第六話 Novel 第八話
第七話 旅修行のはなし 


 あるところに、パン焼き職人の親子がいた。
 おやじさんは焼くパンそっくりの丸いからだで、小さな息子もいずれはそうなるだろうというふくふくとした顔つきだった。
 息子に跡を継いでもらいたいと思っていたから、おやじさんは毎日のようにこう語った。
「よいパンはな、こんなに大きくてまんまるなんだ」
 と、火ぶくれのできた太い手の指をいっぱいに広げて見せた。
「そして、よい職人はそのパンとぴったり合うくらい大きな手をしてるもんだ」
 さて、少年は毎日のように父親を手伝って粉袋を運んだり生地をこねたり、よく働いた。しかし、大きくなるにつれ、毎日毎日丸いパンをつくるのが嫌になってきた。
「おれは旅に出たい」
 ある日、少年はそう言った。
「遠くの町には違うかたちのパンがあるんだって。おれもそんなパンの作り方を知りたい。丸ばかりで、飽きちまった」
 これを聞くと、おやじさんは怒った。
「よそのパンを知りたいだと? 生意気もたいがいにしろ。パンってえのは大きくて丸いもんだ。お前の手はまだパンほどの大きさも無いだろうが」
 だが、息子も頬をふくらませてやり返した。
「でも、いいパンは手と同じ大きさだって言ったじゃないか」
 そう言って自分の焼いたパンを見せた。それは、おやじさんのパンよりひとまわり小さく、薄かった。それでも息子の手とはぴったり合った。
「これで、おれも一人前だ」
 そう言うと、少年は出て行ってしまった。

 村をあとにした少年は南の海を目指すことにした。それだけ遠くまで行けば、途中でいろんなパンを見られるだろうと思ったのだ。
 最初に寄った村では、四角いパンを焼いていた。
 そこでパン職人の家にやっかいになり、少年はパン生地をきれいな四角に切ることになった。切り終わると、親方の手元をみて生地を並べる真似をした。
 毎日、毎日真似るうちに、少年は親方のやり方をすっかり覚えてしまった。少年は礼を言って、その村を立ち去った。
 その次に寄った村では、干した木の実を入れてパンをこさえていた。
 少年は親方のもとに弟子入りして、木の実入りのパンの焼きかたを教わった。お礼代わりに、と丸いパンをつくってみせると、
「こりゃあ、面白い」
 そういって村人が喜んで買いにくるようになった。
 この町でパンといえば、棒のように細くて長いものだ。だから、少年のつくるパンはもの珍しくて、飛ぶように売れていった。
 木の実入りのパンの作りかたを覚えると、少年は村をあとにした。
 こうして、彼は旅をしながらいろいろなパンの作り方を覚えた。細長いもの、四角いもの、ふくらんだもの、甘いもの……。
 やがて、南の海辺へつくころには少年は若者になり、一人前の職人らしい腕を身につけていた。

 船乗りや商人でにぎわう港町。そこで、若者は自分の店を開くことにした。
 あちこちで習い覚えたパンを並べると、店はたちまち評判になった。誰でも、ここで故郷のパンを買うことができるからだ。
 ある日、年老いた船乗りがこのパン屋にやってきた。聞けば、彼はこれから遠い国を目指して船に乗るのだという。
「もしかしたら二度と帰って来られないかもしれん。だから、最後にわしの故郷のパンを食わせておくれ」
 そう言って船乗りが説明したのは、大きな丸パンだった。
「そんなのでいいのかい? どんなかたちだって作れるぞ」
 若者はそう尋ねたが、老船乗りは首を振った。
「丸がいい。故郷の村ではパンといえば丸いと決まっているんだ」
 そこで若者は、おやじさんが作っていたようなパンを焼いた。丸くてまんなかはふっくらと盛り上がり、ふちはきれいなきつね色だ。
 それをひと口食べるや、船乗りは目を細めた。
「おお、うまいねえ。うまいねえ。ちょいと塩がうすいが」
「そうかい?」
 若者はおずおずと尋ねた。そんなことを言われたのははじめてだった。
「ああ、ほんのちょいとな。それに、少し小さいな。もうひとまわり大きくてもいい」
「そうかい?」
「何、どうってことはねえよ。パンはパンだ」
 こぼれたかけらまで拾って食べて、船乗りは嬉しそうに帰っていった。これで、心おきなく船旅に出られる、と。
 しかし、若者は浮かない顔をしていた。
 あの船乗りは、本当には満足していない。それを知っていたからだ。
 当の本人も気づいていないかもしれない。だが、若者にはわかっていた。
「ああ、おれは何て馬鹿だったんだろう。丸いパンすらよく作れないのに、こんな遠くまで来て、何をしているんだろう」
 そこで、彼はかまどの火を落とし、港町を出ていった。
 若者が故郷の村へ帰ると、そこではあいかわらずまるまると太ったおやじさんが、まんまるいパンを焼いていた。
 けんかして出て行ったことを若者が謝ると、おやじさんは大きな手で息子をぶんなぐった。だが、すぐに肩を叩いて、
「おまえの手も大きくなったろう」
 てのひらを合わせてみると、若者の手はおやじさんのものより大きくなっていた。
「さあ、ぼやっとしてねえで生地をこねるんだ。今度は、その手に合うくらい大きなパンを作らなきゃいけねえんだから」


「こうして彼はおやじさんそっくりの大きな手で、そっくりに丸いパンを焼くようになったんだ」
 商人は言った。
「息子も丸く太って、これまたふくよかな嫁さんをもらって、今でも元気に丸いパンを焼いているのさ」
「知り合いかい?」
 店のあるじが尋ねると、
「ああ。おれのおやじとお袋のはなしさ」
 そういって、商人は丸い腹をゆすって笑った。


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