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その時、手をあげた者がいた。
「けちなおやじのふるまい、と聞いて、思い出したぞ」
それは、タジルで二十年も斧を造ってきた職人だった。
「昔、飾り屋坂の工房に妙な職人がいたっけな」
その職人はいつ頃か、どこからかやってきて、タジルに居ついたのだという。
「それがけちな野郎でな。いっしょに出かけても、飲むといったらうすめた安酒を一杯、肴はいつでも塩漬けの野菜とくる。そのくせ、腰にばかでかい杯をぶら下げて持ち歩いているんだ」
「いったい、何のためだい?」
「普段は使いもしねえのだがな。誰かがおごりだ、と言ったとたんに、そいつが卓の上に姿を現すって寸法だ」
「妙な奴だな。何でそんなのを誘うんだ」
誰かの呆れ顔に、話し手の職人も苦笑いした。
「そうだなあ。だが、どういうわけか愛嬌のある男だったんだ。だから、仲間うちでも、しょうがねえ奴だということで通っていたんだ」
ところで、このけちな男には妙なところがあった。
昼間から酒を飲んだり煙草をふかしたり、だが働いているところを町の誰一人として見たことがなかったのだ。
これは、よっぽどけちなのだ。鉄を打つと槌がへる。ぶらぶらしている理由は、おおかたそんなところだろう、と職人たちは笑って噂しあった。
さて、ある晩のことだった。
職人仲間はいつものように飲みに出かけた。ちょっとは趣向を変えようと、行きつけではない町はずれの店へとくりだした。
ところが、勘定時になって困ったことになった。
慣れない料理か、酒のせいか。気づかないうちに注文しすぎてしまったのだ。
全員の持ち金を合わせても足りない。上着をはたき、靴までぬいで振ってみたのだが、酒代にはどうにも届かない。しかも、なじみの店ではないから顔がきかない。
彼らはすっかり途方にくれた。 |
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その時、信じられない声がした。
「よし、では今日はおれがおごろう」
そう言ったのは、あの男だった。
職人たちは仰天した。あのけちな野郎が、ということもあったが、何より男はとんでもない代金をよこしたのだ。
男が例のばかでかい杯の横の袋から取り出したもの。それは見事な金細工の櫛だった。
仲間だけでなく、店のあるじもまわりの客もぽかんと口をあけて、そのきらきらしい品物を見つめた。月がおっこちて来たって、あんなに驚きはしなかったろう。
真っ先に我にかえったのは、あるじの女房だった。
「あら、やだ。きれいじゃないの」
そういって旦那の肘をつついたものだから、話はあっさりまとまった。結局、男がすっかりおごってくれることになったのだ。
「後から聞いた話ではな」
職人は、月の雫酒にちらちら目をやりながら語った。
「そいつは、南の国ではちょっとは知られた金細工師だったそうだ」
「金細工師が何でタジルまで旅してきたんだ?」
「噂は山ほどあった。金がたっぷり採れるところを探して旅をしてるとか。細工物をお姫さんに献上したら見初められちまって、身分違いの恋をとがめられて逃げ出したんだとか……」
「だが、そんな物を作れるなら、たまにはおごってくれるようになったんじゃないか?」
これを聞くと、職人は笑った。
「それが、あいかわらず一人でしけた酒をちびちびやるだけなんだ。だから、どうしてなんだと聞いてみた。そうしたら奴さん、こう言ったさ。
『たまのふるまいは金といっしょで、珍しいから喜ばれるんだ』」
それを聞くと、まわりの客たちは笑った。
話し手はご満悦であるじを振りかえり、「どうだい?」
しかし、あるじは冷ややかな目をして首を振った。
「おれはけちでも、しけた奴でもないぞ」
こうして、一人目の口に雫酒が入ることはなくなってしまった。 |
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