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風渡の野 16 | ||
31. | |
「レベク!」 レンディアの城、狭く曲がりくねった階段に声が響く。 「レベクは居らんのか」 「さっき、外へ降りて行ったぞ」 薄暗い廊下で、はちあわせしたヤペルとトゥルクは、どちらも固い声だった。 「では、村の者に話しているのだな」 ヤペルはほっと息をつき、いつのまにか額に滲んだ汗を拭った。 長が、傷を負ったエフタの男を連れ帰ったのはほんの半刻ほど前のこと。だが、その噂は瞬く間に村中、畑中を走り、不安に思った村人が城の前に集まってきた。 いったい何のためにやって来たのか、悪い知らせではあるまいか。事がはっきりすれば、すぐにでも説明があるだろうと待ちわびているのだ。 「だが説明といっても、ろくに言うことなどありゃあせんよ」 トゥルクは長年一緒に城勤めをしてきたヤペルの顔を見守った。 「薬師が診終わるまでは、何とも言えん」 「いやはや」 ヤペルは首を振った。 「いったい何があったのやら見当もつかんというのに。セディム様も人使いが荒い」 気苦労の種が増えるたびに、皮肉を言うのはヤペルの癖だ。 「そのご当人は、どうなさった?」 トゥルクの問いに、ヤペルは肩越しに奥の長の部屋を示した。 「薬師の手当てがすむのを待っておられる」 長の間で、セディムは一人、椅子に身を沈めていた。 つい先程、矢傷の使者を抱えるようにして上がった階段。そこを降りてくる足音はまだ聞こえない。 指と指を組み、顎に当てながら、セディムは薬師と交わした言葉を思い出していた。 城では知らせを聞いたラシードが待ち構えていた。湯をわかし、薬草をそろえた部屋へ、エフタの使者が担ぎ込まれる。 そして、さっそく傷を検めようとするラシードの肩を、セディムは掴んで振り向かせた。 「助かるか?」 「診なけりゃ、何とも言えませんな。下へ行って下さい」 相手が長であろうと、薬師のすることはひとつだ。厳しい表情で階段を指し示し、出て行くようにと促す。しかし、セディムもその気迫に押されてはいなかった。 「必ず助けろ」 そして、声を落とすと、 「助からないのなら、その前に聞きたいことがある」 ラシードの目が一瞬揺れた。そして、憐れむような色が浮かぶ。 「わかりました。その前にはお呼びしよう」 城の前には村の男たちが集まっているのだろう。 セディムの耳にも、事の成り行きを尋ねる遠い声が届いていた。 あの男はどうしたか。エフタに何があったのか。しかし、彼らを静めようとしている城臣の誰かの声も、どこか上ずっていた。 無理もない。 セディムはそう考えて、組んだ手に力を込めた。 答えを知りたいと思っているのは、自分だけではない。そして、事はあの男の命にかかっていた。 何があったのか、聞かなければならない。何としても。 そう考えて、セディムは眉間に皺を刻んだ。 その時だった。重い足音が部屋の外に聞こえた。 知らぬ間にきつくなった目を上げると、扉の外に薬師の姿があった。 「思ったより傷は浅かった。無理さえしなければ……」 その後の言葉を待つことは、セディムはしなかった。立ち上がると長衣をはおり、足早に部屋を出ながら命じた。 「城臣たちを呼べ。全員だ」 |
32. | |
男は落ち着かない目で部屋を見回していた。 日に焼けた顔にはくっきりと皺が刻まれ、実直なエフタの男らしく、長の前でせいいっぱい背すじをのばそうとしている。 彼はレンディアへ来たのも初めてらしい。もしそうでなかったとしても城の奥など見る機会はそうあるものではない。しかも、長をはじめ城臣全員が集まって話を待ち構えているなど、気の休まる光景ではなかっただろう。 その怪我を気遣って、寝棚には幾重にも背当てが置かれているが、居心地のよいものではなさそうだった。半身を起こした男の前には長が座り、城臣たちはその後ろに控えて沈黙を守っていた。 「名は何という? 何事だ」 長の横に立つヤペルの問いに、男はためらいながらカデル、と名乗った。だが、肝心の使者の目的については、なかなか言葉が出ない。 「……誰かに言われたわけじゃねえんです。ただ、言いに来なきゃならないって思って」 いったい何を、と急かそうとしたヤペルを、セディムはちらと見てとめた。 「カデル」 そうして使者の顔を覗き込むと、辛抱強く問いかけた。 「最初に、何があったか。教えてくれ」 カデルは何から話そうかと混乱しかけたが、それでも若い長の落ち着いた様子に励まされるようにして言葉を探しはじめた。 「おとといの話で……いつもどおり、子供らにイバ牛を放させてたんです」 カデルは口の回る男ではなさそうだったが、話しはじめると手の震えもとまった。 「それが、うっかりしてるうちに一頭、岩場を越えてはぐれちまって。子供らの手に負えないってわけで、俺が連れに行ったんです」 岩場を越えて、かなり高いところまで登った牛を連れ戻すのに、数時間はかかったらしい。 細い道、危うい足場を踏んで、ようやく村の上まで戻った時。カデルは見慣れない光景に立ちすくんだ。 「あんなにたくさん、知らない人間が集まってるのは、見たことがねえ」 「人、だと?」 エフタの城の前。そこに村中の男、女、子供たちが寄り固まって座っていた。そして、彼らを取り囲んで立つ男達と見慣れない旗。六、七十人はいただろうとカデルは言う。 「妙だと思ったから岩場に隠れて様子を見てたんでさ。みんな同じような革の服で、見たこともない帽子をかぶった奴らです。大きな剣を持って、それを村の者に向けてた。ありゃあ……」 カデルの声が震えた。「ありゃあ、兵士、でしょう?」 「剣で脅した、だと?」 呟いたのは城臣のデレクだ。目には苛立ちが滲んでいる。城臣の中ではまだ若く、すぐはやる性質だ。こんな話は聞くのも我慢ならないのだろう。 「男達……城臣たちは何をしていたのだ」 「子供らもつかまったんだ!」 耐え切れなくなったようにカデルは叫び返した。 「子供らを脅して見せて、皆に武器になるような鋤や鍬を差し出させてた。きっと、牛を連れ帰ったところをつかまったんだ。でなきゃあ、あんな風には……!」 「よせ、カデル」 居並ぶ城臣の中から、たしなめるように声が飛んだ。 カデルが隣国の長の前で醜態をさらすような事態をとめようとしたのだろう。だが、その場の張り詰めた空気は変わりようもなかった。 平原の兵士、揃って剣を携えた男達。 城臣たちは互いの顔を見合わせた。その光景をどうにも思い描くことができないのだ。 「城はどうなったのだ?」 と、セディムは口をはさんだ。 使者のうろたえた顔など目にも入らないかのように、落ち着いた声だ。長の前ということを思い出したか、カデルも落ち着こうとして唾を飲み込んだ。 「奴ら、城の中へもかまわず入って行った。きっと、城臣も捕えられたんです」 「城臣、も?」 「遠見の塔に、奴らに囲まれたウォリス様の姿が見えた。白い長衣を着てるのが見えたんだ」 その言葉にラシードがわずかに身じろぎした。 しかし、セディムはそれに目線を傾けただけで、使者に話の続きを促した。 「そして? 長はどうされた」 「長は……」 記憶を辿ろうとしたカデルの顔は、不意にゆがんだ。 「……わからねえ! 遠くて、よく見えなかったんだ。ただ……」 男は涙に汚れた顔を長に向けた。 「手を後ろに。多分、枷をかけて……」 一瞬、奇妙な沈黙が部屋に流れた。城臣の誰かが腰を浮かせた。 カデルは搾り出した言葉で力尽き、かきむしるように顔をおおった。 「枷をかけた?」 セディムも信じられず、椅子の腕を掴む。 「一国の長の手を、獣のように縛めたというのか」 そう叫んだのはデレクだった。 使者に言葉はなく、ただ肩を震わせていた。 |
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