した思いを抱えて日々を送っています。

 そして、この重圧感に耐え切れなくなったところで、風が吹き込んでくるような出来事が起こります。
 長崎の海軍伝習所の教師にオランダ人の医師が加わる――つまり、そこへ行けばオランダ語を学び、かつ西洋医学を学ぶこともできる、というわけ。この時代、新しい知識とはまさに新しい世界そのものだったのでしょうね。それが生々しく迫ってくる巻でした。

 この時代の西洋と日本の学問の隔絶具合もすごい。
 医学を学ぶにしても、まずオランダ語がわからない。書物も数少ない。致命的なのは辞書がないこと。単語帳のようなものを作って、それを頼りにああでもない、こうでもない、と仲間内で相談しながら知識を集めていくとは……手探りにも程がある。ちょっと想像を絶してます。気が遠くなります。
 また、海軍伝習所で教えられるのも同じく未知の世界のこと。
 船をつくる、船で暮らす、航海する、西洋の海軍組織を知る――それらすべてが自然科学、化学、技術、語学、思想など西洋文明が実らせた果実を学ぶ機会になっていたのでしょう。

 良順が憧れに憧れた長崎暮らしのくわしい様子は次巻。楽しみです。
 伊之助のはずれっぷりも心配。この人の思考回路のどこかが自分と似てる気がするので。どうせなら、頭脳の方を似たかったですけど。

 それにしても、勝海舟は面白いけど、嫌な奴だなー。何をとっても「できる」人物なのに、どこか嫌な奴だなー。
(2012.2.28)

 

「胡蝶の夢 2」 新潮文庫
司馬遼太郎 著 

   胡蝶の夢 (第2巻) (新潮文庫)


長崎で開設された医学伝習所には有能な若者たちが集まり、ポンペもまた知力を傾けて彼らの教育にあたる。やがて西洋式の付属病院が建てられ、ポンペが「人命に貴賤はない」と語って庶民にも門戸を開いたことが、周辺に思わぬ波紋を及ぼすことになった。

 「日本の医学界において、歴史的な日になるだろう」と、やる気満々で医学伝習所での初授業にのぞんだポンペですが、驚愕する出来事に直面して、この巻が始まりました。驚愕――そう、学生のうちの二人をのぞけば、誰もオランダ語を聞き取れないらしい、と。学生の方もまずオランダ語につまづいてしまって衝撃を受けただろうなあ。
 しかし、双方が初っ端から壁にぶつかったことが、却って情熱をかきたてたのかもしれない。
 ポンペは全学科を一人で教授するという離れ業に挑み、学生たちもオランダ語のわかる良順と伊之助に齧りつき、齧りとるような(笑)勢いで学問に打ち込むのでした。

 このあたり、まさに熱と光にあふれたような日々が描かれていました。
 当時流行したコレラの薬も、解剖学をはじめとした西洋医学の基礎諸々も、ポンペが身分を問わずに治療に当たろうとする姿も、良順たち学生にとってはすべてが新しい。世の中が動き出したことが肌で感じられたのかもしれない。
 このお話は1860年頃のことだから、世界を見渡せば、勢いに乗っていたのはイギリス、フランスあたりか。オランダは一歩後ろに位置していたけれど、それでも日本にとっては「西洋」そのものだったのでしょうね。

 面白かったのは、この日本人と西洋人との出会いが双方に驚きをもたらしたということ。
 良順が持っていた紙製の軽い遠眼鏡はポンペを驚かせるし、海軍伝習所のカッテンディーケは日本人が書物だけをもとに蒸気船を作ったさせたと聞いて唖然としたそうです。

 良順が壮絶に忙しく働いていた頃、伝習所の外の世界にも変化がありました。
 諸藩の間で幕府の権威は下がる一方。でも、対外的には「幕府=日本を代表する政府」と押し切るように条約が結ばれる。そこで、幕府と藩との間に微妙な齟齬が生まれて、大きくなっていく。
 また、十三代将軍・家定の死と継嗣問題で混沌となった江戸城。蘭医・伊東玄朴が奥御医師となって家定の最期を診て以降、大奥での西洋医学の位置づけは良くなっていく。
 ちょっと覚書ですが。玄朴が引きたてられるきっかけには佐賀の鍋島直正の蘭癖がひと役かっていました。
 直正の妻・盛姫は11代将軍・家斉の娘。彼女は玄朴がお気に入りで、その腕前を大奥で宣伝していたらしい。

 さて、話もどって医学伝習所にはいろいろな人がいたようです。
 日本人離れした視線で日本を見ていたらしい勝海舟、良順がアニサマと呼んでたてていた佐藤舜海、四十すぎで長崎へやってきた、自称「五合徳利」の関口等伝(私はこの人は十分「一升」の器だと思うんだけど)。

 とりわけ印象的だったのは、良順の実父の門人であった関寛斎。

 「人間というのは、自分の穴を掘るだけでいい」

 身の丈にあった生き方が一番いい、ということか。シンプルな名言です。そして、あの伊之助の世話役をかってでる、という度量のある人だったらしい。

 伊之助の「あの」と言いたくなるような奇矯は、読んでいて物哀しくなります。
 当人にとっては、要らぬものは要らぬ、やると言ったことをやる、という単純なことなのに、そのどれもが周囲の人の神経を逆なでして疎まれてしまいます。その中で、良順や寛斎だけが伊之助のことを案じてやっているようで。

 長崎の夜の町を、小男いっぴきを背負って歩いたことは、お前さんの一生で忘れがたい思い出になるよ。年老いれば、長崎といえばこれだけしか思い出さなくなるかもしれん。

 そう言って、寛斎が伊之助に「人の温かさ」を教えたことは、彼にとってはどんな意味を持つのでしょう。却って、むごい仕打ちとならなければいい、と思いつつ、次の巻も読みます。

 井伊大老の粋な(ちょっと黒い)計らいも空しく、良順はとうとう江戸へ帰京するらしい。そして、驚異的な早さで西洋医薬書「七新薬」を書き上げて、長崎を後にした伊之助は婿入り……ほんとうにするんだろうか?
(2012.3.10)

 

「胡蝶の夢 3」 新潮文庫
司馬遼太郎 著 

   胡蝶の夢〈第3巻〉 (新潮文庫)


良順は再び江戸へ戻った。しかし、ここにも攘夷の風が入り込んでいることは、政治に疎い目にも明らかだった。ますます権威を失いつつある幕府は第一次、二次長州征伐に赴く。その折に、良順は第14代将軍・家茂の診療にあたる。また、新選組の近藤、土方との出会いは思わぬ影響を良順にもたらすことになる。

 伊之助は長崎で子供を作ったものの、結局は故郷・佐渡に連れ戻されて、あいかわらずのはみだし暮らし。
 やり手で脂ぎった(笑)医師・伊東玄朴は蘭学者の立場を守ることに汲々としていましたが、虚偽報告がばれて失脚しました(こらこら)。とはいえ、大奥での蘭方医師の立場は揺るがぬものになったようなので、玄朴の功績は大きいのだろうと思いますけど。

 そのおかげもあってか、良順は将軍・家茂や、その後見職の一橋慶喜の診療にあたることになります。この二人はやっぱり印象的。

 家茂は将軍後継者問題にからむ政争の末に13才で将軍に担ぎ上げられた人。病弱で気質も優しかったらしい。英明という表現もされているから、時代が違えばおっとりとした良い上様になったのかもしれない。ただ、幕府が瓦解しようとする時期にあって、気苦労だけを律儀に背負い込んだようにみえる。気の毒な方だったのね。

 そして、一橋慶喜。
「心身ともに欠けたところがない人物」「家康の再来」といわれ、才気と気力にあふれた人だったらしい。しかし、水戸徳川家と幕府はいい関係とは言い難く、ある意味では政治を実行する手段をあまり持っていなかったのかもしれない。当人は開港、開国は避けられない流れだと考えていながら、攘夷熱に浮かされた世や将軍、天皇の意向も汲まなければならない。そこで、彼が決めたのは――たしかに、ご乱心と思われるような方向性。
 複雑な立場と性格の持ち主であったようだから、この最後の将軍様については他の本も探してみようと思います。

 それにしても、この頃の幕府の権威失墜、有力大名の腐敗ぶりは相当だったらしい。
「お殿様」育ちで出陣に何をすればいいかわからない者。装備品は伝統を重んじて家康時代と大差ない。幕府から出兵を命じられたのに、やんわりと断る大名家……って、ありなんだろうか。無いよなあ。

 世の中には攘夷の世論があふれて、そう言わねば、考えねばならないような空気があった。しかし他方、「開国は当然。その先の利益のために動く」フランス、イギリスの力が国内に押し戻しようもなく浸透してくる。
「幕府は滅亡すると思う。」そうはっきり口にした者もいれば、漠然と「大事」に備えはじめた者もいる、というところで、3巻読了です。

 すっかりはまりこんで楽しく読んでいるのですが、ここに来てちょっと「しまった」と思ったのは、新選組。世にファンの多い(特にお嬢さんの)新撰組ですが、私はまったく興味なかったので、よく知らないのですよね。一般常識くらいつけてから読めばよかったな。

 そして、どうでもいい今巻のツボ。
 近藤勇が医学所に乗り込んできて、内心今にも斬られるかと思いつつ、のらりくらりとしたさまを装う良順。何ですか、その「餅が流れたような顔」って(爆笑)
(2012.3.22)

 

「胡蝶の夢 4」 新潮文庫
司馬遼太郎 著 

   胡蝶の夢〈4〉 (新潮文庫)


ついに慶喜の決意で大政奉還、幕府は一夜にして瓦解した。良順ら長崎でともに学んだ者たちもそれぞれの立場によって幕府軍、新政府軍とに別れていく。

 最終巻、題名のごとくに人も世間も移り変わり、「夢」のように儚い話であったな。……って端折りすぎか。でも、堪能しました。

 260年あまり続いた幕府は崩壊。事のあまりの大きさに茫然となった幕臣たちは気の毒というか、呑気というか。新政府側も「攘夷」を声高に言う人もいれば、いや、あれは倒幕の口実だったと言う人もあり。どうとでもなれ、マニフェスト、なのか。その中で、良順の弟子(?)の渡辺洪基の台詞におもわず注目。

 「国家が変改するにあたって、ペテンにかけたようなやり方は後世の風況にかかわる」

 だよね。
 ま、政治の話はともかく。

 混沌とした時代の中で、医師たちも政変と無関係ではいられない。
 個人的には幕府を見限っているのに、軍医総裁という立場にあるために幕府軍について会津へ向かうことになる良順。その良順と、戦場で敵味方として会いたくないと言った義兄・舜海。官軍の野戦病院を任されて会津へ向かう関寛斎。実子や養子を幕府方、新政府方両方に送り出した佐藤泰然。
 そして、佐渡でもやはり医者にはなれなかった伊之助は、語学の天才をかわれて新政府に関わることに。つねに蘭学、独、英国医学、と日本の医界の最先端に触れながら、結局は医師にはならなかったわけです。
 ――どの人もそれぞれに印象的でした。
 ちょっと物足りなかったのは、人物描写があっさりしていたこと。慶喜と近藤勇あたりはもっとじっくり読みたかったのですが。でも、登場人物の数も半端でなく多いので、仕方ないですね。

 もうひとつ、興味をひかれたのが、江戸の身分社会の外 ― 遊郭、えた ― の人々の登場でした。
 日本史の授業の記憶を掘り起こすと、「えた」は身分社会の不満から人々の目を逸らせるために作られた、と聞いた覚えがあり、士農工商とは「上下」「高低」で対比してイメージしていたのですが。どうも、 そう単純な差別ではなかったのですね。
 えたの住む村は地図に存在が記されず、租税を納めることもない。おそらく貧しい者が多かった一方で、元締めのような立場の者には権威を示すことも許されていた。たとえば、屋敷を持って、大名家のような門構えを許され、大名行列のように町を歩きもする。ただし、えたであることをはっきりと示す決まりごとがある、などなど。
 居場所を与えながら区別する、という感じだったのかな。また、例えば町人から見たら「人外」の存在への忌避を通して、逆に町人同士の連帯感を醸していたのかもしれない。
 単に貧しいだけではなかったようだし、搾取対象でもないというのは、他国の歴史に見る差別とは少し違うように思いました。

 彼らと知り合った良順は、ポンペに教えられた平等の意識から差別に反感を抱いて、幕府にえたの身分向上をかけあうことになります。外国からもたらされた文化は、明治以降の日本にどれだけの影響を与えたのか――そんなことを考える種となるエピソードでした。
 あとがきに書かれた著者の言葉も印象的です。

「胡蝶の夢」を書くについての思惑のひとつは、江戸身分制社会を一個のいきものとして見たいということであった。それを崩すのは蘭学と、それに後続する幾重もの波のためで……(後略)

蘭学――医学、工学、兵学、航海学――といった技術書の叙述に本質的に融けこんでいるオランダの市民社会のにおいから、それを学ぶ者はまぬがれることができなかった。


 この「におい」という言葉に、ああ、なるほどなあ、と思いました。言葉でも、物ひとつからでも、その後ろにある考え方を感じることはできるのですよね。

 この小説の主人公は医師たちなので、日本の医学(というか、医学校くらいか)の変化も描かれています。
 長く漢方医学一辺倒であったのが、西洋文化との出会いで蘭学が取ってかわる。明治になると、新政府が英国の支援を受けていた縁から英国人医師ウィリアム・ウィリスを官病院に迎えることになります。
 このまま英国式の医療が日本に移植されるのかと思われましたが、ヨーロッパの医学の最先端はドイツ。「そこに学ばなければ、日本の医学は駄目になる」とまで考えた佐賀藩の医師・相良知安らの働きかけで、新政府ではドイツ医学を採用することが決まります。(ここでも、政府に影響力を持っていた鍋島閑叟の影がちらっとみえました)

 かつて日本の医学の最先端で、良順たちを育てあげたポンペの学問は忘れられていく。また、英国人医師ウィリスが明治新政府を去り、鹿児島で医学の普及に努めたことも、時代の流れを感じさせます。

 あとに残るは、骨ひとつ――不思議な読み心地でした。
(2012.4.20)

 

「最後の将軍」 文春文庫
司馬遼太郎 著 

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ペリー来航以来、開国か攘夷か、佐幕か倒幕かをめぐって、わが国の朝野は最悪の政治的混乱におちいってゆく。
文久二年、将軍後見職としてはなばなしく登場したのちの十五代将軍・徳川慶喜は、優れた行動力と明晰な頭脳をもって、敵味方から恐れと期待を一身に受けながら、抗しがたい時勢にみずから幕府を葬り去る――。
徳川歴代将軍のなかで、最も有能で、多才で、最も雄弁で、よく先の見えた人物でありながら、「最後の将軍」として人生を終えた慶喜の悲劇を描く。

「青天を衝け」つながりで手に取りました。慶喜が撮影した写真は見ていましたが、何故か本人を取り上げた本は読んでいなかった(汗)ドラマで描かれたよりはるかに複雑な人物像が面白かったです。

 およそ出来ないことがないという多才ぶり。そして、政治的に難しい時期の将軍にふさわしい才覚があるのに何故だかそれがまっとうに世間に扱われない――そのことに不思議な気持ちさえ覚えました。

 本人がまったく望まないのに周囲から勝手に持ち上げられたり、勝手に幻滅されたり。もしも、当人がどんな動機であれ将軍職にもっと前向きであったら、幕府内部や朝廷とももっとうまく付き合っていけたのではないか。
 こう、何もかもがずれているというか。ずれて、どこにも嵌らない才気ゆえに、大変化を遂げていくこの時期の政治の中心からはじき出されるしかなかった――。

 そんな気がしました。

 こんな人物と関わり、けっこう振り回された気もする山内容堂と松平春嶽についてももうちょっと調べてみようかな。
 ちなみに、平岡円四郎との飯盛りの場面が読めて、ちょっと幸せ(笑)
(2022.2.08)

 

「月の輝く夜に / ざ・ちぇんじ」 コバルト文庫
氷室冴子 著 

   月の輝く夜に/ざ・ちぇんじ! (コバルト文庫)


十七歳の貴志子は、親子ほどに歳が違う恋人の有実から、彼の娘で十五歳になる晃子を預かってほしいと頼まれた。気が進まない貴志子だったが…? ベストセラー『ざ・ちぇんじ! 』とともに、文庫・単行本未収録作品を文庫化。

 「月の輝く夜に」目当て。まんがが良かったので原作を買ってみました。私にはめずらしい読書。感想が書けません。というのは、あまりにまんがが原作に忠実だったので。
 台詞もきちんと原作通りだったこと、独白を省いたところはすべて絵で表現されていたことがわかりました。優等生なまんが化ですね。繊細な作品だと思うので、それで良かったのだな、と思いました。

 あえて、印象が違うところを挙げるなら二つ。弾正の宮の身の上、動機が原作の方がわかりやすい気がしました。もう一つは、貴志子が有実と出会った夜桜の描写。これは、原作の言葉が見事だと思いました。

 収録されていた「ざ・ちぇんじ」は確か中学生の頃読んだ覚えが。今、読んでもテンポがよくて楽しい作品でした。
 それにしても、恐ろしく分厚い本でした。3cmって……。「ざ・ちぇんじ」以外は文庫本未収録だったそうなので、ひとまとめにしてしまおう、ということだったのかな。
(2013.1.3)

 

「アイスクリン強し」 講談社文庫
畠中恵 著 

   アイスクリン強し (講談社文庫)


お江戸が東京へと変わり、ビスキット、アイスクリン、チヨコレイトなど西洋菓子がお目見え。築地の居留地で育った皆川真次郎は、念願の西洋菓子屋・風琴屋を開いた。今日も、甘い菓子目当てに元幕臣の警官たち「若様組」がやってきて、あれやこれやの騒動が。

 ご維新で職を失い、かろうじて下っ端警官となったもと若様たちと貧乏菓子職人、そして貿易商会のお嬢さん。彼らがにぎやかな東京を舞台に事件を解決していく、軽やかで楽しいミステリータッチの小説です。ちょっとジャンルが違うような気もするけど、まあいいか。

 主人公・真次郎が菓子職人なので、アイスクリン、シユウクリーム、レモンプリンと甘いものがいっぱいです。目の毒ともいう。
 新時代ならではの風物も楽しみですが、目まぐるしい毎日を自分の才覚で乗りきっていこうとする若者たちが爽やかです。全体に甘くて軽い、少女小説の雰囲気ですが、貧民窟やコレラ流行など当時のうす暗い事柄も描かれています。

 おきゃんなお嬢さんの意中の人が、若者たちの中で一歩先んじたところで終わっていますが、続編はないのでしょうか。
(2013.8.15)

 

「燦(さん) 1 風の刃」 文春文庫
あさのあつこ 著 

   燦〈1〉風の刃 (文春文庫)


江戸から遠く離れた田鶴藩。その藩主が襲われた。疾風のように現れた刺客は鷹を操り、剣も達者な謎の少年・燦。筆頭家老の嫡男・伊月は、その矢面に立たされるが、二人の少年には隠された宿命があった。

 この著者の本ははじめて読みました。
 江戸時代の地方藩主に仕える若者・伊月と、特異な能力を血筋に秘める神波(かんば)一族、その末裔・燦(さん)の物語。
ややファンタジー風の時代小説。やわらかい言葉づかいとどこかユーモアを感じる文章はけっこう好みです。

 登場人物たちも魅力的。
 燦は鳥を従えて風のように里へ降りてくる。藩主の子でありながら武張ったことが苦手で、読み物を愛する飄々とした圭寿(よしひさ)。その圭寿に子どもの頃から仕え、生涯ついて行こうと決めている忠義者の伊月。自分の行く先を見つめる若者三人の姿はいかにも清々しい。

 とくに好きだったのは、藩主の次男坊・圭寿。
 武芸に励むのは性に合わない、家を継ぐ重圧もなく、いずれは分家してもらって、読み本の戯作者になりたいとぬけぬけという坊ちゃんですが、妙に憎めない。そして、それについていって道場を開こう、という伊月もたいてい野望とは縁がない。
 ですが、燦との出会いから伊月、そして圭寿の運命も思わぬ方向へ動き出します。
 燦の襲撃によって藩主は大怪我を負い、継嗣は死去。どうやら圭寿が藩を継ぐことになりそうです。そうなれば、伊月の立場はより重要なものに。
 まあ、彼は剣の腕が立つし、家老・吉倉家の嫡男としてしっかり育てられているので心配はありませんが、圭寿はどうでしょう。心配です。。。

 場面転換がわかりにくいところもありましたが、爽やかな読み心地だったので大満足です。続きも楽しみです。
(2013.10.24)


「燦(さん) 2 光の刃」 文春文庫
あさのあつこ 著 

   燦〈2〉光の刃 (文春文庫)


江戸での生活がはじまった。伊月は藩の世継ぎ・圭寿とともに窮屈な大名屋敷住まい。一方、異能の一族に生まれ育った少年・燦も、祖父の遺言を守り、江戸の棟割長屋に暮らす。その二人が町で出会った矢先に不吉な知らせが届く。さらに屋敷でも圭寿の命を狙う動きが。

 藩の継嗣となったことの幕府への報告のために江戸へやってきた圭寿、そしてお伴の伊月。朝から晩までかしずかれて息苦しいとぼやく圭寿も大変ですが、藩士同士の力関係に神経をすり減らす伊月はもっと気の毒かも。
 伊月は、圭寿の亡くなった兄に仕えていた藩士・山内からは何ごとにつけても絡まれ、嫌味を言われ、珍しく切れる寸前。しかも、身内の確執だけではなく、どうやら圭寿の命を狙う輩がいるらしい。国元ののんびりとした雰囲気とは一転した生活です。

 一方、圭寿は自分の行くべき道を見つめ、考え始めています。
 次男だったことから藩政には疎く、自分がいかに国のことを知らないか――そう語る言葉は真摯そのもの。むしろ、こうやって一から学ぼうとする人の方がいい藩主になるかもしれないなあ。そこに「藩校をつくる」という夢も織り交ぜられる前向きさもあるのだから、何とか現実を折り合いをつけてやっていけそうです。

 一方、国元の吉倉家でも、ちょっとした騒動が起こりそうです。
 伊月の父・伊左衛門と後妻の八重は、伊月の将来をめぐって議論となってしまいます。藩の筆頭家老である伊左衛門と対等に議論できる気骨のある八重。いや、きりっとしていて美しいです。

 さて、圭寿が窮屈な屋敷住まいの中でも諦めずに行動を起こしたもう一つの夢――読み本を書く――が、どうやら不穏な空気を屋敷に呼び込みそうな気配です。続きを読むのが楽しみ。

(2013.10.27)


「燦(さん) 3 土の刃」 文春文庫
あさのあつこ 著 

   燦 3 土の刃 (文春文庫)


江戸の大名屋敷に暮らす田鶴藩の後嗣に、闇から男が襲いかかった。同じころ、伊月は、藩邸の不穏な動きを探らせていた石崎文吾の無残な死体を前にしていた。そして燦は、江戸で「神波の一族」を知る人物に出会う。彼らにいったい何が起ころうとしているのか。

 さまざまな人間が暮らす江戸の真ん中で、燦はついに「神波の一族」を知る人物と相対します。おお、この人ですか。ちょっと怪しいとは思っていたけど、まさかその手の中に彼らが飛びこもうとは思いませんでした。

 一方、伊月はスリのお吉さんに「上鴨」という仕出し弁当のようなあだ名をつけられつつ、町の子どもを行きずりに殺した侍の謎に引き込まれていきます。そして、屋敷で命を狙われた圭寿は燦に助けられ、ついに待ち望んでいた対面を果たす。

 ふと気づいたのですが、圭寿は兄の継寿と会ったことがなかったんですね。江戸屋敷に継嗣を住まわせる、みたいな決まりがありましたっけ。
 兄がどんな人であったか尋ね、もし生きていれば、と思う場面はなかなかに切ない。兄が藩主となれば、自分は気楽に寺子屋でも開いた。そして、政務に疲れた兄が時には自分の庵を訪れたかも、と。それも夢になってしまいましたが。

 2、3巻と、若者三人の中では圭寿が着々と(あるいは、ちゃっかりと)自分の道を進みはじめたので、次はそろそろ伊月に活躍して欲しいなと思います。全体にほんわりとのどかな雰囲気はとても好みなのですが、時代小説らしい大立ち回りももっと読みたいところです。

(2013.10.27)


「燦(さん) 4 炎の刃」 文春文庫
あさのあつこ 著 

   燦 4 炎の刃 (文春文庫)


「闇神波は本気で我らを根絶やしにする気だ」。刺客、暗殺、陰謀。江戸で男が次々と闇から斬りつけられる中、燦はついに争う者たちの手触りを感じ始める。一方、伊月は藩の代替わりの準備に追われるが、圭寿の亡き兄が寵愛した美しき側室・静門院が面会を求めてくる。


 伊月はその忠誠心が藩主というより圭寿に向けるものであることを自覚し始め、一方あいかわらず我が道を行く燦は、のんきな主従(伊月と圭寿・笑)とつきあっているうちに世情にも目がいくようになったらしい。田鶴藩のために働く気はさらさら無いものの、圭寿が藩主となることで市井の人々にどんな影響があるのか気になる。人々が生活に苦しむような藩主なら圭寿を斬ってもいいとまで考えているようですが……さて、どうなることか。

 この巻では、伊月のまわりの不穏な空気に気がもめました。
 藩士同士のいがみ合いが生々しい。今のところ、闇神波よりもむしろ怖い(おい)。そして、伊月の「女難」、静門院。妖艶な尼僧ってどうなの。さわやかな青春時代劇のつもりでいたのに。

 次の巻こそは大立ち回りを見られるかしら、と期待しつつ……と思ったら、まだ出版されてないのね。楽しみにお待ちしてます。
(2013.11.22)


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