第一話 Novel 第三話
第二話 きつねの恩返し 


「金といやあ、思い出した」
 店の奥の卓から声が上がった。もうじき六十にも手が届こうかという熟練の刃物職人だ。
「昔、東の森へ旅したことがあった。ひねこびた木がうっそうと茂って、先も見えない……薄気味悪い場所だったよ」

 あれは、星の明るい晩のことだった。
 空では風にちぎれ雲が飛んでいたが、森の中はしん、と静まりかえっていた。木々の奥から何か出るんじゃないかと落ち着かなくて、わしは道を急いでいた。
 その時、木立のむこうに不思議なものが見えた。暗がりの中、金色に光るものがくるくると輪を描いていた。
 あれは、いったい何だろう。木陰からそっと顔を出してみると、それは金の尾を持つきつねだった。
 自分の尻尾を追いかけて、ぐるぐる回ったり跳びあがったりしている。それが、暗がりで光の輪が駆けまわっているように見えるのだ。
 きつねはわしの姿に気づくと走るのをやめて、何と口をきいた。
「お前。何故、見てるんだ」
 わしは仰天して逃げ出しそうになったが、何とか落ち着きを取り戻して答えた。
「お前さんがとてもきれいだったから見ていたのさ。ところで、何をしとるのだね」
 きつねは鼻先をぴくりと動かし、答えた。
「……とれないのだ」
「え?」
「しっぽに白いものがくっついてとれない。それが気になって、気になってしようがないのだ」
 見れば、ふさふさと太いしっぽの先に、蜘蛛の巣のような白くてぽやぽやしたものがくっついている。
「ああ、草のあいだを駆けぬけた時についたんだな。そら」
 それを取ってやると、きつねは跳びはね転がりまわって喜んだ。
「とれた。きれいになった」
 そして、そのまま立ち去ろうとして、ふと振り向いた。
「助けてくれた礼をしよう。お前、手を出せ。いいものをやろう」
 そこで、わしは両手をさしだし、水をすくう形にした。
 きつねは、ふいと後ろを向くと、金色のしっぽをその上にかざして言った。
「いいというまで、目をつぶっていろ」
 言われたとおりにすると、手のひらにころり、ぽろりと落ちるものがある。
 ああ、やられた。
 きつねに騙された、と思ったものだ。ぽとり、ころころと手の中に糞をしたのだろう。
 だが、不思議なきつねに逆らったら災難があるのではないか。そう考えて、わしは黙ってこらえていた。やがて、「おい、もういいぞ」という声がした。
 そっと目をあけると、手のひらには小さな丸い金の粒が輝いていた。驚いて辺りを見回したが、きつねの姿はさっぱりとなくなっていた。
 そして、見上げる森の梢の上には、天のきつね座が瞬いていた。
 しっぽのあたりにかかっていたちぎれ雲は、流れて晴れていくところだった。


 聞き終わって、職人たちは、ほうとため息をもらした。
「で、じいさん。その金の粒はまだあるのかい?」
 これを聞くと、職人はいたずらっぽく目を輝かせた。
「いいや。あらかた飲み代に消えちまって、残っているのはこれだけさ」
 と、楽しげに言い、上着の隠しに手を入れて取り出した。それを皆がのぞきこんだ。手のひらにあったのは、金とも糞ともわからない、硬くてつやつや光る石の粒だった。
「ううむ……こりゃあ、糞じゃねえのか」
「しかし、これで飲んだのだろ?」
 だが、誰がなんと言おうと、老職人はかまわなかった。
「どっちでもいいさ。最後の一個はとっておくのが面白い」


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