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風渡の野 12 | ||
23. | |
「狩人にもそれぞれやり方ってもんがある。長だって……いろんな長がいていいんじゃないのか?」 ティールは自分の旅の目的を思い出していた。 確かに、長といってもそれぞれ性格も考えることも違う。例えばエフタの長であるウォリスは、思慮深いことで小王国中に知られている。 知りたい情報を得るのに、小さな村の噂話では事足りないと考えたのだろう。長は城臣たちの意見に耳を傾け、長い思案の末に旅の目的地を定めた。 もし、これがレンディアでのことなら。従兄上ならどうするだろう? そう考えて、ティールは思わず笑みを浮かべた。これはすぐに思い描くことができた。 誰が、何を、どう考えたらしい、と人づてに聞くなどという曖昧なことは、決してするまい。セディムなら自分自身で山を下りて確かめると言って、城臣たちを慌てさせるだろう。 では、自分ならばどうする? 自分の責任として判断しなければならないのなら。 ティールは畑のすみの野花に、ふと目をとめた。空をうつした色合いは、あの村人の話を思い出させた。 彼が見たという青い上衣。 平原の市でもめったに見ない、その色をティールは思い浮かべた。市でも珍しいなら商人ではない。あるいはよほど遠くに住む者か。それに、目的は何だろう。 毛皮か、雪鳩の羽、とティールは思いかけ、すぐにそれを打ち消した。季節は秋。平原で待っていれば、そのいずれも山の民が背負ってふもとへ下りてくる。途切れかけた道を踏み分けて、わざわざ小王国を訪ねる理由にはならなかった。 それでは、何を得て彼らは去ったのだろう? めまぐるしく頭を働かせながら、ティールはふと苦笑した。 自分は、父にも幼馴染にもなり代われはしない。結局、どうあがいても自分の思案の及ぶ精一杯のことしかできないものだ。 そう思い至って、ティールは少しばかり気持ちが軽くなった。 「……そうだな」 スレイもまた、言いたいことを言葉にできたと満足したらしい。 「俺にはよくわからんが、おまえのやり方があるんだろう」 そう明るく笑って、山の風を気持ちよさそうに身に受けていた。 この友人に恥ずかしくない長になろう。ティールは友人の笑顔を見ながらそう考えた。 自分のするべきことをしよう。 その途端、出立の折の父の言葉が思い浮かんだ。 するべきことを為すことができるように。 いろんな長がいていい。 二人の言葉を、決して忘れまいとティールは思い決めた。 その時、二人が山の方へ目をやると、ちょうど二頭のイバ牛がゆったりとした足取りで畑の間を下りてくるところだった。 よく手入れされて艶やかな毛並みの背中には、こざっぱりした身なりの姿がある。噂の当人、セディムとアーシアだ。 「驚いたな」 スレイは口も目も大きく開いて言った。 「確かにアーシア殿はうまい乗り手らしい」 腑におちない顔つきのティールに、スレイは上の狩場を知らなかったのか、と尋ねた。ティールは首を振った。 「上の狩場はかなり急な山だから、雪が残る頃に登りたがる男はめったにいないんだ」 今度はティールの方が口をぽかんと開いた。「何だって?」 「イバ牛にはどうってことないが、その背中に乗ってるにはちょっとコツがいるんだ。初めてあそこを登る子供はたいてい落ちる。俺も落ちた。最初だけだがな」 「それじゃあ……どうやら無事だったようだな」 見れば、アーシアもセディムもきれいな身なりで、雪の上を転がり落ちた様子などない。感心したように頷いたり、頭を振ったりしながらスレイは言った。 「あれは脈あり、だな。上の狩場はセディムの気に入りの場所だ。とっておきのレンディアの風景を見せて差し上げて。ついでに腕前も拝見、というところかな」 ティールは思わず笑った。「従兄上ならやりそうなことだ」 「そう思うだろう?」 スレイも笑ってその肩を叩いた。 「大した娘だ。セディムとはお似合いだな」 雪の峰々が紫に染まり、やがて陽は山並みに隠れた。 夜闇がレンディアを覆いつくす頃、その只中に無数の明かりが浮かんだ。 村人たちは手に手に松明を携えて集まってくる。やがて彼らは列をなし、雪融け水が畑をめぐり潤すように、耕されたばかりの畑の間を歩きはじめた。 先頭の一団の中から、一人が声を上げた。長い朗詠が山に響き渡る。 それが消えるのを待たずに、二人目、そして次の声が祈りの続きを引き取り、歌い継ぐ。それに谺(こだま)を返すように、後続の列からも歌い声が上がった。土を守れという短い一言を、無数の声が追う。 「ハールの子に恵みを」 「新しい芽吹きを」 歌は重なり、山を震わせる。それに思いを添えるように女声も上がった。時折、祈りの節目で鳴らされる皮太鼓の他に奏されるものもない。高く、低く繰り返される人の声だけが、明かりと共に山を流れていく。 畑の一画を回り、その次の畑へ。こうして全ての畑の間をねり歩き、どの作物もハールの手で守られるようにと願うのだ。 明かりの流れは揺れて瞬きながらも途切れることはない。繰り返される歌は、夜の静寂の中では天まで届くかと思われた。 |
24. | |
畑をめぐり終えた村人は城へ集まり、宴はしだいににぎやかなものになっていった。 宴の主役である使者は大広間の上座にいるのだが、もちろん村人全員がここに収まるはずはない。使者と長に祝いの言葉を述べた後は、皿なり杯なりを手に他の部屋の宴に加わるのが普通だ。酒や歌の輪、物語りの座の好きなところに腰を据えればよいのだ。 しかし、今年ばかりは誰もが大広間から離れ難いようだった。 目当てはもちろん長とその許婚だ。皆、春の使者に祝い酒を注ごうと、笑顔で集っていた。 誰かが楽器を取り出して弦を爪弾くと、あの曲、この曲とせかす声があがる。その横には祝い酒の味を語る真っ赤な顔がある。座の盛り上がりには、ラシードも一役かっているようだった。 「これは、何じゃ」 不可解そうな顔で、城臣は自分の杯を覗き込んだ。ちょうど注がれた酒杯に、ラシードが何やら入れたところだった。 「これはマルの実だ。平原ではよく酒に入れて風味を楽しむ」 「何やら甘たるい匂いがする」 「おい、あの歌を歌えよ」 車座の中からほろ酔い気分の声が言う。すると弦をはじいた木彫りの楽器は、明るい音を紡ぎ出す。 「わしは苦手だ」 「まあ、飲んでみろ」 「“小鳩よ、巣へ帰っておいで”」 羽を休めに私の腕に、と続きを歌う大声が、ラシードの説明をかき消した。 「ほう、悪くない味だ」 おい、こっちにもくれ、と部屋の向こうで声があがった。つづれ織の前にしつらえられた上座でも、酒や料理を勧める声はひっきりなしだ。 「おや、使者殿の杯の底が見えておるぞ」 「しかし、飲んでばかりでも腹がふくれよう。さあ、さあ、アーシア殿、ここらでひとつ甘いものでも……」 春の使者は丁重にもてなすのが小王国の慣わしだ。長くとどまり、恵みを施してくれるようにというわけで、次々と回ってくる皿やら鉢には終わりがない。 アーシアとティールは、最初は勧められるままに料理を口に運んでいたが、宴のその後も長いことを知っているティールがまず手を止め、ついでアーシアの手の動きも鈍ってきた。 「ありがとう、また後でいただきます」 アーシアが微笑みつつ礼儀正しく答えると、城臣の間からはため息がもれた。 何ともたおやかで、お可愛らしい。春の陽の光とは言い得たものよ。そういって彼らはうん、うん、と頷いた。 だが、その春の光本人は、たおやかとは言い難いことを考えて、めずらしく黙り込んでいた。 この縁談。どうか断ってくれますように。 城臣たちが知れば目を剥くようなことを考えながら、アーシアは手にした杯を見つめていた。 アーシアは気が重かった。実のところ、すっぱりと縁談を断って身軽な気持ちで平原を見に行きたかったのだ。 いずれにしろ自分は断るつもりなのに、とも思う。だが、相手の言い分も聞かなくては公平とは言えない。 それにセディムの立場を考えれば、この縁談はレンディア全体の問題でもあるのだ。事の重みはアーシアにも想像がついた。 それでも。いや、それだからこそ、互いにいい形で話を無くせればよいのだけれど。 そう考えて、アーシアは兄の向こう隣の長の姿を、幾度も窺っていた。 常々、酒精とは気が合わないと言っているティールとは対照的に、長は祝い酒が好きらしい。回ってくる酒壺を断るところは見たことがない。 春の宴のためなのだろう。長の衣を着て、くつろいだ様子で周囲を眺めている。代々受け継がれるという長の衣は、細かなししゅうにおおわれて重厚なものだ。その出で立ちでは、長らしく年を重ねて見える。 変な人だわ。 そう考えて、アーシアはそっと首を傾げていた。 宴を見守る様子は、どこか父と似ているような気がする。それでいて、あの山々を眺めていた表情は、ティールほどに若かった。 いったい、どちらが本当の顔なんだろう? 「ここらで一曲、使者殿のために歌おう」 上機嫌の大声に、アーシアは我に返った。 見れば歌って酔いも回ったか、真っ赤な顔の村人が立ち上がり、上機嫌で次の歌を口ずさんでいた。 「“花が咲く頃に、迎えに行こう” で始まる曲だ」 「いかん、いかん」と、抗議の声があがる。 「あれは娘っ子の父親がいい顔しなけりゃ、さらって行くぞって歌だ。長にも使者にも似合わんではないか」 しかし狩人の求婚の歌は、すぐに宴の輪に広がった。広間中が声を合わせる。 アーシアは居心地が悪くなって、手にした杯をひねり回した。狩場で話したことはセディムの他には誰にも言っていない。もちろん村人たちにすれば、秋に行われる婚礼の先触れの祝いのつもりなのだが。 にぎやかな歌が一節終ったところで、長が声をかけた。 「そういえば、デレク。冬中、作りかけていた歌はどうした?」 声をかけられた村人は、嬉しそうに目を細めた。 長い冬の間、ああでもない、こうでもないと歌を変え、音を変えしていたので、村中から“いつでも作りかけ”と言われていた。だが、本人は一向にかまわないらしい。 「これが、セディム様。なかなかの出来栄えでして……」 と、満面の笑みを浮かべ、手にはすでに楽器が握られている。はやし立て、催促する周囲の声に、男は弦を爪弾き始めた。 アーシアは呆然として、それを眺めていた。曲が変わったことにほっとしながら、ふと眉を寄せる。これは、もしや長の気遣いなのだろうか? 「アーシア殿、何か気にかかることでも?」 「え?」 呼ばれて顔を上げると、既に眠そうな顔つきのティールの向こう側から、長がこちらを見つめていた。 「いえ、そのう……そう。お聞きしたいことがあって……」 アーシアは、とっさに思いついたことを口に上せた。その言葉の続きをセディムは待ったが、アーシアの目が落ち着かなく動くのを見て、 「ああ、なるほど」 そして、傍らのヤペルを振り向いた。「ラシードを呼んでくれ」 城臣が人波をかきわけて行くと、アーシアは不思議そうな顔をした。 「どうしておわかりになったの?」 「城臣でも私でも事足らない話題といえば、ひとつしかないでしょう」 そして杯と壺を抱えてやってきたラシードに言った。 「アーシア殿が、聞きたいことがあるそうだ」 アーシアは、考えていることなどお見通しと言わんばかりの長に、少しばかり不機嫌な視線を投げかけた。 が、すぐに異国の出で立ちの男に向き直ると、 「平原のお話を聞かせて下さいませんか」 そう明るい声で尋ねた。平原、と口にするだけで、アーシアはもう好奇心でいっぱいの顔つきになった。 |
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