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第二部 早雪の底 |
三章 雪に閉ざされる - 2 |
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雪風が窓を揺さぶる夜でも、夕餉の席はにぎやかだった。 家族や近所同士が卓につき、席が無い者は床に車座になり、干し肉をちぎったり椀をすすっている。食べ終わると早々に立ち上がり、後から来る者のために場所をあけた。 セディムが姿を見せると村人たちは笑顔で長を迎えた。 ヤペルら城臣のいる座に加わろうとして、セディムは足をとめた。父が居た頃はそれでよかったが、長となった今はハールに感謝の祈りを捧げなければならない。ことに今日の卓にあがるのは、夏に焼きしめて取ってあった最後のパンだ。 「――聖なる峰にあなたが手をかざし、この地に恵みを下さったことに感謝します」 汁物を配る女たちの横でセディムは小さなパンをさらに割り、父を思いだしながら祈りの言葉を上せた。 これから食事をとる者たちは長の前に並んでパンを受取った。それを先に食べ終わった者たちはどこか羨ましそうに見守っている。どうせなら、長の祝福をうけたパンがいいというのだ。それを聞いた時には、セディムは苦い思いがしてならなかった。 (これも、形だけだ) 皆で作ったヒラ麦を、なぜ長が配るのか――そう尋ねて、父から叱責されたのが昨日のことのようだ。結局、父は納得いく答えをくれないうちに天の庭へ召されてしまった。 しかし、村人らはそんなことは考えもしないようだった。 「これは、ありがたい。パンは良いですなあ」 「セディム様、今日の熱汁はよい味ですよ」 笑みとともに受け取った汁物には、わずかながらも肉が入っているようだ。 (もしも――) セディムはふと手を止めた。 (イバ牛をつぶしたら、春まで食べられるんだろうか?) しかし、すぐにその考えを頭から押し出した。牛一頭をつぶしても、それを生かして働かせた時ほどの食料にはならない。それに、ハールが与えられた仲間を食べるなど考えたくもない。 「――今日の糧を感謝いたします」 幼い声に、セディムははっと我にかえった。 目の前で行儀よく頭を垂れていたのは、幼馴染の少女ライナだった。セディムは決まり言葉とともにパンを割りながら尋ねた。 「ハールの恵みのあるように。――秋に、スーシャから便りはあったの?」 丸い頬をした少女はきちんとした仕草でパンを受取り、頷いた。 「はい。とても元気だって。麦はたくさんあるから、心配いらないそうです」 今年、十になるのだろうか。ライナはごく小さい頃からしっかりした子だった。幼馴染の兄貴分のあたらしい立場にも早々に馴染んだらしい。当人よりも早い、とセディムは内心苦笑した。 それにしても、エフタでも収穫に恵まれたはずはない。幼い妹に知らせるにおよばず、とスーシャが考えるほどの状況だったのだろうか。もちろん、エフタに助けを求めるつもりなどない。だが、山向こうでも冬の厳しさに耐えるばかりの日々なのかと想像するのは気が滅入る――。 ふと顔を上げると、ライナはもう行ってしまっていた。次に並んでいた村人も、小さなパンを会釈して受け取ると嬉しそうな様子で去った。ふと、自分が長になったことをエフタの誰もまだ知らないのだ、と気づいてセディムは妙な気持になった。 ライナは大人たちの間に席を見つけ、一人でパンにかじりついていた。まわりは賑やかだったが、少女は黙りこくってパンを裂く手も止まりがちだった。 (ほんとうに、麦はあるのかしら) ライナは長に尋ねられた姉からの便りを思い出していた。 跳ねるような文字はスーシャそのものだったし、便りを運んでくれた村人も彼女は元気だったと請け合ってくれた。ただ、心配ない、という言葉にライナはひっかかっていた。 (いつも、そんなこと書かないのに) 面倒見がよく、時におせっかいがすぎるスーシャの手紙はたいていレンディアの家族を心配する言葉で埋まっている――お母さんを手伝って、おばあちゃんのお茶を忘れないでね。 それが今回はエフタのことは心配いらない、と書かれていただけだった。 (ほんとうは大丈夫じゃないんだ) ライナは唇をかんだ。 この冬はいつもより厳しくなる、と母親から聞いていた。確かに初雪は早かったし、風も冷たい。 (子供にも何かできないかしら) しばらく考えて、ライナは立ち上がった。傍らの窓に映る自分の顔をじっと見つめ、自分を励ますように微笑んでから仲間たちを探しに出かけた。 外はどんな天気であっても、食卓ではそれを忘れて明るい話をするのがレンディアでは常だった。 「水をくれないか」 「そういえば、爺さまはどうした?」 「膝はあいかわらず。デレクのうちと同じ部屋だから、孫が一度に倍になったようだよ」 「そりゃあ、いい。どこだい?」 「三階の、西廊下の奥だ」 「あとで顔を出すよ」 また、イバ牛の様子も冬の間の気がかりだ。 「"尾長の黒"が食いすぎだ。となりのノアムの牛の分まで取ろうとするんだ」 「それは場所が悪い。"灰色背"の横に房を入れ替えろ」 「"灰色背"なら大丈夫なのか?」 「ああ。人間よりうまくやるよ。奴は……わきまえた牛なんだ」 「ところで、賽遊びは誰の部屋でやるか?」 「いやいや。賭け事はやめとく。女房に怒られたよ。やめると約束した」 「ほう、いつまで?」 「……嵐が過ぎるまで」 そんななごやかな様子をセディムは片隅の卓から眺めていた。 村人一人一人の表情は意外に明るい。セディムはほっとした。冬の最初の頃は、皆が落ち着いていて諍いをおこす者などいない。しかし、単調な毎日に飽きてきたころがいけない、と城臣たちはいう。不機嫌ですめばよいのだが、高じてくると一発殴ってすっきりしようとする輩があらわれるのだ。 そうなったら、厳しく戒めてやって下さいよ、とヤペルは重々しい顔で言った。セディムはわかったと答えたものの、内心、それもいいじゃないかと思ったりした。ともあれ、今はまだ皆が穏やかだった。 食事がすむと、セディムはひさしぶりに階下のイバ牛小屋に足を運んだ。 慣れない長の仕事に翻弄されている間、ルサの世話はノアムがみてくれている。だが、イバ牛は主の足音を忘れてはいないようで、階段を下りていくと、ルサはもう顔を上げて待っていた。 「元気にしてるか、ルサ」 思わず笑みがこぼれた。 見たところ毛艶は良いし、変わった様子もない。小屋はなかば雪に埋もれているせいか思ったよりも暖かく、セディムはほっとした。 「ノアムとはうまくやってるか? そうか」 毛並みをくしゃくしゃかき混ぜてやると、イバ牛は低く唸って前蹄をくりかえし掻いた。セディムは笑った。声をたてて笑うなど久しぶりのような気がした。 「外へ出たいのか? 我慢してくれ。今日はひどい風だ。それに、しばらく城から出られそうにない」 ルサは主が居ることに満足したのか、喉を鳴らしておとなしくなった。その胸の毛をセディムは梳いてやり、麦藁の上に胡坐をかいた。牛の温かい息が首筋にふれるのが懐かしく、セディムはしばらくそのまま考え込んでいた。 (レンディアの長であるとは、どういうことなのか――) ギリスが帰ってきてから、頭を巡るのはこのことばかりだった。 |
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