第五話 Novel 第七話
第六話 約束 


 店のはじっこの卓で、ずっと目をこすり鼻をすすっている男がいた。
 遠い国のはなしを聞いたからか、と周りは思ったのだが、実はそうでもないらしい。
「約束は守らなきゃいけねえよ」
 その職人はくりかえしくりかえし、くりかえし言ったものだから、飲み仲間たちはすっかり呆れてしまった。
「そりゃあ、わかった。だが、どうしてそんなにしけた面をするんだ」
「約束が守れねえからよ」
 聞けば、職人は故郷キートスの町に女房と子供を残してきたのだという。
 タジルの工房で修行を積み、立派な鍛冶職人になるといって彼らと別れて早一年。
「ハールの祝祭の日までには、きっと帰る。坊主にそう約束しちまったんだ」
「そりゃあ、お前……」
 甘すぎる、という言葉を、仲間たちは飲み込んだ。
 一年や二年でひとり立ちできるなどと、空約束する方が悪い。だが、そこにいる職人たちの少なからぬ者が同じような言葉を残してタジルへやってきたのだ。
 相手は親や許婚といろいろだろう。店の中には、とたんにしんみりとした空気が漂った。
 その時、おずおずと声を上げた者がいた。
「キートスへなら、伝言を伝えてやれるけど……」
 それは、若い見習い商人だった。
 工房都市ではものの数にも入らない客だ。見習いがするのは旦那の後をついてまわって、言うことをいちいち書き留めるだけなのだから。
 だが、今は書き留めるだけで十分だった。若者の周りに職人たちが群がった。
 行く先はキートス、その途中のいくつかの宿場町。もしかしたら、他の町へ向かう隊商と行き会うかもしれない。そう言ったとたんに、職人の数は増えた。
「待って、待って下さい」
 見習いの若者はあわてて言った。「誰とも会わないかもしれないのに」
 だが、誰もたいして気にしていなかった。
「かまわねえよ。会うかもしれねえんだから」
「……キートスに住むミラとその息子へ。……ええと、そうだな」
 泣き顔だった職人は手紙の文句を考え、何度も手をこすって続きを考えた。
「どうも、うまくいかねえ。ああ、今のは無しだ。そう……こっちはまずまず元気でやっているから心配いらねえと伝えてくれ」
「それだけでいいのかい?」
「ああ。それだけ言えば十分だ」
「じゃあ、次は俺の番だな。一つ柳通りのトゥーラへ……」
 これもまた、まったく簡単なひとこと。
「待ってておくれ、と伝えてくれ」
「次は、俺だ」
 伝える言葉はみんな似たり寄ったり。
 言葉のかわりに、小さな品物を届けてくれという者もいた。若者が伝言を預ける相手が、文字を読めるとは限らないからだ。
 小さな若葉のかたちの小刀。きっと息子のものに違いない。
 松の木彫りの留め具。
 白い石の護符。
 鏃がひとつ。

 やがて、それも持たない者は、名前だけを託した。
 必ず帰る、という約束の証として。

 テージョに住む大工職人の家へ。
 息子ゴールより。
 町はずれの野鍛冶へ。
 マノートより。
 宿屋のセルカへ。
 べレスより。
 …………
 ……


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