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現代小説 6

 

「シャーロック・ホームズの失われた冒険」 河出書房新社
ジャムヤン・ノルブ 著
東山あかね 熊谷彰 他 訳

   シャーロック・ホームズの失われた冒険


原題「The Mandala of Sherlock Holmes」。シャーロック・ホームズが宿敵モリアーティとスイスのライヘンバッハの滝に消えて三年。死んだと思われていたホームズは、実は生きてヒマラヤの神秘の国チベットを旅していた。当時、西洋人にとって未知の領域であったチベットに潜入したホームズはノルブ・リンカ宮殿に伝わる一幅の古いタンカをめぐる陰謀に関わることになった。ホームズ・シリーズとキプリングの「少年キム」を愛する著者によるパスティーシュ小説。

 ホームズ本は子供の頃にひととおり読んだ。チベット仏教はほんのさわりだけ。グレートゲーム時代に興味があって「少年キム」も読んだ――となれば、当然、行き着くべくして、この本を手にとりました。

 当初「あれこれ混ぜすぎでは?」と思って、正直いうとあまり期待していなかったのですが。これが予想外に面白く、さくさく読み切ってしまいました。
 ドイルやキプリングへの「好き」があふれていて、著者が子供の頃にどれほどホームズに傾倒したか伝わってくるようです。著者のブログはときどき読ませていただくのですが、知的な文章から察すると著者はワトソン君よりホームズになりたい子供だったのではないかなあ。

 それはともかく。

 ジャムヤン・ノルブ少年(著者)は、インドの学校の図書館で読みふけったホームズ・シリーズの一節に目を奪われます。

 そこで、ぼくは二年間チベットへ旅して、ラサを訪ね、チベット仏教の指導者と数日を過ごしたりして楽しんだ。君はシゲルソンという名のノルウェー人が書いた素晴らしい探検記を読んだことがあるかもしれないが、それが君の友人からの知らせであるとは夢にも思わなかったろうね。

 50年前にチベットを訪れたシゲルソンという探検家について、著者は故郷ラサで、その後、家族の住むダージリンや亡命チベット人の住む町で同じことを尋ね歩く。そして、とうとうシゲルソンに同行した人物の子孫と出会い、残された文書を発見した――こんな風にしてお話は始まりました。
 「ワトソン」君は「少年キム」にも登場したインドの調査局員ハリー・ムーケルジー。ちゃんと「レストレード警部」もいます。ひげをひねりながらご登場。あるいは、イタチ顔の男も。

 インド西岸の港町ボンベイやってきたシゲルソンことシャーロック・ホームズは、到着早々に豪奢なタージ・マハル・ホテルでの殺人事件に遭遇。その後、鉄道列車に送り込まれた暗殺集団に命を狙われながら、インドの夏の避暑地シムラへと向かいます。事件の背後に見え隠れするあの人もホームズ・シリーズからのご登場。また、ハリーの噂話の中にもキム少年の活躍がうかがわれて、かなり嬉しいです。

 ラサに到着してからは、当時15歳のダライ・ラマ13世と交流。その様子には、登山家ハインリヒ・ハラーとダライ・ラマ14世の出会いを描いた「セブン・イヤーズ・イン・チベット」が思い出されます。13世が動物好きで、ノルブ・リンカで馬や犬を飼っていた、という逸話も差し込まれているようです。
 また、事件の背景として当時のチベットと清帝国の微妙な政治事情が高僧ユンテン師から説明されます。これは、英国帰国後には間違いなくマイクロフト兄さんに筒抜けですね。

 個人的には3部はやや荒唐無稽ではという気もしますが、ホームズ・ファンの評価はどうなのでしょうね。
 でも、ともかくホームズの「大空白時代」を現地チベットの文化や時代背景に精通した著者がわくわくする冒険劇に仕立てた、という点がミソ。楽しかったです。
(2011.8.24)

 

「つむじ風食堂の夜」 ちくま文庫
吉田篤弘 著

   つむじ風食堂の夜 (ちくま文庫)


月舟町の十字路にたつ風変わりな洋食屋「つむじ風食堂」にはさまざまなお客がやってくる。雨にまつわることを研究している私、雨降り先生。帽子屋の桜田さん、売れない舞台女優、古本屋――。町角で紡がれる小さな物語を集めた連作短編集。

食堂
エスプレーソ
月舟アパートメント
星と唐辛子
手品
帽子と来客
奇跡
つむじ風


 乾いた清潔感のある、どこか哀しげな文章で描かれる不思議な町のお話。ふと、アニメ「銀河鉄道の夜」の味わいのある町の風景画を思い出しました。

 一番、好きだったのは「星と唐辛子」。
 私、雨降り先生は、気持ちの上では雨の研究家なのだけど、生活のために企業PR誌などに「犬用レインコート」の紹介のような、得体の知れないコラムを書き続けている毎日。ある日、「唐辛子にまつわる話を、楽しい雰囲気で」書いてくれ、という依頼があった。どこから手をつけたらいいのか、ヒントを求めて出かけた古本屋で紹介された分厚い本とは――。

 た、楽しい唐辛子か……おかしくて呆然としたり、薦められた本の値段にも首をかしげてしまったり。
 しかし、最後に先生が無事に本を手に入れると、「ああ、これでももう何もかも大丈夫」と胸をなで下ろしてしまいます。どうしてなんだろうな、コラムはこれから書かなきゃいけないのに(笑)


 手品師の息子であった先生は、やはり手品師のような手を持っています。ちょっとした技をみせて友人を慰めたり、文章を書くことも手品のようなものだと言っています。

 似たようなもんです。労働するのは手だけだし、小さなものを大きく見せたりして、時には何もないところから花を咲かせたりしなくちゃならないし。

 先生に限らず、登場人物の誰もが「自分の手ですること」をよく心得ているところが、読んでいて満足できるのだろうな、と思います。誰も、自分にできる以上のことは求めていない。それは、おかしいと知っている人たちの姿には、じわっと穏やかで嬉しい気持ちになるのでした。

 ひとつだけ、好きでなかったところ。それは、月舟アパートメントの階段が、一階につき6段しかないこと。
 路地裏の小さなアパートであるところからして、これでは登れないような(降りられもしない)急勾配なことは明らか。これで、物語全体が一気に嘘になってしまうように見えて不満だったのでした。

 そんな気がしただけ……。

(2011.9.10)


「りかさん」 新潮文庫
梨木香歩 著

   りかさん (新潮文庫)


「リカちゃん人形が欲しい」と、ようこがねだったのに、祖母から贈られてきたのは黒髪の日本人形「りかさん」だった。最初はがっかりしたようこだったけれど、りかさんがようこに人形たちの思いを聞かせてくれたものだから、二人はすっかり仲良くなった。そんなようこに祖母は言った――「おまえがりかさんを必要としていたんだよ」。そして、ようこが大人になってからのエピソードを描いた書下ろし短編「ミケルの庭」も収録。

 欲しいものとは違う贈り物をもらって、悲しくて情けない気分になった――多分、誰でも似たような経験があるだろう、ようこの可愛らしいエピソードがはじまり。でも、りかさんは言葉をしゃべり、大人びていて、ようこを守ってくれる特別な存在になります。
 りかさんが明かしてくれる人形の思いを聞くうちに、幼いばかりだったようこがしっかりして、愛情深い女の子に育っていく様子が愛おしいです。

 おばあさんの言葉も印象的でした。

「人形の本当の使命は生きている人間の強すぎる気持ちをとことん整理してあげることにある。」

「気持ちはあんまり激しいと濁っていく。いいお人形は、吸い取り紙のように感情の濁りの部分だけを吸い取っていく。これは技術のいることだ」


 私は人形遊びはあまりしない方だったけど、何となくわかる気もします。自分を外から見る視点というのは、子供が人形とかぬいぐるみを持つことから始まるのじゃないかなあ。男の子はわからないけど。

 短編の「ミケルの庭」は、素直で包容力のある大人に育ったようこが登場します。ちょっと話が唐突な感じがするのは、もう一編、ようこの出てくるお話(「からくりからくさ」)が先に書かれているせいかも。こちらを読んでからの方がよさそうです。
(2010.8.24)


「からくりからくさ」 新潮文庫
梨木香歩 著

   からくりからくさ (新潮文庫)


染織家を志す蓉子は、祖母の遺した古い家で仲間3人と共同生活を始めた。落ち着いた性格の蓉子を中心に毎日が動き始めた頃、それぞれ親戚筋から聞いた昔の出来事が人形を通してつながっていることがわかった。蓉子が大切にしている人形のりかさんも関係があるようだが、彼女は亡くなった祖母の「浄土送り」をすると言ったきり、言葉を話さなくなっていた。複雑な経緯の出来事の真実はどこにあるのか。移り変わる四季の風景と、その中で紡がれる4人それぞれの夢や思いを描く。

 「りかさん」の数年後のお話です。枝を煮出して糸を染め、機を織り、虫や鳥の音を聞き、野草を摘んで食する毎日……現実にいつまでできるかわからないけど、一度は体験したみたい生活。
 四季の移り変わりの描写や、次々登場する草花の名が読んでいて穏やかな気持ちにさせてくれます。

 こんなほんわりとした雰囲気の物語かと思いきや、中盤からは旧家に伝わる日本人形や古裂布が登場して、それにまつわる古い話が浮かび上がってきます。城勤めの奥女中、正室と妾の確執、般若や竜女の面の言い伝え――身分や家制度と絡んだどろどろの情念を描く展開は好みが分かれそうですが。私はちょっと苦手かな(^^;)。

 染織、外国への旅、女の恋情……というモチーフをみると、同じような題材の「貝紫幻想」を思い出します。染織の色の味わいとか年配女性の迫力は「貝紫〜」の方が読み応えあります。でも、この「からくり」の方が読み心地さわやかな気がします。

 ちょっとひっかかったのは、ラスト近く。個展用の合作作品を広げてみた、その後の事件でした。伏せて書くので、訳がわからなくてすみませんが。
 故意になされたことのように書かれていますが……彼はこういうことはしないでしょう、と思ってしまうのです。
 竜女の面の完成? 炎に包まれての完結? 一見、この生業の人らしい考え方のように見えますが、私はこれはないと思う。自分の作品の完成のためにこうするのはわかる。でも、他人の作品をこうやって完成へ導くことはないでしょう。ちょっと後味悪いです。

 でも概ね、好きなお話でした。ゆったりと優雅に見える草木染や機織ですが、実は3Kなところもちゃんと感じられました。
(2010.8.31)

 

上と外 1
 素晴しき休日」
幻冬舎文庫
恩田陸 著

   上と外〈1〉素晴らしき休日 (幻冬舎文庫)


両親の離婚によって別れて暮らす練と妹の千華子。年に一度の家族旅行、今年は考古学者である父のいる中米G国だった。会わずにいる時間が長くなるにつれて、何となくぎこちなくなる家族の関係は、母・千鶴子の再婚話でさらに大きな変化をせまられる。そして、帰国直前、G国で軍事クーデターが起き、それに巻き込まれた練と千華子は見知らぬ国で親とはぐれてしまった。

 この著者の名前だけはよく聞いていたけれど、一度も読んだことがなかったので図書館で借りてみました。

 登場人物の記憶と場面が前後しながらお話が進んでいくような、面白い読み心地。強い日差しに眩暈を覚えそうな異国の物語にぴったりです。人間関係がそうとう複雑な楢崎家(という形にはなっていないのだけど)、でも登場人物の性格がのびやかで、湿っぽい感じはまったくありません。

 特に気に入っているのが、練が暮らす祖父の家。
 町工場経営のおじいさんは、練が幼い頃からさまざまな「宿題」を与えて育ててくれた――例えば、よく飛ぶ紙飛行機、ラジオの分解、冷蔵庫の有りもので食事を作る、といったこと。

「いいか、練。いつも自分の手を動かしていろよ。おまえの手は、動かしていれば、おまえを裏切らない。だが、楽しようと思ったり、誰かに押し付けようと思ったりして動かさなくなった瞬間から、おまえの手はお前を裏切るようになる」

 心地よい文章でした。けっこう気に入りました。
 さくっと一日で読んでしまったので、続きを買ってきます。
(2010.8.28)


上と外 2
 緑の底」
幻冬舎文庫
恩田陸 著

   上と外〈2〉緑の底 (幻冬舎文庫)


ヘリコプターから投げ出された練と妹の千華子はろくな装備も食料もないまま、ジャングルを歩かなければならなくなった。そして、たどり着いたマヤの遺跡で、二人は不思議な人物と出会った。幻のように消えた彼の言葉「王の息に触れるな」とは何を意味しているのか?


 家族のごたごたで頭がいっぱいになっていたら、そのすべてをぶっとばすような事件。
 クーデターに巻き込まれ、しかも練と千華子はほとんど身ひとつでジャングルに落下。ここはどこ? 都会っ子にはつらい状況になってしまいました。

 そんな中で、練の芯の強さや落ち着きが表にあらわれてくる。生き延びるためにはどうしたらいいのか――その命題に取りついた二人の協力や励まし合いが描かれた巻でした。
 そういえば、二冊目を読んでいて気がついたのですが。練と千華子は中学二年生と小学生、なのです。勝手に高校生くらいの兄妹を想像していました。

 一方、日本の楢崎家にもクーデターのニュースが飛び込んでくる。
 従兄弟の邦夫、叔父、そして祖父。それぞれがそれぞれのやり方で安否情報を求めて苦心しています。
 邦夫は「こんなお兄ちゃんがいたらいいなー」と思うような賢い兄さんです。名前が某政治家を思わせていまひとつですが、「兄」キャラに弱い私のツボを直撃してます。

 どんどん読める、面白い。しかし、困ったことに経済的についていけないです。定価400いくらの本が一日もたないので。さて、どうしたものか(苦笑)。
(2010.9.10)


上と外 3、4
 神々と死者の迷宮 上・下」
幻冬舎文庫
恩田陸 著

   上と外〈3〉神々と死者の迷宮(上) (幻冬舎文庫)

   上と外〈4〉神々と死者の迷宮(下) (幻冬舎文庫)


ジャングルの中、不安を抱えて歩き続けた練と千華子は、マヤの末裔と名乗る少年たちと出会う。少年ニコは、まもなく成人の儀式が行われ、その儀式のために練が必要なのだ、という。儀式とは、王とは誰なのか。その頃、武装グループの人質となっていた賢と千鶴子はひそかに脱出、子供たちを救い出す手立てを求めて近隣の村へ向かった。


 なかなか核心に辿りつかずに、ちょっとじれております。
 千華子を人質にとられて否応なくニコに協力せざるを得なくなった練は、三日間の危険なマヤの儀式に連なることになった。もしも、儀式を無事にやりおおせなければ千華子が殺されてしまう、というプレッシャー。そして、いくらサバイバル能力があるとはいえ、現代っ子が野生の動物と対峙できるとも思えないので、練の底力に期待をかけて、はらはらしながら読んでます。

 一方、千華子も危ない状況ですが、その渦中で思い出された賢パパの話が千華子を元気づけています。

 物事はいつも幾通りもの見方があるってことを覚えておいてほしいな。腹が立ったりムッとした時は、目の前に起きていることに他の見方がないかちょっと考えてごらんよ。

 しかし、偶然見つけた迷路のような通路を辿ってみた千華子は、帰り道を見失って、一人で地下に取り残されてしまう。さて、子供たちはどうなるのか?

 そして、賢と千鶴子、そしてミゲルの動向にも注目してます。
 賢いわく「このクーデターは妙だ」。国内には複数の武装グループがあるが、その背後にいるのが何者なのか。首謀者も、外国の支援者がいるのか否かもわからない。一方、賢は彼らを探し出してくれた現地のNGO職員から奇妙な話を聞かされた。メキシコや南米から、たくさんの人々がこのG国へ向かっているのだ、という。

 さて、次はどこまで話が進むでしょう。
 たぶん、このお話は勢いよく一気に読みきる方が向いてますね。図書館で借りながら何ヶ月もかけて読むのはもったいなかったな。今更ながら、ですが。
(2010.11.2)


上と外 5
 楔が抜ける時」
幻冬舎文庫
恩田陸 著
4344401107上と外〈5〉楔が抜ける時 (幻冬舎文庫)
恩田 陸
幻冬舎 2001-06

by G-Tools
成人式が意外なかたちで終わったあと、練は千華子がいなくなったことをニコから告げられた。その頃、地上の町では賢と千鶴子がヘリを使った子供たちの捜索プランをたてていた。そして、その傍らのラジオから不思議な声明が流れ出した――「私たちの政府を樹立する」。


 うーん。ちょっと唸ってしまった巻でした。こんな手軽なお話だったっけ??
 1、2巻あたりは、人物の心情もエピソードも納得できて面白かったのですが、この巻はずいぶんご都合主義的な点が目についてしまいました。
 練がそれほどプライドがあるとは思えなかったし、ジャガーはそんなに間抜けじゃないと思うのですけど。

 あと1巻で終わりなので、勢いをつけて読んでしまおう。日本のじーちゃんたちも登場するのではないかと思うので、それが楽しみです。
(2011.1.15)


上と外 6
 みんなの国」
幻冬舎文庫
恩田陸 著

   上と外〈6〉みんなの国 (幻冬舎文庫)



 ついに完結編。ネタばれになるので、あらすじは無しです。

 おお、ちゃんと収束しました(あたりまえだ)。
 会うべき人と会い、帰るべきところにめでたく帰りました。まあ、「やっぱり無茶じゃない?」という展開もあったのですが。それでも、夢のロッククライミングを成し遂げた練と仲間たちの姿は爽やかでした。この著者で普通の中・高校生の学園青春ものがあったら、楽しめるんじゃないかな、と思う。そして、祖父と孫の再会シーンには目が熱くなりました(そこか)。

 面白かったのですが、どうも読み方を間違えましたね。6冊とはいえ、それぞれ薄いので、怯まず一気に読みきるべきでした。こういう事態は珍しい経験です。

 何はともあれ。無駄にかっこいいニコも悪くないねー、と思いつつ読了。半年にわたって楽しませていただきました。
(2011.3.5)

 

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