13 風渡の野 目次 15


風渡の野  14 
27.
「で、どうだったんです?」
 春の使者の姿が道の向こうに消え、村人達がそれぞれの仕事に戻って行った後。最後まで残って見送っていた長に、ノアムは声をかけた。
「我々が秋にお迎えするのは、どんなお方で?」
「どう、と言われても、な」
 セディムは苦笑して、ぶらぶらと城へ戻りはじめた。
「たった数日会っただけでは、どういう人かなどとわかるわけがないだろう」
「しかし、婚儀をどう思っているかくらいはわかるでしょうが?」
「ああ。断られた」
 ノアムはぴたりと足を止めた。「断られた?」
「ああ、だが、城臣たちには言うなよ。倒れでもされたらやっかいだ」
「しかし……だが……」
「心配するな」
 あえぐように口を開くノアムを見て、セディムは呆れた。
「こちらも、はい、そうですか、と言うはずもない。とりあえず、話は帰りまで保留にしておくということで送り出したのだ」
「それは……そうか。まあ、よかった」
「レンディアの一大事だからな」
 その落ち着いた声に、ノアムはふと違和感を覚えて尋ねた。
「セディム。お前自身はどうなんだ」
 普段は長を呼び捨てにしないノアムの口から、久しぶりに出た呼びかけだった。
 セディムの縁談について気を揉んでいたのは城臣連中だけではない。ノアムやスレイも昔からの友人として、年も近い男同士として、なりゆきを気にかけていた。
 ことにノアムは何かにつけて、村の娘たちから甘やかな話題の相談を受けていたから尚更だ。
 娘、ではない。彼らは数人ずつ固まって行動するのだ。
 祭りでは長と踊りたいのだけれど。セディム様はどんな話が好きかしら。
 既に身を固めたノアムは、彼女らにとっては安心して聞かれる情報源だったのだろう。それにしても、とノアムは内心呆れたものだった。
 せめて一人で来たのなら取り持ってやってもよいのに。まさか、全員で一緒に長と踊るつもりでもないだろう。
「さて、な」
 その呟きに、ノアムは我に返った。
 セディムはといえば、いつものように畑の土を手に取ったり、苗の葉の色を見ながら歩いていた。
「アーシア殿は婚儀がいやだ、という訳ではないらしい」
「じゃあ、何でまた」
 セディムは答えかけたが、思い直したように口を閉ざした。あれはどうやら本気の願いらしかった。それを気軽に話すのはためらわれたのだ。
 平原を旅したい。
 誰にどう言っても、そんな我侭を、と一笑に伏されるだろうことは見当がつく。女とは村に居るものだし、長の子として生まれれば、好きであろうがなかろうが妻を娶るものだからだ。セディムにしても長になってからというもの、その立場に求められることを拒むなど、考えたこともなかった。
 ――それを、旅に出ると? 縁談を断って?
 セディムの目は愉快そうにきらめいた。この突拍子もない考えが何処から出てきて、何処へ行くのか、もう少し眺めていたいと思ったのだ。
「ずいぶん、楽しそうだな」
 いいかげんに気を揉み疲れたノアムは、呆れたような横目で幼馴染を睨んだ。
「あの姫は……何というか。そう、楽しいな」
 そう言って、セディムはくすくす笑った。
「穏やかな春の陽というより、あれは季節の突風だな。大したお転婆で。だが、姿鮮やかで、それもいい」
「あの方が気に入ったか?」
「ああ」
 セディムは笑いすぎた涙目をこすった。
「何とも可愛いな」
 そりゃ、結構で、とノアムはため息をついた。
「そういえば、ノアム。城臣のことで相談があるのだが……」
 セディムはそれでもまだ笑いを抑えきれないようだった。
 春の突風は来て、去っていった。今は畑の苗や、葉のそよぎに気配が残るだけだ。新しい季節を迎えた畑の間を、二人は城へ戻っていった。


28.
 アーシアとティールが山を下りるにしたがって、あたりの風景は次第に変わりはじめた。
 残り雪はますます少なくなり、代わりに岩陰には白や青の砂粒のような花すら見られるようになった。しかし、そんな草むらもアーシアの目には入っていなかった。
(……これ、どうしよう)
 セディムから渡された石鉄の鏃を、アーシアは手のひらに幾度も転がしていた。せっかく貰ったというのに、そのやり場に困っていたのだ。
 お守りというからには紐でもつけて、首にかけておいた方がいいのか。しかし、からかい半分に手渡された物を、ありがたく下げているのもしゃくな話だ。そうかといって、荷袋に入れたのではどこかに紛れ、そのうち落としてしまうかもしれない。
 アーシアからその鏃を見せられて、ティールは目を瞠った。
「お前、これは大事にしろよ。いい出来映えだ。多分、従兄上は一番良くできたのを下さったんだ」
「そうなの……?」
 そう言いながら、鏃を陽にかざして見た。
 アーシアは雪鳩を狙うような大きな狩の経験がないから、鏃や弓の良し悪しなどわからない。それでも白い石鉄の細工は、エフタの城臣たちが作る鏃に劣らず鋭く、見た目にも釣合いのとれた美しいものだった。
 兄のにらむような目の前で肩をすくめ、アーシアはそれを腰の布袋に押し込んだ。そこには旅の途中で取り替えた、赤い小さな布きれが入っている。エフタに帰ったら土に埋めるためにしまってあるものだ。旅から帰るまで行き場のない、どっちつかずの鏃はそこに入れておくのがいいような気がした。

(父上も、これで安心だろう)
 一方、ティールは牛に揺られながら、そんなことを考えていた。
 エフタの父なら無礼と嘆くようなこともあったが、幸いセディムはアーシアのことを気に入ったようだ。
 旅の道程の半分も辿ってはいないのだが、それでもこの旅の難問のおおかたが片づいたような気さえする。そして、ティールはようやく自分自身のするべきことに目を向けられるようになったのだった。
 まずはタジルへ。
 ティールも工房都市を訪れたことはある。鏃にする石鉄を手に入れるためだ。しかし、タジルという町へ向かうのは初めてだった。
 その名を教えてくれた男を思い出し、ティールはふと眉根を寄せた。
 山の民の目からすれば、胡散臭い風体の男だった。異国の服を着くずした様子は旅の暮らしが長かったことを思わせる。何より剣を腰から離さない姿は、いかにも平原の人間だ。
 ティールは自分の表情に気づくと苦笑した。
 何を神経質になっているのか。どんな類の人間であろうと、小王国の誰よりも平原の事情には詳しい。その言葉は明快で筋が通っていた。

「工房都市は鉄を作る、平原で最も大きな町です」
 レンディアを去る前の日。ラシードは使者たちがこれから向かおうとする土地のことを説明したのだった。
「集まる人や物の量は近隣の村の比ではないし、やって来る者も多彩だ。イベリスの商人、彼らを護衛する風渡りたち、遥か遠い海を渡ってきた者もいる。ウォリスの狙いどおり、たくさんの噂話を聞くことができるだろう」
「何故なのです?」
 ティールは尋ねた。
「工房都市で鉄を売っていることも、にぎやかな町だということも知っています。だが、鉄なら他の町にもあるでしょう。どうして、そんなに多くの人が足を運ぶのです?」
 その顔を見つめ返したラシードは、
「あなたは鋼を見たことがおありか?」
「……いや」
 話の要点を掴みきれない、もどかしげなティールの前に、ラシードはすらりと腰の大剣を抜いてみせた。白く、水のような波紋を浮かび上がらせたそれは、光のしずくを受けては飛び散らせた。
「これは……」
「これが工房都市の鉄です。鉄をつくる町は他にもあるが、工房都市の技術は抜きん出て優れたものだ。これがにぎわいの源です」
 ティールは何も答えなかった。
 その目は吸い寄せられるように白銀の刃を見つめ、その模様からほとばしる鋭気に魅せられ、息をするのも忘れていた。
「工房都市の品は出来がいい。鉄の質もいいが、職人たちの腕がとび抜けている。鍬ひとつとっても、他の町のものより高値で売れる。だから、ここには街道を越えて商人たちが買い付けに集まってくるのです」
「その剣も、工房都市で手に入れたのか?」
 横から尋ねた長に、ラシードは首を振った。
「商人たちには残念なことに、こいつは普通は手に入れられるものではないのでね」
「どういうことだ?」
 ラシードは剣を鞘に静かに収めた。刃の醸す冷たい気配はあとかたもなく消えた。
「工房都市はアルセナの属領土です。鋤や鍬なら相手を選ばず、市場で売られているのだが、こういう質のいい鉄は武器に造られ、アルセナ本国へ運ばれる。他の国へ行く商人たちへ武器を売ることは固く禁じられている。そういうことになっている」
「……建前、ということか?」
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