真冬の光  第一部 晩夏 1章-4 真冬の光 目次 2章-2
 
第一部 晩夏
二章 兆し - 1


 翌早朝は、からりとまぶしい晴天となった。
 レンディアの村はずれには狩人たちが集まっていた。どの背にも、よく磨かれた矢筒が負われている。イバ牛の首を撫ぜて話しかける者、勇み足をからかわれる者もいて賑やかだ。
 少し離れたところには、今年あらたに狩に加わることを許されたスレイと他二人の少年たちの姿もあった。
 レンディアでは、子供は歩き始めた頃から弓矢を持って遊ぶ。だが、子供の山歩きと今日からはじまる狩とはちがう。大人と認められて、ハールに祈りを捧げて行われる狩だ。だから、少年たちは緊張した面持ちで大人たちを見回していた。
 その様子を、ノアムとセディムはそれぞれの牛の背から見守っていた。
「どうも、変な感じがするな」
「ああ」
 二人は顔を見合わせた。
「何年ぶりかな。スレイたちと狩に行くなんて」
 こちらは着慣れた狩衣をまとってくつろいだ様子だった。一人前と認められてすでに数年がすぎ、今では狩の陣形の一翼を担っている。とはいえ、仔狼のように仲間と山を転げまわった日々も、まだそれほど遠くなってはいない。幼馴染たちとどう並べばいいのか、掴みかねていた。
 そのとき、二人の後ろを黒牛に跨ったギリスが通りかかった。
「おう、今日は期待してるぞ」
 と、彼は太い声で笑いながらノアムの背をどやしつけた。
「いよいよ秋の狩だ。子供の遊びとは違うのだぞ」
 当たり前だ、とノアムが言い返した。「若いといっても、腕は誰にも劣らないぞ」
 セディムも昂然と胸を張り、幼馴染たちと牛を並べた。ギリスはいたずらっぽいまなざしで若者ら見て、満足気にうなづきながら立ち去った。
「セディム」
 遠慮がちに声をかけてきたのはスレイだった。まだ自分の牛を決めかねているらしい、借り物のイバ牛の扱いはぎこちない。
「もしも、うまく仕留められなかったら、どうなるんだろう?」
 強気を装ってはいるが、不安げな声だ。
 セディムは眉を寄せた。数年前には、自分もこんな顔をしていたのだろうか。
「スレイ、胸を張れ」
 セディムは穏やかに、だがきっぱりと言った。「狩られる獲物にも失礼だ」 
 兄貴分の叱咤の言葉に、スレイはおもわず背筋をのばした。そのこわばった肩をセディムはぽん、と叩いて励ました。
「今日が最初で最後の狩じゃない。ただ、始まっただけだ」
「そうだ。獲物を射止められることもあれば、はずす時もある」ノアムも真面目くさった顔で言い添えた。「それは、ハールもご存知さ」
「どうしたらいい?」
「いつもと同じでいい。誰に見られても恥ずかしくないように胸を張って、今できることをやればいい」
 そして、セディムは一転笑ってみせた。
「俺かノアムの狩笛が聞こえたら、それに従うんだ。遅れるなよ。そうすれば、いつもと同じ狩になる」
 スレイはほっとしたのか、明るい目を瞠ってしっかりとうなづいた。
 夏の終わりの陽が山をあたためている。草たちは花びらの衣を脱ぎすてて、丸い実を誇らしげに抱いている。その実をむさぼり、山の獣たちは肥えていく。じきにやってくる雪の季節にそなえているのだ。
 そして、人間たちもまた同じように獲物をもとめた。
 ――今日のこの狩に祝福を。
 長の言葉に、狩人らは静まりかえった。いっせいに頭をたれてハールに祈る。
 空に揚々と狩笛の音がひびき渡った。その音色に驚いた山の獣を追い落とそうと、狩人たちはいっせいに走り始めた。

 レンディアはカバラス山脈にこびりつくように在る小さな山国だ。
 遠い昔、建国の祖アレイオスの時代からレンディアは麦畑と狩によって支えられてきた。畑の作り方、水のある場所をハールが教えて下さった、という言い伝えもある。
 冷たい風の中、人々はやせた土地に細い麦を植え、牛を育てた。野兎を追った。ハールの庭と呼ばれた峰々からの水が畑を潤してくれた。また、何年もかけて石を積み、拠り所となる城を築いた。
 苦労の末に生活が成り立つようになった頃、その風景を「ハールの与え給うた祝福の地」と呼んで、アレイオスは天へ還った。平原の戦乱を疎んで国を捨ててきた人々にとっては、まさにここが約束の地だった。
 生きるために必要なものは、すべてハールが与えてくれる。
 だから、人はそれを受けるに値するふるまいをしなければならない。畑は生きるのに必要なだけ。山の獣や植物のためにも、土地を痩せさせてはならない。
 狩はいつも儀式とともにはじまり、感謝の祈りと供物によって締め括られる。よくできた鏃は護符にもなった。獲物が多いことは喜ばれたが、天を欺くような狩の仕方は疎まれていた。
 ――そんな慎ましい人々の中で、罠を仕掛けたいとセディムは口にしたのだった。


 狩人の祈りは聞き届けられた。
 狩がはじまってまもなく、セディムはウサギと地リスを続けてしとめた。潅木の先に星のような小さな木の実を見つけると、その場所を覚えた。じきに大きく実ったら、それを狙う獣を仕留められるからだ。
 相棒の若いイバ牛――ルサは岩の合間の夏草を踏みしだいて下っていく。その背から遠い斜面を見下ろして、セディムはおもわず笑みを浮かべた。
 ちょうど一人の狩人が獲物を射止めたところだった。顔は見えないが、その動きから誰なのか目星はつく。
 山を渡る風は冷たく心地よかった。
 城を出てくるまで、レベクとの言い合いを思い出しては苛立っていたのだが、そんな鬱々とした気分は今はほどけて、すっかり吹き飛んでいた。
(どちらがいいかと言われれば)
 セディムはふと、手綱をゆるめた。
 たしかに、罠より弓矢の方が好ましいとは思う。ただ、城臣たちが弓矢の狩を尊ぶのと、セディムが好むのとでは、少しばかり意味が違うのだ。
 狩の獲物を与えるのはハールだ。もちろん、それは知っている。だが、セディムは時折、心のどこかで思うのだ――その矢を作り、放ったのは自分だ、と。
 傍らの灌木から小さな実を摘みとって口に放りこんだが、まだ渋いばかりだった。
(これは、思い上がりなんだろうか)
 セディムは唇を噛んだ。
 その時、うしろでかたい蹄の音がした。
「狩は順調ですかな」 
 岩を踏み越えてくるイバ牛――その背に跨った、聞きなれない声の主はラシードだった。
 セディムは今日の成果を示そうとしたが、そのとき相手の鞍脇が空なのに気づいて、目を瞠った。スレイたちのような少年ならともかく、大の男に獲物がまったく無いなど信じられない。セディムはためらいながら申し出た。
「その弓は傷んでいるようだ。代わりをお貸ししましょうか?」
「そうかな。よい出来のようだが」
 なめらかに磨かれた弓を不思議そうに検めるラシードを見て、セディムは困ってしまった。
「あの、平原では狩をしないのですか?」
 ラシードはようやくセディムの懸念に気づき、ああ、そうか、と表情をくずした。山の風が狩人たちの間を吹き抜けた。
「いや。一人旅では自分の弔い以外は何でもする。だが、久々の山の狩は勝手が違うのですな。獲物がとれない原因は、これだ」
 と、ラシードは自分の太ももをぴしゃりと叩いた。
「何せ、二十年ぶりだ。こうしたいと思っても牛に通じんのです。つい、ああしろ、こうしろと声をかけるから、獲物がすっかり逃げていくわけだ」
 セディムは思わず吹き出した。
 実際、狩人としては相当情けない話だ。ラシードも呵々と笑った。こうして言葉を交わしてみると、父よりも明朗な男のようだった。
「さて、今度は向こうへ行ってみるか」
 ひとしきり笑った後で、ラシードはイバ牛の脇を軽く蹴った。
「あっちだ。それ、それ」
 だが、牛は蹄を掻くばかりで動こうとしない。冗談ではなく、ラシードは本当に困っているらしい。そこで、セディムは手をのばして牛の首を叩いてやった。
「行け」
 すると、イバ牛は素直に歩き始めた。ラシードはほっと息をついた。
「ありがたい。助かった」
「それははずした方がいい。脇に当たると、歩くべきか止まるべきか、牛が迷うのです」
「なに?」
 セディムはルサの手綱を回しながら、ラシードの腰を指差した。
「ここでは、必要ないでしょう」
 提げられていたのは、大振りの剣だった。
 その時、山上から聞き馴染んだ笛が響いた。セディムははっと息をのんだ。ルサも耳を立てる。ノアムの笛だ。
 セディムはラシードに目で会釈すると、すぐに手綱をゆるめた。言われるまでもないとばかりにイバ牛は走りだし、彼らはあっというまに岩場を渡っていった。
 その後ろ姿を見送って、ラシードはあらためて我が身を顧みた。
 自分が剣を帯びていたことすら気づいていなかった。平原では抱いて眠り、朝、目覚めれば腰に留めつける。剣を持つのはもはや服を着るようなものだ。
 ケルシュと酒を酌み交わした夕べも身に着けていたかもしれない――そう考えて、ラシードは複雑な表情を浮かべた。






 

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