14 風渡の野 目次 16


風渡の野  15 
29.
 セディムの問いに笑った男は、タジルの名を挙げたのだった。
 鉄の原料から武器なり農具なりを造る。それが、タジルという町の担う仕事だ。そして、武器になる前の原料でもよいから、良質のものを手に入れたい。
 そんな商売っ気あふれた、ありていに言えば胡散臭い男達がタジルへ向かうのだという。

 あの鉄を求めて。
 牛に揺られて行くティールの脳裏には、あの大剣の姿が焼きついていた。小王国では見たことのない品だった。山の民が持つのは石鉄の、獲物をさばく小刀程度のものだけだ。それと比べると、あの抜き身は力強く、秀麗だった。
 同じ剣を見ながら、横にいたセディムの表情は厳しかった。どんな品でも剣は剣。物騒なものを自国に持ち込まれて喜ぶ長はいない。
 だが、ティールには忘れられない佇まいの剣だった。誰にも聞かせるつもりはなかったが、心のどこかで美しいとすら感じていたのだ。
 ――あれは命を奪うもの、戦の道具というのに。
 レンディアを後にしてから、もう何度目か、ティールはそう考えてため息をついた。自分の感じたことを、まだ受け止めかねていた。
 これから、あの鉄を生み出す地へ向かうのだ。初めて訪れる町では、どのようにして事を調べようか。
 アーシアが知らない鳥や花芽にはしゃぐのをうわの空で聞き流しながら、ティールの思いはすでに先へと向かっていた。

 こうして、何日もかけて二人はゆっくりと山を降りていった。
 ある地点を過ぎると、若葉をつけた大きな木がたくさん見られるようになった。高山の小王国にはない風景だ。やがて、岩にこびりつくようにして生えていた小さな花や苔に代わって、茎の長い野草が風に揺れるようになった。
 木々のざわめきが、鳥の音が、そしてあちこちに満ちた獣の気配が、旅をする二人の耳ににぎやかだ。最初に変化に気づいたのはアーシアだった。
「変な匂いがする」
 それを聞くとティールは笑って、前方のなだらかな丘を指差した。
「煙の匂いだろう。あの丘の向こうが工房都市だ」
「空が変な色だわ」
「あれは煙だ。鉄をつくる煙が昼も夜も上がっているんだ」
 丘の上の空はうっすらと黄色みがかっていた。
 どんな大きな火を焚くと、あんな煙が出るんだろう? 何故、鉄をつくるのに火がいるんだろう?
 アーシアはそう考えると、わくわくしてきた。
 そして、二人は言い合わせたように後ろを振り返った。
 下りてきたばかりの山は木々に覆われ、葉ずれが絶え間なく聞こえる。その上には灰色の山並みが続いている。しかし、二人が見ていたのはそこではなかった。
 その、更に上。
 鮮やかな蒼穹の中に、幻のように浮かぶ白い峰々。神ハールの住まう庭だ。
「子の行く道を、父がお護り下さったことに感謝します」
 ティールは峰に向かって目礼をして、それからイバ牛の向きを変えた。
「行こう」
 アーシアも目を伏せた。それでも過ぎた道より、これから先に見られるものを思って、胸が高鳴るのは抑えられなかった。


30.
 春の使者を送り出したあと、レンディアではヒラ麦の植つけと根菜の堀り上げがはじまった。
 この何日かは冬のような寒さが戻っていたが、それも長続きしないことを山の民は知っている。頃良しと見られた根菜は、次々と土から引き抜かれていった。
 男も女も忙しく働く畑の中で、彼らに指図をする城臣の姿がある。
 ここは葉物を植えるから畝は高く作ってくれ、それが終ったら向こうの畑を手伝いに行け、と汗を拭き拭き説明するのはヤペルだった。
「さて。次はどこだ、マウロ」
 ヤペルが振り返った先には十二、三歳の少年が控えていて、手にした書きつけの束を夢中になってめくっていた。
「西……西の畑の、上半分をまだ見てません」
「よし、では行くぞ。しっかり働け」
 そう厳しく言うと、ヤペルは踵を返して坂道を上りはじめた。その後ろから少年はあたふたと追いかける。不器用な手から書いたばかりの書きつけがこぼれた。
「馬鹿者」
「すみません!」
 と、言いながら、もう拾い上げている。ヤペルは言うことも表情も甘くはなかったが、内心ではまずまず、と頷いていた。
 よく働く、気立てのいい子供だ。そう考えながら、ヤペルはこの出来事の発端を思い起こしていた。
 最初は長の提案だった。新しい城臣を入れようと思うが、どうだという。
 はて、誰かからそんな希望は出ていたろうかと首を傾げたヤペルに、セディムは言い継いだ。見込んでいるのは子供だ。ユルクの曾孫、ノアムの甥にあたる少年だという。
 その言葉にヤペルのみならず、他の城臣たちも驚いた。小王国の城臣は、基本的には老人の役職だ。年をとって狩に行けなくなると、その知恵を村全体の役に立てるための仕組みなのだ。
 もちろん例外はあって、ヤペルのように能力や人柄を見込まれて、比較的若いうちに城へあがることもある。だが、若いといっても四十前後のこと。狩を許されたばかりの子供が、見習いとはいえ城に上がるなど例のないことだった。
 マウロという少年は、確かに子供たちの中で群を抜いて覚えが早く、知識欲も旺盛だった。
「もちろん、レンディアの男として狩の腕も上げてもらわねばならないが」
 と、セディムは説明した。
「あれだけ出来る子供も珍しい、とルタンも舌を巻いていた。城に上げて、書物にあたらせれば本人のためにもなる。いずれレンディアの役に立ってくれるだろう」

「セディム様」
 当の少年の声に、ヤペルは我に返り、顔を上げた。
 見れば、畑に一人佇み、狩場を見渡していたのは長その人だった。濃い色の短い上衣という軽装で弓を手に、イバ牛を引いているところをみると狩から帰ったばかりなのだろう。
「マウロ、仕事は覚えたか?」
 そう尋ねた長の顔は城臣たちより厳しく、少年は身を固くした。
「はい……いいえ。あの……畑を回ってるところです」
「励めよ」
 ぴしりとセディムは言った。「出来の悪い城臣はいらん」
「はい!」
 周囲の畑では城臣の指示を待って、村人たちが痺れを切らせている。
 よい機会だ、お前が行って見てこい、と言われて、少年は気負った返事と共に駆け出した。それを見送り、セディムは目を和らげた。
「なかなか厳しく仕込んでいるようだな」
「当然ですわ」
 と、ヤペルは胸を張った。
「もっとも、わしら城臣より、あなたのひと言の方が利くようですな。マウロの奴、顔色を変えおった」
「先を楽しみにしてるぞ」
 セディムは笑った。「ルタンとそなたの腕前を見せてもらおう」
「そういえば……」
 ヤペルは身を屈めて、畑の土を調べながら尋ねた。
「どうなさったので? 山狼を狩りに行かれたのではなかったですか」
「そのつもりだったのだが……」
 セディムはふと奇妙な顔をした。言いよどんだ、その目の先には山を駆ける狩人たちの姿があった。
 小王国では春浅い頃に狼を狩る慣習がある。まだ眠ったままの獣が多いこの時期に、飢えて村を襲うのを防ぐためだ。
 また、山の脅威と戦って勝つことを願う、初狩の儀式のひとつでもある。捕えた狼は祈りとともにハールへ捧げられる。無駄に命を奪ったのではない、力を尽くして公正に戦った、と父である神に報告するのだ。
 毎年繰り返される、見慣れた狩の風景――だが、今年は何故か気が進まなかったと、セディムは説明した。
 あの狼は何故巣穴を出たのだろう? あと数日も穴ぐらに籠もっていれば、命を落とすことなどなかったろうに。
 風に乗ってくる匂いに、セディムはふと顔を歪めた。獣の血の匂いなど珍しくもないのに、何が気にかかるのだろうか。
「こんな気分のまま、初狩の弓弦を引くわけにいかないからな」
 浮かない顔を振るセディムの横で、ヤペルは畑の方を見やった。畑仕事は一向に始まる様子がない。少年では埒があかないということだ。
 どれ、そろそろ顔を出すか、とヤペルは手の土を払って立ち上がった。
「エフタの使者が出立されて、気が抜けたのではありませんかな」
「馬鹿を言え」
 セディムは長いつきあいの城臣の顔を睨んだ。
 その時。畑の石垣の上で子供の声が響いた。
「ししゃ! はるのししゃだよ」
 その力一杯の叫び声に、二人は思わず工房都市へ向かう道を振り向いた。
「ちがうよ、はるのししゃはでかけたんだよ」
「でも……でも、ししゃなんだもん」
 わあん、と子供の泣き叫ぶ声が響いたが、セディムもヤペルもそれにかまってはいなかった。
 子供が指差したのは平原へ向かう道ではなく、曲がり尾根。エフタへと続く山道の方だった。
 尾根先にぽつりと一頭、イバ牛の影がある。それをヤペルは手びさしして眺めた。
「何じゃ、珍しいこともあるものだ。使者を迎えに来たのか」
「様子が妙だな」
 セディムは目を細めていたが、すぐに牛の背に上がった。「後から来い」
「セディム様?」
 牛の脇を蹴って、長は一人、尾根へ向かって駆け出した。
 エフタからの牛はのろのろと斜面を下ってくる。まるで昼夜を問わず山を駆けてきたかのように疲れた歩調だ。近くまで来ると、その背の男も力なく牛の首にもたれており、手にした手綱などまったく利いていないのがわかった。
 ただごとではない様に、セディムは胸騒ぎを覚えて駆け寄った。畑からはマウロも息を切らせてやって来た。
「どうした? 大丈夫か」
「……城、へ」
 男は苦しげに身を起こし、細く呟いた。「城……レンディアの、長にお会いしたい」
 この言葉に、セディムとマウロは顔を見合わせた。糸が切れるように男の上半身が揺らいだ。
「しっかりしろ……何があった? 私がレンディアの長だ」
 その倒れるのを支えようとして、セディムは思わず息をのんだ。助け起こそうとした男の背には、見慣れない太い矢が刺さっていた。
「マウロ、城まで走れ」
 ラシードに伝えろ、という長の言葉を皆まで聞かず、少年は駆け出した。
 そこへ、ようやく追いついてきたヤペルも使者の姿に目を瞠った。どうやら何かあったらしいと、畑のあちこちから村人達が駆け寄ってくる。
「みんな、落ち着け! 畑に戻れ」
 気を取り直したヤペルの声が響く。だが、使者を抱えた長の姿に、村人が動揺しないはずもない。
 レンディアの西の畑は騒然となった。やがて、人だかりの中から長の牛が抜け出ると、城へ向かって駆け下る。
 それを見送る彼らの頭上。
 雪を被ったツルギの峰は、刃を蒼天へ振りかざしているようだった。
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