20 風渡の野 目次 22


風渡の野  21 
5.
 タジルの町は、中央の広場から八方へ延びる通りでできていた。
 その蜘蛛の巣のような形と同様に、通りと通りの間には細い小路が続いている。
「通りごとに違うものを売ってるのだよ」
 そう言ってパルトが示す店先には、穀物やら毛皮やらが山と積まれている。
 アーシアは巨大な揚げまんじゅう――三スールだった――の陰でうなづいた。ここもまた見慣れないものばかり。そう考えて、目は落ち着かなかった。
「ここは食べ物を売るところ? パルト、パルト、あれは何?」
「鹿の肉さ、燻してるんだろう」
 老人はそんなアーシアを面白そうに眺めていた。
「ここはこの町の者が来る通りだ。そら、女房連中が買い物ついでに立ち話だ」
「工房都市では、鉄しか売っていないのだと思ってたわ」
「鉄も売るがね」
 パルトは笑った。「だが、職人もうまい物を食わなきゃ力が出んからな」
 彼はアーシアが思ったとおり鉄職人だった。
 自分で作って自分で売るのか、とアーシアが尋ねると、彼は首を振って懐かしそうに目を細めた。
「あんたくらいの年から、朝から晩まで槌を振るった。目も悪くなった。もう火を見るのはやめたんだよ」
 よく見えないというパルトの目は明るい色で、アーシアは何となく好きだった。ツルギの峰の上に広がる空のようだと思ったのだ。
 まったく奇妙な二人連れだった。
 老、と名に冠されるのがふさわしいパルトと、小柄なせいで年より幼く見えるアーシア。
 見かけた者は祖父と孫とも思っただろう。だが、それにしては甘さも馴れもない。むしろ友人同士の町歩きのようだった。
 二人が手にしたパンと揚げまんじゅうは互いにおごったものだ。
 パルトは腹を鳴らしたアーシアに何かごちそうしてやろうと言ったのだが、アーシアが遠慮したのだ。
「それなら」と、パルトは言った。
「わしにパンを買っておくれ。そうすれば、わしらは貸し借りなしの友達だ」
 年こそ離れていたけれど、二人は何とはなしに気が合った。
 頑固なところが似ているのか、無礼な風渡りに相対したという連帯感のようなものか。
 そして、二人が食べ終わる頃。辿りついた通りは、まさに工房都市らしい市場だった。
 道の両脇に続く天幕。そのさまは先ほどの通りとよく似ているが、置いてあるものががらりと変わった。
 鉈(なた)や掘り棒、あの風渡りが持っていたような大きな斧も並んでいる。
 そして、相変わらずの喧騒の中にアーシアはふと耳をすませた。
「パルト、あの音は何? 朝からずっと聞こえてるの」
 そう言われて、何のことかとパルトは足をとめた。そして、アーシアが示すものに気づくと微笑んだ。
「あれは奥の工房で鉄を打つ音だ。ああやって、わしら職人は食っとるんだ」
「鉄を……打つ?」
 アーシアは聞きなれない言葉に足を止めた。パルトは振り返った。
「この町が、動いてる音だよ」
 アーシアは油だらけの指を拭きながら、小走りに老人の後を追った。
「ねえ、どうして鉄を打つの? 打つとどうなるの? どうやって……」
 そのアーシアの問いより威勢よく、天幕から声が上がった。
「オルタ! パルト、なあ」
「まずまずだよ」
 黄ばんだ天幕の下には山積みの鍬。その向こうで、小太りの主人が木ぎれを持つ手を休めて挨拶を寄越した。
「今日は仕事はしないのかい?」
「ああ、朝から不躾な風渡りに会った」
 パルトがその一件を聞かせてやると、主人は首を振り、そいつはよくねえ、よくねえな、と呟きながら手にした農具に柄を取りつけた。
「ところで、見かけねえ娘っ子だな。遠縁かい」
 アーシアは挨拶を返したが、主人の手元の鍬から目が離せなかった。
 いや、鍬のはずだが、その形はアーシアには馴染みのないものだ。身をかがめ、黒々と光るその品を見つめて首を傾げた。
「ずいぶん幅が広い。これは鍬なの?」
「ああ、豆や蔓ものの畑用だよ」
「そっちのは?」
「茎芋用だよ」
 主人の答えに、アーシアは驚いた。
「それも、鍬なの?!」
 主人と傍らのパルトは顔を見合わせた。
「……そうだよ。使ったことないかね?」
「そら、茎芋は株ごとに土を盛り上げとくだろう? 幅広い普通の鍬じゃ不便だからな」
「茎芋……」
 聞いたこともない作物だった。


6.
「鍬を探してるならエッドの打ったのがいい。一度使ってみな」
「そうだな。エッドのが一番だ」と、パルトも頷く。「わしの息子のも悪くはないが、ともかくエッドだ」
「それとも豆用のがいいかね。この季節ならすぐにでも入用だろう?」
「こんな娘っ子に売りつけるな」
「パルト、商いがわしの仕事だぞ。いいものが入れば売りたくもなる」
「アーシアの親父さんの畑に合うかどうかわからんだろう……」
「あの!」
 アーシアはあわてて口をはさんだ。
「いい鍬も欲しいわ。でも、他の物も見てからでいい?」
「そりゃ、そうだな」
 店の主人は言った。
「鍬でも掘り棒でも、鉈でも。入用のものを見せてあげるよ。品は保証できる」
 アーシアは頷いた。
 買えれば欲しい。便利なものならエフタの皆も喜ぶだろう。それにしても何故、これまで誰も買って帰らなかったのだろうか? 
 商売熱心な主人は、これはどうかと別の品物を手にとって見せる。
 パルトは傍らの椅子を引き寄せて腰を据えた。馴染みの主人の話が長くなることを見越したのだろう。何も言わずに懐から煙草を取り出して火をつけた。
 アーシアは次々に示される農具と主人の説明に聞き入った。
 だが、どういうわけか、どの品もアーシアが見慣れた農具とは似ても似つかない。
 そう言うと、店の主人は驚いた様子もなく答えた。
「ああ、お前さん。ずいぶん遠くから来たんだな。きっと寒いところなんだろう」
「どうして、わかるの?」
 アーシアは思わず身を乗り出した。主人は、そんなことは聞くまでもないとでもいうように、慣れた手つきで商売物を並べながら答えた。
「あんたの言う鍬は、北や西へ行く商人に持たせてやるのと似てるらしいからな。固い土を深く掘って、起こす。寒い所なら、どこでもやることは一緒だから。それなら、こいつは必要ないだろうな……」
「それは?」
「掘り棒だ。麦の種の植えつけ用だが、苗には向かないから」
「待って」
 仕舞われようとしている掘り棒を見て、アーシアは声を上げた。便利ならぜひ使ってみたい。
「種から畑に蒔くものもあるわ。タラ根も芋も……」
「こいつは麦向きだ。深さも間隔も……他には使えんよ」
 アーシアは驚き、呆れた。
「……便利だか、不便だか。いったいどっちなの? 麦にしか使えないなんて、聞いたことない」
「便利さね。もちろん」
 店の主人は呆れたように言うと、相槌を求めてパルトを見やった。こんな客はよほど珍しいのだろう。
「ちょっとばかりしか麦を作らないなら、ともかく。だが、だだっ広い畑に植えるとなれば、こいつのありがたみがわかるよ」
「アーシア」
 パルトは吸い終わって短くなった煙草を、店にあった煙草皿に押しつけた。
「他にもいろいろ見てみるかい?」
「ええ、そうしてみたい」
 主人は何か言いたそうに手をこすっていたが、ついにすっぱりと諦めた。
「まあ、ともかく何がいいか決めるといいよ。畑に合わないのじゃ仕方ないからね」
 決まったら、できればうちで買っておくれ、という声を後にして、アーシアとパルトは歩き出した。

 おかしかった。
 何もかもが、奇妙で、風変わり。アーシアは黙りこくってパルトの後ろを歩いていた。
 聞き慣れない作物、見たこともない道具……。
「……聞いたことない」
「何だって?」
 パルトの問い返しにも顔を上げず、アーシアは呟いた。
「使えない道具なんて、聞いたことない」
「使えんわけじゃあないよ、アーシア。向き不向きだ」
「それに、ここは鉄の町なのでしょう?」
 そして、続く言葉は老職人を驚かせた。
「どうして鉄を売っていないの?」
「何だって?」
 パルトは足を止めた。
「鉄はどこにあるの?」
 彼の長い生涯で、こんなことを聞かれたのは間違いなく初めてだった。
「アーシア、そこにある犂も、斧も鉈も……」
「鉄を打ってどうするの? どうやって割ったの?」
「割る? 鉄を……?」
 パルトは奇妙な言葉を口の中で繰り返した。
「お前さん、どうしてそんなことを考えついた? 鉄を割るだって?」
「だって、あれもこれも色が違う。鉄はもっと薄い色をしてるものでしょ」
 そういって、アーシアはごそごそと鏃を取り出した。レンディアの長が渡してくれた品だ。
 だが、それを見た老職人は言い放った。
「こいつは石鉄(せきてつ)だよ。鉄じゃあない。確かに硬いが、どちらかといえば石の仲間だ」
「……石? これが鉄じゃないの?」
「鉄の代用品さね。ほどほどに硬くて安いから鏃にすることもある。だが……」
 パルトは笑った
「まあ、しょせん石は石さ」
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