43 風渡の野 目次 45


風渡の野  44 
3.
 長の言葉に安堵したらしい、アデルの日に灼けた顔がゆるみ、だがすぐに口元を引き締めた。
「明日、ですな。モルードの仇を討ってやります。皆、そう言って息巻いとります」
「使者の家族の様子はどうだ?」
 ヤペルはちょうど通りかかったノアムを呼び止めた。矢の束を抱えたノアムは城臣、長そして仲間の顔を見比べて、
「落ち着いて……腹を決めたようです。襲われて立ち上がらなかったら、二度と立てなくなるから、と話していました」
「それで、誰がどこを守るか。決まったのですか?」
 勢いこんで尋ねるアデルに、城臣は重々しく頷いた。 
「一番後ろ、村寄りの崖の上には二十人。アデル、お前がここをまとめてくれ」
 アデルはわかりました、と答えたものの口惜しそうに肩を落した。もっと前に立って、使者の仇を討ちたかったらしい。
 セディムはそれに気づいたが、首を横に振った。
「ここは一番人数が多い。目配りができる者でなければ務まらない。それに、万が一の時は、ここが最後の頼みになるのだから。しっかり頼むぞ」
「では、ほかの岩場は誰が?」
 だが、セディムは答えず、かわりにふと目を細めた。狩人たちを城に集め、戦の策を説明した夕べから、心にかかっていたのはそのことだった。

 古びた地図を幾つも広げた結果、城臣一同とセディムが初戦の場にえらんだのは、橋にほど近い隘路の出口だった。
 周囲の地形はけわしく、ここばかりは山の民であっても細い道を辿るより他ない。ここで、やってくる兵士たちを端から迎え討とうと考えたのだ。
「此度の要はここだ」
 集まった男たちにむかって、ヤペルは幾度も言葉をすりこむように語った。
「張り出した岩の下から道がのびてくる――この、ほぼ正面。崖の上から射かけて、一人ずつ間違いなく倒すのだ」
 ヤペルは石の床に白石でかかれた簡単な地図を示した。狩人たちは見慣れた風景を思い描き、目の前の地図が示す戦の策とすり合わせる。
「あの岩からここまでの間に……」
「この短い間に、兵士を射て倒すと?」
 誰かの緊張した声に、ヤペルはうなづいた。
「仕かけどころは、この三箇所だ」と、地図の岩場を指差す。
「一番前で射かける者は機をみなければいかん。充分にひきつけてから射る。だが遅れれば、次の岩場に立つ者だけで喰いとめねばならなくなる」
 それまでヤペルの横で黙っていたセディムが口をひらいた。
「最初の矢で足並みを乱して、次の岩で迎えうつ。その後は、ないものと考えてくれ」
 低い椅子から身を起こして地図の一点を指す。
「二つの岩をすぎると、山道が広くなってこちらの優位を保てない。挟み撃ちにもできない。だから、そこまで入り込ませたくない」
「では、最後の岩場は備えのためと?」
「備えですめばよいが」
 と、尋ねた者に厳しい視線を返して長はうなづいた。
「この二つめの岩場を守る者は、自分たちが最後の障壁だと考えて欲しい。ここを通せば、勝算は半分になるだろう」

 セディムはふと顔を上げた。
 窓の外から子供の笑い声がする。見下ろせば、数人の幼い子がスレイを取り囲んではしゃいでいた。
「奴め」
 アデルが苦笑した。「鏃ばかり作るのに飽いたか」
 要領を得ない表情の長を見ると、さらに笑って言葉を継いだ。
「いや。もう何日も前から、ああやって子供にせっつかれておるのです――人形を彫ってくれと。この数日、矢をつくるのに駆りだされて後回しにしとりましたが、とうとう捕まったらしい」
 石段に座り、慣れた手つきで刃物をあつかうスレイの表情は遠目にも和やかだった。どことなくくたびれてはいたが、ここ最近では一番彼らしい姿だったかもしれない。
 しばらくの間、セディムはそののどかな光景に見入っていたが、やがてきっぱりと顔を上げた。
「最初の射手はスレイにまかせよう。二番目の岩場は、ノアム。お前が率いてくれ」
「……え?」
 ふいを突かれて、ノアムは目を瞠った。
「昨日の説明どおり重要な場所だ。何があっても守りぬけ。アデル」
 セディムは狩人に向きなおった。
「もう皆に休むように言ってくれ。夜中に出立しよう」
「ま、待ってください」
 立ち去ろうとする長の背に、ノアムはあわてて声をかけた。
「どうして、俺が?」
 ふり返ったセディムは目を細めた。「……どうして?」
「つまり、その」
 ノアムは言葉を探して口ごもった。
「ここを守るのは、俺よりスレイの方が向いてます。短い間に矢数をかけるのなら……そういうことなら奴の方が得意です」
「そうですな」
 横からアデルもうなづいた。「奴は最初から戦うつもりだった。存分に腕を奮わせたら良いのではありませんかな」
 だが、セディムははっきり首を振った。
「二番目の岩場はノアムに任せる。ここで、かならず兵士をとどめてくれ」
 そして、セディムはふり返りもせずに立ち去ってしまった。
「怯むなよ」
 アデルはノアムの肩を叩いた。
「何が起こるかなど誰にもわからん。それも含めて、長はお前を選ばれたんだろうよ」
「……ああ、わかってる」
 ノアムは呟いた。
 だが、何かひっかかるものを感じて、長が去った廊下からいつまでも目を離せなかった。


4.
 ピィッ ピィーーィーー  ――――

 峰の上に白々と広がる、早暁の空――そこに高いさえずりが響いた。潅木の間に膝をついていたセディムはふと顔をあげた。
 尾黒鶸が翼をひろげ、峰からの風に乗って羽ばたいている。山鳥はゆるやかな弧を描き、やがて遠い山並みへと消えていった。
 ほの白い岩々の陰には戦支度の狩人たちが潜んでいた。頬を刺す山の空気、明けぎわの薄闇の中で彼らは沈黙を守り、弓を握りしめている。幾人かはセディムとおなじように遠い鳥の姿を見送っていた。
(これは、ハールからの何のしるしだろう)
 セディムは厳しい面持ちで空を見つめた。これは吉か凶かとつい習慣で考えて、だがすぐにその考えを頭から押しやった。
 彼らはいい。村人は、この戦が御心にかなうものかどうかをハールへ問うてもいい。だが、戦を命じる長がそうしてはいけないような気がしたのだ。
 鳥が去ったあと、山にはふたたび耳をうつ静寂が戻った。
 眼下にはスレイや他数人の姿がある。振り返れば、離れた岩のうしろにノアムの姿があった。こうして長が見ているとも気づかず、山道をにらんでいる。言葉をかわすことはできないが、それぞれが自分の役割を心得ていた。
 セディムは小さくうなづいた。

 岩陰にひそみ山道をうかがいながら、ノアムは村に残してきたもののことを考えていた。
 妻のアレーナと幼い息子――家族の顔を思い浮かべて、ノアムはあらためて胸に誓った。
(誰一人、ここを通すものか)
 山道にはすでに岩が積まれ、防壁がつくられている。家族を守るためには、そこを越えて来る者とは戦わなければならない。それはノアムにとっては、収穫のためには耕さなければならないのと同じことだった。
 スレイや幾人かの狩人は、これはレンディアの誇りの問題だと言った。だが、正直なところ、ノアムにはぴんとこない。言葉は熱いが、どこか勢いばかりの思いのようにもみえたのだ。
 これはノアム自身の問題であり、長を信頼してすることだった。
 しだいに明るくなる岩々のむこうに、ノアムはスレイの後ろ姿をみつけた。気のせいか、肩のあたりがこわばっているようだった。

「息を吐け」
 低くささやかれて、スレイは息をのんだ。矢を落としそうになって、口の中で罵る。仲間が後ろの岩陰から声をかけてきたのだ。
 目線で答えて言われたとおりにしてみると、なるほど力んでいたことに初めて気づいた。これではまるで初狩に出る子供のようだ、とスレイは苦笑した。
(だが、相手はまったく違うな)
 とたんに湧き上がった嫌悪の思いに、スレイの目がきつく細められた。思い出されたのは橋をかけていた兵士の姿だった。
 山の景色にまったくそぐわない革鎧、野卑な声。しかも、人とは思えぬ仕打ちを使者に与えたのだ。スレイはおもわず歯をくいしばった。
(人はみなハールの子だというが……奴らは違う)
 空はしだいに陽に染められていく。夜明けから朝へ、山の景色のなにもかもに色が戻ってくる。新しい一日がはじまろうとしていた。

 どのくらい待っただろうか。ふと、風の中に『匂い』を感じて、スレイは顔をあげた。
 まわりの狩人たちも気づいたらしい――薄い山の空気を乱す、大勢の人間の体臭。山道を見つめる狩人らがとらえたのは、牛に跨った兵士の列だった。
 細い道をたどる牛の重い足音、そして鞘や小盾も硬い音をたてている。彼らは黙々と歩をすすめていたが、不思議にも緊張した空気はない。こちらを侮っているのか、と狩人たちは歯軋りした。
「スレイ」
 うながす仲間の小声に、スレイは目でこたえた。
 さきがけの矢をはずすまいと息を整え、列に向かってきりきりと弓弦を引く。近づいてくる兵士の足取りは変わる様子もない。
 だが、放とうとした時――スレイは息をのんだ。的とさだめた先頭の兵士が鎧の面甲を上げたのだ。
(若い……!)
 その頬は丸く、白かった。年は十四、五としかみえない。スレイの息が揺れた。
 早く放て、今だ、と誰かが押し殺した声で急かした。だが、指は固まって動かない。その時、若い兵士がこちらを向いて目を瞠った。
「――――!」
 鋭く叫んで面甲を下ろした。
 が、間に合わなかった。スレイの耳元をかすめた誰かの矢が、兵士の顔面を捉えたのだ。若い兵士は弾かれるように牛の背から落ち、それを合図に狩人たちは次々と矢を放った。
 列をなした兵たちは虚を突かれ、だが、すぐさま牛に鞭をくれて走り出した。そこに斃れて後続の道をふさぐわけにはいかないからだ。
 ひとりの兵士が駆けぬけながら、手にした何かを岩場へむかって放りなげた。足元に転がったそれを目にしたとたん、狩人たちは凍りついた――それは、帰ってこなかったモルードの頭だった。
 いっとき、矢の雨がやんだ。それを好機と兵士たちは走りぬけたが、間をおかず岩場にセディムの声が閃いた。
「放て!!」
 レンディアの男たちは我に返った。
「――スレイ、何してるんだ!」
 誰かのどなり声と頬をかすめた痛みに、スレイははっとした。
 矢羽が頬に赤い擦傷を残していた。それで呪縛がとけたように、スレイは震える手でようやくひと矢を放った。が、射抜いた感触はない。
 兵士はまたたく間にその数を増し、山道を覆う。
 スレイは力を奮いおこすようにひと声吼え、次の矢をつかんだ。
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