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春を待つ城 5

 セディムとラシ−ドが会ったのはあの冬――セディムが長となり、夢中でやり過ごした厳しい冬のことだった。
 数年にわたって故郷を離れていたラシ−ドはその秋に懐かしいレンディアを訪れた。
 迎えたのはラシードの従兄弟であり親友でもあったレンディアの長ケルシュと、やがて父の跡をつぐはずの若者セディムだった。
 ラシードが故郷に着いたのは秋のはじめであったが、すでに気温は低くなりはじめていた。
 長は収穫できなくなるのを怖れて早々の刈り取りを命じた。早すぎると反対する城臣も少なくなかったが、長が決定を覆すことはなかった。
 そして、ヒラ麦の刈り取りが終わるのを待っていたかのように、まもなく空は雲に覆われて白いものをちらつかせはじめた。レンディアはろくな量の麦を得られないまま冬を迎えることになった。
 久方ぶりに帰ろうと思ったのはいったい何の知らせだったのか。後になってからラシ−ドは何度も考えた。何故なら、帰郷後まもなく長が帰らぬ人になったからだ。狩の時に負った傷が元だった。
 セディムはこうしてレンディアの長になった。
 まだ十五になったばかり、いずれ父の代わりに長の衣を戴くことになるとは思っていた。だが、それはずいぶん先のことになるはずだった。
 その年は長く厳しい冬だった。多くの村人が飢えて神のもとへ還っていった。
 しかし、その冬もやがて終わり、木の芽吹きとともにレンディアはゆるやかに回復していった。多くの村人が弱り、セディム自身も夏までは床についたり、起きたりの日々を送らなければならなかった。
 しかし、秋の訪れはいつもより遅く、長が元通りに回復するころにはヒラ麦もほぼ例年通りの実をつけた。


 秋。
 色づいた畑に囲まれて、レンディアの村全体が明るく山麓に浮かび上がって見えていた。
 野菜の畑ではすでに取り入れが進み、籠を片手にした女たちが畝の間を歩く姿があちこちにある。低い段々畑からは収穫を謳う声が聞こえている。長く通る声は山々にこだましていた。
 ヒラ麦の畑は黄色く色づき、穂並みが風に揺れて音をたてている。その波の間にぽつりぽつりと浮かぶように人影があった。
 日に日に冷たくなる秋風を防ごうと長い袖の上着を着込んで、ある者は紙の束を手に、ある者は屈みこんで麦の穂を見ている。
 セディムもまたその中で、かつて父がしていたように麦の穂の重さを計っていた。どの畑も薄い黄色の、茎の細い麦だった。
「セディム様、いかがですかな」
 傍らで同じように麦を見ていたヤペルの声に、セディムは我にかえった。
 慣れた手つきで麦を調べるヤペルは前の冬の厳しさで少々痩せたようだが、それでも年相応の恰幅と貫禄は失われていない。
 セディムが刈り入れのできそうな畑をそこ、ここ、と指し示すとヤペルはそれを書きとめた。
「まったく、ありがたいことですな」
 ヤペルは一人で頷きながら言った。
「昨年はあのとおりだったが、ハ−ルは埋め合わせを忘れてはおられない。
 葉月すぎてからの植付けではろくな収穫にならないと気を揉みましたが、このとおり。いつもと変わらぬ実り具合だ」
「ヤペル、残りの畑は頼む。私は城へ戻るから」
 セディムはそれだけ言いおいて畑を後にした。
 そのそっけない様子にヤペルは首をかしげた。麦の出来にしては、上々の顔つきとは言い難い。
 しかしヤペルはすぐに気を取り直して仕事を片付けにかかった。まだ見ていない畑は多かったし、早々に刈り入れを済ませて若者を狩へ送り出したかったのだ。
 セディム様は十五か? 何せまだ年若い。何か気分の落ち着かないこともあるだろう。

 セディムは足早に畑の間を抜けながら、まだ物思いにひたっていた。石垣に這わせた葡萄の実り具合も目に入らないようだ。
 その身軽な足の運びは遠くからでも村人の目についた。
 セディムの、もともと山の民にしては背の高い姿はこの半年病がちだったせいで痩せて、なおのこと手足ばかりが目立って見えた。
「セディム様、今年はよく実っておりますぞ」
「今年のハ−ルはえらく気前がよいですな」
 充分に収穫できそうな感触で村人は誰もが機嫌よく、若長と親しく言葉を交わしたいようだ。
 いつもなら、セディムも立ち止まって一言なりと交わしてから行くところだ。もともと城に籠もるより狩に出たり、村人から毎日の様子を聞く方が好きだった。
 しかし、今日は頭から考えごとが抜けない様子で、生返事のまま狭い道を上っていった。
 城につくとセディムはまっすぐに貯蔵庫へ向かった。そこには刈り入れの合間に子供たちが集めた山葡萄や狩の成果の肉が吊るされている。
 今は村が総出で畑に行ったためにがらんとした部屋で、セディムは目指すものを見つけた。古びた袋にほとんど残ってはいなかったが、それは前の冬の終わりに手に入れた平原の麦だった。
 手にとればずっしりと重く、指先で殻をつぶすと日なたの草のような匂いがした。濃い黄金色はたった今、畑で見てきたものと同じ麦とは思えない。
「種類が違っても、麦は麦なのに」
 どうしてなのか。セディムは誰に言うともなくつぶやいた。
 ――いったい何が違うのだろうか。

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