真冬の光 第四部 真冬の光 | 2章-5 |
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第四部 真冬の光 |
二章 目録 - 6 |
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「なりません!」 厳しい声を上げたのはレベクだった。 「お忘れか? あなたはこのレンディアの長で、村人の命に責任ある身。それが荷を背負って冬の山を降りるというのか」 「城臣がいれば、長一人いなくても困らない」 「とんでもない」 ヤペルもまた諭した。 「村人は長の命に従って城へ来たのです。ここで生きよ、と命じた長が出て行ってはなりません。爺どもがいれば事足りるという問題ではない」 「食べる物がなければ、村が死ぬ。これは長の役目だ」 「その長の身を案じているのです」 「自分が帰って来られない旅なら、誰も行かせるわけにはいかない」 「思い違いもいいところだ」 そう横から口をはさんだのはラシードだった。無遠慮な言葉に村人らはぎょっとして薬師を見つめた。 「ならば、どうしろと?」 セディムは怒鳴り返した。 「自分では行きもしない、何もしない、ただ待てと言うのか?」 「無事に帰れる旅と言うなら、安心して送りだせばいい。行けば、あなたの気は晴れるだろう。だが、そのために村人を置いていくなど長のすることではない」 「父上は全てを捧げよ、と仰った」 セディムはラシードの目を見据えた。 「知恵も力もすべて捧げて皆のために働けと言われた。これは長の仕事だ」 「そんなつもりで言ったとすれば、ケルシュは愚か者だ」 セディムの顔色が変わった。 「父を辱めるのか」 「レンディアの民も運がないな。村より自分の思いを大切にする、あさはかな長を戴いて。ああ、死んだ者もやりきれなかろう」 「決めるのは、私だ!」 言い放ったセディムははっと息をのんだ。 亡き父の姿がふいに脳裏に甦った。夏の終わりのあの日、父は同じ言葉で自分に答えたのではなかったか。それなら、長の決断だと答えたあの姿に、今の自分を重ねられるか――そう考えたとたんにセディムは反論の言葉を失ってしまった。 その時、村人らの中からドルモが進み出た。 「セディム様。わしらにお任せください。あなたにはここに居ていただきたい」 お前まで、という目をセディムは返したが、ドルモは首を横に振った。 「天の庭にハールが居られるように、城には長が居てくださらなければ――わしらは帰って来られんのです」 「そうだ」 「天に近いここで祈っていただければ、俺たちも安心できます」 イディス、そして他の村人も口々にそう言った。 続く同意のささやき、交わされる祈りの言葉。城臣ばかりでなく、村人までがそう願う。そのことに押し伏せられるように、セディムは肩を落とすしかなかった。 夜明け前、まだ青い雪の上に牛と五人の男達が影を落としていた。 牛の背にくくりつけられた包みには、村中からかき集めた晴着のふち飾りや石、いくらか残っていた小さな毛皮が入っている。ふもとまでの食糧も皆で分け合ったものだ。帰りの分は無い。 「ふもとへ降りれば何とかなる」 旅支度の男たちは笑ってみせた。「野草もあるし、ウサギくらいはいるだろう」 だが、そう言うと彼らは口元を覆う布の具合をなおし、後は黙って言葉を交わすこともしなかった。旅の間はいっそう言葉少なになるだろう。むやみに口を開けば体が冷える。 彼らの身支度は簡素だった。痩せたイバ牛に負担をかけないために、本当に必要なものしか持たない。弓矢を持って行くのは二人だけだった。 その一人であるノアムは、旅の間よろしく頼む、というように自分の牛の首をこすった。 麦を求めてふもとへ降りると聞いて、ノアムはすぐに名乗り出た。交渉ごとには向かないが、荷を運んで山を歩くことならできる。体力には自信がある。ようやく自分にできることを見つけたと思ったのだ。 厳しい旅になることは誰もが承知していた。雪もそう深くないという理由で東の山道を下ることになったが、それでも往きと帰りに七日ずつ。天候によってはもっとかかる。ことに、帰り道の後半はハールの護りを願うしかない。もしも嵐に遭っても、身を隠せる木々がない。彼らは麦の袋を背負ったまま倒れることになるだろう。 しだいに空が明るくなってきた。風はやみはしないが、切り裂くような激しさはない。出立を見送る村人の間からはゆるやかな詠唱があがっていた。 「ハールの導きあるように」 セディムは出立の男たち一人ひとりに祝福と祈りの言葉をかけていった。 「雲の動きをよく見ろ。風向きも」 言わずもがなのことと思いながらも、セディムは念を押した。 山を降りる一人はラモルだった。力自慢で荷運びも得意だが、何より村の仲間への謝罪のつもりなのだろう。誰よりも先に名乗り出たと聞いた。テルクと話し合って決めたらしい。その横にはイディスもいた。 「無理はするなよ」 セディムが言うと、旅の長であるドルモも目を細めて頷いた。 「承知しとります。かならず麦を手にいれて戻りますから」 そして、セディムが幼馴染の前に立つとノアムは黙って長の前に頭をさげた。毛皮の帽子にはもう雪がついて白くなっている。その顔を両手で引き寄せ、額と額を軽く合わせた。 「必ず戻れ」 男たちは祈りの声に送られて、細い山道を降りはじめた。ちょうどツルギの峰からのぼった太陽が彼らを照らし始めていた。 男たちの姿が小さくなり、雪におおわれた岩の向こうに消えると、人々は身震いしながら城の中へ入っていった。 セディムも黙って踵を返した。城の扉の前まで来ると、皆から離れて立っていたラシードに気づいたが、何も言わずに立ち去った。 「――しかし、お前が止めるとは思わなんだぞ」 長の後ろ姿を見送っていた薬師に声をかけたのはヤペルだった。ラシードは微かに笑って首を横に振った。 「昔とは違う。今のレンディアにとって長がどれほど大切なものか、俺とてよくわかっている。だが、長は何か言いたげだったな」 そう言って、訝しげに長が去った城の扉を見つめた。ヤペルは軽く答えた。 「そりゃ、セディム様もまだ本心ではないのだろう。ともかく、留まってくださってよかった。二年も前なら――」 と、城臣の目は一瞬だけなつかしそうに和んだ。 「力づくでもお止めしただろう。だが、今やそうもいかない」 「……」 「これでよかったのだ」 まだ納得いかない顔つきの薬師の肩をヤペルは叩いた。 「万が一セディム様に何かあれば、お前を長に迎えることになってしまう。そんなことは、ごめんだからな」 薬師の気がかりを晴らそうと言った冗談だった。しかし、ラシードは真顔で笑んだ。 「――安心しろ。そんなことにはならんから」 そして、通りかかったギリスに手を貸しながら、並んで城の中に消えた。 ヤペルはそれを見送って、ふと眉を寄せた。 |