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風渡の野 24 | ||
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扉を開けたのは数人の腹の突き出た男たちだった。 身なりはこざっぱりとしているが商人には見えず、鈍い目つきは職人とも思われない。まして、命を張って糧をかせぐ風渡りとは似つかぬ重い身のこなしだ。 何者だろう、とティールは揺れる目を客の上に定めようと苦労して、ふと気がついた。新来の客を認めたとたん、店の空気が静まったのだ。 「あれは……」 問おうとしたティールを、髭の商人は手を上げて押し止めた。 恐れとも、軽蔑ともとれる沈黙が酔客たちの上を覆う。だが、それは一瞬のことだった。 いらっしゃい、という娘の声がいつもと同じように響く。すると、それに促されるようにして話し声が戻り、客たちも卓についた。 「あれは……鉄官(てっかん)の役人だ」 商人は抑えた声で答えてくれたが、その緊張した表情にティールの酔いも消し飛んだ。 「鉄官?」 「本国が工房都市に置いた役所のことだ」 店の中は奇妙な具合だった。 酒壺は再び回りはじめた。どの卓の雑談もはずんでいるようだが、それは見せかけだけだ。笑い声はどこかうつろで、どの儲け話も輝きを失ったようだ。 当の新来の客たちも内輪話に興じてはいるのだが、ふと話が途切れた時には横目でちらりと他の客を窺う。あの卓、あの一角と店の中を隈なく目におさめようとする。 そのうち一人がふらりと立ち上がった。 「おい、お前。見た顔だな」 そう言って、ティールの卓の前に立ちはだかった。他の店で一杯あけた後なのだろう。酒臭い息にティールは吐き気を覚えた。 役人はそれに気づく様子もなく商人たちを見下ろした。 「前もこの町へ来たな。それも何度もだ。何故、セラの市へ行かんのだ? 鍬や鎌では飽きたらんか。もうちょっと違う品でも欲しくなったか」 「いやいや」 商人は笑って答えたが、目は伏せがちだった。 「滅相もない。馴染みの店に寄るだけでして……」 「商売熱心で結構なことだ。だがな……その袋に入っているのは何だ?」 はっとした商人より先に、役人の手が卓の下に伸びた。 足元に置かれていた商人の荷物。そこからこぼれた紐をひっぱると、木切れの札がぶら下がった。 その揺れる前で、二人の商人の顔色が変わった。 「俺の見間違いでなければ、こいつは引き換え証ではないかな」 「はあ、少しばかり品数が足りませんで。頼んで上がりを待ってい……」 「ふざけたことを言うな!」 木切れは卓に叩きつけられた。その鋭い音が店に響き、ついにまわりの客たちも固唾をのんで成り行きを窺い始めた。 「鍬が足りない、とでも言うつもりか」 役人はうすら笑いを浮かべると、商人を覗き込んだ。 「店の名も品数も記さない証札だと? 正直に言え。どこの店で、何を頼んだ。剣か、鎧帷子か?」 ティールもようやく商人の窮状に気づいた。 彼らはラシードが語っていた『通りいっぺんでない』方の商売に手をつけたのだ。 武器をアルセナ以外へ売ることは固く禁じられている。 だが、いくらか金を積んで仕入れようと目論んでタジルへ来る者は後をたたない。役人の目を逃れるために、店の名も客の印もつけない引き換え証を使うのだろう。 髭の商人は落ち着きを保っていたが、もう一人の貧相な顔は薄暗い明かりでもわかるほどに白くなっていた。そのさまを、鉄官役人が見逃すはずはなかった。 この役人は本国を離れ、タジルに勤めて長かった。この類の旅商人はいやというほど見てきたのだ。 馬鹿めが。 役人はあるかないかわからない小さな目を細めて嗤った。 証札を外袋に入れておくのも迂闊だが、この顔で身に覚えありと白状したも同然だ。 店の名を聞き出してやる。裏商売に手を出したとして本国へ突き出し、点を稼ぐか。あるいは見逃して欲しいというなら、それに見合う金をたっぷり積ませるか。どちらに転んでも悪い話ではない……。 その時だった。 「私の注文に、何か問題でも?」 傍らから声が上がった。 見れば、そこに座っていたのはまだ若い男だった。二十歳そこそこではないだろうか。 しかし若さに似合わず、鉄官役人相手というのに不遜な態度だった。青白い顔は声そのままに不機嫌で、いかにも面倒そうに役人を眺め回している。 だが、商人仲間とは見えない。 「あんたの注文?」 役人が首をひねっていると、若者は苛々と指で卓を叩いた。 「狩の獲物をさばくための掻き刃物を頼んでいるのだ。私の父は使い勝手にうるさくてね。彼らが腕のいい職人を知っている、というから注文してあったのだ。それだのに……」 と、ため息とともに商人たちに冷たいまなざしを投げた。 「今頃になって、揃えるのに時間をくれなどと言うのだ」 「いや、旦那。さっきも言いましたでしょうが」 髭の商人は疲れた悲鳴を上げた。 「工房が混む時期なんですよ。腕のいい職人ほど忙し……」 「では、私の注文を早くあげろ。その後で、いくらでも他の仕事を請ければいいではないか。ともかく……」 若者は役人に向き直り、苛立ちをそのままぶつけてきた。 「彼らを雇っているのは、この私だ。用事があるなら私を通してくれないか」 嫌な若造だ、と役人は顔をしかめた。 泥くさい農民にも見えるが、それにしては人を問い質すことに慣れている。 雇われ商人たちも身を縮めて成り行きを見守っていた。とんだ仕事を引き受けた、というところなのだろう。若者の言葉はいちおう筋が通っているが、それをそのまま信じていいものか。 その時、若者の上着の飾りが役人の目に映った。青鷹の若い羽だ。 山奥でしか獲れないそれは、尾羽ほどではないがそれなり高価な品だ。どうやら小金持ちの農民か、それともどこかの宿場町を治める地主の息子らしい。 そう気づいて彼はほくそ笑んだ。 鉄官勤めは悪くない仕事ではあった。待遇も、聞き映えもする。ただ、難をいえば面白味に欠けるのだ。本国から離れて何年も、贅沢品などお目にかかっていない。 裕福そうな一家に恩を売っておけば、いい思いをできるかもしれないではないか。例えば、珍味か香料でも運ばせて……。 ささやかな欲望にくらんだ役人の目は証札と羽飾りの間でふらふら揺れた。 「本当に掻き刃を頼んだのか?」 「お役人、私が鎧帷子など買って何にするというのだ」 若者は薄く笑った。 その風情は、確かに鎧をつけて戦場にいるなど似合わない。どちらかといえば人を雇って剣を持たせ、自分はその後ろでぬくぬく守られている軟弱な奴に違いない。 「よし。いいだろう」 役人はきっぱり言った。 「掻き刃というならそれで結構だ。だが、帰りに鉄官に寄って品物を見せろ。それでなければタジルを出てはならん」 「面倒なことを」 若者は顔をしかめた。だが、役人は引くつもりはなかった。 「怪しい取引を許すなという本国からのお達しだ。アルセナ皇家に逆らうか」 と、いきなり大きく出たものだ。 だが、若者もごたごたにつき合うのに飽きたのだろう。わかった、では帰りに、と生返事をした。 役人は満足した。ともあれ、この町での実力者は鉄官役人なのだ。 風味豊かな酒、香料。何を思い描いたのか。役人は上機嫌で卓へ戻ると、仲間と連れ立って店を出て行った。 |
12. | |
「助かった。いや、本当に」 店は再び賑わいを取り戻した。 あちらでもこちらでも、今の一件について声高に語りあっている。ほっと胸をなでおろした者もいるに違いない。 災難を免れた商人たちは力抜けて椅子の背に崩れかかった。額は汗みずくだ。 「ありがたい、礼を言わせてくれ。本当に助かった」 ティールは黙って首を振り、大きくため息をついた。 力が抜けたのはこちらも同じだった。こんな嘘などつき慣れない。横柄なふりなど馴染めないのだ。そのぐったりした顔を見ると、商人は呆れたように尋ねた。 「それにしても、何故わしらを助けてくれた? いや、ありがたいことに変わりはないが」 「あなたたちは……私を助けてくれた」 言うべきことが伝わるように。ティールはゆっくり言葉を探しながら答えた。 「水を差し出し、話を聞かせてくれた。多分、二度と会うことはないだろうから」 そして、深い草色の目は二人を見つめ返した。 「今、ここでしか礼を返すことができないと思ったからだ」 商人たちは口を噤んだ。思いもしない答えだった。油煙のゆれる薄暗い店に似合わない、まっすぐな言葉に戸惑うしかなかったのだ。 「だが……」 商人はごくりと唾をのんだ。 「もし、どんな品を注文したかと聞かれたら、どう答えるつもりだったのだ?」 ティールはふと困ったような顔をした。そして、懐に手を入れると、 「こんな品が欲しい、と言っただろう。これは私が持っている中で一番よく切れるのだ」 その掌に乗せられた小ぶりの刃物を見ると、商人たちはぽっかり口を開けた。 「こんな……石鉄じゃないかね?」 そして、呆れたようにどっと笑い出した。周囲の席の男たちも何事かと振り返った。 「いやはや。お前さん、肝が据わってる」 と、ティールの背を幾度も叩く。 「何て男だ」 「石鉄なんぞで……」 商人たちはすっかり上機嫌だった。愉快な旦那だ、いや、恐れ入った、と笑う。褒められた当人はといえば、何がそんなに面白いのか、さっぱりわからないのだが。 「旦那、まあ、呑め。いや、呑めんのか。惜しいな。こちらは胸がすっとしたというのにな」 涙を拭き拭き、髭の男は頭を振った。 「何か、腹にたまるものでも頼むかね。わしがおごるよ」 「いえ」 ティールはあわてて押し止めた。安心したとたんに酔いが戻ってきた。酒も食べ物も、とても喉を通りそうになかったのだ。 「それより、ついでにもうひとつお聞きしてもいいだろうか」 おう、と痩せた商人は請合った。 「あなた方はずいぶん遠くまで旅されるようだから……」 ティールはエフタの城で聞いた話をもう一度思い出し、言い継いだ。 「青い上衣を着た人を見たことがないだろうか?」 「青い?」 「そう、珍しい色だと思うのだが……」 商人たちは顔を見合わせた。 「確かに見慣れんな」 「バクラの東から来たという商人が着ていたかもしれん」 「ありゃあ、灰色だろう」 「いや、褪せてはいたが青だろう」 何か思い出してはくれないか。どんな小さなことでもいい。 ティールはそのやりとりを黙って見守っていた。 カバラス山脈のふもとは春のしるしに覆われていた。 野花、新芽、若い梢を広げる木々……。 だが、その淡い若葉もどこまでも続くわけではない。 沢はしだいに緑を失い、灰色の山肌を剥いて尾根へと這い上がる。申し訳程度の潅木と貧相な草しか生えない岩の斜面が続き、やがてそれすら姿を消していく。 高い岩山は雪におおわれ、やがてその切りつけるような造形は雪煙たなびく峰々となる。カバラス山脈はハールを寿ぐにふさわしい姿で天を指し示すのだ。 かつてラシードが「厳しく、美しい」と懐かしんだ山並み。 その中腹に、醜くまぎれ込んだ影があった。 男が四、五人。ゆっくりと、だが休むことない一定の歩調で山を下っていく。 人里離れた山の中に、人間がいること自体が奇妙なことだった。揃って逞しい体躯、使い込まれた革鎧も山にはそぐわない。その手にした険呑なものはなおさらだ。 幅広の剣。 それは、鮮烈なまでに美しいツルギの峰の足許では醜く、矮小なものだった。 しかし、彼らはこの剣を細い山道の頼みとしているらしい。潅木のねじまがった枝が時に邪魔立てする。その梢を、まるで自分の腕でもってするように鞘でなぎ払う。 一人が足を止めて振り返った。男たちは寄り集まって言葉を交わした。平原の者ならアルセナで聞かれる訛りであることに気づいたろう。 山を降りきったら、まっすぐ町を目指そう。いや、夕暮れを待つ方がいい。工房都市の門は朝夕が混み合うものだから。 ともあれ目立たないのが肝心だ、と一人が言うと、残りの者も頷いた。 「……相手は追われているとは知らんのだからな」 物騒な言葉を最後に口を閉ざすと、彼らはまた着実な足取りで山道を下り始めた。 |
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