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SF小説 3

 

「老ヴォールの惑星」 ハヤカワ文庫
小川一水 著

   老ヴォールの惑星 (次世代型作家のリアル・フィクション ハヤカワ文庫 JA (809))

SF短編集。

ギャルナフカの迷宮
 有罪判決を受けたテーオは刑罰として千佳の迷宮に閉じ込められた。与えられるのは水と食物、そしてそこを行き来するための道順図のみ。そして、このギャルナフカの迷宮には、同じ境遇の囚人たちが互いの地図をねらって争いあっていた。


 そこで生きることそのものが刑罰である、という、皮肉な寓意を思わせる設定の中篇。
 それぞれがわずかな権利のために争うよりも、誰かと契約し協力しあうことをテーオは思いつく。その考えに賛同する者がしだいに増え、迷宮の中に社会が編み出されていく。単に生きるための共同ではなく、弔いあり、セックスあり、そして芸術をはじめとした知的活動が生じていくさまが鮮やかに描かれています。

 人類はほんとうにこんな風に原始の地球の闇から生まれたのかも、と思わせるお話。面白かったです。

老ヴォールの惑星
 海とガスの乱流がうずまき、季節を刻む惑星サラーハには、知的生命体がいた。海にただよって生きる彼らは、仲間を食べ、その知識を吸収して次世代へと命をつないでいる。そのサラーハに、巨大な天体が衝突する、という予測がなされた。彼らは長老格の老ヴォールが残した「風も海もない、おだやかな惑星がある」という言葉を信じて、宇宙へ向けて信号を発して、仲間を探しはじめた。


 海に漂うヨットを思わせる鰭肢のある生命体が主人公(?)です。
 宇宙のあらゆる方向へ向かって信号を投げかけ、その答えを待つという気の遠くなるような仕事。限られた時間。一人ずつのできることはわずかだけれど、あきらめることなく信号を送り続ける姿には、じんわりと温かい思いがしました。
 何がいいって、彼らの命の終わり方がいい……水に沈んでいくのです。

 他の世界に移り住むという考えなど。渡さない方がいい。渡せば、それを成しえずに早晩沈むことになる自分の悲しみも伝わってしまう。ヴォールは一人、強まる風に身を任せていた。

 ささやかな命が、ほんの少しのことをして、黙って命を終えていく。その静かな情景がいいなあ、と思いました。

幸せになる箱庭
 木星には、異星人がつくった通称「噴水」システムがある。その影響で、地球の周回軌道にずれが生じて、いずれ人が住めるところが少なくなってしまうかもしれない。「噴水」をとめさせるために、使節団はその設置者クインビーの住む星へ向かったが、そこで見た光景に主人公タカミは違和感を覚える。


 仮想空間と現実世界はどこが違うか。満足感は充足を意味するのか。読みながらちょっと眩暈。この答えをネタばれせずに書くのはちょっと難しい。

 クインビーは500億年のあらゆる物事に関する経験値を以って彼らの計画への同意と協力をタカミに迫ってくる。
 500億年というのは、もう人間の理解を超えたスケールで、これは神との対峙といえるものなのかもしれない。そのクインビーに対して注文をつけた、人類代表の意地と気概が嬉しい。

 もちろん「神」スケールに敵うはずもないけれど、諦めることのない人の姿が滑稽で、悲しくて、そして温かい結末でした。

漂った男
 偵察任務中に遭難、たった一人で海洋惑星パラーザに不時着した、軍のパイロット、タテルマ少尉。訓練どおりに、救助隊は数日で到着して、妻の待つ家へすぐに帰れるはずだった……。


 最初の楽観的見通しが次々と打ち砕かれていくさまに呆然としました。冒頭の7ページで、帰還の可能性が一気に0近くまで急降下してしまった。

 超絶望的な状況の中、唯一の望みである通信機を通した故郷との会話は喜劇的ですらある。上層部の勝手な理屈、妻との隔たり、マスコミの報道や果ては宗教者との対談(!)まで。
 そして、通信中に基地の異変を察知したことから事態は急展開する。
 本当の孤独とはどういうことなのか――冷酷な現実が主人公に突きつけられます

 一発逆転的なラストシーンを迎えますが、そこは伏せておきます。力強くてポジティブな展開が見事でした。面白かったです。
(2010.10.20)

 

「フリーランチの時代」 ハヤカワ文庫
小川一水 著

   フリーランチの時代 (ハヤカワ文庫JA)

「私は人類をたいらげたい」。とんでもないことを言う宇宙人と火星探査隊員のファーストコンタクトからはじまる「フリーランチの時代」。事故によって脳死のような状態になってしまった私が電気信号のやりとりで外界と「話し」、選んだ生き方とは? 自分は生きているのか、生きたいと願う自分は何者なのかを問う「Live me Me」など5編を収めた短編集。

フリーランチの時代
Live me Me.
Slowlife in Starship
千歳の坂も
アルワラの潮の音



 気に入ったのは「Live me Me」と「Slowlife in Starship」(おや、何故か両方とも英名ですよ)。

 脳死のようだけど、頭の中ではしっかりと「私」が生きていて、信号のやりとりによってのみ意思を表す――信号によってだけ、生きていることが証明される、という不思議な話です。
 その信号が外部のロボットを動かしたり、オンラインのゲーム上で仮想人格を動かす。それでは、この自分は何者なのか? という問いかけは、シンプルなだけにぞくっとさせられます。そして、この信号がなかったら。「私」が生きていることを伝える方法がなかったとしたら、やはりこれは「死」と呼ばれたんだろうか?
 棺桶に入れられる自分を自分の中から見てしまったりしたら……考えると怖いです。

 そして、「Slowlife inStarship」はマイペース、スローライフをマイ宇宙船で堪能しているパイロットのお話。
 急いで行くこともなく、すきま産業(笑)に従事して生計をたてる十軒原のユルさは、わが身そのものでした(笑)。いいよね、ゆるい、ゆるい宇宙船。これもひとつ、幸せ感あふれるお話。

 ところで。「ハヤブサ」の遺物を回収しようとしている……というエピソードがありましたが、これは、つい先日回収されたものですよね。小説は予言をしそこなった。やっぱり事実は小説よりも奇なり、なんだ。
(2010.12.15)


「風の邦、星の渚
 - レーズスフェント興亡記 -
角川春樹事務所
小川一水 著

   風の邦、星の渚 上―レーズスフェント興亡記 (角川春樹事務所 ハルキ文庫)


14世紀のヨーロッパ、父に疎まれて貧しい荘園に追いやられた騎士ルドガーと弟リュシアンは、その地で精霊・レーズと出会った。古代ローマ時代から生き続けているらしい、彼女の正体は異星生命体だった。レーズはルドガーに「この地に町をつくれ」と持ちかける。兄弟と、村に住む人々が我が身を守りながらたてた町は「レーズスフェント」と名づけられ、自立した自由都市となることを目指す。しかし、その発展は主君やハンザ同盟の反感をかうようになる。歴史SF小説。

 文庫版にリンクしますね。中世ヨーロッパの田舎の風景と人々の暮らし。美しい姫君と騎士の恋物語。海賊との戦いあり――たっぷり楽しませていただきました。私の好みからいえば、レーズとラルキィはいなくてもいいんだけど(こらっ)、ここらへんはSFやファンタジー好きには大切な要素なのかもしれないですね。

 ほぼ0からはじまったレーズスフェントの村興し、そして発展。この時代の人々を縛っていた身分や決まりごとに距離をおいた(無くなるわけではないのだけど)風通しのよいレーズスフェントの雰囲気に人々が惹かれるのもわかる。それが、領主の嫉妬と憎しみを生み出すのもわかる。その中で、自分の足で立って地道に働く人々の姿が読みごたえありました。
 ことに、後半にちょこっと出てくる、名も無い農民や織工の描写が好みです。いいなあ、こんな風に小説が書きたいものだなあ。

 SFとも歴史小説ともいえる雰囲気で、ちょっと説明がくどく感じることもありましたが、ともあれ面白かった。満足しました。
(2011.2.25)


「煙突の上にハイヒール」 光文社
小川一水 著

   煙突の上にハイヒール (光文社文庫)


恋人が結婚詐欺師だったと知ったショックで織香が衝動買いしたのは、142万円の一人乗りヘリコプター<MEW>だった。生まれてはじめて一人で空を飛ぶ体験に織香は夢中になった――「煙突の上にハイヒール」。
最近、飼い猫<ゴローさん>が急に太りはじめた理由をつきとめようと、御厨と友人たちは小型カメラをつけて猫を放した。そして、戻ってきたカメラが映し出したのは――「カムキャット・アドベンチャー」。5編の短編集。

煙突の上にハイヒール
カムキャット・アドベンチャー
イブのオープンカフェ
おれたちのピュグマリオン
白鳥熱の朝に



 文庫版にリンクします。
 ううむ、こんな話も書かれるんですねえ、この著者は。実は女性で、元OLさんじゃないの?と思われました。

 ページをめくって、あらSFじゃないんだ、と驚いた、「煙突の上に〜」。
 衝動買いした物の唐突さといい、妙に半端な金額といい、大金をあっさり払ってしまう心理状態といい、リアルで面白かったです(いや、やったことはないですが)そして、MEWから町並みを見下ろす織香の視線がじんわりと穏やかで、よかった。傷心とは、こういうぶっとんだ視点で癒すのが一番いいのかもしれません。

 そして、もうひとつ。地味だけど、いいお話だったのが「イブのオープンカフェ」。
 主人公・未知はある夜、一体の人型ロボット・タスクと出会った。彼は主人を亡くし、初期化するためにメーカーのサービスセンターへ戻る途中だという。同じように一人で家に帰る未知とタスクは、雪の降るカフェで言葉をかわす。

 過去は変えられない。人にできるのは、償うこと、そして学ぶこと。
 しかし、ロボットは? 主人をなくしたタスクの後悔は、そのどちらにも繋がることがない。淡々と語る言葉が切ないです。

 これは、最適な解を出せなかった失敗事例として記録され、今後の改良に役立てられます。
 ですが、僕自身が、つまり今話しているこのバージョンの僕が、改良の恩恵を受けることはないのです。
 ――だから僕は、歩くことを選んだのです。



 人をハグして体内熱源で暖められるタスクと、ロボットのバッテリーを充電してやれる未知。どちらが、どれくらい幸せなのか。テクノロジーと人間の間で、どんな幸せが生まれうるのか?

 切ない中に温かさもある読後感でした。
(2011.3.6)


「復活の地 T」 ハヤカワ文庫
小川一水 著

   復活の地 1 (ハヤカワ文庫 JA)

惑星の統一を果たしたレンカ帝国は他星の列強諸国と対峙しようとしていた。しかし王紀440年、大地震が帝都トレンカを襲い、国家機関、都市機能は一瞬にして壊滅。高皇や政治の中枢を担う人々が死亡、50万の市民が被災した。地方政府の一官僚にすぎなかったセイオ・ランカベリーの肩に国家再建の重責がのしかかる。崩壊した国の再生を描くSF。


 壮大な設定のSF、堪能しております。
 でも、今のところ書かれているのは、延々と、延々と、被災地の風景。一冊の半分くらいが災害の描写なんじゃないだろうか。度肝を抜かれました。こんなSFありなんだろうか、と。

 でも、背景となっている時代、世界観を読むと確かにSFです。
 人類は地球を出て多くの惑星に移り住んだものの、星間戦争の中で地球は滅び、文明は停滞期を迎えた。言ってみれば星間グローバル経済が破綻、星同士の交流が極端に少なくなった後の時代の物語。
 そして、惑星レンカの中にも戦争の歴史がある。レンカ帝国がジャルーダ王国を侵略、併合。そのために、レンカの人々の間にはジャルーダ人を「卑族民」扱いする風潮がある。これが疲労しきった人間の心理によって激化して、被災地で暴動を引き起こす。
 物的な被災だけでなく、極限状態で起きるこういった集団心理が恐ろしいです。

 また、主人公セイオと都庁役人(石○さんではないですよー・笑)の間にある、現場主義と組織主義(?)の対立のような構図。これが印象的でした。
 原則重視で動く役所組織には臨機応変なところは無いけど、まったく違う長所があるのですよね。
このような、国が未曾有の危機に襲われるという設定の中で、個人ではなく組織を立ち上げていくことの難しさ、その価値が強く感じられました。

 ところで、セイオ、そして他の皇族が亡くなったために摂政とならざるを得なくなった内親王スミル。この二人とも過去に複雑な事情を背負っているようで、気になります。それにもめげず、軍部と政庁と被災地からの要請の間で身を削って働くセイオはちょっといい人すぎかなあ、と思わないでもないですが。

 そして、他星からの救援船が到着しておりますが、どうやらそこには人道支援だけではない国家の事情が隠れている様子。さらに災厄の原因となった大地震そのものにも何か不穏な予感があります。
 続きもぼちぼちと読んでまいります。
(2010.1.1)

 

「復活の地 U」 ハヤカワ文庫
小川一水 著

   復活の地 2 (ハヤカワ文庫 JA)  

復興院の奮闘を軸に帝都は復興しつつあった。しかし、セイオの独走が過ぎたために復興院はしだいに陸軍や市民からも批判的に見られるようになる。その頃、レンカ人とジャルーダ人との対立は決定的なものになり、ついにはジャルーダ王国軍とレンカ陸軍は戦闘状態になってしまった。そして、復興と国民の士気高揚、財源の確保など諸問題が複雑にからみあうレンカを諸外惑星国が注視していた。


 とにもかくにも帝都の復興をめざすセイオだけれど、視点が高く、視野が広くなればなるほど、足元を掬う動きが見えなくなる。強さが強引さに、思慮が弱さに見えることがある。そう見られることに気づかない人がいたり、他人をそう見せることがうまい人がいる――こんな状況に、はらはらしながら読み進みました。
 危うい立場に追い込まれていくセイオを穏やかに諭す、ソレンス父のひとことが渋いです。

「私は地方に根付く政治家というものを卑下するつもりもありませんよ。大所高所に立つのはよろしい。しかしそれは地べたに触れる心根と両立せねばならんことです」

 サイテンといい摂政スミルといい、そして当然のことながら諸外国の元首級の人々も、やはり「大きい、高い」話ばかり。この中で、国の中枢から押し出されていくかに見える復興院とセイオに何ができるのか?

 ところで、スミルが意外に頑張っているように思います。
 国の要、別格の立場であるので、軍や政治家のどの派閥からも離れていなければならない。そのくせ、いいように使われている、と最初はご不満でしたが、『使わせ』方を覚えつつある様子。
 思い出したけど、そもそも彼女が田舎に引っ込んでいた理由は何なんだろう。スミルに注目、です。

 そして、ついに大地震の原因が判明、関係者を震撼させます。
 これ、どうするんですか。というか、どうにかなるんですか?!――ラスト一巻に取りかかります。面白いなあ、頑張れ、復興院総裁(←ひどい)
(2010.1.8)

 

「復活の地 V」 ハヤカワ文庫
小川一水 著

   復活の地〈3〉 (ハヤカワ文庫JA)

震災から立ち直りつつある帝都を再び大災害が襲う、という情報がレンカにもたらされた。しかし、復興院は解体され、政府の目はジャルーダ帝国や星間侵攻に向けられている。刻々と迫る災害、国家存亡の危機をレンカは乗り越えることができるのか? 完結編。

 1巻あたりはセイオの目を通した、政府機関という上からの復興の物語。この巻では主人公であるセイオすらほとんど登場せず(裏でせっせと働いているんですけど)、一般市民による災害対策が地道に、しかし着々と行われています。
 押し付けや強制ではない、善意と自主性による災害対策。正直言えば、そううまくいくかなあ、とも思うのですが。でも、これは充分リアルに描かれているからこそ出てくる感想、と思ってます。

 変転といえば。スミルが一番成長したことは間違いないですが、セイオもまたマイペース(笑)で自分の目指すもの、生きる場所を見つけたのだな、と思う。
 その礎となっているのが、亡きシマックの“実によく歩いた”という為政者の姿勢。身分を隠して町を歩き、自分の故郷のように統治する地を把握していた――。

 どんな竈でどんな飯をつくり、どこに憩って何の噂をするか。統計を取るのではない。民に陳情させるのでもない。ただ閣下は、街と人が生かしあう有機体としてのアルチャナ社会の現況をとらえ、その有機体が最も抵抗なく受け入れる方向へ植民地施作策を敷いた――」

 シマックがつけた道筋をセイオが辿り、セイオが働きかけた災害対策を市民が実行する。始めた人が去っても何かが残る、というのが実のある仕事なんだろうな。

 そして、ストーリーとは無関係ながら好きだったのは、バルカホーン航民国。同業者(?)の集合体としての国、というのは珍しい設定ですね。「天冥の標」のアウレーリアともちょっと似ているような。レンカへの助力を求めて行ったザグラムを評した国王ハーラットの言葉はなかなか。

「奴は船乗りじゃないぞ」
「まだ乗っていないだけだよ。彼は船乗りさ」
「やっぱり私情か」


 著者は海洋小説のファンらしいので、こういう気質がお好きなのかも。私も好きだ〜。 コミックぽいイラストは個人的には苦手ですが、面白かった。満足してます。
(2011.1.18)


「第六大陸 1」「2」 ハヤカワ文庫
小川一水 著

   第六大陸1

   第六大陸〈2〉 (ハヤカワ文庫JA)

西暦2025年、砂漠など極限環境下の建築実績で知られる御鳥羽総合建設は、それまでに例のない計画を受注した。工期10年、予算1500億円、人が長期滞在できる基地を作るという計画の施主は、巨大レジャー企業E.L.Eだった。詳細も知らされないまま、建設部主任の青峰走也はE.L.E会長の孫娘・妙を伴って、現地調査のために月面の中国基地へ向かった。

 理系および技術系男子のお話を、途中まで聞いて、あとは諦めることにした女子の気分で読みました(おいっ)。

 月面に人が降り立ってから(作中では)50余年、にもかかわらず、宇宙開発はさほどの進化を見ていない。その理由は採算がとれないこと、そして具体的な目的が見つからないこと。しかし、その一歩を踏み出す計画が民間レジャー企業から出された――。

 「あとちょっと頑張れば実現できそう?」という感じが楽しいお話でした。だから、「第六大陸」計画の着手時期、関係する3社の協力体制ができていくあたりが一番好き。主人公の青峰走也が勤める御鳥羽総合建設の技術力や天竜ギャラクシートランス社の肝である新技術開発……って、説明文はわかんなかったのですけどね。

 宇宙開発というと、人は炎を噴いて上昇するロケットや、太陽電池パドルを広げた人工衛星を連想する。しかし、そういった航空宇宙的な分野だけが宇宙開発ではない。月面で必要とされるのは、まさに地球での土木建設分野の技術そのものだ。

 そして、月面上でちょっとしたトラブルを起こしたNASAと第六大陸の現場のドラマ。
 実際のところ、技術や工学的にどういうものなのか、私にはわかりませんけど。何事も支えているのは地道な技術と経験の積み重ねなのだなあ、と思ったのでした。

 宇宙へ行く「目的」をつくるエデン・レジャー・エンターテイメント(E.L.E)の妙ちゃんも頑張ってます。国際司法裁判所での一幕には、やられました。屁理屈、可愛すぎ。

 とはいえ。
 妙をはじめ、美しい女性キャラクターがどれほど活躍しても、これはあくまで男性が魅力的なお話です。素直に笑って、泣いて、はらはらして、面白かった。途中で諦めた女子でも、このくらいならOKですよね。
(2010.11.25)

 

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