12 風渡の野 目次 14


風渡の野  13 
25.
「これから行く場所のことを、聞かせて欲しいんです。平原はどんな所なんでしょう?」
「お楽しみが待ちきれない、というわけですな」
 つい身を乗り出すアーシアを見て、ラシードは磊落に笑った。
「よろしいですとも。何がよいかな」
 そして、使者に杯を掲げて礼を尽くしてから、長のかたわらにどっかりとあぐらをかいた。
「一度は見たいといえばアルセナの春の祭りか、それとも海の向こうから運ばれる、異国の衣の話がよいかな……」
「いえ」
 アーシアはあわてて口をはさんだ。
「平原では戦をしているのでしょう? 誰と誰が? どうしてそんなことをするのですか?」
 ほう、と驚く声を抑えて、ラシードは興味深げにアーシアを見た。
 普通なら宴の席にふさわしい話ではなく、まして女子供の好む顛末でもない。どうやらありきたりの姫ではない、とラシードは見てとった。
「誰、ではない。国と国がするのですよ」
「……ナバラ、とか?」
 アーシアが珍しそうにその名を口にすると、話を見守る長の目に可笑しそうな色が浮かんだ。
「いや、ナバラは町です。ただの小さな宿場町だ。戦をしているのはアルセナとバクラ。二国の間にはシル河と河畔の肥沃な土地がある。彼らは昔から、それを奪い合っているのですよ」
「何故、一緒に使わないの?」
 その口ぶりは、疑問というより憤然としていた。
「河の水が無くなるわけではないでしょ。何故、取り合ったりするの? 貧しいから? 昔って、何年もそんなことをしているの」
 これを聞くと、周囲の城臣たちは苦笑いを交した。ある者は物を知らない娘の幸福な問いに、ある者は答えの意味をかみしめながら首を振った。
 その横合いから、ユルクと呼ばれた城臣が言葉を添えた。
「ここにいる誰もが生まれる前から、戦は続いているのですよ」
 アーシアは、ことりと杯を置いた。
「そんなに……?」
 ラシードは杯をすすり、思案していた。
 アーシアの問いかけは単純なものだ。その答えが単純でいられないのは何故だろうか?
「貧しいからではない。持ってる者の方がより多く欲しがるものだ」
 ラシードは薄く嗤った。
「平原は豊かだ。同じ広さの畑から、ここの三倍の収穫がある。その力を、彼らは戦に注ぐのです。矢は尽きることなく放たれ、剣は折れても、また継ぎ鍛えられる」
 その言葉に宴の座は静まった。
 歌い手は口を閉ざし、楽器を抱えた者は所在無げに弦を爪弾き、途切れがちな旋律を奏でる。遠いはずの平原の不穏な気配は、山の城の空気をいっそう肌寒いものにした。
「……平原とはどんなところか。なかなかひと言では言い難い。雑然として豊かで、活気があるとも思える」
 杯を手に温めながら、ラシードは旅の風景を思いおこしていた。
 街道を行き来する隊商。その通り道にはにぎわいが、町には宿賃がもたらされる。その一方で、街道を離れれば持てるものを奪われた商人が屍をさらすのを見かけることもある。
「平原は醜い世界だという者もおります。泥と芥が渦を巻く、争いの絶えない愚かな世界だ、と。だが、そこに咲く花もある」
 雑駁とした中にも、新しいものが生まれる。活気と力が、誰彼かまわず新しい世界へ押し流そうとするものがある。ここ小王国とは、違う理のはたらく世界だ。
「アーシア殿。その目でよく見て来られるといい」
 そう言って、ラシードはエフタの娘に向いた。
「見る者によっていろんな姿がある。平原とはそんな場所だ」
「よく……」
 アーシアは唾を飲んだ。「よく、わかりません」
「すぐにはわからなくとも構わない。ただ、目を開いていなさい。誰が何を欲しがるのか、何故分け合うことができずに取り合うのか。その理由を考えなさい。私にわからんことでも、あなたには見えることもある」
 その目に映る炉の色に、アーシアは魅せられたように見入っていた。
「さあさ、出来て参りましたぞ」
 せいぜい明るい声で静けさを破ったのは城臣トゥルクだった。
「湿っぽい話はそれくらいに。せっかくの酒が薄くなっていかん」
 と、ラシードをじろりとにらむ。
「皆が楽しみにしとった初春の汁物、団子入りだ」
 先程から炉でさかんに湯気を上げていた大鍋の蓋が取られると、汁を含んで柔らかそうな団子がたくさん浮かんでいた。それを見て周りの村人も思わず歓声を上げる。城臣たちも顔をほころばせた。
「まずは使者殿から。二つずつお取り下さい。今年の小王国を占うのです」
 アーシアとティールは皆の視線が集まる中で、ていねいに鍋の中の団子をすくった。指の先ほどのそれはぷっくりとふくれて、中には何か詰まっている。
 ティールは選んだひとつを、火傷しないように用心しながら半分かじると、残りを見た。
「蔓だ。右巻きの葡萄の蔓が入ってる」
「それは旅の印ですな」
 城臣の一人が答える。「外に出て行く人を表わすのです」
「赤いタラ根が入ってる」
 続いてアーシアも声を上げた。
「それはめでたい」
 誰かが浮き浮きとして、それは新しいことが起きる、例えば家族や友が増えるということなのだと説明した。
 次にティールが食べた団子には豆が入っていて、今年の畑の豊作を示していた。アーシアの二つめからは左巻きの豆の蔓が出た。
 それは内に残る人、帰る人の印だと聞いて、アーシアは少々がっかりした。自分の方が右巻きのをひきあてたかったのだ。
 戻ってきたにぎわいの中、新年の恵みを願おうと杯は幾度となく掲げられ、乾された。
 遠い平原でのやっかい事はなくなりはしない。だが、父ハールに祈るこのひとときを、山の民は命の一部として大切にしていた。
 つましい願いは、ハールが許せば聞き届けられるだろう。
 そして、再び始まった楽器の音に、歌い手たちもあわせはじめたのだった。


26.
 山の朝。
 祭りの明けた、どこか呆けた顔がレンディアの城の前に集まっていた。
 春の使者の出立は誰にとっても惜しいものだった。村人たちは使者の手を固く握って、いつまでも振り続ける。ティールはそれに応え、帰りも必ず寄ると約束した。
「レンディアを過ぎても険しい道が続きます」
 気をつけて行かれるように、と牛の背を叩きながら、セディムは見送りの挨拶を述べていた。
「この牛なら、ええ、大丈夫と思いますが」
「ありがとう。よくして下さったことに感謝してます」
 アーシアもディスの鼻面を撫でてやった。知らない人間に触られるの嫌う牛は身震いしていたのだが、アーシアの仕草には「仕方ない」とでもいうように鼻を鳴らした。
「そうだ、春を連れてきてくれたお礼にいいことを教えましょう。雪鳩狩のコツです」
「いいのですか?」
 長の言葉にアーシアはぱっと顔を上げた。
 まあまあ、こちらへ、と村人の輪からアーシアを連れ出す長を見て、城臣たちは満足げに頷いた。いい風向きではないか、というわけだ。
「コツって、いったいどんなことなんですか」
 見送りの人々から離れたところで、アーシアは気が急いて尋ねた。
「雪鳩狩には特別の鏃を使います。ひとつお守りに差し上げよう」
 その言葉とともに、アーシアの手のひらに白灰色の石鉄(せきてつ)の細工が置かれた。その形をまじまじと見つめ、アーシアは顔をあげた。
「これだけで、雪鳩を傷つけずに捕えられるのですか?」
 セディムは首を振った。
「ご存知のとおり、雪鳩は賢く用心深い鳥だ。狩人の姿を見ただけで身を隠すこともある。追い立てられるほど近くに寄るのは更に難しい。岩陰から音も立てずに近づかなくてはいけません。もちろん影も見られないように……」
「あら」
 アーシアは呆れたように口を開けた。
「そんなの、少し考えればわかることだわ」
 がっかりしたのを隠すことも、アーシアは忘れていた。
「コツなんて言うほどのことじゃないでしょう」
「いや、難しいですよ。だが、いったん身につけてしまえば、いろいろと便利なものです」
「雪鳩の他にも?」
「ええ。狐にくずり、リス。いや、狩だけではない。例えば……」
 と、セディムはアーシアを見ると、いかにも楽しそうににやりとした。
「……扉の外からこっそり話を聞きたい時など、便利なものだ」
 ぽっかりと口をあけて、アーシアはセディムを見つめた。
「腕を上げられるのを、楽しみにしておりますよ」
 セディムはにこにことして、アーシアに牛に乗るよう促した。人垣の向こうでは、ティールが既に牛の背にあってこちらを待っている。
「新しい春をレンディアへお知らせできたことを、光栄に思ってますわ」
 ディスの背から、冷ややかに言ったアーシアの顔は恥ずかしさと怒りで真っ赤になっていた。

 歩き出した使者たちの牛を追うように、見送りの歓声があがった。ティールは振り返り、遠くから手を振ってみせる。
 が、春の陽の姫とここでも慕われたもう一人の方は、レンディアとその長に背中を向けたまま、山道を下っていった。 
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