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窓の霜をひっかき落として、飾り職人がつぶやいた。
「降ってきたなあ。こんな夜は、とんでもないものが飛び込んでくるかもしれないぞ」
「とんでもないって、何だい?」
好奇心いっぱいの飲み仲間の顔を見て、職人はうすく笑った。
「魔物、だよ」
今晩のような冷え込む夜のことだった。
ある町のこぢんまりとした宿屋に、雪から逃れるように飛び込んできた一行がいた。
「いやあ、まいった!」
扉が開いたとたん、鋭い音とともに風が吹き込み、炉の炎を揺らす。
「降るわ、降るわ……」
「風の冷たいこと。ぶるるる」
全部で七、八人か、客たちは狭い入り口のひと間で足ぶみして、肩の雪を払い落とした。
宿屋のおかみさんは外套はここ、長靴を干すならそこ、とてきぱき指図して、
「で、何にしますかね?」
すると、男たちはいっせいに顔をあげて、
「まずは熱々の麦酒!」と、叫んだ。
おかみさんは笑った。「まずはそれだね。それじゃ、九人様ご一行はこちらへ」
そのとたん、男たちは口をつぐみ顔を見合わせた。
「九人?」
「おれたちは八人だぞ」
だが、おかみさんは笑って首をふった。
「だって、九人じゃないか」
数えてみると、なるほど確かに九人居る。
「ばかな」
「分かれ道で休んだときは、まちがいなく八人だったぞ」
お互いの顔を見、それも穴があくほど見たが、どれもよく知っている顔だ。
さあ、さあ、というおかみさんにせき立てられて、九人の男たちは釈然としない顔で席についた。 |
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暖炉と壁と出っ張った柱の間に、ようやく押し込んだような細長い卓。席についた男たちは互いの顔もよく見られなくなってしまった。
「悪いね。今夜は混んでるものだから、こんな席しか無くって」
と、おかみさんは申し訳なさそうに麦酒を配った。
いや、いいんだよ、屋根があるだけありがたい。
普段ならばそんな風に返しただろう客たちだが、今はおかみさんの言葉にも生返事だ。まるで、どこかに何かを置き忘れたような顔つきだった。
いったい誰が九人目なんだ?
見覚えのない者はいない。よく知っている顔ばかり。なのに、いるはずのない者がいる。
そういえば、雪の夜には何とかいう名の魔物が出るのではなかったか。いつのまにか家に忍び入り、居座って、人間にとりついてしまうのではなかったか?
うろおぼえの言い伝えに、男たちは身震いした。
「おい」
一番奥に座った男が声をあげた。
「塩を回してくれないか」
なるほど、と何人かが顔を輝かせた。
魔物は塩を嫌がるという。順送りに塩をわたせば、誰が「奴」だかわかるではないか。
「どうぞ」
「塩をどうぞ」
きらきらと真っ白な塩の入った壺が卓をわたっていく。しかし、おそろしい叫び声も何も起こらなかった。
「そうだ、スープを配ろう」
妙に力強い声で、誰かが立ち上がった。
「おお、そうだな」と、皆の顔がほころんだ。
火から下ろしたばかりの分厚い鍋。蓋をとると、ぱあっと香気豊かな湯気が立ちのぼった。
複雑な香りは何種類もの香辛料がきいているせいだ。その中には魔物を追い払う香草も入っているはず。
ほやほやと湯気はうず巻き、香りを漂わせては散っていく。それを男たちは固唾をのんで見守った……。
やがて、ぽつりと誰かが言った。「……スープを配ろう」 |
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奇妙な食卓になった。
銀色の皿は、誰も料理に手をつけないまま卓を行ったりきたりした。どろりとした煮物はたぎるほど温められ、魔物でなくても口にできないほど熱くなった。
「これを取れ、うまいぞ」
「そっちは寒いだろう。暖炉の前の席と代わってやろうか」
「とろけるくらい暑くなれるぞ」
傍目には行儀よく、愛想よく食事は続けられた。だが、誰ひとりとして味などわかってはいなかった。
金物、熱いもの、香辛料……他には何だ? 魔物が嫌がるものは何だっけ?
いったい誰が九人目なんだ?
男たちはうつろに笑い、脂汗をかきながら必死に考えた。
「おや、まあ。いい雰囲気だねえ」
そこへ、おかみさんが水差しを置きにやってきた。
「やっぱり、腹ごしらえは楽しくやりたいね」
そう言って笑った時だった。
「あっ」
おかみさんは床に蹴つまづき、揺れこぼれた水がお客の肩にかかってしまった。
そのとたん、おかみさんも男たちも目をむいた。煙か朝の靄のように、その客はすうっとかき消えてしまったのだ。
あとにはちぎりかけのパンだけが残されていた。
空になった椅子とこぼれた水を見つめて、誰かがほうと息をもらしてつぶやいた。「……杯とり、だったのか」
それは、炉辺の昔話に出てくる魔物の名だった。水やら酒を飲むのは大好き。それだのに、からだに水がかかると消えてしまうものなのだ。
そして不思議なことに、今度はいなくなった男の顔も名前も、誰も思い出せなくなってしまった。
「何だったんだろね」
おかみさんは水差しを置くのも忘れてぼんやりと言った。
「きっと、こんなに寒い晩だから、熱い麦酒がのみたかったんだろうねえ」
その時、酒場の扉が大きくひらき、雪風とともに飛び込んできた者がいた。 |